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第34話 地味眼鏡が自由すぎる

 そうして迎えた、式典当日。


 前日の夜に行うはずだった作戦会議は、ヴィクター様が動けそうにないことと、レオがいつまで経っても帰ってこないために延期された。

 ヴィクター様なしの会議など何の意味もない、とライアン様と結論を出したのだ。本人は参加したがったけれど、ライアン様の、気絶させましょうか、の一言で大人しくなった。対地味眼鏡のライアン様は強い。


 ヴィクター様の体調も回復し、地味眼鏡として普通に動けるまでになった。よかった。よかったのだ。

 けれど。今私は、心の底から、その心配を返してほしいと思っている。


「おい、お前」


 冷たい目で地味眼鏡を見下ろす、ヴァージル殿下。しかも、場所は式典の会場に向かう廊下の真ん中。

 端的に言って最悪だ。けれど断言する。ヴィクター様は今完全に、この状況を面白がっている。


「ヴァージル殿下。どうなさいましたか?」

「俺にぶつかっておいて、どうした、だと?」


 うん、わざとだ。間違いなくわざと。そしてすっとぼけているのも、わざと。

 あの心配を返してほしい。何を遊んでいるのだ。


「……っえ!?」


 白々しい。けれどその妙な不器用さというか、ぎこちなさが逆に対人慣れしていない地味眼鏡らしい。悔しいが、ヴィクター様は演技が上手い。


「は?」

「も、申し訳ございません! 気がつきませんでした! まさか、いらっしゃったなんて」

「この俺に、気づかなかった、と」

「い、いえそんなことはっ!? ガ、ガーディナが似合ってらっしゃったので! ここには良く来られるのですか?」

「この俺が誤魔化されるとでも? 俺に、気づかなかったんだな?」

「ち、違います! まさか、そんなわけありません!」


 全力で煽りにいくヴィクター様。明らかに苛立っているヴァージル殿下。いくら何でもふざけすぎだ。

 しかももう、式典が始まるのだ。早く行かないと遅刻になってしまう。それはさすがにまずいだろう、どう考えても。


「ヴァージル殿下、申し訳ございません。このお詫びは後日正式にいたしますので、今はお時間が」

「ああ」


 人の話をすぐに遮るところは、似ているかもしれない。

 ヴァージル殿下が、冷たく地味眼鏡を睨んだ。


「どうやら、お前のことは好きになれそうにない」


 ご名答。おそらく、あなたが世界で一番嫌いな人です。

 こっそりと心の中で呟いて、私はヴァージル殿下から一歩下がった位置を歩いてついていく。

 ヴァージル殿下からすれば死刑宣告をしたつもりなのだろう。皇太子に嫌われれば、その先の出世はない。だが、当然のことながら堪えた様子のない地味眼鏡に苛立ったような表情のまま、ヴァージル殿下は大股で歩く。私も小走りで、精一杯優雅に見えるように後に続く。ばれないように気をつけながら、地味眼鏡の足を踏みつけることも忘れない。今の私の靴は、少しばかり踵が高い。

 足の痛みに無言で悶える地味眼鏡を尻目に、私は式典へ向かった。


 辿り着いた式典の会場は、豪華なものだった。やはり国としては、ガーディナは豊かな方なのだ。

 式典、とは言いつつも、実際は夜会のようなものだ。ユースタス殿下からの挨拶や儀式もあるはずだが、それは会の終盤に予定されている。

 要するに今回は、新王太子の人脈作りの場なのだろう。中央にある人だかりの中央に、ユースタス殿下がいるはずだ。


 そのうち私の元にも順番が回ってくるだろう。それまで時間を潰すしかない。くるりと見渡せば、美味しそうな料理もある。見慣れないものも多かったけれど、一部明らかにエルサイドの料理が置かれている場所を見つけて少し安心した。

 そう思っていたけれど、すぐに中央の人だかりが解けて、そこからこちらに向かってまっすぐに1人の男性が歩いてきた。

 

 艶やかな黒髪は、少しばかり乱雑に見えるくらいの大胆さで切り揃えられている。野性味のある顔立ちだった。その顔の中央で強い意志を持って輝く、鮮やかな赤の瞳が印象的だ。私よりも、ずっと強く華やかな赤。

