表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/51

第36話 第58条の進言、またの名を文句

「ヴィクター様」

「なんだ」

「私の腰には、何もついてませんよ」


 私の言葉を無視して、ヴィクター様はわざとらしく私の腰を抱え込む。その指先が時折脇腹を掠るものだから、何ともくすぐったい。


 式典、いや、もはや夜会か。夜会もあの後は何事もなく終わり、どうにか部屋に帰ってきたところを、ヴィクター様に捕獲されたのだ。そう、捕獲である。

 私を捕まえたヴィクター様は、不機嫌極まりない、と言った様子だ。返し損ねたユースタス殿下のハンカチを私から奪い取って、指先でくるくると回している。


「アイリーン」

「何でしょう」

「……」


 名前を呼ぶだけ呼んでおいて、答えれば無視。勝手な人だ。理由を問い詰めたところで、どうせ呼びたかっただけ、と言われるのは分かりきっているので諦める。


「そんなことより、ヴィクター様、いつから聞いてたんですか」

「ああ、最初から、だな」

「よく隠れられましたね」

「存在も地味なんだよ。誰にも気づかれない」

「で、どうでした?」

「ユースタスが、か?」

「他に誰がいますか? 私の感想なんて言われても困ります」

「ああ、珍しく可愛かったな」


 あの時の私の様子を思い出したのか、ヴィクター様が楽しそうに笑う。やめてほしい。少しでも早く、記憶から抹消してほしい。らしくないことをした自覚はあるのだ。


「珍しく、ってなんですか」

「ああ悪い。普段も可愛いぞ」

「っそういうことを言ってるわけではありません!」

「そうやって照れる姿も」

「黙ってください!」


 叫ぶ私に、渋々ヴィクター様が口を閉じる。けれど、明らかにこちらの隙を伺っている様子なのだ。話を逸らした方がいい。違う、そもそもこれは話を逸らされた結果だ。


「で、ユースタス殿下はどうでした?」

「見かけほど単純ではなさそうだとは思ったが、スレニアでの動きと照らし合わせれば予想通り、と言ったところか」

「あの、国の再建に情熱を傾ける王太子、という姿が、どこまで本当か気になるところです」

「国を再建したいのは本当だと思っているが、その動機だな。今までの動きからするに、そこまで純粋な人間とも思えん」

「はい。スレニアとの詳しい関係も気になるところです」

「ああ。スレニアと言えば、俺の暗殺に関して、スレニアには、王太子とエリザの身柄を要求した上で一度話し合いを提示したんだが、結果は知っての通りだ。拒否された。完全無視だ。そろそろエルサイドの軍が動き出す頃だろう」

「そうなる気はしていました。……ヴィクター様の暗殺の主犯は、ユースタス殿下と見て良さそうですか?」

「少なくとも、関わってはいるだろうな。ヴァージルについて、詳しかった」

「……どういうことです?」


 どうして、ここでヴァージル殿下の名前が出てくる。本当に分からなかったので聞いたけれど、心底不可解だ、という顔をされた。なぜ分からないのか、という心の声が伝わってきそうだ。

 悔しいけれど、私も大人しく、教えてください、という顔をする。


「気づかなかったか? 会場の一角に、明らかにヴァージルの好む料理がまとめて置いてあるところがあった。部屋も、二部屋あるうちの、間取りからして少し小さいと思われる手前がヴァージルだっただろう? 大抵逆だと思うが。位置から察するに、ちょうど手前の部屋の窓から庭が見下ろせるはずだ。あいつは庭を鑑賞するのが好きだからな、そこに配慮したんだと思うぞ」

「色々と言いたいことはありますが、ヴァージル殿下の趣味が予想外すぎて内容が頭に入ってきませんでした」

「知らなかったのか? 初めてお前に会った時も、庭園に誘っただろう」

「そういえば、そうでしたね」


 密会に便利だから選ばれたのかと思っていた。まさか本人の趣味だったとは。意外すぎる。


「俺が死んでから、慌ててヴァージルの接待の準備をしたにしては、用意が良すぎる。こう言っては何だが、元は第二皇子だからな。俺の情報は色々と出回っていたはずだが、ヴァージルの情報を得るのはそれなりに苦労するはずだ。本人もどちらかと言えば隠す方だしな。そのはずが、いざガーディナに来てみれば、完璧にヴァージルを歓迎する体制が整っている」

