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第13話 皇太子の溺愛、もしくは画策

「失礼しま……」


 口にしかけた入室の挨拶は、室内の様相を見てぴたりと止まる。

 恐る恐る後ろを振り返ると、心底満足そうな表情のヴィクター様。


「どうして殿下の私室なんですか?!」

「もうヴィクターとは呼んでくれないのか?」

「あれはあくまでも、王太子殿下とややこしかったが故の応急措置です! そうではなく! 普通、初めて城に来た人を応接室や執務室ではなく私室に通しますか?!」

「俺が良いんだから別に問題ないだろう」

「問題しかないですが?!」


 そのまま、部屋の中央に備え付けられた大きな革張りのソファを手で示される。

 きっとヴィクター様がいつものように適当に座っているのだろう。不自然に凹んだような跡が残っているそれから体温が感じられるようで、少しだけ心臓が跳ねた。


 エルサイド帝国、帝都。

 ヴィクター様が回復した後、大騒ぎになり、当然のごとくその帰還は延期された。それどころか、帝国側からさらに役人がやって来て、話し合いも始まり、それが終わったかと思えば帝国に向けて馬車での長旅。

 どうにか大きな問題もなく到着し、やっと一息つけた、という所だったのだが。

 まさか、なんの心構えもないままに、ヴィクター様の私室に通されるなどと、思ってもみなかったのだ。というか、普通思わない。誰も想像できる訳がない。


「まあ、座れ」

「…………分かりました」


 不本意極まりないが、このまま騒いだところで応接室に行ける訳でもない。

 それに、この人が、意味もなく私室に通すとは思えない、という気持ちも、少しだけあった。

 案の定、思案するように顎に指先を当てたヴィクター様が、ゆっくりと口を開く。


「エリザという女についてだが、両国の話し合いの結果、賠償金の支払いと数年間の謹慎処分という形になった。というのも、あの時も少し言ったが、状況には情状酌量の余地が大きい。そもそも俺は王国に変身して入っていたし、エリザが狙ったのも俺ではない。加えて、俺は自らあの薬を被りにいったしな。あまり大きな罪には問わないということにした。……不服か?」

「いえ。……私の、ためなのでしょう?」


 そう問いかけた瞬間に、楽しげにヴィクター様の口元が持ち上がる。どうやら、正解だったようだ。

 そのまま無言で続きを促され、私は説明する。


「私の母国の評判は、少なからず私自身の評判にも影響しますから。ただでさえ存在も知られていない小国出身ですから、良くは思われていないでしょうが、皇太子の毒殺騒ぎを起こした国だと大々的に発表してしまったら、さらに評判は下がっていきます。もしかしたらそれを体のいい言い訳に、私が婚約者となることに反対する人が現れるかもしれません。これはあくまでも予想ですが、ほとんど全てが秘密裏に処理されたのではないでしょうか?」

