86.病院内の部屋の中での話2
ゆっくりと抱きしめられていた身体が解放され、わたしは閣下を見上げた。
「ところで、いつ閣下の提案した作戦が実行されるんですか?」
「三日後だ。すでに近隣の領地には通達している。今頃は領主自ら説得中だ。まあ、人気のある領主だからすぐに了承は得られるだろう。二日かけて準備して、三日後に決行だ」
さっきは軍規だから話せないと言ったけど、それは領主自ら説明するまで余計な事を外に漏らす事はしたくないという事だ。
住民を説得するには詳しい作戦内容を話す必要もある。もちろん、不安をあおるような事は言わないだろうけど、それでもある程度の危険性は説明しなけれならない筈だ。
しかし、正しい情報を得る前に、誤った悪意で話されては、上手く行く事も上手くいかず、住民からの理解も得られない。
わたしが話す事がなくても誰がどこで聞いているのか分からない。
特にここは防音性が良いとは言えないし、警戒するのも当然だ。
「かなり急ですけど…もしかして初めから考えてました?」
わたしはてっきり店長から提案された案なのかと思っていたけど、閣下が言った通り閣下の方が考えていた事で、それを店長に確認し有用であると結論付けた感じだ。
魔鉱石列車の中で考えてある程度形にしていなければ、ここまで早く実行されない。
ただ、なんとなく動きが早すぎる感じもする。
聖王国の件もそうだけど、この作戦に関しても。
もっと小規模な実験とかして安全性を確認しないのだろうか。
安全性の保障がいかに大事かは、指揮官クラスの軍人であり、企業経営者の閣下ならば分かっていると思う。
一刻も早く解決したいと言う思いが先走っている気がした。
「少しでも早く解決した方がいいのは分かりますが、なんか急すぎないですか?」
それを不思議に思い、聞いてみる。
効率的に見ても、かなり有効な手段なのはわかるけど、力技で推し進めているようにも見えた。
「少し思う所があって。ただ、早期解決はこの地のためにもなるし、問題はないだろう。だからこそ領主自ら決断を下したわけだし」
その通りだけど、釈然としない。
間違っているわけではない、嘘を言っている雰囲気でもないけど、本当の事を全部言っているわけでもない感じがする。
「その少し思う所があって、ってところ引っかかるんですけど…」
追及すると、閣下が肩を竦めた。
「個人的事情――…とも言うな」
「……それ、仕事に持ち込んでいい感情なんですか?」
自分の立ち上げている企業ならともかく、公的な仕事だ。
指揮官クラスの人間が個人的感情に流されて言い訳がない。
「普通に考えれば、良くはないな。ただ、これに関してはおそらく上の人間全員が分かっている。別に隠しもしてないし」
「え?ええ?」
「不満、怒り、そんなもので効率よく解決するのなら、別に指摘する事もしないな。そういう感情で仕事が的確に進むのなら、むしろ積極的にやるだろう。俺ならそうする」
なんとも過激な発言だ。
というか、それは単なる嫌がらせではないだろうか。
「えーと…つまり、閣下は今そんな気分だと?」
閣下の言葉をまとめるとそうなる。
不満なのか怒りなのかは分からないけど、そういう負の要素があるからこそ頭の回転が際立って色々推し進めていると。
「今は少し無くなってはいるが、根本が永遠に解決しないからそういう感情は残ったままだ」
「は、はあ…」
何を言えばいいのか分からず相槌を打つしかない。
慰めればいいのか、褒めれば良いのか。
とりあえず、早く終わってくれることを祈るしかない。
「えーと…わたしに出来る事ってありますか?」
少しでも閣下が八つ当たり気味に仕事をするのではなく、安らいで仕事をしてほしくて尋ねると、少し考えるそぶりを見せて言った。
「ある。クロエにしか出来ない事が」
「本当ですか?」
閣下がこんなことを言うのも珍しいので、なんだろうかと期待する。
「ちょっと正面に立ってくれ……もう少し前」
良く分からず、ベッドから立ち上がり閣下の足と足の間に立たされた。
グッと腰に腕を回されて、抱き寄せられ、一瞬バランスを崩しそうになった。
身体を支える様に閣下の肩に手を置くと、更に身体が密着する。
「ちょ、ちょっと…あの?」
「このままで」
二人きりとはいえ、ここは一応病院の中で、外には二人の護衛がいる。その事実が余計に恥ずかしい。
以前は少しの触れ合いでもわたしの方が緊張していたけど、最近は慣れてきた。
だけど、されるのは誰にも邪魔されないような場所でだ。
鍵もかかっていない部屋の中では変に緊張する。
「あの…これに何の意味が?」
「俺が癒される」
「さ、さようでございますか…」
抱きしめること以外は何もしてこないけど、どうしていいのか分からず、とりあえず好きなようにさせていると、おもむろに閣下が顔を上げてわたしを下から見上げてきた。
「なんですか?」
「……キスしていいか?」
ふいに言われて、固まった。
――え?ここで!?誰が入って来るかも分からないここで?しかも仕事中に?
