80.西部の大領地での話
潜めた声が聞こえる。
寝ぼけた頭の中に静かに聞こえてくる声は、閣下の物だとすぐに分かる。
何を話しているのか、布団の中で寝返りを打って、話し声の方に身体を向けた。
その瞬間、身体にかけている布団が少しずれて、冷やりとした空気が中に入りこんだ。
朝晩冷え込むような季節になり、布団の中でブルリと身体が震えて、もぞもぞと温もりを求めて丸くなると、話し声が止んでわたしの身体に布団の上からぽんと手が乗せられた。
「おはよう」
「……おはようございます」
「まだ時間はあるが、もう少し寝るか?」
「いえ…、起きます」
少しぼーっとする頭が次第にクリアになって行く。
起き上がる時に、閣下が背に手を回し、わたしを起こしてくれた。
寝起きの顔を見られたけど、そもそもわたしの寝顔を閣下はかなり見ているので、もう今更だ。
「誰と話していたんですか?」
「ああ、ヴァルファーレと」
珍しい事に朝一の電話なのに取ったようだ。
ちなみに、店長は朝は弱い。
何もなければ昼まで寝ているような人だ。一応仕事――というか店があるので起きていると以前言っていた。
「だいぶ良くはなってきているようだ。まだ筋力は戻ってきていいないが、眠っている時間が短くなってきているらしい。それに合わせて、早起きのようだ」
「それは…喜ばしいことですね」
喜ばしい事だけど、彼女のために店長がやったことを思うと複雑な気持ちもある。
「あの、今聞くのもあれですけど……後悔とかはないんですか?」
「どうだろう…、正直あのときはこれが最善だと思っていた。そのおかげで失われずにすんだ命がたくさんある。ただ、もし善悪を判断するのなら、悪なんだろうな」
世論は司法取引というものに関しては悪魔的取引だと思っている。
実際、被害にあった被害者にしてみればそういう感情が生まれるのも当然と言えるし、小を切り捨てて大を取る選択というものは、被害者からしてみれば関係ない。
「俺はそのうちそういう選択を多くしていく事になる。今でも打算的考えで動くことがたくさんあるが、一部の少数を切り捨ててでも守らなければならないものがあるのなら、何度でもそうするさ」
これが閣下の覚悟なのだと思う。
一般的市民から見れば、とても残酷な言葉なのかも知れないけど、これが領地、そして国を守る貴族なのだ。
「わたしも…閣下の考えは分かります。それにわたしがついていけるかは分かりませんが……」
「幻滅したか?こんな考えが根本にある男である事に」
それには首を振って否定した。
東国の実家もそこそこの家柄だから、一兄様も獅子堂のお母様もどちらかと言えば閣下よりのそういう人だ。
冷たいと言う人もいるけど、上に立つとは時に残酷な決断だって出来なければならないという事は分かっている。
「ヴァルファーレの件は、そのうちヴァルファーレ自身が何らかの決着を見せると思う。罪を暴かれながらも、温情で望みを叶えてもらえたのだから、少なからず思う所はあるだろう」
店長は店長なりにけじめをつけると閣下は言った。
わたしは閣下程店長の事は知らないけど、それでも店長がこの件に関しては後悔していそうなことは分かっていた。
後悔しながらも、自分の愛する人を優先した。
そして、眠りから覚めた彼女の前で、平然としていられないであろうことも。
「……なんだか朝から重い話になったな。せっかくの誕生日なのに」
「今更です。それに、楽しくてうれしい誕生日より、刺激的な誕生日というのもたまにはいいです」
店長の事は、そのうち店長自身で決着をつけるという閣下の言葉を信じて、もう気にしない事にした。
終わったことをいつまでも根に持っていても仕方がない。
それよりも今は、西部の事だ。
すでに西部地域に入って来ているが、今のところ順調に列車は運行中。
「少し早いが、朝食はもう食べれるはずだ」
その言葉に、わたしは身支度を整え、閣下と一緒に食堂車の方へ向かった。
早い時間のせいか、今回は誰もいなかった。
席に着くと給仕が飲み物を聞いてくるが、今回はフレッシュジュースなるものがあったのでそれを頼む。
閣下は相変わらず水だ。
食事が運ばれてきて、給仕が下がると、昨日から気になっていたことを聞く。
「ところで、被害状況ってどんな感じなんですか?」
「ああ、駅に着くまでまだ時間があるからあとで話そうと思っていたが……」
ちらりと給仕を見て、まあいいかと話し出す。
一応民間人になるこの列車の職員に大っぴらに聞かれたくないようだったけど、もうすでに各社の新聞社が西部のことを記事に取り扱っている筈なので、今更だと思ったようだ。
「実は、被害についてはそれほどでもないらしい。もちろん、初動が遅れたせいでそれなりの被害は出たようだが、一般市民への被害は想定よりも少ないらしい。むしろ今は打ち取れなかった魔獣による被害の方が大きいようだ」
迷宮側の街は、当然もしものために城壁のような壁で守られている。何体かの魔獣が街へと侵入したものの、その時には避難も完了していたとの事。
そのため、領軍や建物に多少被害が出た程度。しかし、その後の方が問題になった。
それが取り逃がした魔獣の駆除。
野生の魔獣は、基本的に街道なんかには出てこない。というのも、定期的に領軍が見回っているので危険だと分かっているからだ。しかし迷宮の魔獣はそうでもない。街道が危険だと言う認識がないから、街道や他の街の側で出没している。
しかも行動範囲が広いため、討伐が困難になっている状況だ。
