14.5.閑話での話:閣下視点
夕方にはまだ早い時間、珍しくも俺は少し後悔していた。
――無意識だった…あれはまずくないか?
思い浮かべるのは、先ほどのやり取り。
出かける前にクロエに知らせておこうと、場所を聞けばダンスホールにいると言われそちらに向かう。
別に誰かに言づけておけばそれで良かったが、自分の招いた客であり、未成年でもあるクロエには顔を見て出かける旨を伝えるのが正しい選択だと思っていた。
しかし、ダンスホールに行けば、綺麗にドレスアップしたクロエがそこにいて。
まだどこか幼さを残す面立ちが、少しの化粧で大人びて見えて少し驚いた。
向こうも俺の姿になぜか驚いて、感激しているような目で見ていた。正直、あの目には心当たりがあり過ぎた。軍務で軍服を着ているときに多くの女から寄せられる目だ。
鬱陶しいと煩わしいとしか思わなかったが、なぜかクロエは別だった。そうさせているのが自分であると思うと、なぜかうれしくなった。
向こうが遠慮なく俺を見ているのなら、俺にもその権利はある。そんなおかしな考えも生まれて、俺もクロエをじっくり眺めると、恥ずかしそうに少し頬を染めふいと視線を逸らされた。
その瞬間、首筋から流れる手触りのよさそうな黒髪が、さらさらと胸元に零れ自然とそれに手が伸びる。
指に絡めると思った通りの触り心地。しばらくその感触を楽しんでいると、後ろからウィズリーのどこか非難めいた声が聞こえた。
この瞬間程、鬱陶しく思った事は無い。
しかし、この後は仕事なのは分かっていた。バルシュミーデの方なら融通も利くが、軍務でしかも少し早い時間に来いと上から呼び出されれば行くしかない。
これまで、それに対し思ったことは何も無かったが…
――本気で軍を辞めるか…
と思うほど、この時間を遮られた苛立ちが募った。
仕方ない行くかと手を離し、もう一度彼女の顔を見ようと頬に手を添え顔を上げる。
なんだろうと無防備に俺を見上げるその瞳に吸い寄せられ、気付いたら額に口づけを落としていた。
自分の行動に驚いて、そのまま出てきてしまったが、彼女はなんと思っているのか気になった。
――なんとも思っていなさそうだ…
彼女には兄が五人いると聞いている。
親愛のキス程度にしか思われていない、そんな気がした。
――それでいいはずだ…
そうだ。そう思ってもらう方がいいに決まっている。変に期待されても困る。
ただ、どこかそう思われたくないと思う自分もいて…。
はぁと盛大にため息が出た。
なにをぐだぐだ考えているのか、自分でも良く分からない。良いのか悪いのか、期待してほしいのかほしくないのか…。
どうかしている。相手は未成年で、しかもまだ出会って数日。
――溜まっているのか…、確かに最近あまり行っていなかったが…
変な思考に飛ぶのは、身体に渦巻く熱のせいかも知れない。
暴力的なそれは、経験がある。血を見た後、戦闘の後の昂った気持ち。
治めるために本能が欲するまま、身体を鎮めるために行う処置。
なんてことはない、それは男なら少なからず経験のある事だ。恥ずべき行為、という訳でもなく、軍に居れば多かれ少なかれそういう下世話な話も飛び交う。
――集中できなくなる前に行くべきか…
そう考えながらも脳裏に廻るのはクロエの事だった。
未成年のクロエを預かっているのに、そういう場所でそういう行為をしてくるのは、子供の情操教育上どうなんだろうとか言い訳がましく考え、そして結局一回りして思考が戻って来る。
――止めておこう…
なんとなく、気が乗らない。
少なくともクロエが邸宅にいる間は最低限の社交以外の夜の遊びは控えようと決めた。
別に、何も言わなければクロエは気づかないだろうし、そもそも年の離れた兄がいる時点で男の生理的事情というものは知っているとは思う。
ただ、それをクロエに悟らせたくないと思った。
悟られて、気を使われても理解を示されても、どちらにしてもいい気はしない。
――今日は、本当にちょうど良かったのかも知れない。
使用人も誰もいない軍務局での軍務は、気分転換にもなる。
余計なことを考えないように、ひたすら仕事を詰め込もう。朝には、早朝訓練にも久しぶりに参加して身体を動かそうか。
次々と予定を組んでいると、ちょうど馬車が軍務局の入り口に到着した。
入り口では二人の若い軍人が警備に当たっている。
すれ違いざまに敬礼され、それに返して中に入ると、独特の緊張感に包まれた。
特例づくめの自分には、直属の上官というものがいない。もちろん、軍トップの人間の命令には従うが、それでもかなり自由にやらせてもらっていた。
といっても、基本的には書類仕事。
軍人というものは現場主義の人間が多く、書類が滞る事が多い。
特に決済書のような備品請求、遠征費などといった数字の書類にめっぽう弱く、そういう書類作成を引き受けていた。
現場に赴き話を聞き、それにそって提案。
面倒だと思う人間もいるが、話を聞けば色々な情報が集まって来るので、俺にとっては有意義な時間でもある。
気安い関係を築きたいわけではないが、顔見知り程度になっておけば、いざという時に役に立つ。
軍務局の中を迷いなく進み、自分に割り当てられている執務室に入ろうと鍵を取り出しドアノブに手を伸ばす。
そして――…
――またか
中から人の気配。
しかも鍵もかけられていない。
人の居ぬ間にそんなことをする人物は俺の知る限り一人しかいない。
ドアノブを回し、ドアを開ける。
思った通りの人物が、思った通りに過ごしていた。
