第31話 決め台詞はいただきました
「もし国王が戻ることあらば、この身この国は王のものへ」
「はい?」
「ガーディナ新王即位の言葉だよ、有名な台詞だ。エルサイドが言わせた。民の信頼を手に入れるためにな」
「……当時は素晴らしく効き目があったんでしょうが、今となっては厄介としか言いようがありませんね」
「ああ。それで、真の王を名乗る男を無碍にできない。いきなり王になると混乱が、という建前の元、どうにか王になることは防いだらしいが、王太子は認めなければならないだろうな」
「ですが、その肝心の民は、いくら王の血を引いていると謳っているとはいえ、いきなり現れた人をそんなに信頼します?」
「そこも抜け目がなくてな」
ヴィクター様が、するりと懐からブレスレットを取り出した。
紅茶色のそれは、今となっては遠い昔としか思えない視察の時に買ったものだ。
「これがエルサイドに流れてきていたのは、その王太子の活動が始まっていたからのようだ。最初は小さな農村、次第に都市へと、少しずつ信者を増やす活動をしていたらしい。ある程度の信者が集まり、スレニアと手を組んでエルサイドに反乱する目処がついて初めて、姿を現したと言ったところか」
「……その、スレニアですが」
「やはり、気になるか? 俺もだ」
そう、ヴィクター様の話を聞きながら、ずっと違和感があった。
「今回のガーディナとスレニアの共謀には、ガーディナ側にほとんど利益がない」
「ええ。スレニアは小国、しかもエルサイドとは反対側です。大した特産品もありませんしお金もないので、ガーディナにできる援助などたかが知れています。意味があるとは思えません」
「スレニアからすれば、ガーディナという大国を後ろ盾に堂々とエルサイドに反旗を翻せるんだ、意味があるだろうさ。だが、ガーディナとなると」
「他の狙いがあっても、おかしくはないですね」
ついた溜め息は、見事にヴィクター様と重なった。
「考えがなくもないんだが、憶測な部分が多いし絞りきれない」
「奇遇ですね、同意見です」
「情報が足りんな。ガーディナを探りたいが、手がない」
「そういえば、王太子の名前、何ですか?」
「ああ、言ってなかったか」
ヴィクター様が、小さく笑った。
「ユースタス・ガーディナ、と。そう名乗っている」
ユースタス・ガーディナ。
聞いたばかりの名を、口の中で転がす。
「そんな2人にいい知らせがあるんだけど!」
「うえあっ!?」
「アイリーンちゃん、そんなに驚かないでよ。悲しいなあ」
「…………レオ」
窓からひょっこりと顔を出す突然の乱入者に、まだうるさく騒ぐ心臓を押さえる。びっくりした。驚きで色々と口から出るかと思った。今の声は、聞かなかったことにしてほしい。
レオはいつだってとんでもないところから現れるのだ。まともに扉から入ってきたところを見たことがない。いちいち、心臓に悪い。
とこん、と扉が叩かれた。その独特な叩き方に、私はどうぞ、と声をかける。
これは合図なのだ。ヴィクター様の生存を知っている人間がやってきた、という。ヴィクター様があまりにも出入りするせいで、私の部屋は作戦本部のような状態になってしまった。だから、ヴィクター様に用のある人は、扉の叩き方を少し変えるという合図を決めたのだ。古典的だが、便利な手段だ。
「レオ。それくらいにしましょう?」
「はあい」
きちんと扉から入ってきたライアン様は、軽くレオを嗜める。あっさりと言うことを聞くレオに、驚いた。
レオのことだから、人の言うことなど何も聞かないと思っていたのだ。いや違う、自分に都合のいいことしか聞かないと思っていた。
さすがは基準が野生動物。これから猛獣使いライアン様と呼んだ方がいいかもしれない。
「で、何の用だ」
「なんだっけ?」
「もう忘れたのか? さすが、扉という存在を知らないだけはあるな」
「冗談だって。これ、アイリーンちゃんに見せにきたの」
ぱらり、と紙を振ったレオ。その明らかに高級そうな紙。恐らく重要な書類だ。本当にやめてほしい。うっかり吹き飛ばしでもしたらどうするのか。