「……お前が王になれば良かったんじゃないか?」

「冗談でしょう。私の想像でしたが、合っていますか?」


 そう確認のために問い掛ければ、正解だ、と呟いたヴィクター様がふっと微笑んだ。けれど、その目は笑っていない。


「だがこれはあくまでも、帝国として公式にやりとりした結果、だ。俺個人の感情としては別なんでな、色々と王国側にも話をしてきた」

「……何をしたんですか」

「いや? 別に、帝国側としては許す方向で行くとはいえ、王国がそれに倣う必要はないと言ってきたまでだ」

「それ、実質命令ですよね?」

「非公式の場だ、問題ない。何をしろとも言っていない。むしろ、王国としてもありがたかったと思っているんだが?」

「厄介払いができたということで、ですか?」

「お前の国も婚約破棄関係で迷惑を被っていただろうからな。むしろ堂々と王太子は廃嫡、エリザは社交界追放できてよかったと思うぞ」

「……そこまでやらせたんですか」

「俺は何も言っていない。王国が勝手に決めたことだ。帝国が絡むと面倒なことになるが、国内で揉め事があるのは別に珍しいことでもないだろう?」


 あっさりと言い放ったヴィクター様が、ソファの上でだらりと姿勢を崩す。


「やはり、帝国からは反対されますか」


 婚約について、と言外に含ませた意味を、ヴィクター様は正確に受け取ったようだった。崩したばかりの姿勢をすぐに戻し、その瞳が真っ直ぐに私を射抜く。


「隠しても仕方がないから言うが、想像通りそういう輩もいる。帝国も一枚岩ではない、仕方ないさ。……とはいえ、きっとお前が思っている以上に、歓迎されると思うぞ」

「と言いますと?」

「なんせ、留学時代の想い人を理由にありとあらゆる婚約話を蹴り続けた手のかかる皇太子が、ついに婚約を決めたんだからな」

「……え」

「しかもその相手がまさにその想い人となれば、もう大騒ぎだ」

「ま、待ってください?! そんな話、聞いてませんが!」

「言っただろう? 留学時代から好きだったと」

「そっちではなく! どうしてそんな話が帝国中に広まってるんですか!」


 城を歩いている間に妙に生温かい視線を向けられていると思ったが、まさかそれが理由か。


「仕方ないだろう。お前以外は考えられなかったから、婚約などしたくはなかったんだよ」

「……っ皇太子ですよね!」


 照れ隠しに放った一言は、あっさりとそうと見抜かれ。

 思わず顔を覆いかけた手を、ヴィクター様の手が絡めとる。


「どうしようもなくなったら諦めるかもしれなかったが。俺はお前も知っているように、相当に諦めの悪い男でな」

「……」

「私室にアイリーンを通すと重鎮に言ったら、既に作らせている結婚式用のドレスを作り直すようなことがないようにしてくれ、と言われた」


 楽しそうに笑ったヴィクター様を見つめる。ゆっくりとその意味が染み込み、理解した瞬間、一瞬で頬が熱くなった。

 咄嗟に引きかけた身体が、すかさずヴィクター様に囚われる。もはや定位置になりかけたヴィクター様の腕の中に閉じ込められ、じわじわと熱を持つ頬を隠しきれない。

 ヴィクター様の足の間にすっぽりと埋まるような格好。後ろから回ってきた手が、暴れる私の腰をしっかりと抑える。


「安心しろ。俺もさすがにそこまで非常識なことはしない」

「そ、存在そのものが非常識な殿下の言葉は信用できません!」

「失礼な」


 ふう、と首筋にかかった吐息に、全身にぞわりとした感覚が広がる。そのまま肩に重みが乗った。


「アイリーン」


 耳元で囁くように名前を呼ばれる。

 限界だった。もう無理。羞恥で死んでしまう。


「殿下!」

「だから、ヴィクターと呼んでくれないのか」

「ところで、ここに来るまでに幾つか帝国の馬車とすれ違いましたが」

「……気のせいだろう」

「いえ、確かに見ました。あそこに乗っていた役人は、まさか役人のふりをした皇太子ではありませんよね?」

「……こんな時に色気のない話するか?」

「流石にいきなり完全支配というわけにはいきませんが、少しずつそういう体制を整えていくおつもりなのでしょう?」


 強引に言葉を重ねれば、ヴィクター様が諦めたようにため息をついた。渋々と言った風に、口を開く。


「……なぜ」

「今までは何の取り柄もない小国でしたが、これからは話が違います。なんせ、皇太子妃、いずれは皇妃の母国であり、その家族の住む国です。今までのような、良く言えば平和、悪く言えば適当で緩み切った政治をし続けるわけにもいきませんよね? そして王国に、そういうしっかりした政治ができる人材がいないということも、殿下がその目で、見てきたことでしょう?」

「……お前、生まれる国を間違えたな?」

「少しずつ役人を送り込んでいるところなのでは? 私たちがすれ違ったのは、その馬車かと」

「……分かった、その通りだよ。お前には悪いが、帝国としてはそうせざるを得ない。さらに言えば、エリザと例の王太子についてはアイリーンに大きな私怨を持つ最大の不穏分子と伝えてあるから、それなりの待遇を受けていると思うぞ?」