 多くの客の応対に追われていたからか、少しばかり顔色が悪いが、その表情はひどく強い印象を与えた。


 後ろから私に恨みがましげな視線を送っていた地味眼鏡が、ふっと姿勢を正す気配がした。


「こんばんは。遠い中をお越しくださり、ありがとうございます」


 そう言って人の良い笑顔を浮かべたユースタス殿下は、ヴァージル殿下を見つめた後、静かに私に視線を落とした。

 ヴァージル殿下よりも、少しだけ身長が高いだろうか。ほとんど誤差のようなものだけれど、その威圧感の差は歴然としていた。これは、周囲が王と認めるのも分かるかもしれない。

 

 例えば、ヴィクター様。他にも、今この場に立って私たちのやりとりを見守っている招待客の中の数人。

 そういう限られた人間だけが持つ、人を惹きつける力のようなものを持った人だった。


「丁重なもてなし、感謝する」


 もちろん、主に話すのはヴァージル殿下だ。私は大した権限を持っていない。それこそ、いるだけで十分なのだ。

 そこからは、なんてことのない決まり切った挨拶だった。それも当然といえば当然の話で、こんなに人がいる中で不穏な話ができるわけがない。エルサイドとしては突如現れた前王の子孫など警戒対象でしかなく、周りも当然それを察しているだろうが、向こうが友好関係を求めてきている以上堂々と警戒するわけにもいかない。それこそ、建前が必要なのだ。


 話も終わる方向に進み、当たり障りのないところで終わるか、と思った時、ユースタス殿下が衝撃の言葉を投下した。


「……ありがとうございます。そうでした、アイリーン殿下。不躾なお願いで恐縮なのですが」


 彼の赤い瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。


「宜しければ、散歩などいかがでしょうか。エルサイドの薔薇と謳われるあなたと、ぜひお話しさせていただけないかと、私はこの日を心待ちにしておりました」


 待って。エルサイドの薔薇って何。聞いたことがない。誰が言い出した。一度探して殴りたい。

 内心の動揺を表面に出さないように気をつけながら、私は精一杯綺麗に微笑む。


「はい。喜んで、ご一緒させていただきたく存じます」


 誰もが、息を呑んで私たちを見守っているのが分かった。ヴァージル殿下からの視線も痛い。けれどそれを意に介さず、最後の挨拶をしたユースタス殿下が、ゆっくりと歩き出す。

