3.馬車での話
荷物をまとめて来るようにと命じられ、わたしは大人しく従った。
別に人待ちしているわけでもないし、そもそも店は開けていなくてもいいので簡単な店じまいだけして、荷物を持ち、暑い日差し避けのつばの広い帽子も手に取る。
色々言いたいことがあったけど、流石に逆らう気にはなれなかった。
閣下は店の鍵をわたしに閉めさせるとそのまま着いて来いとわたしを促す。
「あの…一体どちらへ?」
用がないならこのまま帰りたいところだ。
時刻は昼前、今一番の暑さですぐにでも涼しい所に入りたい。
「すぐそこだ。流石にあそこに馬車は止められない」
確かにその通り。
あの狭い路地に馬車など小型でも入れない。
「とりあえず、落ち着いて話が出来る場所に行ってからだ」
――事情聴取という名の尋問ですね。お互い店長からの被害者という事で優しくしてもらえたらうれしいのですが……。
この暑い中、きっちり着込んで汗一つかいていない閣下の背中を追いかけるように小走りに後ろをついて行く。
身長差というものを少しは考慮してほしいものだ。
そもそも、閣下は平均身長より背が高く足も長い。着やせするらしいけど、軍人らしく体格もいいので歩く速度も速い。
ただでさえ暑くてダレるのに、軽い運動チックなことはしたくない。
「若いくせに、運動不足じゃないのか?」
わたしの無言の訴えを感じたのか、閣下が呆れたように足を止めて振り返る。
若いくせにと言うが、閣下も非常に若い。そもそも軍人でもあるのだから日々の運動量というものはかなり違う。
一般市民であるわたしと比べないでほしい。
「通りに出たら、馬車を止めてある。中は冷やしているから快適の筈だ」
どうやらわたしの心の中身は駄々洩れだったらしい。
でも、馬車に冷却設備を導入しているとは流石バルシュミーデ。金がかかった乗り物をお持ちで素晴らしい。
こういう冷暖房機能付き馬車を乗合馬車でも導入してほしいものだ。
お金がかかり過ぎるから予算の関係で無理だろうけど。
「あそこだ」
少しペースを落として歩く閣下が、首で指し示す。
その先には馬車待機場という広いスペースがある。
街中の大通りの各所にこういう場所があるけど、基本的に乗合馬車の停留所として使われていた。
もちろん、個人所有の馬車を止める事も許可されている。
普段は、乗合馬車に乗る人以外ほとんど利用者がいないので、そこまで人で混雑していない。
しかし、そこに一際目を引く馬車が鎮座していたら、通る人の目には必ず映るだろう。
実際、人だかりとは言わないまでも、遠目から窺う人たちが多数いた。
紋章付きの馬車で、その紋章が言わずと知れたバルシュミーデ。誰だってこんなところにそんな有名家紋の馬車が止まっていたら、ミーハー気分で立ち止まるだろう。
――ええ、こんな注目の中閣下に連れて行かれるなんて、どんな嫌がらせですか……
せめて男装寄りの服装ならともかく、完全に女であることが分かる服装で閣下の馬車に乗るという拷問。
夜の社交界で綺麗に着飾った女性ならまだしも、真昼間の超普段着姿のわたしが新聞にでも取り上げられたら、わたしが生きて行けない。
主に嫉妬に狂った閣下の非公式ファンクラブメンバーからの闇討ちが怖い。
噂によると、人知れず人を消すんだとか…。
恐ろしい――。
行きたくナーイとか人込みにまぎれてはぐれた事にしようかなとか考えて足取りが重くなるのに気付いてか、閣下が逃がさんと言わんばかりにわたしの背を押した。
普通初対面の女性の身体に触れるのは犯罪行為だと非難されてもおかしくないのだけど、閣下がやるとスマートなエスコートに見えるからイケメンは得だ。
「もたもたするな、行くぞ」
人の視線に慣れているのか、閣下は見られていても気にもせず堂々とした足取りで馬車に向かう。
わたしは帽子でなるべく顔を隠しながらこそこそと後ろをついて行くが、完全に人の目は避けられるわけもなく…
――なんか視線を感じる。もの凄く感じる。絶対見られている。
気のせいでもなんでもない。せめて、新聞記事にならない事だけを祈る。
閣下が戻ってきたのを一早く気付きドアを開ける御者に、閣下が何事か言ってわたしに手を差し伸べる。
流石女慣れした人は違う。馬車に乗る時のさり気ない気遣い。
