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第23話 絶対に、敵に回してはいけない

「待たせてしまって、すみません」

「別に、お互い忙しい身だしな。好きな女を待っている時の気分は、なかなか悪くなかったぞ」

「……っだから、揶揄うのはやめてください」

「その顔が見られると思うとやめられない」


 咄嗟に、両手で顔を覆った。その様子をヴィクター様が楽しげに見ているのがわかって、さらに恥ずかしくなった。

 本当に、心臓に悪い。昔とは違った意味で、心臓に悪い。


「と、とにかく! 話してください!」

「分かったよ。俺としてはもう少しその顔を見ていたいんだが、いい加減怒られそうだ」

「当然でしょう」

「ほら、来い」


 片手で手招きされて、ゆっくりと近寄る。あえて歩く速度を落としたのは、半分くらいが意地だ。


「アイリーンは、ガーディナについてどの程度知っている?」

「それ、説明するの難しくないです? 例えば私がある程度、と答えたら、どこまで私が知っているかヴィクター様は理解できるんですか?」

「お前に限って、そんな適当な答えを返すわけがないだろう。今の答えの意味は、自分は必要なことは知っているつもりだけれど、わざわざ俺がそんなことを言うということは、何か知らない情報があるのだろう、で合ってるか?」

「……合ってます」

「だったら、ガーディナがエルサイドの属国であることは当然理解しているとは思うが、一応見てくれ」


 とん、とその指先が、地図の一点を指した。


「ここが、ガーディナ。首都は、ここだ。でもって、この前俺たちが行った街が、ここ」


 精巧な地図だった。丁寧に作られたものであることが、一目でわかる。


 赤い線で囲まれているのが、エルサイド帝国の領土だろう。もちろん知識として知ってはいたし、地図も見たことがあったのだが、その広さに目眩がしそうだ。

 その広い領土の一番北、その中でも少し東寄りにあるのが、スレニア王国。生まれ育った国ではあるが、驚くほど小さい。

 そして、スレニアから南下すると、その険しさと高さで有名なウォルド山脈を挟んで、ガーディナ王国。ガーディナからさらに南に下がったところにあるのが、ヴィクター様の管轄であるこの前の街だ。


 スレニアとガーディナは隣国同士とはいえ、その国境線はちょうどウォルド山脈。その険しさから、スレニアからガーディナに抜けるためにはとにかく遠回りが必要になるため、国交も最低限だった。


 かつて圧倒的な国力差で叩き潰された隣国とは、他ならぬガーディナのことだ。本当にあっさりとその臣下に下ったスレニアに比べ、当時そこそこの強国であったガーディナとの間には多少の確執があったのだろうとは思っていた。

 エルサイドの支配を受け入れたばかりで大混乱していたスレニアには、詳しい情報を収集する余裕がなかったらしいから、今でも詳細は分からないのだけれど。


「ガーディナは交易で栄える国だから、色々とエルサイドとの間に窓口はあるが、その中でも大きな一つになっているのが、あの街だ。情報が集まってくるからな、重宝している。だが、少しばかり気になることがあった」

「例のブレスレットですか」

「まあ、気がついているとは思ったが。そういうことだ」

「数が多すぎると?」

「ああ。加えて、あの商人にブレスレットを卸したというガーディナの商人は、最近頭角を表していると噂の男だ。なんでも、先見の明があるとか」

「……まさか、商人の名前まで把握してるなんて言いませんよね?」

「いや、さすがに無理だ。主要なところだけだな」


 恐ろしすぎる。

 ヴィクター様の言う主要なところ、は絶対に言葉通りの意味ではない。間違いなく違う。

 つくづく、絶対に敵に回してはいけない人だと思い知る。


「次に、例の宿屋だ。今だから言うが、そうそう簡単に予約できる値段のところではない」

「それは察していました」

「と言うことは、あそこにいたのはかなり裕福な人間だ。財を成した商人か、ある程度の身分がある人間か。あの時も口にしてしまったが、普段はさほど人の多い所ではない。簡単に泊まれる訳がないからな。それが、手違いで部屋の重複が起こり、さらに替えの部屋すらなかったという」

「……ガーディナ国内の一部の人間が、将来的にエルサイドとガーディナの国交が滞ることを予想していると?」

「なんというか、相談して正解だったな」


 立ち上がったヴィクター様が、今度は棚から丸めた古い紙を取り出してきた。

 机の上に両手で広げられたそれの隅に、転がっていたチェスの駒を置く。重石くらいにはなるだろう。満足げに微笑んだヴィクター様だけれど、私は騙されない。

 なぜ、執務室の机の上にチェスの駒が転がっている。相変わらず、片付けが苦手らしい。


「これは、エルサイドがこの辺りを征服する前の時代の地図だ。古くて不正確な部分もあるが、ある程度は正確なはずだ」

「初めて見ました」

「それはそうだろ。こんなもの、属国に出回っていたら困る」


 とん、と一箇所をヴィクター様の指がついた。


「ここが、ガーディナ王国だ」

「……本当ですか」

「俺がここで冗談を言うような人間に思えるか?」

「思えますが、この地図は信頼しているので信じます」


 小さい。小さすぎる。

 ガーディナ王国と言えば、交易で栄えている大国。だからこそエルサイドに反抗できたのだろうが。けれど指さされたその場所は、掠れかけた暗い緑で囲まれたその枠は、あまりにも小さかった。