しかし、その魔獣討伐はおまけに過ぎないらしい。
「今回国軍が招集されたのは、魔獣への対応と被災した市民への救助、救難も含まれているが、一番は聖王国への牽制で間違いない」
「それほど…なんですか?」
「クロエも知っての通り、代替わりが近いらしいから、何かしら圧力をかけておきたいのだろう。自分が法王の座に着いた時に色々な交渉を有利に進めるために」
政治的な事は良く分からないけど、閣下がそういうのならそうなのだろう。
実際、母様が現法王の容態はよくないと言っていた。
「そういえば、その法王云々っていうのはどれだけの人が知っているんですか?」
「最近になって聖王国内部で知られ始めた程度のようだ。枢機卿辺りはすでに知っていたと思うが。この国では、俺がカーティス殿下にお伝えしたので、皇太子殿下や陛下もご存じだろう」
そこでようやく気付いた。
なんで閣下がこのメンバーに選ばれたのか。
相手方の事情を知っているからだ。
「こればかりはまだ外に出せない情報だ。聖王国側へ情報が洩れると下手をすると、こちらがスパイでも送り込んでいると思われかねない。だが、何も知らない者よりも知っている者がいた方がいろんな面で有利だろう」
こればかりは仕方がないと、諦めのため息を閣下は吐いた。
*** ***
西部は隣国聖王国との国境だ。
到着駅は、大領地の領都で、列車から降りると領軍と、明らかに身分が高そうな人物がホームで待っていた。
「まさか領主自ら出迎えとは…」
ぼそりと閣下が呟き、イザナ中将の後ろへ控えながら軽く頭を下げる。
イザナ中将が敬礼を行い、それに倣って閣下も敬礼をすると、相手はイザナ中将の方に手を差し出した。
「西の辺境までわざわざすまんな。まさか、イザナが来るとは思わなかった。バルシュミーデの倅もな。まだ軍人やっていたとは思わんかった」
「はははは!お前の苦労顔が見たくて無理やり押し込んでやったわ!」
「嫌味なやつだ!」
「知ってるだろうに」
とても仲のよさそうな二人に、どういう関係なのか見ていると、こっそりと閣下が教えてくれた。
「お二人は、高等学院時代の同級生だ。イザナ中将は士官学校へ行ったが、お二人の仲はずっといいらしいな」
西の国境の大領地を統べる領主の名はアレクサンダー・ゼノン・ゾルデファンド。
現在、皇太子となった第二皇子の婚約者の父君だ。
軍人でもないのにガタイがいい。西部地域は武闘派が多いと聞いていたけど、その一端を垣間見た気がした。
おそらく、領主本人もかなりの腕を持っていると思われる。
「バルシュミーデの若造も久しいな。もう軍人は辞めていると思ったんだが、どうやら違うらしいな」
「お久しぶりです。私としてはいつでも辞めたいのですが、なかなかイザナ中将が放してくれないもので」
「仕方がない。こいつが優秀過ぎるのが悪い」
三人が挨拶を交わす中、他の軍人さんは各々仕事をしている。
わたしは特に何もすることがなく、閣下の後ろに隠れるようにしていると、話が一段落したゾルデファンドの領主様がわたしの姿を見て、一瞬目を張りながらも人好きしそうな笑みを浮かべて手を差し出してきた。
「君が民間協力の子か。なんでも法術が得意だとか…、教会と少し微妙な時期だから、法術を使える者は歓迎だ。よろしく頼む」
「クローディエ・リデオンです。クロエとお呼びください」
力強く手を握られ、上からじっと何かを確認するかのようにわたしを見ている。どういう顔をしていいのか分からず愛想笑いでいると、いきなり頭を撫でられた。
「え、ええと…」
「いやあ、可愛いな!私の娘も可愛いが、なんというか可愛さの部類が違うな!」
いきなり良く分からない事を言われ、戸惑っていると、閣下が止めてくれた。
「ゾルデファンド卿、そのくらいでおやめ下さい。彼女が困ってます」
「ああ、すまんすまん!」
すっと手を放してくれたけど、悪びれもなく笑っているだけだ。
父親世代なので手を振り払う事も出来ず、やめて下さいという事も出来ず、ちょっと困る。
「とりあえず、状況を説明しよう。軍の方は領軍の指示に従ってもらえるとありがたい」
「分かっている。そのように指示を出しているので、問題ないだろう」
「それと、お嬢さんには着いて早々申し訳ないが、すぐに行ってほしい所がある。民間人に被害はさほど出てはいないが、現在教会の司祭が全員治療を拒否しているので何とかせねばならん」
「何?こちらの情報では、渋っている程度だったんだが」
「渋っているから、拒否までの時間は半日もかかっていないだろうな」
聖王国からの圧力である事は誰の目にもあきらかだ。
着いて早々とは言うけど、わたしはその治療を当てにされカーティス殿下に推薦されたのだから、文句はない。
それに救援行動は対応の速さが重要だ。
時間が経てば経つほど、命を救うのも人の心を救うのも難しくなっていく。
「移動手段はこちらで整えた。あちこち行ってもらう事になるが、行く先々には腕のたつ領軍も控えているからなんら問題はないはずだ」
「一応こちらからも護衛は二人出す事になっているが、構わないな」
「もちろんだ」
イザナ中将がロブダム軍曹とロッテルダーム中尉を呼び寄せると、ご領主様は頷いて了承した。
「ここからは別行動だな。クロエ、くれぐれも無茶はしないように」
「分かってます」
わたしは閣下と短い挨拶を交わし、案内されるまま馬車に乗り込んだ。
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