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第19話  視察(新婚旅行)

「視察に行くぞ」


 結婚式の猛烈な忙しさも、数週間が経った頃には落ち着き。

 午後の温かい日差しを浴びながら、黙々と仕事をこなしていた私に、突然現れたヴィクター様は言い放った。


「私もですか?」

「当たり前だ。エルサイドのことを知るのは皇太子妃として必要なことだろう?」

「……遊びたがってるのが何割ですか」

「俺は至って真剣だが」

「私相手に取り繕っても無駄でしょう」


 いい加減何度目になったかも分からないこのやりとり。いい加減、私相手に視察という言い訳が通じないことを理解してほしい。


「遊びですね」

「視察だ」

「旅行ですね」

「視察だ」

「新婚旅行ですか?」

「……っ視察だ」


 どこにも連れて行ってやれなくて悪い、と珍しく素直に謝っていたヴィクター様の姿が思い出された。お互いに忙しすぎるということで新婚旅行は保留、ということにしたのだが、どうやら彼は気にしていたようで。

 そう気づいてしまえば、私に断ることなどできない。幸い、仕事は数日くらい休んでも大丈夫なところまでは終わっていた。明日にでも、出発となるのだろうか。


「もう準備もできている。ライアンも連れてきた。行くぞ」

「待ってください、まさか今からとか言いませんよね?!」

「今からだ」

「……ライアン様、まさかヴィクター様の周りはいつもこんな意味の分からないスケジュールで動いてるんですか?」

「……察してください」


 がっくりと、ライアン様が肩を落とした。

 短く切り揃えた、けれどくるくると跳ねている紺色の髪。下がった目尻は優しげな印象を与える。綺麗な顔立ちもしているし、皇太子の側近という将来が約束された地位にいるのだから、さぞかし女性に人気なのだろう。

 けれど前にそう言った時には、まさか、と悲しげに笑いながら否定された。「普通に格好良いし好きだけど、一緒に過ごすよりは休ませてあげたい」と噂されたらしい。苦労性すぎて、あまりにも不憫だ。


「……そこのお前も、行くぞ」

「え、俺も? アイリーンちゃんと旅行?」


 途端に退屈そうに窓の外を見ていた()()()()()が、踊るような足取りでこちらに歩いてくる。

 

 レオは、ヴィクター様も渋々ながら認めたくらいには、優秀だった。

 軽薄な態度で女好きを全面に押し出してくるし、私の護衛騎士となった後も城中の女を口説いて回っているともっぱらの噂だが、馬鹿ではない。

 あの時も私に対して質問を重ねたが、きっと私の考えなどきっと見抜いていたのだろう。その上で、私という人間を探っていた。


 それに加えて、巷で話題になっていた暗殺者だけはあり、身体能力も規格外だった。あの後私に向けられた他の暗殺者をあっさりと撃退してみせたレオは、どうやら同僚の護衛騎士からも尊敬されているらしい。

 

 ヴィクター様の言う視察は、どうせ普通の視察ではない。きっと変身薬前提の、お忍び視察である。生粋の貴族である他の護衛騎士では明らかに浮いてしまう。そのような有り得なさすぎる状況に対応して、護衛騎士兼側近なんてやっているライアン様が規格外なだけだ。加えて、街ではあまり大勢では動けないのだから、数で補うという作戦も難しい。

