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第37話 大嫌い、だけどつまらない

「えー、殺気を出したつもりはなかったんだけど?」

「かなり殺気を殺すのは上手い方だとは思いますが、誤魔化し切れてませんでしたね。後は視線が泳ぎすぎです。部屋の様子を窺っているのはすぐに分かりました」

「さすが、苦労性先輩」

「……まだ、先輩と呼んでくれるんですね」


 ライアン様が、少し笑った。その寂しげな表情は、初めて見るもので。レオが一瞬動揺したのが、手に取るように分かった。


「で、誰の命令だ?」


 ゆっくりとソファから身を起こしたヴィクター様が、真っ直ぐにレオの目を見る。その目は、全く笑っていなかった。そう、あの目を、皇太子としての目をしていた。


「言うと思う?」

「お前の意思、か」

「……なんで?」

「俺が俺の生存を知らせた人間に、裏切り者はいない。お前を除いて、な」


 裏切り者。

 その強い言葉に、ぐっとレオの表情が歪んだ。それを確実に分かっているだろうに、ヴィクター様は言葉を続ける。


「俺が嫌いか?」

「……」


 レオは、答えなかった。ぐっと唇を噛み締めて、ライアン様に止められた自分の刃を見つめていた。その姿を見たヴィクター様は、しっかりとソファから立ち上がった。そのまま、ライアン様の肩に軽く手を置く。

 静かに、ライアン様が剣を下ろした。


「殺せ」


 ヴィクター様は、あっさりと口にした。


「俺はもう既に死んでいる。今ここでエリック・グレイを殺したところで、もともと存在しない存在だ、大掛かりな捜査がされることもない。お前なら逃げ切れるだろう?」

「……」

「お前が今ここで事を起こしたのも、ガーディナにエリック・グレイが俺だと知られる訳にはいかない、という事実を利用するため、か。アイリーン付き下級文官の暗殺に、元皇太子付きの人間が動くというのも怪しい話だ。俺の配下の人間は相当動きにくくなる。お前のことだ、そこまで読み切った上の行動だろう?」


 ヴィクター様が、レオの短剣を持った腕を掴む。びくりと、その手が跳ねた。


「大々的な捜査はない、俺の個人的な配下の人間も動けない。絶好の機会だ。違うか?」


 そのまま、ゆっくりと自らの首元へ導く。


「殺したら、どうだ?」


 その剣先は、誰が見ても分かるほどに、震えていた。


「大嫌いだ」


 レオが、震える声で呟いた。


「皇族なんて、大嫌いだ。国のためなんて言いながら、最下層の人間はあっさりと見殺しにする。お前たちのせいで多くの人間が死んでいるのに、のうのうと金を湯水のように使って生きて!」


 短剣を握るレオの腕に、ぐっと力がこもった。


「お前たちは、人を愛せない恐怖を知っているか?」

「……」

「愛した人間が、友人が、恋人が! 朝起きたらいなくなっている恐怖を知っているか! いつまで一緒に暮らせるかと怯えながら、明日から会えなくなるかもしれないという覚悟をしながら言葉を交わしたことは!」


