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第30話 とんでもない話が始まった

「アイリーン」


 突然声をかけられ、私はゆっくりと本から顔をあげる。


 くすんだ色の髪。端的にいえば全く似合っていない大きな眼鏡。

 地味眼鏡下級役人こと、エリック・グレイ。


 皇太子として動くことができなくなった今、ヴィクター様は、地味眼鏡に姿を変えてこの城を歩き回っていた。実際に動いて情報を集めることは人に任せ、大人しくしているだろうと思っていた私が馬鹿だった。この人は、相変わらずだ。

 

 もちろんさすがに顔を変えなかったら気づかれるだろうから、ある程度の変身薬を重ねて使わざるを得ない。それがどうにも疲れるらしいヴィクター様は、時折私の部屋に来ては爆睡している。控えめに言って、邪魔だ。いつぞやを思い出す。

 けれど、今日のヴィクター様は、普段のように、私の部屋に惰眠……いや、休憩を取りに来た時とは様子が違っているようだった。


「動いたぞ」


 端的に告げられた言葉。その意味を理解した瞬間に、私は開いていた本を閉じた。

 扉が閉まっていることを確認し、念のため窓の外も確かめる。

 誰が聞いているかも分からないのだから、会話をするときには用心するに越したことはなかった。私の部屋にはできるだけ人を寄せないように、強く言ってあるけれど。


 城の中でも、ヴィクター様の生存を知っている人間はごく少数だ。ライアン様と、レオと、その他にヴィクター様が信頼しているという人が数人。加えて、陛下。


 私は、悲嘆に暮れる未亡人、ということになっている。

 食事も部屋に篭って取り、何もかもを捨て、ただ部屋の中で日々を過ごしているのだと。心配をかけている自覚はあるから申し訳ないけれど、誰が信頼できるか分からない今、仕方がない。ガーディナはもちろん、スレニアにも気がつかれたら終わりなのだから。全てを明かせる日が来たら、きちんと謝ろう。

 まあ、だからこそ、こうしてヴィクター様が飄々と遊びに来られるのだ。都合はいいのだが、そうほいほい遊びに来られるとどうにも緊迫感がなくて困る。


「何がありました」

「なんというか、そこそこ面倒なことになった」

「……ヴィクター様にそこまで言わせるとは、相当ですね」

「ああ、まあな」

「勿体ぶらないで教えてください」

「別に勿体ぶったつもりはないんだが。まあいい」


 ぐしゃり、とヴィクター様が髪を掻き乱す。


「ガーディナに、正当な王族の血を引いていると宣言する者が現れたんだと。亡霊というやつだな」

「……正当な王族?」

「ああ。エルサイドがガーディナを制圧したときに、当然王家の血筋は絶っている。代わりにエルサイドの息がかかった人間を王として立てていたんだが、どうやらどこかに漏れがあったようだ」

「証拠はあるんですか?」

「いや? だが、その姿形がかつての王家のものによく似ていて、そして何より民が王だと信じている以上、エルサイドとしては看過できないだろう?」

「そうかもしれません」

「ああ。その男が中心となって、真のガーディナを作ろう、などという運動が始まっているらしい」

「……それで、スレニアに繋がるわけですね」

「ああ。俺が()()()()以上、エルサイドとしてはスレニアに対して罰というか、制裁というか、ある程度の実力行使に出ざるを得ない。沽券に関わるからな。だが、スレニアは堂々と俺を殺した以上、大人しく罰を受けるとも思えない。ほぼ間違いなく戦争になる。そのための後ろ盾が、ガーディナ、というかその男だったということだ」

「ガーディナとスレニアが手を組んで、エルサイドに反乱を起こす、と?」

「その可能性が高いと、俺は思っている」


 ふう、と息をついた。なんだか、とんでもない話になってきている気がする。一気に入ってきた情報が多すぎて、うまく整理できない。


「加えて、その王家の末裔をエルサイドとしては無下にできないんだな、これが。おそらく王太子として認めざるを得なくなる。向こうは表面上は友好関係を望んでるしな」

「……正気ですか?」

「事情があるんだよ、なかなかに複雑で面倒な、な。それこそ、前に中断された話の続きだ」

「前、というと、ガーディナについて話していた時ですか」

「ああ」


 ヴィクター様が、手に持っていた地図を広げる。さすがの用意のよさに笑ってしまった。相変わらず抜け目がない人だ。


「エルサイドが、ガーディナを制圧したときの話をする。とはいえ俺も体験してはいないし、聞いた話になるんだが」

「はい」

「当時のガーディナが、偏った権力と異常な崇拝が王に集中していた国だった、というところまでは話したと思う」

「そうですね」

「ガーディナはその一点において、強国だった。なんというか、誰もが王のためには命を惜しまないというところがあった、らしい。王のためなら喜んで、と一切迷うことなく命を投げ捨てる姿が、いっそ異様に映ったと、とある兵士の手記に書かれていた」