しかし、この手を取っていいものか悩む。
周りの皆さんガン見、だけどここで閣下の手を拒む事など出来ない。なにせ、小心者なもので。
「ありがとうございます」
お礼を言いつつ馬車に乗る。
馬車の中は閣下が言った通り冷えていて心地が良い。
わたしが乗るとすぐに閣下が乗り込み、御者がドアを閉める。
緩やかに馬車が動き出し、ようやく人心地が付いた。
「そんなに暑かったか?」
帽子を脱いで軽く扇いでいるわたしを見て、閣下が聞いてくる。
むしろ閣下の格好の方が暑苦しそうで、わたしの方が暑くないのか聞きたいくらいだ。
「そうですね。わたしは暑さに弱い方なので、夏は苦手です。閣下は暑くないんですか?」
「……まずはその閣下をやめてくれ。クリフォードでいい」
なんとなく嫌そうに閣下が言う。
「閣下ではダメなんですか?」
「軍内部ではそういう敬称で呼ばれもするが、君は軍人でも何でもないだろう?」
そう言われるとその通りなんだけど、正直クリフォード様と呼ぶのもバルシュミーデ卿と呼ぶのもなんか変な感じだ。そもそも名前を呼んでいる姿を見られたら、闇討ち一直線な気がする。
「一番閣下がしっくりくるので、そのままがいいんですけど…」
控えめに希望を口に出してみる。
閣下は小さくため息を吐きながら、頷いた。
「まあ、いい……」
「ところで、どこに向かってるんですか?」
というか、わたしは一体どこに連れて行かれるのだろうか。
そもそも、閣下はすごく忙しいお方だった筈だ。こんな事に時間を取られてていいのだろうかと心配になる。
「ああ、そうか言っていなかったな。悪いが時間が押しているんだ。バルシュミーデで詳しい話を聞きたい」
やはり忙しいらしい。
そんな忙しい相手に色々マルっと押し付ける店長はある意味鋼の心臓を持っている。ただの考えなし、無神経とも言えるけど。
「着くまでに、出来ればお互いの事をもう少し知っておいた方が良いと思うんだが、どう思う?」
「それには同意します。お互い初対面ですしね」
主にわたしの事を話した方がよさそうだ。
わたしの方は閣下の事を公式非公式情報共にそこそこ知っているけど、閣下はわたしの事をまるで知らないのだから。
まあ、閣下が本気出してわたしの事調べれば、全部調べ上げられるだろうけど。
「さっき、閣下に自己紹介してもらったので、今度はわたしの番ですね」
「そうだな、分かりやすく頼む」
少し愉快そうに閣下は口角をあげた。
普段閣下が会うような人は自己紹介なんていらない位お互いの事をある程度知っているので、こういうやりとりは新鮮なようだ。
わたしは居住まいを正し、閣下を真っ直ぐ見た。
「わたしは、クローディエ・リデオンと言います。普段親しい人からはクロエと呼ばれているので、閣下もどうぞそうお呼びください。現在、皇都ロザリア高等学院一学年です」
「皇都ロザリアか、懐かしいな。俺の出身校だ」
もちろん知っている。
特に閣下の時代は、皇族も同時に在籍し、他にも有名どころの貴族や上級階級者が軒並み首をそろえており、黄金時代と言われていた。ここまで、そうそうたる面子なのも珍しいそうだ。
なぜここまでこの学院に集まっていたかと言うと、皇都ロザリア高等学院は旧貴族学院で、昔は貴族しか入学できなかった。そのせいか、今でも貴族階級や上級階級の人間が多く在籍している。
もちろん入試もあるし、裏口なんて出来ない最難関校だけど、上の階級ほどこの学院にこだわっているので必死に勉強するらしい。
ちなみに、わたしは自分で言うのもあれだけど、入試成績は上位十名に入っている。上位者には特典付きなので、その特典がほしくて頑張った。
「ちなみに、ヴァルファーレも同学年だ。俺の不幸は、あの変人と同じ年に生まれたという事だろうな」
全く知らなかった。
そして、なんだかんだで、閣下が店長の面倒を見続けているのが目に浮かぶ。
――苦労したんだろうな…今もだけど……
「ヴァルファーレとはどういう付き合いだ?変人だけど、あれでいて人を見る目だけはあるから、君の事を疑ってはいないが…」
「店長とはあの店で知り合いました。なんとなく惹かれフラッと入った店で、そしてなぜかバイトに誘われました」
「……、さっぱり分からないのだが?」
