37.個室での話
「帰るか?」
先ほどよりも長いキスに、力が抜けて閣下にもたれかかるわたしに聞いてきた。
でも、今は帰りたくない。出かけてすぐに戻れば、お父様が事情を聞いてくるだろうし、今は誰にも会いたくない恥ずかしさがあった。
ふるふると首を振れば、そうかと苦笑され、なんだか慣れている閣下に少し腹が立った。
「立てるか?」
再びふるふると首を振る。
足に力が入らない。極度の緊張が解けて、身体から力が抜けていた。
閣下は御者に声をかけてドアを開けさせる。
先に下りると、わたしに少しドア側に寄るように言ってきた。それくらいならと身体をドアの方に寄せると、閣下がそのまま抱き上げる。
ふわりとまるで重さを感じていない、そんな感じだ。
人はまばらでも、少なからずいる。
しかも閣下はかなり目立つ容姿の上、今は国軍の軍服姿だ。ちらちらと視線を感じて、わたしは閣下の背に腕を回し胸に顔を埋めた。
「少ししたら部屋につくから」
「部屋?」
「ああ、湖の側に領主の別邸があるんだ。祭りの間、そこで上流階級以上の者たちが社交を行っているが、夜は個室が借りられて、湖側の個室からは儀式が一番よく見えるんだ」
それはまずくないだろうかと思ってしまった。
領主の別邸の個室、どれもいけないワードな気がする。
「あ、あの…」
遠慮がちに閣下に声をかければ、意地わるそうにわたしを見下ろしていた。
その顔にギクッとしながら、ぼそぼそと二日前の昼の事を閣下に話す。
「ああ、その事か。父から聞いているが、まあ大丈夫だろう。一応、料金が発生しているし、向こうから何も言ってこないのなら、使えるはずだ」
「それじゃあ、馬車は?」
別邸に部屋があるのならそこまで馬車で行けばいいのに、降りたのは湖の側近くだ。
「少し話がしたくて、歩きながらの方がいいと思ったんだが…、思いもがけずいい話が聞けた」
うれしそうな声に、言えて良かったと思う。
気恥ずかしいけど、幸せな気分だ。
誰かと付き合ったことなんてないし、どんな感じなのか良く分からないけど、くすぐったい感じは嫌じゃない。
「本当は、もっと別な事も気にしてほしかったんだが」
「別?」
「個室」
「うっ……」
確かに考えた。
でも、お父様に釘をさされていた閣下も、待つと言ってくれていたので、考えないように頭の隅に追いやってた。
その追いやっていたものを閣下が引張り戻してきたのだ。
「信用…してますし……」
言い訳のようにそう言うと、閣下の苦笑が漏れた。
「まあいいが…」
別邸の前に来ると、煌びやかさが増した。
全部閣下におまかせでわたしは誰にも顔を見られないようにしていた。卑怯だけど、上流階級以上が集まっている社交の場に堂々と顔を晒す勇気はまだない。
閣下もそれがわかっているので、何も言わなかった。
「お待ちください、招待券をお持ちですか?」
声の感じから、閣下の事は知っているようだ。
ただ、規定なので声をかけた感じだった。
閣下はわたしを抱えながら器用に胸ポケットからお父様に渡された招待券を取り出す。
「連れが少し具合悪いのですぐに部屋に案内してくれ」
わたしの頭を押さえながら、招待券を見せた警備の人間に言う。
「邸宅の中に侍従がおりますので、そちらにお願いしてもよろしいですか?」
融通が利かないと怒り出す客もいそうだけど、警備の重要性を閣下は理解している。
文句も言わず、敷地内に入って行く。
わたしはそこかしこから視線を感じて、身体が強張った。
もし、閣下が来なかったら、お父様とこんな場に来なければいけなかったのかと思うと、一体どっちがましなのかと考えてしまった。どっちも似たようなものだけど、ここまで好奇の視線に晒されないお父様のほうがましだったかも知れない。
閣下が敷地内に足を踏み入れた瞬間から、周囲がざわついている。
わたしの耳にも、あの方はどちらの?とかどういったご関係なのかしら?とか興味本位な声が聞こえてきた。
