第16話 前例と常識は置いてきた
「それで、ヴァージル殿下は」
「2人きりの時にどうして他の男の名前を出す」
「私も、知っておくべきことでしょう」
「……それはそうだが」
不満げなヴィクター様に、重ねて問う。
「私に話しかけたのは、まさかあんな憶測と嫌味を言うためですか」
「そうだろうな」
「……そうですか」
そんな気はしていたけれど。そうではないかと思っていたけれど。
頭が悪い、いやあまり賢くはない、いや非常に短絡的、いや、もう諦めた。無理だ。単純に、頭が悪すぎる手段に苦笑する。
「まあ、そう呆れるな。俺が関わらなければ、馬鹿ではない」
「どういうことですか」
「ヴァージルと俺の母親が違うのは知ってるな? ヴァージルの母はなんというか、昔からヴァージルを皇帝にしたがるところがあってな」
「……察した気がします」
「その察しの良さを、ヴァージルに分けてやってくれ。笑えてくるくらいに嫌味が通じなくて困る」
「同感です」
「まあ、よくある話と言ってしまえばそうだ。俺に勝て、俺を打ち負かして皇帝になれ、と散々言いきかされて育っているはずだ。俺に対して冷静さを欠いてもおかしくはないだろう」
「劣等感というやつですか」
「相変わらず容赦ないな、お前」
ヴィクター様と比べられて育つなど、恐ろしすぎる。全体的にこの人は規格外なのだ。頭が切れすぎて怖くなる。それは、留学時代にもその後にも散々思い知らされた。
同情はするが、だからといって態度を変えることもない。
「それで、私に対しても冷静さを欠くと」
「だろうな。ただ単に腹が立ったから声をかけてきた、くらいの考えだろうよ」
「……そうですか」
まあ、ヴァージル殿下がヴィクター様のような人で、そんな人と戦えなどと言われたら、それはそれで恐怖で眠れなくなりそうだから、良いことではあるのだろうが。
「おそらく、彼女にも何か言われるだろう。さすが親子というべきか、よく似ている。好きなだけ言い返せ」
「そこは、迷惑かけて悪い、俺が力になる、じゃないんですか」
「自分で言うか? 俺がどうこうするまでもないだろう。アイリーン1人でさえやりすぎなのに、俺まで加わったら可哀想だ」
「さすがに自重しますよ。やりすぎないようにします」
「おう」
さすがヴィクター様、と言うべきか。その予想は、見事に的中した。
夜会も終わり。私が城で生活し始めると、まあ、みみっちいというか、小物くさいというか、そういう嫌がらせを山のように食らった。
例えば、お茶会の開始時刻を微妙にずらして伝えてきたり。場所を間違えてみたり。
わざとらしく廊下でぶつかられて、謝るように言われたり。わざわざ角を立てるまでもないから、謝ったけれど。少しばかり不本意ではあるが、これも円満な帝国生活のためだ。
私はまだ、婚約者。正式な婚姻を結ぶまでは、あまり暴れないほうがいい。暴れる、と自分で言ってしまうくらいには、私は私の性格を理解している。
その、婚姻だが。
てっきり、数年、短くとも半年以上は先だと思っていたのだ。これほどの大国の皇太子の結婚式ともなれば、周辺の様々な国から来賓が来る。多くの属国を抱えるエルサイド帝国ならば尚更だ。
だからこそ、その婚姻はかなり前から告知されるし、国力を見せつけるためにも大々的に行われる。そのための準備も膨大で、それには当然時間がかかる。
だから大丈夫だと、たかを括っていた私に、ヴィクター様は信じられないことをさも当然のことのように言った。
「二月後には、正式に婚姻を結ぶ」
「……は?」
「言い直した方がいいか? 二月後には、正式に俺の妻にする」
「聞こえてますし意味も理解してます。どう考えても不可能ですよね?」
「大々的な式はな。他国を招いての正式なものは、後日また準備を整えてやるさ。今回は、あくまでも帝国内だけの小規模なものだ。民にお前の姿を見せる機会も兼ねている」
「そんな、前例のない……」
「誰が2回式を挙げてはいけないと言った?」
