第33話 絶対に叩き潰す
「ないですね」
「そんなに否定するか? あの時の素直で可愛いお前はどこへ行ったんだか」
「……っ誰の話をしてるんですか!」
「その赤い顔は悪くない」
「あーあー、あのよそでやってくれない? ここ俺たちもいるんだけど」
「お前が出て行ったらどうだ? 俺は久々のアイリーンを摂取したい」
「言い方考えたらどうです? 久しぶりでもないですし」
「え、出てっていいの?」
驚いたようにレオが問う。
「むしろ出て行ってほしいくらいだな」
「ここガーディナだよ? 一応最重要機密まで知ってる俺がふらふら出歩いてて良いわけ?」
「私は今、レオにここがガーディナだという自覚があったという事実に驚いているわね」
「別にいいんじゃないです? 僕は僕でこの部屋の警備の状況を確認しておきたいですし、アイリーン様もこの後すぐお仕事、といいますか、ユースタス殿下に会いに行かなければいけませんから、作戦会議は今夜でもいいでしょう?」
「ああ、構わない。くれぐれも女関係の面倒ごとは引き起こすなよ」
それを聞くなり飛び出していくと思っていたけれど、レオはまだ部屋に留まったままだ。
「……この俺が、そんな面倒ごと起こすわけないじゃん?」
「普段から城で女に追いかけ回されているがな」
「……ははっ」
少しばかり、レオの様子がおかしい気がする。少しの違和感にヴィクター様の方を見れば、ぴたりと目があった。
「もしかして、俺って結構信頼されてる?」
ヴィクター様と視線で譲り合い、私の視線を受け取ったヴィクター様が代表して答える。
「心の底から認めたくないが、まあな。どうした?」
「ううん、別に? っていうか、認めたくないなんてひどくない?」
「普段からのお前の態度を考えると当然だろう?」
「もう、冷たいなあ。いいよ、俺は俺のこと大切にしてくれる女の子のところ行くから。じゃあねっ!」
そう言うなり部屋から飛び出したレオの後ろ姿を、ヴィクター様がじっと見つめる。
「ライアン」
「はい」
たった一言。名前を呼んだだけ。それだけで全てを理解したらしいライアン様は、静かに部屋を出て行った。
後に残されたのは、私とヴィクター様だけ。レオとライアン様の2人が離れた以上、一応数人の護衛の人を追加で呼んでもらう。レオやライアン様が1人で行動するのはよくあることなので、彼らも慣れた様子だった。あの2人は、縛り付けるよりも自由に動かせたほうがいい働きをする、とヴィクター様が言っていたのはいつだったか。
その同僚であり、かつヴィクター様の正体を知らせるほど信頼している数人なのだ。さすがというか何というか、この何とも不規則かつ異例の護衛にも対応してくれていた。
「……ヴィクター様」
「ああ」
思案するようにヴィクター様が顎に指先を添える。けれど、護衛騎士たちがいる手前、あまり大きな声で話ができないのか、ゆっくりと手招きされる。
話をするだけ、だと思う。そうに違いない。
少しばかり警戒しながら近づけば、案の定、その腕に絡め取られていた。そのまま、一緒にソファに倒れ込む。
「あの」
「何だ」
「……話をするんじゃないんですか?」
「何の話を? 俺たちが話したところで何も変わらん。想像しているところは同じだろう? 今はライアンの報告待ちだ」
「そうかもしれないですが」
「ああ」
この話は終わりだ、と言いたげに私の言葉を遮ったヴィクター様は、私を抱く腕に力を込める。かちゃり、と音がして、すぐにそれが眼鏡の音だと悟った。
同時にその音に気が付いたのか、ヴィクター様がもぞもぞと動く気配がする。私の顔はヴィクター様の胸に埋もれていて、何も見えないけれど。
こつん、と何かを置く音がした。きっと眼鏡を外したのだろう。
「寝るぞ」
「私がこれから仕事だと聞いてました!?」
「ん、ああ」
その気のない返事に、本気で私の話など聞いていないことを悟る。いや、違う。これは、多分。
触れ合う体温が異常に高い。てっきり私が照れ、いや恥ずか、いや怒っているせいかと思っていたけれど、やはりこの熱さは異常だ。
ぴたりと動きを止めれば、その小刻みな震えも伝わってきた。
「拒否反応、ですか?」
「……いくらお前の薬と言っても、ここまで重ねてしまうと完全に殺すことは難しくてな」
「どうして、こんなになるまで黙ってたんですか」
「これくらい、問題ない」
「問題なくないから、こうして動けなくなってるんでしょう」
「動けるさ」
「だったら動いてください。今すぐ立ち上がって、この部屋を歩いたらどうですか」
「……」
