87.領軍の官舎前での話
出発は慌ただしかった。
なにせ、急に言われていつの間にか決定していたのだから。
後任の人には軽く挨拶をすると、あとの説明は病院側で行うから大丈夫だと言われた。
閣下の言っていた通り、まとめる荷物はほとんどない。
処理すべきは、貰い物達だけだ。
ちなみに、別に独り占めはしていない。初めはちゃんとみんなで食べようとしたけど、貰ったのはわたしだからとか言って受け取って貰えなかった。
わたしに対する遠慮があったのは分かっていたけど、こればかりはしょうがない。わたしは病院内ではある意味異質な存在だし、親しい間柄でもない臨時職員みたいな感じだ。お互いの距離感がなんとも掴みにくいかった。
それは、わたしが軍服着ているのもあるし、護衛がついている事も関係しているのはわかっているので、無理に近づくこともしなかった。
緊張させることになったので。
とりあえず、一番親しくなったのは病院内の食堂の人とだ。
まあ、とにかく食べるわたしに驚きつつも、おまけと称してちょっぴりサービスしてくれたり、甘い物をデザートに付けてくれたりしてくれた。
なので、食べきれないお菓子類は食堂の人たちに渡す事にした。
それに、食堂にはほとんどの職員が集まるので、食堂の人たちが食べなくてもご自由にどうぞって置いてあったら食べるだろう。
たぶん、きっと。
というわけ、貰い物の内消費期限が長そうなものを中心に少しだけ荷物につめて、後はお任せした。
とりあえずとても喜んでいたので、良しとする。
「終わったか?」
「一通りは」
一度部屋で別れた閣下とは、領軍の駐屯地で待ち合わせだ。
荷物を持って向かうと、すでに閣下の方は準備が出来ているようで外で待っていた。
外には他に馬が何頭も繋がれていて、その手綱を領軍の軍人が持っている。
「移動は馬ですか?」
「その方が早いが、乗れたか?」
「最近乗っていませんが、乗れますよ。ただし、ついていけるかは自信ありませんが」
それなりに乗りこなせはするが、それでも素人ではない程度だと思う。
軍人として日々訓練している人たちに比べれば大した腕ではない。
「ところで、それは先に聞くべきことではないんですか?」
「悪かった。どちらにしてもクロエは俺と同乗だ」
「それ、馬に乗れるか関係ないですよね…」
「もしかしたら、乗りたいかも知れないからの確認だ」
馬に乗るのは好きだけど、全力で長時間移動するのは大変だ。
身体強化を使っていれば、問題なく付いて行けるかもしれないけど、無駄な魔力は使いたくない。
「馬に乗るのは好きですけど、とりあえず今回は止めておきます」
それが無難だ。
「でも、そうすると、わたしたちが乗る馬への負担が大きいと思いますけど」
別にわたしはそこまで重くはない――…とは思うけど、二人乗りの馬への負担は一人で乗っているよりも大きいのは当然だ。
「そこは問題ない。馬力のある馬――というか生き物だから」
「生き物?」
変な言い回しだ。
でも、馬ではないという事のようだ。
馬のようで馬じゃない生き物。
乗り物として活用できる力があって走る速度が速い動物――。
――もしかして…
なぞかけみたいなその生き物。
馬の様な見た目だけど、馬じゃなく、馬よりも何倍もの力がある。
だけどその分気性は荒いし、自分が認めた人間しか載せない生き物。
「あの、スレイプニルの事だったり…します?」
「さすが、よく知っている。その通りだ」
あっさりと肯定した閣下に唖然とした。
「スレイプニルって、あのスレイプニルで間違いないですよね?」
「自分で言っておいて、なんの確認だ?」
確かにわたしが言った事だ。
でもまさか当たるとは思っていなかった。
そもそもスレイプニルは、馬に似た生き物――というか魔獣だ。
肉食だし、人も襲う。
もちろん、滅多に人は襲わないけど、危険な事には違いない。
基本的に標高の高い山々が生息地域で、その立派な脚力で山を駆け回っている。季節に応じて住処を変え、群れで行動している仲間思いの一面もある。
そして何より、自尊心が高いことでも有名だ。
主人格として認められるのは、かなりの実力が必要で、しかも強ければいいものでもない。
一度認めさせれば、かなり有用性のある移動手段になるけれど、それがかなり困難なので乗っている人を見たことはなかった。
「そもそも、一体どこで…」
「現地調達は基本だろう?」
――え、基本なの?