「ガーディナに素晴らしく優秀な人が揃っていたという可能性は考えないんですか?」

「会話してみたが、ライアンの足元にも及ばないな」

「ライアン様と比較するのは可哀想な気もします」


 あまりの人の良さと悲痛な表情で忘れがちだが、実はライアン様はとてもすごい人だ。忘れがちだが。


「と、いうわけで。俺が殺されることを、ある程度早いうちから掴んでいたのでは、と予想している。確実な証拠があるわけでもないが、それも絞って調べていけばおいおい見つかるだろう。一番いいのは保護しているであろう王太子とエリザを捕まえることなんだが、さすがに居場所が掴めなくてな」

「最重要機密じゃないですか。それも掴んでいたら、本気で怖すぎます」

「そのうち見つけるさ。俺だからな」

「期待してます」


 おう、と短く答えたヴィクター様が、私の腰に回したままだった腕に力を込めた。そういえば忘れていた。完全に意識の外にあったことを悟られたのか、ヴィクター様が不満そうに私を引き寄せる。

 相変わらず容赦のない力のかけ方に、抗いようもなく捕まった。

 

「そんなことより、アイリーン不足で死にそうだ」

「もう死んでますね」

「分かっているだろう、比喩だ。色気も情緒もない言い方をすると、抱きたい」

「……っ馬鹿なんですか!?」


 あまりにも直接的というか、単純すぎる言葉に一瞬で顔が熱くなる。その反応を面白がられているのは分かっているけれど、勝手に頬が赤くなるのだ。私は悪くない。


「そんなに煽るな。さすがに俺もこの状況で手を出すほど馬鹿ではないからな、我慢するのが辛い」

「なっ、そんなこと!」

「殿下、やめてください」


 信じられない声に、私はぎこちなく振り返る。部屋の隅には、いつの間にか戻っていたライアン様の姿。

 今のを、聞かれたのか。聞かれた、だろう。羞恥心が限界だ。一瞬ヴィクター様の腕の力が緩んだ隙を見計らって、どうにか逃げ出した。ソファの、ヴィクター様から一番離れた向かいに腰掛ける。


「あー、ライアンか」

「あーって何ですか。僕は殿下に言われた馬鹿みたいな量の仕事をこなして、疲れ切ってるのですが」

「おう、お疲れ」

「……」


 ヴィクター様には何も答えず、ライアン様は小声で繰り返し、怒るだけ無駄、と呟いている。そのまま一つ大きなため息をつくと、ヴィクター様の背後に立った。

 どんなに適当な態度を取られても自分の仕事を放棄しないあたり、ライアン様はやはり真面目だ。ヴィクター様も、見習ってほしい。


「殿下、少しは自重してください。人目を気にしてください」

「なぜ?」

「殿下には羞恥心というものがないんですか?」

「見せてやろうか? この溢れんばかりの羞恥心を」

「どの口が言ってるんですか。そんなことばかりしているから、こんなものを作られるんです」


 そう言うと同時に、ライアン様は一枚の紙を突き出した。使われている紙からして、今度は重要書類ではなさそうだが。

 ぐっと身を乗り出したヴィクター様が、その紙を受け取る。そして一目見るなり、放り出した。続けて、一言。


「却下」

「僕も殿下はそう仰ると思うと、言ったんですよ? ですが、分かってください。どこかの誰かが馬鹿みたいなスケジュールで人を動かすので、皆女性に飢えてるんです。新しく入ってきた誰かがほとんどの女性を独占しているというのもありますが」


 2人の言い合いを聞き流しつつ、ヴィクター様が放り捨てた紙を拾う。お世辞にも綺麗とは言えない字で書かれたそれの一番上に書かれた文字を見た瞬間、危うく叫びそうになった。


「何ですかこれ!?」

「何も、見た通りだろう? 当然、却下だ」

「いや、待ってください、ここに書かれた全部、目撃されていたってことですか!?」


 それは、何というか、私とヴィクター様へのお願い、のようなものだった。お願い、と言ったけれど、実際は不満に近い。文句と言ってもいいかもしれない。殿下と配下の人の距離が近いのはいいことだけれど、けれど。

 例えば。自分たちがいる前で抱き合わないでほしいだとか、好きだ愛してると言わないでほしいだとか、駄目だ、これ以上は言えない。羞恥心が限界。


「分かります? どこかの誰かのせいで恋人ができないのに、当のどこかの誰かは綺麗な奥さんと目の前で幸せそうな顔を晒しているんですよ。耐え難いのも分かってください。加えて、最近殿下の威厳が消えかけているので、最愛の妻が目の前にいるのは理解しましたから、もう少し落ち着いてください。新婚のうちだけだと思っていましたが、いつまで経っても変わらないじゃないですか」

「女ができないのは、本当に俺のせいか?」

「……本人たちに全く責任がないとは言いませんが、殿下も大きな要因でしょう! 僕に大量の悲鳴が回ってくるんです! そんなこと言われても、僕だって……いや、とにかく! 少しは自重してください!」

