36.二人きりの馬車での話
まず初めに思った事は、なんで?と言う事で、次に考えた事は、隠れるか?それとも逃げるか?という逃亡案で、その結果の結論は、無理だ――だった。
すでに、裾を引きずるような仮装衣装に着替えて、かなり動きが限定されている中で、閣下の目をかいくぐってどうにかできる筈もない。
それ以前の問題で、逃げてもどこにも行く場所がない。
「クリフォード様をご案内してもよろしいですか?」
階下のざわめきが落ち着くと、侍女がわたしに聞いてきた。
準備も出来ているのに断ったら、お父様に何を言われるか分からないので、閣下を部屋に通してもらう。
「入るぞ」
久しぶりに聞く生の声に、緊張しながらもほっとした。
「…会うたびに変わるな」
どういう事だろうかと首を捻ると、閣下が手を差し伸べてきた。
「それを着ているという事は、祭りの最後の儀式を見に行くんだろう?今から出れば、混雑に巻き込まれない。どうせ父は席を確保しているだろうしな」
確かにその通りなので、閣下の手に自分の手を添えて立ち上がる。
エスコートされて下に下りて行くとお父様が正装で待っていた。
「ああ、やはりすごく似合っているなぁ。女の子は服と髪型でだいぶ変わるというけど、本当にすごく綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
手放しでほめられて恥ずかしい反面うれしくもあった。
やはり、こういう綺麗な服は着れるとうれしいし、楽しくなる。今日は、しっかりと髪も結ってもらい、耳飾り、首飾り、それに小さなティアラで飾られていた。
薄く化粧もして、普段よりもずっと大人びていると思う。
「で、クリフォードはその恰好なのか?もっとましな服は無かったのかな?」
「仕事終わらせてすぐに列車に乗ったので用意する時間がありませんでした。どうせ一日の事ですので、問題ないと思いまして。こちらにもシルヴィア様の手配でいくつか服が置いてありますし」
現在の閣下の装いは軍服だ。
殿下のお供で護衛軍人としての仕事だったので、軍人としてのお仕事だ。
つまり、着て行く服も軍服。
そして、閣下は仕事を終わらせて着替える間もなくこちらに来たそうだ。
「それならそっちにしたらどうだい?」
「残念なことに、格が落ちる普段着しかありません。クロエに合わせるとなると、ちょっと難しいですね」
「じゃあ、来なくてもいいけど?」
にこにこと微笑みながら、お父様がさらりと言った。
それに対し、閣下は反対にお父様に聞いた。
「むしろ、あなたはついてくる気ですか?」
「え、ダメなのかい?」
全くダメではない。
むしろ、今は閣下と二人きりにしないでほしい事情がある。
なんとか目配せで一緒に行きましょう!一緒に行きたいです!と主張したけど、それは無理な相談だった。
お父様は苦笑しながら、しょうがないねと言った。
「言っておくけど、クローディエはまだ未成年だから、不埒な真似はしないように」
「はっ?それをあなたが言うんですか?成人間もない母に手を出したあなたが?」
「あのねぇ、言っておくけど、私たちは同意のもとで――」
「その理論なら、同意の元ならしてもいいという事ですね?わかりました」
ちょっと怒り気味の冷たい閣下の目に、お父様は降参とでも言うように両手を上げた。
「冗談だよ、恋人たちの邪魔はしないよ。だからそんなに怒らないでくれ」
そう言うと、お父様は胸ポケットから何か取り出して閣下に渡す。
「はい、これ。あげるから、楽しんでくるといいよ」
手を振ってわたしたちを送り出すお父様。
閣下はエスコトートするためにわたしに触れてきた。拒むのも変な話で、その手を拒む事はない。
だけど、わたしは馬車に乗る時に触れた閣下の手にすごく緊張した。
その緊張はたぶん閣下に伝わっていて、でも閣下は何も言わない。
しばらく沈黙が続き、それがちょっと苦しくて。
ずっと避け続けている訳にもいかないので、緊張しながらもわたしから話し出した。
「す、すみませんでした…」
なぜか謝罪が出てきた。
なんとなく、謝らなくちゃって気持ちが大きかったから。
「何が?」
「その……お父様と――…」
「お父様?」
ピクリとその言葉に反応し、しまったと後悔する。
閣下のお父様は、別にわたしのお父様ではないけど、ずっとお父様と呼んでいて、癖で出てしまった。
「えっと、あの!閣下のお父様からお父様と呼ばないと返事しないと言われまして…」
「なるほど?――今やっと分かった、クロエが父に誘拐されたわけが」
別に誘拐ってわけではないけど、それを口に出すのは出来なかった。
「父はあの通り強引だ。ヴァルファーレまで父の味方をしたら、クロエにはどうしようもないから気にしなくてもいい」
閣下が心配してくれていたことは分かる。
わざわざ仕事中に連絡してくれて、長期の任務が終わって疲れているだろうにここまで来てくれたのだから。
「あ、ありがとうございます」
常に忙しい閣下がここまでしてくれて、何も返せないけどお礼を言いながら目を伏せた。
その直後、ふーっと思いきり息を吐く音が聞こえ、何かに耐えるように手を顔に当て横を向く閣下がいた。
「あの…閣下?」
「頼むから…」
「えっ?」
「頼むからそんな顔しないでくれないか……我慢がきかなくなる」
数回瞬きをし、その意味を理解した瞬間、一気に顔が赤くなって慌てた。
「な、ななな、なんでそういう事に!」
「好きな女が着飾って目の前で恥ずかしそうに目を伏せていると、グッとくるんだ」
この重苦しい空気を散らそうとした冗談ではないようで、それが伝わり動揺した。
――そ、そそそ…、そんな事言われても!