それが軍人としての基本なのかたしなみなのか知らないけど、こっちを見ている領軍の軍人さんがわたしと視線が合うと首を横に振って否定してくるので、どうやら閣下の中だけの基本だという事が分かった。
「ちなみに、その子は今どこに?」
「少し離してある。まだ使役して日が浅いせいで、人の生活圏に慣れていないんだ。少し興奮気味だから、馬が怯える」
馬は存外臆病だ。
慣れない魔獣の気配には怯えるだろう事は想像できた。
「でも、走る時は一緒なんですよね?」
「一度走りだせば、仲間思いな一面を見せるので問題ない。むしろ馬たちもその先導に従って走ってくれる」
なるほど。
統率者としても万能らしい。
「でも、わたしを乗せてくれるんですか?」
基本的に主人以外は乗せたがらない生き物で有名だ。
使役して日が浅いと閣下は言っていたので、少し大丈夫か心配になった。
閣下がわたしと同乗すると言っていたので問題ないとは思うけど。
「大丈夫。基本的には主人の言う事は良く聞く頭のいい魔獣だ。確かに一人は危険だが、今回は俺も乗るので問題ない」
閣下がそういうのなら大丈夫なのだろう。
「乗る前に少し見たいんですけど、ダメですか?」
スレイプニルは頭がいい。
たとえ閣下と同乗するにしても、少しはわたしの事を知っていてもらった方が乗りやすい。
閣下もそれを理解しているのか、もちろんだと了承した。
「そろそろ出発時間なので、今から連れてくる」
馬ならば、下の人間に連れて来るように命令することも出来るけど、スレイプニルは閣下自ら手綱を引かないと言う事を聞かない。
閣下は領軍の敷地内に入って行き、しばらくすると一頭のスレイプニルを連れて来た。
基本的に青みのある黒い毛である青毛がスレイプニルの毛並みだけど、閣下が連れて来た子は本当に真っ黒だった。
しかも、なんとなく体つきも大きい気がする。
一応手綱を持ってはいるけど、持たなくても勝手に後をついてくるような雰囲気だ。暴れる様子も逃げ出す様子も見せず、完全に従順な獣と化している。
時折甘えるように鼻面を押し付けて撫でてもらおうとしている姿は、危険な魔獣には全く見えない。
「つい先日襲ってきたので、叩きのめしたスレイプニルだ。生息地から外れていると思ったが、強さ的に迷宮の魔獣のようだ」
「……迷宮の魔獣ってより凶暴で本能的だって聞きましたが……人に従うんですね」
「そのようだな。なかなか貴重なデータのようで、しきりにどうやったのか聞かれた」
スレイプニル自体使役が難しいのに、迷宮の魔獣とはさすがは閣下。感心しか思い浮かばない。
「ちなみに、参考までにどうやったんですか?」
「さあ?叩きのめして殺そうとしたら、突然頭を下げて、殺気が無くなったから殺す気が失せたと言うか…。気付いたらこうだった」
必死に媚びを売っているようにも見える。
そんなに恐ろしかったのか、閣下が…。
「名前は決めたんですか?」
「いや?正式に飼うかどうか決めかねている。スレイプニルは食費もかかるし、手続きにも時間がかかる。今は緊急事態という事で認めてもらっているが、本来ならば連れ歩く事は許されていない」
人に危害を加える魔獣の飼育は厳しく国で定められている。
スレイプニルはかなり危険な魔獣であるので、従わせたと言っても、きちんと法に則って手続きして初めて飼う事が可能だ。
ただ、スレイプニルはその有用性の影に隠れて、すごくコストのかかる生き物で、実際に飼うのなら覚悟が必要になる。
でも閣下なら、特別気に掛ける値段でもない気がするので、問題なさそうだ。
ただただ、手続きが面倒という気持ちだけがあるらしい。