「みんな、俺がアイリーンちゃんの腹心だと思ってるみたいで? なんか、全部俺に回ってくるんだよね」
「……私が自由に動かせる人で、事情を知っているのがレオだけなので仕方ないけれど、不本意極まりないわね」
「なんかアイリーンちゃん、今日辛辣じゃない? 前は俺のこと大好き! って言ってくれたのに」
「記憶を改竄しないで」
「は?」
この人たち、喧嘩しないでは会話できないのだろうか。レオの言葉を聞いた途端に剣呑な表情を隠さなくなったヴィクター様を、軽く叩いて嗜める。
「これこれ!」
ようやく私の手元に渡ってきた紙を、ヴィクター様と一緒に覗き込む。
「……ガーディナからの、招待状」
呟いた声は、ヴィクター様とぴたりと重なった。
「……何というか、あまりにも都合が良すぎるな。狙ったみたいだ」
「あ、分かる? 一番劇的に登場できるタイミングを探そうと思って」
悪びれずに笑うレオ。何を言ってるんだこの人は。
「ガーディナの話が盛り上がって、黒幕の名前が明らかになって、そして俺が登場! その手には招待状が! 最高に盛り上がると思わない?」
「誰も盛り上がりなんて求めてないわね」
「一体お前は誰を盛り上げようとしてるんだ?」
私とヴィクター様に冷たい目を向けられ、けれど楽しげな表情は崩さない。その精神力だけは賞賛に値するかもしれない。私は褒めないが。
「2人とも、そんなに言う? それこそ狙ったみたいにぴったり揃えてさあ」
「俺たちだからな」
「惚気られても困るんだけど」
「もっと話してやろうか?」
「もう見てるだけでお腹いっぱい。こっちの身にもなってよね」
「ほら」
ぐっと腰を引き寄せられる。ヴィクター様の楽しそうな表情。
駄目だこの人。完全に楽しんでいる。レオ相手に優位に立っていることが、嬉しくて仕方がないらしい。いつまでも子供のような人だ。
「離してください」
「冷たいな」
「ほら、そんな強引なことばっかしてると嫌われちゃうよ?」
「ありえないな」
うええ、と呟いたレオが、ふわりと飛ぶとライアン様の後ろに隠れた。そこから、目だけ出して私たちの方を見る。
「何とか言ってよ苦労性先輩」
「……こうなった殿下とアイリーン様に何を言っても無駄です」
なぜ、そこに私まで入っているのだろうか。どちらかといえば私は被害者だ。私はこうなったヴィクター様に振り回されているだけなのに。納得いかない。非常に、とても、すごく、納得いかない。
いかない、がいい加減私は軌道修正をしたい。この3人が集まると、私が強引に切らないと一生話が進まないのだ。
「分かりましたから、話を進めませんか」
「何の話だったか?」
「本気で言ってるんですか」
「本気なわけないだろう」
ぴら、と招待状を振ったヴィクター様。やはり扱いが雑だ。うっかり破きでもしたらどうする。
こっそりと、隠し持っていた紙を取り出す。
『これであなたも完璧! 誰でも分かる、書類の取り扱い方から書き方まで 初級編』
初級文官に配られる入門書を、ヴィクター様の目の前に突き出した。
「……何だこれは」
「これであなたも完璧! 誰でも分かる、書類の取り扱い方か」
「それくらい分かっている。どう考えてもそういうことではないだろうが」
「分かってるなら丁寧に扱ってください。レオも」
「何でこんなものを持ち歩いている」
「いつか必要になる日が来ると思いまして」
何ともいえない表情でその紙を見つめるヴィクター様が可笑しくてくすりと笑う。久しぶりに勝った気がする。かなり前だったけれど、貰っておいてよかった。実はもう一枚別の種類を用意してあるから、いつか使ってやろう。
「あのですね」
咳払いと、じとりとした視線。ライアン様だ。
「話を、進めませんか」
その有無を言わさぬ口調に、頷くことしかできなかった。
「僕たちが持ってきたのはガーディナからの招待状です。新王太子のお披露目のための式典ですね」
「どこかで聞いたような話だな」
「王太子紹介するの流行ってるの?」