 開き直ったように不敵な笑みを浮かべたヴィクター様が、喉の奥で笑い声を立てる。


「俺が、アイリーンを傷つけた相手に罰を与えることを、他人に任せるとでも思ったのか?」

「……」

「俺は、お前が思っている以上に、恨みを溜め込む性格なんでな」

「……廃嫡だなんだと、あえて国内を掻き乱したと聞いた時から、違和感はあったんですよ。私のために穏便に済ませるつもりなら、余計としか言いようのないことですから。全て、帝国の支配を安定させるためですね?」

「そんなところだ。……ところで、すっかり話を逸らされてしまったが」


 笑みをふっと消し、今度は悪戯っぽく口元を歪めたヴィクター様が、私の顔を後ろから覗き込む。


「ヴィクターと、呼んでくれないのか?」

「あれは、応急措」

「それはもう聞いた。俺としては、皇太子ではなく、ただのヴィクターとして接してほしいんだが」

「その言葉に私が弱いと確信した上で言ってますよね」

「さあ?」


 ふっと、ヴィクター様が身を引いた。そのまま、耳元に口を寄せられる。


「アイリーン?」


 蕩けるような甘さを持った声。悪戯でいて、同時に強引さを持つその響き。ゆるゆると首筋を撫でる、その指先。

 熱に浮かされたように、酔ったようになって、気づけば口にしていた。


「……ヴィクター、さま」


 ぐっと腰が引き寄せられた。ぐりぐりと肩口に顔を埋められる。


「……アイリーン、そういう時にだけ声変えるの、禁止」

「別に、何も変えてません! 殿下こそ」

「ヴィクター」

「っいつもと声変えましたよね!?」

「ヴィクター」

「……っ!」


 このままだと、どんな話をしても、ヴィクター、とだけ返ってきそうだ。

 もういい。開き直るしかない。


「ヴィクター様!!」

「そんな勢いよく言うか? 怒られている気分になるんだが」

「今回の騒ぎといい、やましいところがあるからそう聞こえるんじゃないんですか!?」

「俺にやましいところ? 何のことだか」


 悪びれもなく言い放ったヴィクター様に反論しようとして、大きく息をついた。

 やめたほうがいい。話せば話すほど、疲れるだけだ。こうやって人を揶揄うのが趣味のような人なのだから。


「急に静かになったな」

「……疲れました」

「なら寝るか」


 その一言と同時に、ぐっと身体が引かれる。気がつけば、ソファに倒れ込むような体勢になっていて。

 背中側から抱きしめられた格好のまま、ぴたりと固まる。もしや、この流れは。


 爆発しそうな心臓の音が聞こえないように必死で息をつめていた時、聞こえて来たのは、穏やかな寝息。


 そんな気はしていた。この人のことだから、間違いなく抱き枕にされるとは思った。けれど。

 私はこんな状況で眠れるほど、鈍感ではないのだ。頬が熱い。心臓が痛い。そして後ろでは、気持ちよく睡眠を謳歌しているヴィクター様。私ばかり意識しているようで、どうにも腹が立つ。


 けれど、その規則正しい寝息を聞いているうちに、その半ば八つ当たりのような怒りはおさまっていき。ふっと身体の力を抜いた瞬間、睡魔が押し寄せてきた。


 なんだかんだで疲れていたのだろう。ゆらゆらと浮き沈みする意識は、やがて途切れた。




 数刻後。皇太子の私室を訪れた、とある巻き込まれ体質の男は、柔らかく幸せそうな微笑みを浮かべて眠る未来の皇太子妃と、真っ赤に染まった頬を隠さないまま、必死で口元に指を当てる皇太子の姿を見ることになる。


これにて1章は終わりとなります。ここまでお読み下さり、ありがとうございました!

そしてこれから、2章、エルサイド帝国編を始めます。面白かった!続きが読みたい!と思っていただけましたら、ブクマ、評価いただけますと励みになります!


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴィクターとアイリーンの掛け合い?がとても良かったです。 留学が終わって帰国する際の様子が切なくて、両思いになって本当に良かった。 [気になる点] 気になるというか、エリザ平民?なのにめ…
[良い点] 要所要所にさりげなく書き加えられた描写によって、より細やかで鮮やかな濃淡が物語に一層の深みを与えていること。 [気になる点] ここまでで1万文字以上も加筆しているのに蛇足と感じさせるような…
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