「やあ、遅かったね」
執務室のソファに座りにこやかに手を振るのは、この皇室の皇族の一人、第二位継承者にして第三皇子、カーティス・ルイズ・リブラリカ殿下だった。
その後ろには護衛が立っている。
立場上殿下の護衛軍人の顔は全員知っているが、その男は初めて見る顔で、いつの間に殿下の護衛に抜擢されたのかと考えた。
皇族の護衛には腕の立つものが選ばれる。
そのため、護衛になる前から必ず名前や顔ぐらいは覚えがあるのが普通だ。
しかし、その男は全く見覚えがない。ただ、その立ち姿をどこかで見たことがあるような気がした。
不審に思っていると、殿下が笑い出す。
「ああ、クリフォードは初対面かぁ。そっか、言ってなかったっけ?」
「言われていませんね」
なんでもかんでも報告してくるわけではないが、護衛軍人の顔ぶれが変わったのなら一言あってもいい気がした。
「なんか、誤解してるかも知れないけど、彼軍人じゃないから。私が気に入って、引っ張ってきた友人枠なんだ」
ヴァルファーレほどではないが、目の前の殿下も相当変わっている。
そんな殿下に気に入られるなんて、とんだ被害者だなと思っていると、男がニヤリと笑う。
――なるほど、こいつも相当癖がありそうだ…
すぐに考えを改めた。
「なんかね、マダムの店で意気投合しちゃってさ。店先で別れたのは良いんだけど、そのあとちょっと私が暴漢に絡まれてね、たまたままだ側にいた彼があっと言う間にのしちゃって」
殿下も人が悪い。
殿下自身かなりの腕があるのに、自分からは決して剣を抜く事は無い。わざと危険に陥ったフリをして、いつでも自分の護衛軍人の腕を試している。
ただ、それが今回たまたま軍人が割って入る前に彼がしゃしゃり出てきたようだが。
「いやぁ、本当に強くてさ思わず勧誘しちゃったんだよ。軍人は規律が厳しそうで嫌だっていうから、自費で雇ってるんだよ。個人支出枠で。高いんだけどね」
「殿下にはお世話になりっぱなしです」
「いやいや、私の方こそ世話になってるよ。護衛軍人なんかよりよっぽどね」
真正面から彼を見る。
黒い髪は東部出身である可能性が高い。東部の人間は殿下とは敵対派閥が多いので、どういう事だろうと視線で問う。
察しの良い殿下が、楽し気に拾い物の紹介をしてくれた。
「彼は、東国の出身だよ」
「東国?」
「俺の出身国は小さい島国ですよ、バルシュミーデ閣下。名は琉唯、姓は獅子堂と申します。こちらの人は呼びにくいらしいので、ルウイと呼んでください」
立っているだけで隙のない身のこなし。
それだけで彼の力量が伝わってくる。
――かなり強い。
少なくとも殿下よりは圧倒的に実力は上だろう。
自分と比較すると、負けはしないが勝つのは苦労しそうだった。
「実はさ、私たちと同じ年なんだそうだよ。しかも君と同じで十離れた兄君がいるらしい」
同じ年という事は今年で二十六。
立派に成人した男が、どういう経緯でここにいるのか更に気になった。
「いやぁ、一番上の兄貴とちょっとやり合っちゃって…、家から追い出されたんで、知り合いがいるこの国にふらって寄ったんですよ。路銀が付きかけていたから、ちょうど良かったていうか」
路銀が付きかけていたのにマダムの店で遊ぶ余裕はあったと。
本当にふざけている。
「契約がまた、すごいんだよ。マダムの店で週に一度遊んでも食べて行ける位の給金を要求されてさ。面白すぎていいよって言っちゃったよ」
「馬鹿ですか?」
「ハッキリ言うね、でも後悔してないよ。遊びに行く時融通利くから楽だし」
マダムと言うのはこのリブラリカ皇国一の娼館を営む女傑だ。
リブラリカ皇国の裏社会にも通じるマダムの店には日々多くの情報が飛び込んでくる。正直彼女が何者なのか誰も知らない。
金のある男なら少なくとも一度は世話になる。
俺も時折世話になっているのは否定しない。女を買う事もあれば、情報を買う時もある。
しかし、そのマダムの店では下級娼妓であってもかなりの値段だ。
「高いけど、その分の働きは期待できるよ。分かるでしょ?」
「…確かに強いのは否定しません」
「わぁお、クリフォードからそんな言葉が聞けるとは思ってなかったよ」
殿下が大袈裟に驚くが、認めるときは認める。
それが真実なら否定するだけ無駄だ。
「ぜひ手合わせを願いたいですね」
戦闘狂かと一瞬思ったが、どうやら単純に強い相手と戦う事が好きらしい。
もともとここまでは、傭兵稼業で稼ぎながら来たと言っていた。
「俺の得意武器はハルバードなんですけど、まあこれでも結構いけますよ」
ハルバードは大型の武器だ。
なかなか使う人間はいない。また、持ち歩きも不便。
ルウイと名乗った男は、他に剣術も嗜んでいるようだが、おそらく得意武器より確実に実力は劣るだろう。
「早朝訓練に参加するので、興味があるなら参加すればいい」
「あ、そうなの?珍しいね。いつもは面倒がっているのに…何か煩悩でも払いたいの?」
ヴァルファーレも変に鋭いが、勘が鋭いのは変人変態の特徴らしい。
煩悩ではないが、頭をすっきりさせたい気持ちはあった。
「もしかして、溜まってるの?適度に遊ばないと、不調で倒れるよ?」
揶揄うように笑われ、少しイラっと来た。
ただここで、感情を見せれば確実に遊ばれるだけなのでぐっとこらえた。
長くなりすぎたので閑話を途中で切りました。
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