 レオが、ヴィクター様の腕を振り払って、大きく短剣を自分の方へ引く。そのまま、大きく振りかぶった。


「大嫌いだ! 肝心なものは何一つ救えないくせに、皇帝を語るな!」


 真っ直ぐに振り下ろされた刃は、激情に震えていてもなお、過たずヴィクター様の首元を狙った。

 その手が、首筋に吸い込まれる寸前、ぴたりと止まった。


「大嫌いだ。大嫌い、なんだ」


 その腕が、力なく身体の横に垂れ下がった。ふらり、と揺れたレオの身体を支えたのは、ライアン様だった。


「そう、だな」


 ゆっくりと、ヴィクター様は答えた。すっと伏せられた目は、見たことのない感情に揺れていた。


「お前の、言う通りだ」

「……懺悔は、聞かない」

「ああ。謝る資格もない。謝ったところで何も変わらない。ただ、俺の気持ちが楽になるだけだ」


 ぐっと、ヴィクター様が唇を噛み締めたのが分かった。その身体が、小刻みに揺れているのが分かった。

 見ていられなかった。ゆっくりと歩み寄って、その背中にそっと寄り添えば、強く握り締められた拳から、少しだけ力が抜けた。

 レオの瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。


「あんたも、その男の味方か?」

「……味方も敵も、私はレオと敵対関係になったつもりはないわ」

「今のを見て、そう言うのか?」

「ええ。敵味方、正しい正しくないの話をしたいわけじゃない。むしろ、正しいと言えばレオの方が正しいのかもしれない。それでも、私は、この人が傷つく姿を黙って見ていられない。そうね、そういう意味では私はヴィクター様の味方、なのかもしれない。けれどそれはレオが間違ってるから、ではないし、レオと敵対したつもりもない。けれど」


 レオを、少しだけ首を傾けて見つめる。


「レオは、ヴィクター様に何を期待しているの?」

「……」

「レオが望むのは、誰1人死なない世界? そんなこと不可能でしょう。明日死ぬかもしれないのは、皇族だろうが変わらない」

「だが、その可能性は全く違う」

「そうね。だったらレオは、全ての人が、皇族のような生活をできる世界を望んでるの?」

「……」

「レオが、私には到底理解できないであろう怒りの感情、怒り、なんて簡単な言葉で片付けられるのは不快かもしれないけれど、私にはそういう言葉でしか表せない感情を抱えているという事実は、理解したつもり。けれどその感情は、本当にヴィクター様ひとりに、殺すという形でぶつけられるべきものなの?」


 レオの表情が歪んだ。抑えきれない苛立ちが、その顔に滲んだ。


「甘い貴族社会で育ってきた女の戯言だと思った? そうかもね。けれど、あえて言わせてもらう。国中の人を幸せにしないと、ヴィクター様の罪なの? ヴィクター様は国中の人を幸せにしない限り、懺悔し続けなきゃいけないの? そこに手が届かなかったヴィクター様は、恨まれて当然で、憎まれて殺されるべきなの? 私には、そうは思えない」

「アイリーン。もう良い」


 ヴィクター様が一歩前に出て、私と距離を取った。


「お前の言っていることは、事実かもしれない。だが、少しでも多くの人間が幸せに生きられるようにするのが、皇族の務めだろう。それができていない俺は、咎められて当然だ」

「……ヴィクター様なら、そう言うと思いましたよ。ヴィクター様がそう思うなら、私は止めません。ただ黙って見ていられなかったという、それだけです。私の感情を押し付けるつもりはありません」

「ああ。……感謝する」

「レオ?」


 そっと、ライアン様が呼びかけた。その手が、優しくレオの背中を支えた。


「僕だって、貴族として育った人間です。だから、本当の意味で、レオの痛みを理解できているとは思えません。だから、そうしてレオがヴィクター様に対して怒りの感情を持ったことを、咎めるつもりもありません。けれど、レオ、迷っているんじゃないですか」

