第35話 地味眼鏡の猛攻
「も、申し訳ありません! 私は、エリック・グレイという者です。エルサイド帝国グレイ男爵家の次男です。文官も務めております」
「その文官が、どうしてこんなところに?」
強い光を持つ赤い瞳と、分厚い眼鏡に覆われた薄い灰色の瞳が交差する。
「昼間にこちらにお邪魔した時に、落とし物をしてしまい、探しておりました。人の気配を感じて咄嗟に隠れてしまって、そこから出るに出られず……」
「話は聞いていたかな?」
「……いえ! 何も、聞こえては」
「聞いていたんだね」
ふう、とユースタス殿下が息をつく。その目が、真っ直ぐにヴィクター様、いや今はグレイ様と呼んだ方がいいのだろうか。とにかく、その地味な姿をじっくりと眺めた。
まさか正体がばれるなんてことはないだろうが、とてつもなく冷や冷やする。何と言っても、暗殺主犯者(仮)と暗殺被害者(嘘)の対面である。自分で言っていて状況が意味不明だ。
「どう思ったかな?」
「……どういう、ことでしょう」
「俺の話に対する、君の感想を聞かせてくれない?」
グレイ様、いや気持ち悪いからヴィクター様にしよう。ヴィクター様の動きがぴたりと止まる。その頭が、凄まじい速さで動いているのが想像できた。
「それは、答えによっては証拠の隠滅も考える、という意味ですか?」
「君、見かけほど普通ではないね」
ユースタス殿下が苦笑するが、何気に失礼だ。地味眼鏡、強い。
「恐縮です」
「……そうだね。君が今すぐ、ヴァージル殿下、ゆくゆくは陛下に俺の話を伝えると言うなら、俺もそれなりの方法を考えるけれど、その口ぶりだとそのつもりはなさそうかな」
「いえ? それも、ユースタス殿下のお返事次第かと」
「……君ほどの人が、忘れ物、なんて、らしくないことをしたものだね」
やはり、この人はただの情熱に燃える王太子、と言う訳ではなさそうだ。人当たりのいい笑みを浮かべながら、腹の底では探り合い。なかなかに厄介な相手だ。ヴィクター様が珍しく警戒していたのも頷ける。
「はい。ガーディナということで、少しばかり緊張してしまいまして」
「それで? 肝心の感想を、聞かせてほしい」
「では。本気で、かつてのガーディナが再建されるべき良い国だったと思われているのですか?」
「……どういう、ことかな?」
「王への異常な信仰は、歪んだ教育によるものでしょう。生まれた時から洗脳するように王の素晴らしさを説き、人を集めて集会のようなものを開いて怪しげな香を焚き、ひたすらに王への忠誠を刻みつけるやり方が、本当に良かったと、そう仰るのです?」
「……な」
「王族の血を引く方ならご存知ですよね? 紛れもない、事実です」
どこでそのような情報を見つけてきたのだヴィクター様は。到着して体調が戻るなり、ふらふらと歩き回っていたけれど、いつものことだと思って気に留めていなかったのだ。まさか、この短時間でそんな秘密を見つけ出した、のか。恐ろしい。
何度抱いたかもわからない感想だけれど、この人に関しては、本当にこれしかいえない。
「……っ」
明らかに動揺した様子を見せたユースタス殿下。地味眼鏡が、その地味な顔に似合わない勝ち誇ったような表情を見せた。一瞬素が出ただろう今。
幸いなことにそれに気が付かなかったらしいユースタス殿下に、ヴィクター様が追撃する。
「真に素晴らしい王なら、何をするでもなく民はついてくるものではないですか? ガーディナの始祖王は確かに素晴らしい為政者であったかもしれませんが、長年の間にその信仰を失い、国を存続させるためにそのような歪んだ手段に出るしかなかったのでは?」
「……そうかもしれないけれど」
ユースタス殿下が、真っ直ぐに地味眼鏡を見つめた。その目に、今までの地味眼鏡だと侮る様子はない。
「俺は、初代ガーディナ王のようになる。立派な、何をせずとも民がついてくるような王に。素晴らしい王が王座に就けば、巨大な権力は素晴らしい国を作り出す」