「……何度も言わなければ分かりませんか?」
ライアン様の顔が怖い。いつもは振り回されてばかりなのに、こういう時にだけ謎の殺気を発するのだ。その強さを知っているから、尚更怖い。
「アイリーン様宛です。友好の印として、国賓として招きたいと。アイリーン様と、ヴァージル殿下にも届いているようです。陛下は国を離れられないので、皇太子に声がかかったというところでしょう」
「どうして私なんです? ヴァージル殿下はともかく、ヴィクター様亡き後、私に大した価値はないと思うんですが」
「それは違うな」
そう言うと同時に、ヴィクター様は立ち上がって、散らかっているヴィクター様の私物の中から何か紙のようなものを取り出す。それは良いけれど、いい加減片付けてほしい。どこに何があるかは分かっているからいいだろ、なんて言うけれど、私のものが一緒に行方不明になるので非常に困る。
「ほら見ろ」
眼前に突き出された紙。この光景、既視感がある。私が今ヴィクター様にやったばかりだ。
「何ですかこれ」
「俺の遺言状だ。今も効力を発揮してる」
「……まさか、本人から有効状態の遺言状を見せられる日が来るとは思いませんでした」
「おう」
「え、見せて?」
ひょいとやってきたレオが、ヴィクター様の持つ書類に手を伸ばす。その瞬間、ヴィクター様が書類を高く持ち上げた。
私は無言で、例の入門書を見せる。大人しくなった2人の間から、私も紙を覗き込んだ。
「詳しくは後で読んでくれ。要は、俺の私財は全部お前に残すという内容だ」
「……滅茶苦茶すぎません?」
「どこがだ?」
「いやどこも何も」
多くを、ではなく全部。ヴィクター様らしいといえばらしいが、普通そうはならないだろう。
この人の私財だ、きっと莫大な額になる。期待していた人も多かっただろうに。
「その私財の中に屋敷があるんだが、それがまた面白くてな」
「ヴィクター様が面白がるものという時点で察した気がします」
「ありとあらゆる貴族の弱みが詰まってる。ヴァージルの分もある」
「……収集するものの趣味が悪いですね」
「しかも弱みを握られている奴らは、そこに自分の弱みがあると知っている」
「最悪じゃないですか」
つまり、これは武器なのだろう。
弱みを手に入れて積極的に活用するのではなく、あえて封印して不安を煽るやり方は性格が悪いとしか言いようがないが、これは、ヴィクター様を失って後ろ盾を失った私の立場を少しでも強くするための武器なのだ。
「だからな、後ろ暗いところのある貴族は皆お前の様子を伺っている。俺が弱みを溜め込んで楽しむ性格なのは皆知っているが」
「自覚してたんですね」
「お前までそうとは限らないからな」
私の言葉は、完全に無視される。
「だから、ガーディナがお前の出方を窺うのもまあ分からなくはない。……というのが、建前だろうな」
「なんか、いちいちめんどくさいね」
身も蓋もないレオの感想に、ライアン様が苦笑する。
「建前がないと動けない生き物ですからね、国は」
「ああ。もしガーディナとスレニアが繋がっているという想像が正しいなら、スレニアの人間でありエルサイドの皇太子妃であるお前は気になるだろうさ」
「私がどちらの味方か窺っている、と言ったところでしょうか」
「だろうな」
「よし行くか。で、合ってます?」
「……ああ」
渋々認めるヴィクター様。決め台詞が私に取られて悔しいらしい。絶対にそう言うと思ったのだ。ヴィクター様のことは、よく分かっている。
「式の日程は?」
「僕の記憶によると、7日後ですね」
「随分と急だな」
「殿下が言います?」
「急にしたいんでしょ。準備されたら困るって言ってるようなものじゃない?」
「まあ、そうだろうな」
そこで、一つヴィクター様の溜め息。それはどういう感情だ。まさか急すぎるスケジュールにとは言わないだろう。言うなら私が怒る。きっとライアン様も怒る。
「……それにしても、急だな」
じとりとした視線が3本、ヴィクター様に突き刺さった。