唐突――とは言えないかも知れない。
わたしだって少しは成長しているのだ。こういう状況で何を望まれそうかぐらいは想像つく。
だけど、それ以上に今は緊急事態の時で、公的な仕事中で、そこまで言われるとはちょっと考えていなかっただけで……。
「いいな?」
「えっ?」
閣下がわたしの頭を引き寄せて、自分の唇と重ねた。
良いも悪いも言っていないのに、わたしが何も言わなかったので閣下の都合のいい方に解釈したようだ。
「んん!」
苦情は、重ねられた唇に奪われた。
頭の後ろを固定されているので、放す事も出来きない。
「は――…」
軽いキスの合間に、呼吸をしようとすれば、それを見逃さずに舌がするりと侵入してきた。
「っ――…んん……」
慣れた調子でわたしの逃げうつ舌をいともたやすく絡めとり、なだめるように愛撫する。
弱い所を暴かれているわたしは抵抗も出来ずに、それを甘受するしか出来ない。
ゾクゾクとした何かが背筋に走り、身体がビクンと反応した。
時間にしたらそんなに長くはない。
それでも、身体から力が抜けてしまうくらいに巧みにわたしを翻弄する。
「ぁん――…」
ゆっくりと唇が離れると、欲を含んだ閣下の目が鋭くわたしを見ていた。
これでも手加減していることは分かっている。
いつもなら、もっと深く長い。
更に言えば、ベッドに押し倒されている事もある。
「このまま帰りたい――…」
それがまぎれもない本心なのだとわかる。
与えられた仕事を放りだすような人ではないけど、今回はいつにもまして憂鬱そうなことは分かった。
「あの……、これが終わったら一個くらいはお願い事を聞いてあげますよ?」
だから、少し同情してこんな事を口に出す。
でも言ってから、即座に不味いことを言ったと気づき、慌てて付け加えた。
「言っておきますが!こういうのはなしです!」
閣下がニヤリと笑って聞いてくる。
「こういうのとは?」
「そ、それはその……」
口に出すのは恥ずかしく、だけど閣下は追及を緩める気はないようで楽し気だ。
「今、やったような要求です」
「ふーん…、キスはダメという事か?」
「そうです!」
「なるほど―――……分かった」
吟味する様に考え、わりとあっさりと了承する。
それがあまりにも不自然で、何を考えているのか胡乱な目で閣下を見ると、グイッと腕を引っ張られた。
「つまり、ベッドの中で直に触れ合う――というのは良いと言う意味だな?」
耳元でそう言われ、顔が瞬時に赤くなった。
「違います!!」
「でもクロエは、キスはダメだと言って了承した。つまり、それ以上の事は良いという事だ」
「どうして、そういう曲解になるんですか!?」
「以前も言ったが、チャンスをふいにするのは止めようかと思って。せっかくの提案だ。それに乗りかかるのも悪くはないな」
「ダメです!そういうつもりで言ったわけではない――…んっ」
ちゅっとリップ音をさせ軽くキスでわたしを黙らせると、完全に遊ばれていることが分かる。
「冗談だ――でも、その提案は悪くないな」
「いわゆる、身体を要求してくるのは許可しません!」
「分かった、分かった。それ以上興奮すると、外に声が丸聞こえだぞ」
その言葉にハッとして口を閉じる。
ここは防音性があまりない部屋の中。
いつもの調子で騒げば、会話は丸聞こえだ。
しかも傍から聞いていれば、イチャイチャしているカップルの馬鹿な会話でしかない。聞かされている方は気まずい上に、ただの嫌がらせでしかない。
しかも外の二人は閣下に意見できるような立場ではないので、苦言も言えないだろう。
「あの…でもわたしの懐事情も加味していただけると大変ありがたく……」
「クロエから金銭を要求するような事はしない。でも、多少苦労はするかもしれないな」
「え?もう考えているんですか?」
「言われた瞬間から、色々候補は上げるものだろう?プレゼントの様なものだし」
いや、そうかもしれないけど、すでに具体的に頭に描いている。
そうでなければ多少苦労するなんて言葉は出てこない。
まあ、多少苦労する程度ならいいかとも思うけど。
「一体何を要求するつもりですか?」
「それは、仕事終わりの楽しみにしよう。まだ、候補の段階で何を頼もうか考え中だ」
実に楽しそうだ。そして、気分が上がったようで何よりだ。
「さて、そろそろクロエも準備した方がいいだろう」
「え?準備?」
いきなり何を言われたのか分からず、きょとんとしてしまった。
「言われていないのか?明日にはこの街を出るだろう?」
「あ、それは言われています」
「変更になった。このまま俺と一緒に行く事になる。危険ではあるが、クロエの能力は軍司令部に伝わっているので、前線の一番近い街に待機してほしいそうだ」
ただ単に会いに来ただけではなかったらしい。
「そろそろ後任の人間が来るはずだから、引き継いだら出発する。荷物はまとめられているようだが、それはなんとかした方がいいな。流石に全部は持って行けない」
ちらりと視線を向けたのは差し入れの一画。
「分かっていますよ。病院スタッフに渡そうとは思っていたので、大丈夫です」
明日出発になるとは聞いていたので、はじめからそうするつもりだった。
流石に全部一人では食べませんとも。