「最近、俺の扱いが雑な気がするんだが」

「今更でしょう。それで、続きを」

「……なんというか、色々とすごいな、スレニアは」

「今までのうのうと生きてきた自覚はあります。知っておくべき最低限の知識が、私の常識とどうやら乖離しているらしいことも理解しました。これから勉強し直すので、続きをお願いします。すみません」

「ああ別に責めてない。そこまで乖離しているわけでもないだろうさ、これはかなり前の地図だからな。スレニアとガーディナは隣国だから、さすがにもう少し知っていると思い込んでいただけだ」

「国交がほぼないんですよ」

「ウォルド山脈が面倒だからか。だが、抜け道があるだろう」

「…………どうしてヴィクター様がそれを知っているんですか」


 そう、スレニアとガーディナは、その小さな抜け道を通して繋がっている。

 母から聞いたところによると、そこは昔から、自分の国で生きていけなくなった人間が、こっそりと人生をやり直すためにある抜け道らしい。ずっと昔の、王位を追われた王が、必死になって掘ったのだとか。十中八九嘘だろうが、そこに小さな、本当に人1人通れるくらいの抜け道があるのは事実だ。


 だが。本当になぜ、ヴィクター様がその存在を知っている。

 私がそれを知ったのは、ちょうど婚約破棄された時だった。私を心配した母が、内密に、と教えてくれたのだ。

 このままこの国で生きていくのが辛ければ、逃げてもいい、と。

 結果としては母の想定をはるかに超える距離を旅したのだから、使うことはなかったけれど。それこそ国の一部の上位貴族しか知らない場所のはずだ。


「まあ、色々と?」


 手をひらりと振って誤魔化すヴィクター様が、いい加減怖すぎた。


「あそこは普段使いできる広さはありません。本当に限界の状況でないと通れないくらいには辛い道のりらしいですよ」

「まあそうか。そんなに便利なものがあるのなら、もっと使われているだろうからな。話がずれたな、本題に戻すぞ。ガーディナ王国は、元々は見ての通り、ごくごく小さな国だった。加えて、近くに似たような小国が乱立して、ちょっとした小競り合いを繰り返しているような状態だった」


 す、とヴィクター様の指が現在のガーディナの国境をなぞる。


「そこを統一したのが、当時の国王だ。ガーディナでは、英雄視されているらしい。圧倒的な知力と武力でもって、瞬く間に全土を統一したとか。だが、特筆すべきはそこではない。彼が行ったのは、圧倒的な平等の政治だった」

「ああ、それで、今も多くの民族が暮らしている、と」

「そういうことだ。元ガーディナの人間を優遇することもなく、皆民として平等に評価した。それが正解だったんだろう。多くの国はさほど抵抗せずに吸収されたというし、国によっては財政が立ち行かなくなって献上したところすらあるという」

「……随分と、私の知っているガーディナと違うのですが」

「優秀な人間ばかりが生まれるわけでもないさ。その男が規格外だっただけだ。優秀な男の唯一の失敗は、自らの子孫を信じて王に権力を集中させすぎたことだった、と言ったところか」


 私の知るガーディナの姿は2つある。

 一つ目は、エルサイドに征服される前のガーディナ。大きすぎる権力を持つ王と、その王を異常なほどに信頼する民。

 大きな国であるから、その信仰じみた忠誠心は国家を支えているものではあったのだろうが、私はあまり良い印象を抱かなかったのを覚えている。


 二つ目は、エルサイドの属国となったガーディナ。

 信仰の中心であった王はエルサイドによって排されたのだから、民は民族ごとに緩やかな共同体を作って分裂するのだろう、と予測していた。

 けれどその様子はなく、エルサイドが新たに立てた王に従っているような状態だ。かつてのような異常な信仰はないが、ある意味ではその方が普通だ。


「後はお前も知っての通りだ。王を中心とした大国が出来上がった。だが」


 どん、と扉が強くたたかれた。

 話を中断された形になったヴィクター様は、少し顔を顰めながら入るように声をかける。


 少し焦ったような足取りで部屋に入ってきたのは、ライアン様だった。その後ろに、レオの姿も見える。


「殿下、失礼します。……アイリーン様も、こちらにいらっしゃいましたか。実は先ほど、スレニアから使者が」


 予想外すぎるその内容に、息を呑んだ。

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