「大丈夫だから、そのままでいろ」
別邸内に入り侍従を捕まえて、さっき警備員に話した事と同じ事を説明する。侍従は驚きながらもすぐに部屋に案内してくれた。
その間、閣下に話しかけたそうな人がたくさんいたようだけどその全てを無視して、部屋に入る。
ドアを閉めれば真っ暗闇なのに、閣下はどこに何があるのか分かっているようで、ベッドまでくるとわたしをその上に下ろして、窓にかかっていたカーテンをさっと開く。
湖がその舞台となっているので、照明で明るく照らされている。その光が水面に反射して周囲を明るく照らす。
今日は満月なので、外は更に明るかった。
閣下はベッドに腰掛け、わたしを抱き寄せる。
「父に先に言われてしまったが…、すごく綺麗だ。この采配をしたのが父だから思う所もあるが」
「あ、ありがとうございます」
わたしの髪をすくい上げ口づける。
今まで何度もされたけど、今日は特別意味があるような気がしていつも以上に恥ずかしくなった。
触れる事は許したけど、過度な触れ合いは緊張する。
「疲れていないか?」
「だ、大丈夫です」
髪を梳きながら、時折頭にキスをされる。
二人きりの静かな空間に、外からの幻想的な光が部屋の空気を甘くしていた。
「クロエ――…」
「はい…」
「キスしてもいいか?」
えっと顔を上げると、良いも悪いも言う前に閣下が素早く唇を合わせて来た。
「まっ――…ん」
待ってくださいと言う言葉を封じるように、閣下がわたしをきつく抱きしめてきた。
そして啄むように何度も唇を重ねる。
キスさえ初心者のわたしにはもういっぱいいっぱいで、必死に閣下にしがみ付くしか出来ない。
「クロエ」
「うぅ……」
髪を梳きながらわたしが落ち着くのを閣下が見ている。
「駄目だな……」
「閣下?」
「こうしてると、次も次もと欲が出てくる」
「うっ…」
「今着ているのが乙女の衣装だから肌の露出が少ないせいで助かっているな」
露出の少ない衣装で良かったと、今思った。
もし露出が多い服やドレスだったら……
――で、でも閣下は待つと言ったし…
「押し倒してもいいか?」
さすがにギョッとした。
顔を見上げれば、冗談だって事が分かるけど、半分くらいは本気かも知れないと感じた。
「だ、だめにきまってます!」
即座に拒否。
そもそも、押し倒されたら髪がぐしゃぐしゃになってしまう。
そんな姿で戻ったら、それこそ何を言われるか分かったものではない。
「この邸宅にも侍女や女中ぐらいはいる。頼めば髪のセット位してくれるぞ?」
「それこそ、勘繰られます!」
それくらいだったら髪をほどいて自分で適当にまとめた方がまだましだ。
明らかに行きとは違う髪のセットのほうが、取り繕った感が凄い。
わたしの勢いに、閣下が苦笑した。
「少し、調子が戻ったか?」
なんのことか分からずきょとんとしていると、閣下が言う。
「この間まで避けていただろう?会話もぎこちなかったし」
「そ、それは…」
「分かってる。そうさせたのは俺だ。まあ、恥ずかしがって顔を赤くしているクロエも可愛いが、そうやって俺に言い返してくるクロエも好きなんだ」
確かに、告白される前は閣下に言い返したり、意見したりそう言う事が普通だった。でもそんな風に言われるとなんだかわたしが生意気みたいだ。
ちょっとむくれた。
「どうした?」
「わたしはそんなに生意気じゃないです。必要にかられて言っているだけです…」
「……そういうつもりで言ったわけじゃないんだが…」
困ったような閣下の顔に、わたしはくすくす笑った。
「なんだ、冗談か?」
「冗談じゃないですけど、そうしてほしいならそうします」
二人で見つめあって自然と顔が綻ぶ。
するとそのまま閣下の顔が近づいてきて、わたしは目を閉じて受け入れた。
閣下の背に腕を回し、縋りつく。
「んっ……」
今日だけでもう何度目かの口づけ。