「僕だって?」

「……っ話を逸らそうとしたってそうはいきませんから」


 相変わらず、巻き込まれ体質らしい。ヴィクター様に関する不満が、全てライアン様に流れていっているようだ。さすがに申し訳なくなってきた。


「ヴィクター様。……これは、自重しませんか」

「断る。俺は繊細なんでな、抱き枕がいないと眠れん」

「抱き枕扱いするのはやめてください。抱き枕にも意思があるんです」


 抱き枕も、抱かれたい気分の時と勘弁してほしい気分の時があるのだ。いい加減理解してほしい。


「初めて知った」

「何言ってるんですか」

「お二人とも、それくらいにしてください。この、第37条を見てください。それも自重対象です」

「そんなところまで読んでいるわけがないだろう? というか、どこまであるんだ」

「第58条です」

「怖いな」


 58条。多すぎる。割と本気で、控えた方がいいかもしれない。

 けれど思い返してみれば。私からヴィクター様に触れたことなど数えるほどしかない。いつも一方的にヴィクター様が捕まえてくるのだ。つまり、私は悪くない。ヴィクター様が自重すれば良いだけだ。


「ヴィクター様、せめて目を通しましょう? 自分の配下の方でしょう? 本気で迷惑がられているかもしれません」

「こんなの、酒の席の冗談に決まっているだろう。そういう奴らだ」

「そうかもしれませんが。私も、さすがに控えた方がいいと思います」


 そう言った瞬間、ヴィクター様が露骨に嫌な顔をする。これは、どちらかといえば本気よりの方だ。言葉を間違えたかもしれない。


「お前も、嫌か?」

「……その聞き方は、狡いと思います」

「その答えは、嫌ではないと取っていいか?」

「あのですね!」


 ライアン様の指が、真っ直ぐに紙を指す。あれは、第7条か。


「分かったよ」

「え?」

「我慢すればいいんだろ?」

「……殿下、本当に、我慢するんです?」

「なんだ、自分で言っておきながら期待してなかったのか?」

「はい」

「そうきっぱり答えるな、悲しくなる」

「自業自得ですね」


 まさか、本気で言っているのか。ヴィクター様が、私に触れることを我慢する?

 有難い、かもしれない。少なくとも人前でまとわりつかれることはなくなるし、作業の邪魔をされることも、急に抱き枕にされることも、なくなるのだ。恥ずかしい思いをすることもない。

 これは、ヴィクター様の気が変わらないうちに言質を取りたい。


「ヴィクター様、自重するんですね?」

「ああ。俺からは、しばらく人前でお前に触れないと約束する。それで、良いだろう?」

「……良い、ですが」


 いやに素直だ。一周回って嫌な予感がする。何か企んでいるのでは、と疑いたくなる。

 

 ヴィクター様は、ゆっくりとソファに横になった。いつもはその後私に手を伸ばしてくるのだが、宣言通りその様子はない。

 ふっとこちらに視線が投げられ、ぴたりと目があった。その瞬間、その薄い唇が楽しげな笑みを形作る。


 確信した。この人、絶対に何か企んでいる。


 もしかして墓穴を掘ってしまったか、と思いつつも、これからの平穏な生活を思って心躍らせていた、その時。

 とこん、と扉が叩かれた。


「ただいまー。もしかして、俺のこと待ってた?」

「誰も待ってない」

「ほんと、相変わらずジェクター殿下は口が悪いなあ」


 扉を開けて姿を現したレオは、その薄い水色の瞳をすっと細めて笑う。


「全く。レオ、どこへ行っていたんです?」


 苦笑するライアン様の雰囲気が想像以上に柔らかくて、驚いた。知らないうちに、この2人、かなり仲が良くなっていたのかもしれない。


「え? 可愛い女の子たちが俺のこと離してくれなかったから。一緒に過ごしてたよ?」

「そうですか」


 すたすたと、軽い足取りでレオが部屋に入ってくる。その姿を何の気無しに目で追っていた、その瞬間。


 レオの姿が、消えた。


 がん、と耳障りな音が聞こえて、びくりと身体が震える。一拍置いて、ようやく私の目は状況を捉えた。

 ソファにだらしなく寝転がるヴィクター様。そしてその前で短剣を振りかざすレオと、それを腰にさしていたはずの剣で受け止めたライアン様。


「全く。そうも殺気を漂わせていては、殺すものも殺せませんよ」


 先程と全く同じような口ぶりで、まるで遅くまで帰ってこなかったことを咎めるように、ライアン様は言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