 その後ろから、私もついていく。歩調を合わせてくれているのだろう、歩きやすい。どこかの誰かとは大違いだ。

 けれど、警戒心を解くわけにはいかない。私には、できるだけユースタス殿下を探るという仕事がある。


 しばし無言のまま歩き、庭園に辿り着いた。なるほど、建前とはいえ散歩に誘うだけあって、見事なものだった。咲き誇る大輪の花に、しばし目を奪われる。ふりを、する。

 属国出身の、運よく皇太子に溺愛された無垢な女だと思われた方が、何かと楽だろう。

 明らかに内密な誘いに地味眼鏡が付いてこれるはずもなく、少し離れたところに護衛の数人がいるだけだ。


「美しいですね」

「そうでしょう? 少し、こだわっています」


 屈託なく笑ったユースタス殿下は、今まで私が接してきた、王族、と名のつく人とは、明らかに異なる雰囲気を持っていた。


「突然、すみません」

「いえ。私も、ユースタス殿下とは一度お会いしたかったのです。お声がけいただき嬉しかったですわ」

「それは、良かった。……ああ申し訳ありません、どうにも、敬語というものが苦手で」

「構いません。どうぞ、楽になさってください」

「ありがとうございます」


 威圧感は、あまりない。

 ヴィクター様のような、目を合わせるだけで犯してもない罪を認めそうになるような、強い恐怖心を抱かせるようなものはなかった。


「まずは。……お辛い中、呼び出してしまってすみません」

「……ああ」


 す、と目を伏せた。例の指輪を指先で撫でる。これが非常に強い効果を持つことは、最近知った。


「そう、ですね」


 あえて何も言わない。今まできちんと接していた分、動揺しているように見えるはずだ。本当に、一生使わなそうな演技の引き出しばかりが増えていく。


「っすみません! 無神経なことを」

「いえ。お気になさらないでください」

「ありがとうございます。本当に、すみません」

「いえ。それより、お話とは?」


 そう聞いた瞬間に、ユースタス殿下の赤い瞳が俄に強い光を帯びた。見上げたその顔に、初めて姿を見た時と同じ、強い何かを感じた。


「俺は、この国を再建したいんです」

「……」

「俺の祖先が、かつて王であった人たちが治めていたこのガーディナという国を、俺は誇りに思っています。だから、俺は、かつての姿を取り戻したい」


 いつの間にか、俺、になった一人称。

 今までの丁寧な人好きのする様子は残しながらも、彼は、真っ直ぐに国の再建を目指す王太子の姿をしていた。いっそ、真っ直ぐすぎるくらいに。


「もちろん、エルサイド帝国に反抗するという意味ではありません。俺としては、今後のためにも友好的な関係を築きたい。けれど今の形は、おかしいと思いませんか」

「と、仰いますと?」

「今のガーディナには、何も残っていないんです。法を一つ作ることさえ、帝国を通さないとできはしない。今の王がお飾りに過ぎないことなど、誰もが理解していることです」


 相当な不敬というか、下手に切り取られたら即処刑になりそうな危うい言葉だ。けれどユースタス殿下に、それに怯える色はなかった。小さく咳をすると、迷わず言葉を続ける。


「何もかもが帝国の手の中。俺は、かつての王の血を引く人間として、その事実に耐えられない」

「……失礼を承知で申し上げますが、私には、エルサイドに反抗する、と仰っているようにしか思えないのですが」

「それは違います。戦うつもりはありません。俺が目指しているのは、この国に住む人たちが、自分たちのために、全てを決めていくことができる国です。それさえ叶えば、どのような形でも、構いません。帝国に反抗したい、という意味ではありません」


 何を言いたいのかが、うまく掴めない。全てを決める自由が欲しい、というのは、すなわち帝国の支配下から脱したい、帝国に反抗したい、という意味ではないのか。

 もし、彼にとってそれが等しくはないのなら。今のユースタス殿下には、帝国と戦わずして、ガーディナの自由を手に入れる策がある、ということになる。

 もしくは、言い訳か。内心はエルサイドに反抗したいと思っているが、それを明言することは避けようとしているのだろう。何にせよ、憶測の域を出ない。


 少しばかり、探ってみた方が良いか。


「……随分と、私を信頼してくださっているのですね」

「どういうことです?」

「私が今のお言葉を全て、ヴァージル殿下にお伝えすることはお考えにならなかったのですか?」

「はい」

「随分とはっきり仰るのですね」

「はい。あなたは帝国に嫁いでこそいますが、ガーディナと同じ帝国の属国、スレニア王国の出身です。支配される側の痛みも、理解されていると思っています。というのが一つで、もう一つは、あなたは、ヴァージル殿下があまりお好きではないでしょう」


 秘密を打ち明けるような表情で、少しだけ口を尖らせて、ユースタス殿下は笑った。


「……あら、お見通しですのね」

「正解ですか? 俺、人の関係を見極めるのは、それなりに得意なんですよ」

「ええ。仰る通り、私はヴァージル殿下が少しばかり苦手です。……ヴィクター様に嫁いだ身としては、当然のこと、だと思ってくださいます?」

「もちろんです。……その、答えにくければ断ってください。あなたは、ヴィクター殿下を、愛してらしたんですか?」


 驚いたような顔をして、ユースタス殿下の顔を見つめる。純粋に、気遣うような、心配するような表情を作ってこそいるが、その意図は明白だった。

 私がエルサイドの人間か、スレニアの人間か、この人は探っている。


 本当に私を気遣っているのだとしたら、これほど無神経な質問をするはずがない。本気の気遣いでこの言葉が出てくるのだとしたら、心からその神経を疑う。


 どうするべきか。何も気がつかない無垢な女のふりをしてやり過ごすか、堂々と指摘してその意図を探るか。

 不自然に思われないよう会話は繋ぐけれど、頭の中は大忙しである。


「……今も、愛しています」

「そう、ですか」

「初めて会ったときから、ずっと、惹かれていたんです。ヴィクター様も、私を、選んでくださって。それ、なのに」


 耐えきれない、というように声を震わせれば、焦ったような表情を浮かべたユースタス様にハンカチを手渡される。小声でお礼を言って、甘い香りの漂うそれを目に押し当てるようにすれば、躊躇いがちに、ユースタス様の手が腰に添えられた。


 がさ、と音がした。


 咄嗟に、音がした方を向く。見晴らしのいい庭の中にあった、小さな茂み。そこから覗くのは、見慣れた地味な髪。まさか。


「誰だ!」


 切迫したユースタス殿下の声に、木陰から、おどおどと地味眼鏡が立ち上がった。


 本当に、何を、やっている。


 ユースタス殿下の背後から送った殺意は、綺麗に無視された。

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