「そういうことでしたら、理解いたしました。失礼なことを申し上げ、申し訳ありませんでした」
これで終わり、とばかりに会話を打ち切ったヴィクター様に、ちらりと視線をやる。その灰色の瞳と、一瞬視線が絡んだ。
これ以上は無理がある、という判断だろう。とりあえずユースタス殿下という人間はある程度掴んだ、と言ったところか。後は、予想が当たっていたので満足したのか。
申し訳ありませんでした、ともう一度謝ったヴィクター様は、ユースタス殿下の許しを得てあっさりといなくなる。今度こそいなくなった、と思う。あの人のことだから、どこかで聞いていたとしてもおかしくはないが。
「……申し訳ありません、お話の途中に」
「いえ、構いませんわ。こちらこそ、うちの文官が失礼いたしました」
「そんな。何というか、切れ者、ですね。帝国には、優秀な人間が多いようです」
そう言ったユースタス殿下に、もう一度軽く謝っておく。
よし、決めた。ヴィクター様が警戒対象になった以上、私は友好的な関係を築いておいた方がいい。友好からも、敵対からも、それぞれ得られる情報がある。
どちらの味方ともあえて明言はせず。いざ情報が必要となったときに、こちらから軽く話を振れるくらいの仲にはなっておきたい。
「すみません、取り乱してしまって。ヴィクター様の、お話でしたよね」
「いや、もうやめましょう。すみません、俺が悪かったので」
「ありがとう、ございます。お優しいのですね」
少しだけ微笑んで。軽く俯いてみせれば、ヴィクター様の登場によって外れていた手が、再び腰に添えられた。
まさか、ヴィクター様が物音を立てたのは、ユースタス殿下が私に触れたから、なんてことはないだろうな。さすがに、ない。とは、言い切れないのが怖い。
部屋に帰るのが、少しばかり、いやかなり、怖くなった。
「なんのお力にもなれず、すみません」
「いえ。そのお心遣いだけで、救われる思いですわ」
自分で言いながら、あまりにも私らしくなくて笑ってしまいそうだ。何だか、ヴィクター様に似てきた気がする。認めたくはないが。
「俺が、この話をあなたにしたのは、もしかしたらあなたなら、と思ったからです」
「何が、ですか?」
「属国から帝国に嫁ぎ。そして帝国で、後ろ盾を持たないあなたなら。属国出身というだけで、きっと苦しい思いをしていらっしゃるあなたなら、俺の気持ちも、わかってもらえるか、と」
「帝国内に、味方が欲しかった、ということですか?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうです。けれど、それだけではないと、どうか分かってください。俺は、帝国内で孤立しているであろうあなたの、味方に、支えになりたかった。属国出身の苦しみが、痛いほどに分かるから、です」
「ありがとうございます。……少しばかり、気が楽になりました」
小さく微笑んで。あえてゆっくりと、指輪に沿わせていた指先を離す。その動作を目に留めたらしいユースタス様の、私の腰に触れる腕に、ほんの少しだけ力が入った。
やはり、只者ではない。
確信した。ユースタス殿下は絶対に、ただ国の再建を目指す、偉大な王に憧れる、純粋な王太子ではない。
そしてスレニアとの繋がりも、ほぼ間違いなくあると見ていい。意図が掴みきれていないところもあるが、少なくとも夢だけを唱えて、何もせずぼうっと指をくわえている性格はしていないだろう。
「何かあれば、いつでも頼ってください」
「はい。……頼りに、させていただきますわ」
微笑んで。来る時よりも少しだけ近くなった距離のまま、私たちは会場に戻った。
途端に突き刺さる無数の視線を無視して、ユースタス殿下と別れると、壁際へ戻った。もうやることもない。本題は終わったのだ。後は、適当にやり過ごすだけ。
作りなれた微笑みを浮かべながら、その日の夜を乗り切った。