「わたしも、上手く説明できないんですけど…、なんとなく惹かれて足が向きました」
「いつ頃?」
「わたしが十二の時でした。まだこの皇都に来たばかりの頃で」
わたしはこのリブラリカ皇国皇都ロザリアに、学業のために十二でやって来た。
家の方針というか、母親の強い希望で、自分の母校で学ばせたかったらしい。もちろん、わたしも特に不満は無かったので、家族の元を離れて、単身皇都までやってきた。
「もともと迷宮産魔道具が好きで、店長と知り合ってから色々教えて頂きました。高等学院に入学したときにバイトをしないかと誘われました。将来は迷宮産魔道具関係の仕事に就きたいので、あの店はわたしにとって素晴らしい環境なんです。だから誘われてうれしかったんですよ」
人の生活を豊かに便利にし、文明を発展以上に進化させた魔道具のことがわたしは好きだ。
特に量産型魔道具の元となった迷宮産魔道具は、量産型とは違う輝きがあって、そしてどれも再現できない一点物。似たようなものはあれど、同じものは存在していない。
量産型とは全く違う造りは遥か昔の古代時代の代物であると言われているが、それすらも定かではない。
わたしはいつか迷宮産魔道具の解析と解明の専門家を目指したいのだ。
「だけど正直、未成年のわたしをバイトに誘う店長はどうかと思いましたよ。だってあの店、商品全部売り払ったら、一財産どころかそれ以上の価値がある物ばかりが置いてあるじゃないですか。それなのに、大丈夫なのかと心配になりません?」
「あれに人の常識を問うても答えは意味不明な返答だ。気にするだけ無駄だろうな」
それを察することが出来る人がいたら、どれだけ観察力に優れているのだろうか。
少なくとも、働き始める前の客と店長との関係だった時の店長はまだマシだったと思う。
「まあ、君がヴァルファーレに気に入られて、店を任せる位には魔道具の扱いに精通していることは分かる。ただ、俺宛てに投げてきたあれは、店の事を全部任せたともとれる。手紙にも君の事が書かれていたし」
閣下って実は相当お人よし+兄貴分成分で構成されているような気がした。
確か、閣下は末っ子だったと思ったけど。
いや、末っ子だからこそ、誰かに頼られたり、誰かの世話を焼くのに憧れてこうなった、とも考えられる。
お姉さま方非公式情報だと、クールで冷たい冷血漢。役立たずはバッサリ切り捨て、歩む道は血の道だと……いや、これはちょっと裏公式だったか?うーん、閣下の情報って色々あり過ぎて、どこまで正しいんだったか分からなくなった。
でも、今の閣下からは考えられない正反対な性格だったと記憶している。
「未成年一人であの店の店番は危険すぎる。いくら防犯設備があったとしても限度があるだろう」
「そうですけど…でもあの店悪意ある人は近づけませんし…」
「君があの店を大事に思っているのは分かるが、未成年を危険な場に居させておくのは公人として許容できない。それは分かるな」
閣下の立場なら当然そうなる。
軍人と言う国民の安全を守る組織の公人であり、ちょっと世間の考えとズレているところはありそうだけど、店長とは違う有識者にして常識人——かどうかはまだ分からないけど、とにかく悪い人ではない。
「店長からは店は開けなくてもいいと言われてます。だから、店を開けなければそこまでの危険はないかと…」
「店に置いてあるもの自体が危険だと言っているんだが?君は専門家でも何でもないだろう?」
それでようやく合点が行く。
店長と親しい閣下なら、店長の持つ資格も知っている。
しかし、初対面のわたしの事は何も知らないのだ。だからこその言葉だ。
ただそこはきっちり否定しておく。
「言っていませんでしたが、わたしは一応専門職ですよ。昨年、”魔道具取扱免状特級”を取得しました」
証拠を突き出すように、鞄のなかに入っているブローチを見せた。
閣下は、驚きつつもそれを受け取り、窓から太陽に向けてかざす。
赤いブローチはきらりと輝き、緑の光を放つ。
「本物だな…」
後ろにはわたしの名前も彫られているので、間違えようもなくわたしのものだ。
わたしは少し得意げな顔で閣下に微笑んだ。
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