心臓が早鐘のように早く打ち付け、どう反応していいか分からなくなる。
わたしに出来る事はひざの上に置いていた手をぎゅっと握りこんで顔を下に向けて反らす事だけで。
――ど、どうしたら……
動揺しすぎて、何も浮かんでこない。
本当は言いたいことがあった。
言わなくちゃいけない事も。
でもそんな事が吹き飛ぶくらい閣下の言葉が恥ずかしかった。
「クロエ…」
俯いて固まっているわたしの握り拳を閣下がそっと上から重ねる。
「そんなに…、困らせたか?」
「そ、それは……」
「嫌がられてはいないと、そう思っていたが、本当は嫌だったのか?」
「ち、ちがっ!」
否定の言葉と同時にバッと顔を上げると、閣下が困ったようにこちらを見ていた。
「違います!違うんです!」
必死に言い募るけど、それ以上言葉が出てこない。
人は一度機会を失うとなかなか言いたいことが言えなくなってしまう。
そして今のわたしみたいに臆病になる。
「違うんです……」
言葉がしりすぼみになっていく。
そして沈黙が訪れ、泣きたくなった。
ガタンと馬車が音を立てて止まり、御者が外から声をかけてくるまで何も言えずにいると、閣下が御者に声をかけてしばらく待つように言う。
閣下はわたしの隣に座り直し、手を握ったままわたしの言葉を待っていてくれた。
いつもひんやりと冷たい閣下の手がいつも以上に冷たく感じるのは、わたしが緊張で火照っているからなのか、実は閣下も緊張しているのか分からない。
ただ、黙ってわたしが口を開くのを辛抱強く待ってくれていた。
「わ、わたしも…考えたんです……」
どう言っていいのか分からず、でも何か言わなければと考えがまとまらない頭でなんとか話し出す。
「閣下の事、どう思っているか……。そ、それでわたしも閣下の事一人の男性としてす、好きだって……」
「クロエ……」
「だ、だけど!わ、わたし子供だし、大人の人と付き合うって良く分からないし…気軽に返事したらだめだから……それで――」
がんばって話しているけど支離滅裂だ。
良く分からない涙が、目に浮かんでくる。
「それで……怖くて――」
大人の閣下と付き合うのが怖い。その先を考えるのも今は怖い。
琉唯からは、嫌な事は言えと助言をもらった。
でも、果たして嫌なのかと問われれば、よく分からないというのが答えだ。閣下に望まれれば、たぶん嫌じゃない。怖いだけで。
そんなわたしの答えに、閣下は静かに答えてくれた。
「確かに、俺は成人している大人で、クロエからしてみれば同年代よりも怖いだろうと思う。ただ、そういうのも含めて俺は待つと決めた」
「待つ?」
「そうだ。お世辞にも俺は聖人君子じゃないし、クロエの全てがほしいとも思っているが、それは今じゃない、と言う意味だ。少なくとも成人するまでは待つつもりだ。だからと言ってクロエ以外の誰かとそう言う事をするつもりもない」
わたしと付き合うことの弊害を理解しつつ、それでもわたしがいいのだと言った。
わたしがあれこれ考えている間に、いやたぶんそれよりずっと前に決めていたのだと思う。
「でも……」
ふいに言葉を切ってわたしの頬に両手を添え、自分の方に向けさせた。
「でも、触れる事は許してほしい。こうして、触れる事も――…」
ほんの一瞬だった。
でもそれは確かな感触で。柔らかく、少し冷たくて、怖がらせないような優しさも感じて――…。
軽く、触れ合うだけで離れていくそれに、わたしは目が奪われて動けない。
大きく見開いたその目に閣下だけが映り、時間が止まったように感じた。
「あっ……」
ようやく出た言葉はただの吐息で、それにかぶせるように閣下がこつんと額を合わせて来た。
「怖かったか?」
慎重に聞く閣下に、この初めての行為に対しどう言っていいのか分からなかった。
「は、初めてで……」
「初めて?」
「は、い……」
わたしの告白に、閣下は目を閉じて軽く息を吐いた。
その反応に、こんな事もしたことないのかと呆れられるのかと心配になったがそうではないらしい。
「ある意味――…男の夢だな……」
「え?」
至近距離で目を開いた閣下は、嬉しそうに笑っていた。
何がそんなに喜ばれたのか良く分からないままでいると、閣下に知らなくていいと言われた。
「全部、俺が教えるから。少しずつな――…」
わたしも無知と言う訳ではない。経験がないだけで。
でも、その経験も閣下が教えてくれると言われ、恥ずかしくなった。
顔を背ける事が出来ないので、目を伏せて視線を逸らす。
「一先ず、怖くも嫌でもなかったのなら、もう一度してもいいか?」
怖くも、嫌でもなかった。ただ、恥ずかしかっただけだったその行為。
許可を求めてくるのは優しさだ。
でもそれに声を出して答えるのは難しくて、ただそっと頷いた。
「ありがとう、クロエ。大切にするから……」
そっと抱きしめられて唇が重なる。
きっと閣下にしてみれば子供のようなキスだ。
そんなキスで満足して笑ってくれる閣下のために、今すぐには無理だけど、少しずつ釣り合いが取れる女性になろうと心に決めた。
年内に二人の関係が進んでよかったって話。
そして色んな意味で閣下頑張ってねって話。
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