「……」

「長年の恨みと、数月の間に生まれた情と。恨みを積もらせていた人の、ありのままの姿を見て。揺れているのでしょう」

「俺は!」

「僕が、レオの攻撃をあっさりと止められたのはなぜだと思います? 前々から言っていますが、僕は本気のレオと戦ったらそれなりに苦戦すると思います」


 まあ、負ける気はしませんけど。

 そう言って、ライアン様は笑う。


「迷っていたでしょう。少しも、本気ではなかったでしょう」

「……」

「殿下は、殺すなら殺せ、と言いました。格好の機会に、殺さなかったのはなぜですか?」

「……そうだよ! お前らなんて大嫌いだ! 大嫌い、だったんだよ!」


 レオが、ライアン様を真っ直ぐに見上げた。


「嫌い、だったんだ。殺せると、思ったんだ」

「はい」

「でも、殺したら、つまらない、と。思った」


 かつてのレオの言葉を、思い出した。


『ジェクター殿下も苦労性先輩もいないのが、こんなにつまらないなんて、ちょっと意外だったかも』


 もしかしたら、あの時には既に。レオは、迷っていたのかもしれない。


「そうですね。僕も、殺されるのは、つまらないです」

「真面目な顔して何を言ってるんだ?」

「そういうレオの姿も新鮮ですね。女好きは嘘ですか」

「嘘ではない」


 律儀に答えるレオ。なんだか、前にも同じようなことを思った記憶がある。

 レオは、意外に、真面目だ。


「レオ」


 そっと微笑んだライアン様が、レオに片手を差し出す。武器を持つ方の手、だ。


「今度こそ、僕たちのもとへ来ませんか」

「……」

「お金で雇われた暗殺者としてではなく。あ、もちろんお金は払いますよ? 殿下付きは過酷だと言うことで、金払いは良いんです。少しばかり無茶苦茶な主もいますが、悪くない職場ですよ」

「……」

「認めるのは癪ですが、殿下は凄い人です。レオも、凄い人だと僕は思っています。そんな2人が手を組んだら、レオの求める世界に、少し近づくのではないですか? 感情のままに殿下を殺してしまうより、ずっと良い道だと思いませんか?」


 差し出された手を、レオはじっと見つめていた。


「安心してください。そうそう簡単には死にません。愛してくれても、いいんですよ?」

「……誰がそんなこと! 俺は、女の子しか興味ないんだけど!」


 弾けるように、レオが笑った。そうして、差し出された手を握った。

 その瞬間にふわりと微笑んだライアン様の表情は、今まで見た中で、一番幸せそうだった。今まで見てきたライアン様の表情が、ほとんどヴィクター様に振り回されてげっそりとしているものだけだった、と言うのもあるのだろうけれど。


()()()()()殿下」


 ふっと真剣な表情を灯したレオが、ゆっくりとヴィクター様の方へ向き直った。

 その手に握られていた短剣を、一度じっくりと眺めたレオは、無造作にそれをヴィクター様に差し出した。一拍置いて、ヴィクター様がその剣を手に取る。


 真っ直ぐにヴィクター様の目を見つめて、レオがゆっくりとその膝を折った。薄い水色の目が伏せられ、顔の横をさらりと髪が滑り落ちた。


 誰も、何も言わなかった。言葉など、必要はなかったのだと思う。


 息の音さえうるさく聞こえる沈黙を破ったのは、レオ自身だった。

 ひらりと立ち上がると、窓の側へ走っていく。そうして窓の外を見つめるレオの耳は、少しばかり赤かった。きっと、照れているのだ。思わず、微笑みが溢れた。


「仕方ないから、ここにいてあげることにする。喜んでくれても、いいんだよ?」


 聞こえる言葉は、あまりにも素直ではない。私含め、ここには素直な人がいないのだろうか。いや、ライアン様は素直な人だ。だからこそ、色々と押し付けられたり巻き込まれたりするのかもしれない。

 そしてだからこそ、レオの心を動かすことができる人は、きっとライアン様しかいなかったのだろう、と思った。


()()


 その言葉に少しだけ違和感があって、気がついた。ヴィクター様が、レオのことを名前で呼んだのは、よく考えればきっと初めてだ。


「何?」

「俺はな、良い国を作りたい」

「……」

「エルサイドは侵略者だ。どこであってもな。自国の民のため、多くの血を流した。それは紛れもない事実で、皇族が負うべき罪だ。だが、もう侵略の時代は終わりだ」


 手に握られた短剣を、ヴィクター様がレオに差し出す。


「俺が、いや俺たちがやるべきことは、今あるこの国を、より良いものにしていくことだ。そしてそのために、お前の力が必要だ」

「……」

「頼んだぞ」


 レオは、何も答えなかった。ただ、差し出された短剣を受け取った。そして、ヴィクター様の一歩後ろに立った。邪魔にならないように、けれどいつでも動けるように、護衛として完璧な、寸分の狂いもない位置。

 それを気配で悟ったらしいヴィクター様は、満足げに笑った。


「それでは、今後の相談といこうか?」


 そうしてゆっくりと、ガーディナ最後の夜は過ぎていく。

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