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第14話 初めての夜

 ふるり、と私は身を震わせた。


 この格好は、少しばかり寒い。今日一日、たっぷりと布の使われたドレスを纏っていたから尚更、その防御力の低さが落ち着かなかった。


 膝上丈の裾。あってないような袖。心許なさすぎる胸元。さらさらと揺れる透き通った布。


 楽しそうに私を磨き上げていた侍女を、やはりあの時止めるべきだったのだ。特に、栗色の髪のケリー。これで殿下を悩殺してやりましょう、なんてうきうきとしていた彼女が恨めしい。


 本当に、なんだこの服は。もはや服と言っていいかどうかも怪しい。限界まで布を節約したかのようなそれを自分が纏っているという事実が、未だに信じられない。そんなに布代を節約したいか。今日一日お世話になった純白のドレスと比べて、明らかに軽い。もちろん、今日のドレスが、あまりにも重過ぎたというのもあるのだけれど。

 私を抱き上げたヴィクター様の顔が一瞬強張ったのを、私は見逃さなかった。おそらく普段よりかなり重かっただろう。だが断じて、体重が増えたわけではない。むしろ、今日に向けて必死で綺麗な体型を維持してきたのだ。


 どくり、と心臓が奇妙な音を立てた。

 ひどく、緊張している自覚はあった。決して怯えてはいけないと分かっていても、どこか臆病になっている自分がいることは自覚していた。うまくできるか、と不安に思わずにはいられなかった。

 

 がたん、と扉の向こうで音がした。ついに待ち人が訪れたのかと思って、びくりと身体が跳ね上がる。途端にうるさく騒ぎ出した心臓を、必死で抑える。

 けれどそれは勘違いのようだった。私の待つ2人の寝室の扉が開く事は、まだない。


 そうして、しばらく経った時のことだった。


 とん、と。

 遠慮がちに叩かれた扉に、一瞬で視線が吸い寄せられる。その瞬間、跳ね上がった鼓動。


「ま、待ってください! まだ、心の準備が!」


 叫べば、その言葉を汲み取ってくれたのだろう、まだ入ってくる様子はない。扉越しに、深呼吸をしながら告げる。


「あの、は、恥ずかしいので! 私は、向こうを向いているので! ゆっくり、入ってきてくださいませんか!」


 くるりと後ろを向いたその瞬間、きい、と扉が開く音がした。

 もはや緊張し過ぎて心臓が痛い。繊細な模様がさりげなくあしらわれた壁を、意味もなく見つめる。


 とん、とん、と近づいてくる足音が聞こえた。規則正しかったそれは、私から少しだけ距離をとった位置で、止まった。

 すう、と息を吸って、囁く。


「こんばんは、暗殺者さん」


 そこからは、一瞬だった。


 どたん、と大きな音が、一つだけした。けれど、それだけだった。


 ゆっくりと振り返って、落としていた部屋の明かりをつけた。


 床に押さえつけられている1人の男性。抵抗しようとしているのだろうが、複数人で押さえつけられたその身体は全く動いていない。柔らかいクリーム色の髪をした彼は、私を狙った暗殺者。

 そして、その横に立ち、暗殺者を氷のような目で見下ろしているのが、今日正式に私の夫となった、ヴィクター様。


「アイリーン」


 心底機嫌の悪そうな彼は、不満げに私を手招きする。

 立ち上がってゆっくりと歩み寄れば、ガウンを手渡された。どうやら、しっかり用意していたらしい。


「着ろ。他の男の目に晒すのは、いい加減我慢できない」

「……分かりました」


 独占欲全開のその言葉が嬉しかったけれど、それを表現するのはどうにも苦手だ。

 ガウンを纏った私を隅から隅まで点検して、なんなら一度は留めたものの息苦しくて結局開けていた一番上のボタンまでしっかりと留めて、ようやくヴィクター様は私から視線を外した。


 暗殺者の彼は、いつの間にかしっかりと拘束されていた。ヴィクター様が、内密に行われたこの作戦に参加させるだけはある。皆、優秀な人間のようだった。

 床に転がされ、ぴくりとも動けなくなった状態で、その薄い水色の瞳だけが、私たちを見上げた。


 息を呑むような美形だった。ヴィクター様とは違う雰囲気だけれど、きっと女性に人気が出るであろう甘い顔立ち。事前に見せてもらった資料から、大仰な二つ名がついていることは知っていたから、てっきり無骨な大男だと思い込んでいたのだ。