拾った責任は取った方がいいと思うけど、殺した方が早いと気持ちもあるようで、それをスレイプニルも感じているのか命を繋ぐためにかなんとか気に入られようとしていた。
頭がいいとは言っていたけど、ある程度人の言葉も理解しているようだ。
むしろ、閣下の雰囲気で何か感じるものがあるのかも知れないが。
わたしは少しかわいそうになって、庇うように言った。
「この子すごく大きくて毛並みも綺麗ですね。ちゃんと飼ってあげたらいかがですか?」
「……ここからの輸送が大変なんだ。手続きのされていない魔獣は魔鉱石列車に乗せる事が出来ないから、連れて行くにもしばらくは時間がかかる」
「どうせ、しばらくこの地にいるのでしたら、先に手続きしておけばいいんじゃないんですか?皇都以外でもできましたよね?」
「出来るが、申請書類は一度皇都に送られて、そこから色々審査が入るので、結局ギリギリだな。今は平時という訳でもないから」
お役所仕事は時間がかかるのが常だ。
「仮申請で街の中には連れて行けるが、魔鉱石列車が使えないとなると皇都に連れて行くにしても領地に連れて行くにしても時間がかかる」
スレイプニルで駆け抜けるにしても、魔鉱石列車よりも時間がかかる。何日もかけて皇都や領地に行くくらいなら、始末した方が楽という事なのはわかるけど、可哀そうすぎる。
「かなり希少な使役例ですから、連れて行ってあげたらどうですか?一人旅が嫌なら、お付き合いしますよ。二人乗っても問題ないみたいですし」
「そうか?……まあ、考えておく」
前向きに検討してくれるようで良かった良かった。
心なしか、スレイプニルもほっとしている様なのは気のせいか。
それにわたしに感謝しているのか、撫でても良いぞというように顔をぬッと押し付けてきた。
「気にいられたみたいだな。こっちの方が珍しいのではないか?」
主人以外に懐くことはほとんどないので、言われればそうだ。
でも、何となくスレイプニルの本能的思いを感じてしまった。
――うんうん、殺処分されないために必死なんだね……
そんな事を考えながら、ぽんぽんと顔を撫でている。
「ところで荷物はどうしたら…」
「ああ、ここに」
わたしから荷物を受け取った閣下が後ろに自分の荷物とのせる。
そんな風に出発の準備をしていると、颯爽と中から人が出てきた。
「待たせたか?」
そう言って外に出てきたのはイザナ中将だ。
まさかイザナ中将も一緒だとは思わず、少し気が引き締まる。
「数日ぶりだな、クロエ嬢。なかなかな活躍を本部で聞いていたぞ」
「いえ、そんな事は…」
手放しでほめてくれる高官相手にどう言っていいのか分からず、言葉を濁す。
こういう時、まだまだ世慣れしていない自分が良く分かる。
「謙遜はしなくても良いぞ?本部で話題になるくらいだ」
「いえ、わたしよりも迅速に魔獣討伐を行っている領軍や国軍の方がすごいです」
謙遜するなと言われても無理がある。
なので、話題をすり替える様に軍人たちの事にシフトした。
「なるほど。上の目が届かないところでもしっかり動いているようだ。なによりなにより」
うむうむと頷くイザナ中将に、ほっとした。
成果を褒められるのはうれしいけど、少し困りもする。
「ところで中将。話は終わりましたか?」
話の区切りがついたところで閣下が声をかけてきた。
そろそろ出発したい雰囲気だ。
「問題ない。こちらも調整がすんだ」
「それは何よりです。では出発しましょう。夕方までには着きたいところです」
「夜には魔獣の脅威があるからな。行こう」
イザナ中将の号令で、共に行く事になる軍人が馬に乗り、わたしは背の高いスレイプニルに乗せてもらい、閣下はその後ろに跨った。
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