「そこまで来ると、少しばかり作為を感じますが」

「ああ。当然王家には何かあっただろうと俺も思っているが、今となっては闇の中だ」


 立ち上がったヴィクター様が、持ってきていたらしい荷物の中から、見慣れない何かを取り出す。それを慎重に抱えたヴィクター様は、話を続ける。


「そこでエルサイドとしては、円滑に、できるだけ犠牲を出すことなく、ガーディナを制圧したかった。そのために、精神の核となっている王を殺すという選択をした」

「……ガーディナ戦争、ですか」

「知っていたか。そうだ。当然のごとく、信仰していた王を殺された民は怒った。けれど精神の核を失ったガーディナは、もはや小国の集合体だ。きちんとした統制が取れることもなく、情報共有もなく、ひどい時には同士討ちすらあったという。正直、エルサイドの敵ではなかった。それがガーディナ戦争だ。ガーディナはあっさりと制圧される、と思われた」


 ことりと、ヴィクター様が手に持っていたそれをテーブルの上に置いた。

 先ほどから何を持っているのか気になって仕方がないが、話の続きも気になる。無言で先を促せば、ヴィクター様は苦笑して口を開いた。


「だがエルサイドとしても、ガーディナの殲滅は本意ではなかった。なんせ、制圧した後に管理するのはエルサイド(自分)だからな。そこで、一つ策を打った」


 ヴィクター様が、謎の物体に触れる。その瞬間に聞こえてきた大歓声に、思わず身体を引いた。

 どうやら、この箱から鳴っているようだ。


「録音の魔術具だ。とりあえず、これを聞け。ガーディナ戦争中、ガーディナ国内で保存されたものだ」


 大歓声が一瞬で鎮まり、朗々と響く声が聞こえてきた。


「皆の者! 落ち着いて、良く聞いてほしい!」


 男性の声だった。深く広く響くそれは、耳に心地よいと同時に、頭の中まで染め上げて行くような力強さがあった。


「このまま、エルサイドに逆らったところで、我らが勝利を収めることは不可能だ!」


 絶叫、だった。

 何を言っているのかなど聞き取れはしないが、文脈から察するに良い言葉ではないだろう。

 そもそもガーディナは、エルサイドを嫌っているのだ。


「認めがたいのはわかる。私も認めたくない」


 急激に静かになった場の中で、男性の声が、静かに、けれど力強く響いた。


「だが、紛れもない真実を、一度受け入れてほしい」


 急激に、その男性の声が強くなった。


「そうして、自らの心に問いかけよ! 陛下が、殿下が、誰よりもこの国の安寧と平穏を願っていた素晴らしき方々が、復讐のために、民が無意味な死を遂げることを願うだろうか? そうだ、敢えて言おう」


 それはまさしく、絶叫だった。


「これ以上の死は、無意味だ!」


 血を吐くような声で言った男性が、振り絞るように言葉を続けた。


「犠牲は、意味もなく国力を弱らせるだけだ。それが、本当に、あの、陛下が、望んだことだというのか……!」


 男性の声が、涙に濡れた。震える声を振り絞るようにして、彼は叫んだ。


「我らがやるべきことは、エルサイドに無駄な抵抗をすることではない! この国を、素晴らしきこの国を、陛下が愛したこの国を、永遠に、存続させることだ!」


 大歓声、だった。

 隣にいたヴィクター様がすっと魔術具に手を伸ばし、その音量を下げるくらいには、大歓声だった。


「聞いたか」

「まさか、これがエルサイドの策だと」

「そういうことだ。ここで話しているのは、間違いなくガーディナの人間だが、かなりの部分にエルサイドの息がかかっている」

「……何というか、すごいですね」


 何の捻りもなく感想を述べた私に、ヴィクター様が苦笑する。


「こうでもしないと、ガーディナの人間が新たな王を受け入れるとは思えなかったから、らしい。だがその時に、一つ約束があってだな」


 それが今回の面倒の元なんだが、と呟いて、ヴィクター様は頭を抱える。

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