無言のまま、ヴィクター様の全身に力が入った。しばらくそうしていたけれど、ふっとその力が抜ける。無理矢理、その隙間から抜け出した。いつもそうしようとすると私を捕まえるその腕は、今日は力なく身体の横に投げ出されている。
諦めたように全身をソファに横たえるヴィクター様の姿に、さすがに心が冷えた。
「ヴィクター様。死んだふりをするために、本当に死んでしまったら意味がありません」
「なかなか聞いたことのない言い回しだな」
苛立ちのようなものが込み上げる。この人はいつだってそうだ。弱みを見せるのが絶望的に下手くそで、人を頼るのが苦手で、そのくせ寂しがり屋。いつまでも不調を隠し続けて、こちらが気づいた時にはもう動けない。
そして、それに気づけなかった自分にも腹が立つ。ヴィクター様がすぐ無理をするのは、知っていたはずなのに。何が専門家だ。
変身薬のことなら人よりも知っている? 一体、どの口が言っているのだ。ヴィクター様の、一応夫の不調にも、気づけなかったくせに。
「辛いですか」
ヴィクター様が答えるのが苦手だと知っていて、あえて私はそう聞く。
「……まあ、一応?」
「本当のところはどうですか」
「どうもこうも」
「どうですか!」
私のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ヴィクター様が一瞬口籠る。ややあって、諦めたように、ヴィクター様が呟いた。
「……辛い」
「はい」
「熱くて仕方がないし、眩暈もひどい。身体に力が入らないし」
一度言葉を切ったヴィクター様が、目を閉じて吐き出すように言う。
「言葉を話すのも面倒だ」
そう言ったヴィクター様には、何も返さない。返事を強いるのは申し訳ないからだ。
代わりにゆっくりと近づくと、気の利く護衛騎士の彼が手渡してくれた冷えたタオルで、ゆっくりと汗ばんだ肌を拭った。
途端にふわりと香る、甘いような香りに顔を顰める。あの研究室で散々嗅いだ匂いだ。私の解毒薬特有の。一体、どれだけ飲んでいるのだろうか。
飲む前に私に言うように言っていたけれど、きっと全ては報告していないだろう。明らかに、私が思っていた量より多い。
何だか、既視感がある。
まるで、初めて会った時のような。ただ少しだけ違うのは、最初からヴィクター様が私に全てを委ね切っていること。そして、ヴィクター様がほんの少しだけ素直に、自らの不調を私に伝えたこと。
もう眠いのだろう。ほとんど意識が残っていないのか、呼吸は眠りに落ちる寸前のそれだ。
今回の件に早く決着をつけたい。ヴィクター様はそう言った。
今、心の底から同意した。
私はこの人と違って、自ら面倒ごとを生産するような残念な性格はしていないけれど、どこかこの事態を楽しんでいたところがあるのは認める。ヴィクター様の作戦の上で動くのは、少しばかり、楽しかった。けれど、私も宣言する。
この人が少しでも苦しむのなら、面倒ごとは、絶対に叩き潰す。
もぞ、とヴィクター様が動く気配がして、私は汗を拭っていた手を止める。寝苦しかったのか、少しだけ姿勢を変えたヴィクター様は、また動かなくなった。その半開きになった口から、熱い息が吐き出されるのが見えた気がした。
ユースタス殿下に呼び出しを食らっているが、この人を放っておくのも絶対に嫌だ。これが変身薬の拒否反応である以上、私はそばにいたい。何もできることはないかもしれないけれど、何も知らない人よりはましなはずだ。
よし。私は少しばかり熱がある。旅の疲れが出たらしい。それで行こう。
そう伝えてもらおうと、近くの護衛騎士に声をかけた瞬間、扉が叩かれた。ソファで眠っているヴィクター様の姿を見られたら面倒なことになる。これでも今は地味眼鏡なのだ。今は眼鏡がないからただの地味か。
小走りで扉まで行くと、自分の手で開けた。私が急に出てきたことに驚いたのか、目を見開いて立っていたのは、どうやらガーディナの文官のようだった。
「お休み中申し訳ございません。ユースタス殿下からこちらを預かっております」
そう言って手渡されたのは、手紙か。丁重にお礼を言ってその人を追い出し、一息つくとそれに目を通す。
そこには、少しばかり荒い筆跡で、少しばかり体調が優れない、会うのは別の機会にしてほしい、という言葉が綴られていた。
運がいい。というか、あまりにもことがうまく運びすぎて一瞬面食らってしまった。けれどまあ、これで下手にことを荒立てることなくヴィクター様を見ていられるのだから、良いだろう。
向かいのソファに腰掛け、事前に渡されていたガーディナについての資料に目を通す。できることは、限界までやっておいた方がいい。何かの役に立つかもしれない。
ユースタス・ガーディナ。
綴られたその文字を、じっと見つめた。