 その口が、開いた。


「こんばんは。君の格好、すごく可愛かったよ」


 部屋にいた全員が、固まった。


「あの、自分の状況、理解してます?」


 思わず漏らした言葉に、先ほどまで暗殺者を取り押さえていたライアン様が、激しく頷いている。

 ライアン様が側近と護衛騎士を兼任していることはもちろん知っていたけれど、改めて見るとやはり違和感があった。いつもヴィクター様に振り回されて悲鳴をあげている姿と結びつかないと言うか。


「あ、君そういうタイプなんだ。いいね、強気で可愛い子は、好きだよ」

「……もう一度言いますよ。自分の状況、理解してます?」

「綺麗に色っぽく着飾ってる可愛い子の寝室に忍び込んだ状況?」

「暗殺者として捕らえられて全身を縛られている状況ですよ!」


 話が通じない。通じなさすぎる。

 この何を言っても通用しない感じ、どこかの誰かに似ている気がする。そう思って隣を見上げれば、もはや不機嫌を隠す気を一切失ったらしいヴィクター様が、心底腹立たしいというように口を開いた。


「お前」

「俺のこと?」

「他に誰がいる」

「俺、男には興味ないんだけど。やっぱり、可愛い子でなきゃ」

「先ほどからお前が馬鹿みたいに口説いている女が、誰だか分かっているのか?」

「やだなあ、俺がターゲットが誰だかもわからないような無能に思える?」


 ターゲット。

 やはり彼は、私を狙った暗殺者であることは間違いなさそうだ。もともと彼を捕まえるために用意した罠だけれど、いざかかってみると、やはり不思議な気持ちになる。

 本気で命を狙われた、なんて、いきなり信じろと言われても無理な話だ。今までと世界が違いすぎる。もちろん自覚はしているし注意は払っているけれど、そこに実感が伴うかと問われればそれはまた別の話で。


 彼を追及するために、わざわざこんな面倒な策を練って誰にも見つからないように捕まえたのに、ヴィクター様が追及を始める様子はない。


「少なくとも、他人の妻を口説こうとする無能には思える」

「だって、可愛いじゃん。あの格好、めちゃくちゃよかったし」

「おい黙れ」


 本気で怒っているらしいヴィクター様の腕をそっと掴んで止めようとするが、どうやら気づいていないらしいヴィクター様は、目を細めて暗殺者の彼を見下ろす。


「俺はな、散々ここまで我慢させられたんだ」

「へえ、お疲れ様」

「その日をお前なんかに邪魔されたせいで、俺は今最悪に機嫌が悪い」

「言わなくても、それは分かるって。そんな怖い顔して、彼女怖がっちゃうよ」


 そう言われた瞬間にちらりとこちらに視線をよこしたヴィクター様に、苦笑した。人を翻弄するばかりのヴィクター様がここまで人に翻弄されている姿が珍しくて、私としてももう少し見ていたい、なんて思ってしまうのだけれど、さすがに止めるべきだろう。


「殿下、それくらいに」

「…………俺は何回言えば良いんだ?」

「ヴィクター様」


 嗜めるように言えば、不満げな様子はそのままながら、渋々ヴィクター様が彼から離れた。

 そのまま、部屋の中央に陣取るソファの上に腰を下ろす。


「暗殺者さん。私を口説くのはいいですけど」

「良くない」

「ヴィクター様! 話が全くもって進まないので、少し黙っててください」

「……」

「いい加減、ふざけるのはやめたらどうですか?」

「えー、別にふざけてないって。俺は至って真剣に、君を」

「あなたを生かすも殺すも、私たち次第なんですよ」


 冷えた声音で続ければ、さすがに彼の表情が消えた。


「アイリーンの言う通りだな。あの場で殺されなかった時点で察しているだろうが、俺たちはお前に用がある。その一点においてお前が生かされていることを忘れるな」

「……そう」


 途端に無機質な表情になった彼が、小さく首を傾ける。


「用事は、何」


 今までのへらへらとした軽薄な態度が消えた彼の研ぎ澄まされた雰囲気に、私は確かに、彼が暗殺者であることを理解した。

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