 だから、レオを選ぶという選択は最善に思えた。思えたのだが。


「アイリーンちゃんと旅行か。いいね、楽しみで眠れなさそう」

「俺もだよ。どこかの誰かが軽率にもアイリーンに手を出しそうで、落ち着いて眠れなさそうだ」

「またですか……徹夜はもう勘弁してくださいよ殿下……」


 旅行が始まる前から通常運転すぎる3人に、果たして本当に旅行として成り立つのだろうかと、心配せずにはいられなかった。



 ◇



「……アイリーン」

「……なんでしょう」

「それで、本気で平民女性のふりをしているのか?」


 自覚はしていた。変身薬で見た目だけ地味にしたところで、中身まで変わるわけはない。


「変身薬を作るときに平民のことは散々調べた、問題はない、と豪語したお前はどこへ行った?」

「……いけると、思ったんですよ」


 小さな声で、恨みがましく呟くことしかできない。

 確かに豪語した。本当に、いけると思ったのだ。


「いちいち所作が綺麗すぎる。頑張って荒っぽく振舞っているんだろうが、わざとらしさの塊だな」

「違和感が強すぎて、一周回って訳が分からなくなってきたかも。それもアイリーンちゃんの狙いだったりする?」

「大丈夫ですよ! いつものアイリーン様とは違います!」


 ライアン様の全力のフォローが、逆に情けなさを増長させる。その優しさが胸に沁みる。感じいる方の沁みるではない。傷口に入る方の沁みるだ。


 王都から離れたところにある、小さな町。エルサイドの属国であるこの場所は、どうやらヴィクター様の管轄する地区であるらしかった。

 もちろん最終的な権限は陛下の元にあるのだろうが、一部の王都から離れた地区は2人の皇子に治めさせているのだそうだ。将来に向けての練習と、陛下の負担の軽減という意味があるらしい。つくづく、無駄のない国だ。

 

 移動は普通に視察として馬車で行い、ヴィクター様の管理しているという屋敷に到着してから、こうして変身薬を使って庶民になりすます。

 そうしてこっそりと雑踏に溶け込んで視察をするというのが、ヴィクター様の普段のやり方であるようだった。


「っていうかジェクター殿下、いつもこんな視察してたんだね。怖くなっちゃうなあ。知らないうちに、俺も見られていたりして」

「誰がジェクターだ」

「ジェっ……」


 吹き出したライアン様を、じとりとヴィクター様が見つめる。そういえば、ライアン様がこのふざけた呼び名を聞くのは初めてだった。


「ジェラシーと、ヴィクターですね」

「分かる? さすが、苦労性先輩」

「っ……」


 今度吹き出したのは、ヴィクター様だった。じとりと、ライアン様が見つめる。


「一番僕に苦労をかけているの、誰だと思います?」

「さあ? 誰だろうな?」

「……っ殿下!」

「ほら、行くぞ。一応宿は取ってあるが、到着する頃には日が暮れる」

「殿下!」

「あー、だが」


 下町となると地味眼鏡は地味眼鏡で目立つのか、今度は茶色の髪の平民風の男性に姿を変えたヴィクター様がこちらを見る。


「この問題が解決していなかったな」

「……問題であることは自覚していますが、そこまで言わなくてもいいじゃないですか」

「今からの修正は無理だしな……よし」


 何かを決めたらしいヴィクター様が、大股でこちらに歩み寄ってくる。

 その両手が伸ばされて、ひょいと私を持ち上げた。私の肩と、膝の裏に回された手。視界に飛び込んでくるのはヴィクター様の顔。横向きに抱き上げられて、私は慌てて抵抗する。


「なっ、ヴィクター様!?」

「動くな暴れるな。うっかり落とすかもしれないぞ」


 途端に大人しくなった私を、満足そうにヴィクター様が見下ろす。


「これでいい」

「いや、どこも良くありませんって!」

「相変わらず騒がしいな。耳元で騒ぐな」

「話を逸らさないでください! まさかこのまま移動するつもりですか!?」


 精一杯絞った声で言えば、楽しそうにヴィクター様は微笑む。


「良いな、囁かれるの」

「ですから! 信じられないくらい目立つと思いますよ! 視察の意味がないじゃないですか!」

「普通にいるだろ。新婚といえば納得してくれるさ」

「あのですね、その場合、僕たちの立場は」


 じとりとこちらを見つめる、2人の姿。


「殿下とアイリーン様が新婚のふりをされるのは分かりました」

「ふりじゃなく事実だがな」

「浮かれないでください。その場合、僕たちはなんですか。明らかに新婚、砂を通り越して砂漠を吐きそうなくらい甘い2人をつけ回す危ない人じゃないですか」

「それも悪くないんじゃない? 結婚してもなお彼女を諦めない一途な男って役割も、なかなか燃えるものがあるよね」

「僕は、絶対にお断りです。断固として拒否します」

「よしライアン、行くぞ」

「殿下、僕の話聞いてました!?」


 ライアン様に申し訳なさすぎて下ろすようにいうも、ヴィクター様は聞いてくれない。機嫌良さげに、私を揺さぶって楽しんでいる。こうなったヴィクター様が本当に人の話を聞かないのは、周知の事実だ。


 ライアン様も、ぐったりと諦めた足取りでついてくる。その横で跳ねるように歩いているレオとの対比で、よりその不憫さが際立っていた。


「……ライアン様、すみません」

「いえ、アイリーン様が謝られることではありませんから……」


 機嫌が良すぎる2人と、あまりにも暗すぎる1人の間で、私はどうしていいか分からない。


 視察という名の新婚旅行は、まだ始まったばかりだ。

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