食べられているような感覚に、それも嫌じゃないと感じた。
「クロエ」
抱きしめられて、閣下の心臓の音が聞こえてきた。
一定のリズムを刻んでいて、そういうところにも大人の余裕が感じられた。
わたしはすごくバクバク動いているのにと悔しくなる。
そんな静かな、鼓動だけが支配するような空気の中、ふいにドアが叩かれる音が聞こえてきた
「お休みのところ失礼いたします。クリフォード・ゼノン・バルシュミーデ様にお目にかかりたいとおっしゃる方が来ていらっしゃいます」
外から聞こえるのはこの別邸の侍従の声だ。
「閣下?」
「……はぁ」
短いため息がわたしの頭の上から聞こえてきて、閣下はわたしから離れた。
無視する事も出来るけど、閣下が立ち上がるところを見ると、おそらく無視できない相手なのだろう。
ドアを開けると、廊下側の明るい光が、薄暗い部屋の中に差し込んだ。
侍従の言っていた閣下に会いたい人物がいる様子だけど、どうやら中には入れたくないようで、閣下が外に出る。
パタンと閉じられたドアの向こうでは何が話されているのか分からないが、出て行く直前の閣下がどことなく嫌そうだったので、もしかしたらお父様の使いか、お父様本人が来たのかも知れないと思った。
時間にしてはかなり短かった。
たぶん一言二言しか話していない、そんな時間だ。
中に戻ってきた時、閣下は手に自身の得物を持っていた。
お父様の別荘に置いてきていた、閣下の私物。
なにやら物騒だ。
「閣下、一体何が……」
手に得物を持っている時点で隠せるわけないので、閣下が外で言われた事を話してくれた。
「良く分からないが、もしかしたら何か起こるかも知れないと。それだけ言われてこれを渡された」
「それは――…」
かなり重大な何かが起こるのではないかと心配になった。
閣下はどう思っているのか見上げると、上から口にキスされる。
ちゅっとリップ音が響き、いきなり抱き上げられた。
「なんですか、一体――…」
「……悪いけど、少し移動していいか?」
「え…?」
「ベッドの上だと、少しな……」
「そ、そそれは――…」
「俺も男だって事だ。待つと決めたのに、襲う訳にはいかないだろ?」
うぅと何も言えずにいると、閣下はスッとわたしを抱えて立ち上がる。
もう立って歩けそうだけど、閣下が楽しそうなので何も言わずに身体を委ねていた。
バルコニーには、祭りの観賞用の椅子やテーブルが準備されていて閣下はそこにわたしを下ろす。
「何も心配しなくていい。父が言うには念のためという事らしい」
「でも…」
「とりあえず、今を楽しんだ方がよっぽど有意義だ。何が起こるか分からないのに、心配していてもしょうがない」
どこか胸騒ぎのする感じだ。
でも閣下がいれば、どうにかなるという安心感もあった。
わたしは不安を吹き飛ばすようにニコリと笑う。
閣下の言う通り、何も起きないかも知れないし、未来を心配してもなるようにしかならない。
せっかくお父様が確保してくれていた席なのだから、楽しんだ方がいい。
「何か食べるか?」
「……少し、食べたいです」
たぶん、こういう場面で女性は何も食べないのだと思う。
でも、今更閣下に取り繕ったって遅い。
お父様の別荘で軽く食べたけど、お父様はこっちで何か食べる予定だったようなので、わたしもあまり食べていない。
そしてさっきまで緊張していて空腹も何もかも感覚が無くなっていた。
閣下に聞かれて、なんとなく空腹感が増してくる。
「何か頼んでくる」
離れていく閣下に、少しだけほっと息を吐く。
閣下はもともとわたしを甘やかしてくれていたけど、今はそれ以上だ。
慣れないそれに疲れもあって、少しだけのつもりで目を閉じ、わたしは背もたれに身体を預けた。
今頃の二人…けっきょくイチャイチャしてるよって話
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