「いや常識的に考えてありえませんよね?!」
「小規模なものだ。費用に関しては、ほとんど俺の私財でやるから問題ない。加えて、ある程度元を取れるようにライアンと調整しているところだ」
「……」
なんというか、呆れた。
相変わらず無茶苦茶な人だと思う。常識を知らず、いつだってこちらの予想を超えてくる。
けれど、そんな人が。強引に、滅茶苦茶な手口で成し遂げようとしているものが、私との、婚姻だから。
「……色々と不満やら愚痴やら文句やら説教やらありますが」
「勘弁してくれ」
「まあ、その、嬉しいですよ。ありがとうございます」
そう早口で呟いた瞬間に、ヴィクター様が満足げに笑った。その頬が少しだけ赤らんでいるのを認めて、なんだか達成感のようなものを覚える。まあそれ以上に、私の頬は赤いに決まっているのだけれど。
その時は、確かに感謝したのだ。嬉しかったし、照れ臭かったし、式を楽しみにしようという思いもあった。
けれど。
「忙しすぎた…………」
生気の抜けた声でぐったりと自室のソファに崩れ落ちることしかできなかった。
式の前日となった、今日。今日まで、本当に、意味がわからないくらい忙しかった。
スレニアで、ひだまりのような緩い生活をのうのうと過ごしていたことは自覚している。けれど、さすがにこの忙しさは異常、だと思いたい。
山のように降りかかってくる、準備、調整、新しく皇太子妃になるにあたっての色々。息を吐く間もない。私以上にヴィクター様は忙しいはずなのに、それを見せることもない。さすがに、下町にふらふらと遊びに行く余裕はないようだったが。つくづく、敵わないと思う。
それに加えて、嫌がらせの数々。普通に面倒だった。普段には気にとめないことのはずが、こうして忙しい時にやられると微妙に腹が立つ。あまりにも目障りなものだから、一度苦言を呈したら、少しだけ大人しくなった。ヴィクター様に言った通り、自重した私を誰か褒めて欲しい。
さらには私の命を狙うものがいるとかで、罠の準備まですることになった。どうして私を狙う人は皆私が忙しい時期を狙うのだ。いや、当たり前か。
少しばかり心に余裕がない自覚は、あった。
「お疲れ」
「ノックはしてください」
「したが、返事がなかった。寝ているのかとも思ったが、明かりはついたままだったからな。どこかで潰れているんだろうと思ったが、予想通りだ」
「……」
反論する気力もなく、ぐったりと身体を横たえている私の様子に、さすがにヴィクター様も揶揄うのをやめてくれたようだった。
隣に座るヴィクター様の姿を、目だけで見つめた。
「随分とお疲れのようだな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「……そうだな、悪い」
珍しく素直な反応が返ってきて、驚いた。よく見れば、ヴィクター様の青い瞳も、いつもより少しだけ光を失っているように思う。うっすら見えるのは、隈か。
ヴィクター様だって、疲れているのだ。その仕事量を思えば、当然のことだった。
「……私こそ、すみません」
本当は気がついていた。
私に回ってくる仕事の量は、これでも少ない方だった。本当に、私にしかできない仕事だけが、的確に私の元へ回ってくるのだ。普通、そう上手くはいかないことくらいは、知っている。
きっと、この人が。疲れている私に気を遣わせまいと、こうして普段通りに振る舞おうとしているこの人が、どこかで動いているのだろう。
「なぜ、お前が謝る?」
「いえ」
こういう時だ。こういう時、愛しさが溢れて困る。
腹も立つし強引だけれど、時折こうして、私に気を遣わせないため、見えないように気づかれないように、繊細な優しさを寄せてくる人なのだ。
「……少しだけ、甘えてもいいですか」
「え」
本気で狼狽えた声を出すヴィクター様が新鮮で、私は両手を伸ばしてその腰に抱きついた。
疲労からか、酔ったようになっている自覚はあった。けれどその温もりが嬉しくて、私はそっと頬を寄せる。




