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14.ホールでの話




 お風呂に入れられ、なぜかあるわたしサイズのドレスを着せられ髪を複雑に結い上げられる。

 仕事は丁寧だし、これも経験だと割り切れば悪いものでもない。

 ただ…


――お貴族様は大変だ…


 そう思うだけで。

 朝、昼、夜と社交のための服が違うので社交シーズンは日に何度も着替えると聞く。 

 わたしが今着ているのは、簡易的なドレスだからそこまで苦しくないけど、本格的に着飾る時は下着の段階から侍女に着付けられるらしい。

 一種の拷問なのではと思わなくもないけど、生まれた頃からそういう生活していると、それが当たり前になるのだろう。

 結局、生まれによって生活水準と言うのは決まっていくのだから仕方がない。


「お綺麗です!」

「ありがとう…」


 サラが感激した様に褒めてくれた。

わたしはまじまじと鏡を覗き込み、顔を触る。なんか一皮むけた。そんな感じだ。

 夏の暑さで、少し肌が傷んでいたのは分かっていた。毎年の事だし、一応ケアも出来る限りしていた。

 しかし、プロは違かった。

 絶対お高そうな美容液(ローション)をふんだんに使って身体をマッサージされ、顔から首筋から胸元(デコルテライン)までそのお高そうな美容液で保湿され、仕上がった時にはつるっつる。

 うん、誇張でも何でもなく肌が輝いていたよ。

 確かに、これだけの技術を受ける経験はそうはない。もし機会があったとしても、それ相応の値段はしそうだ。

 軽く化粧をされている鏡の中の自分は、自分じゃないみたい。


「本当にお綺麗です。クロエ様はもともと整った顔立ちなので、少しのお化粧でもかなり映えますね」


 リーナさんまで褒めてくれる。

 確かに、自分で言うのもなんだけど、びっくりするくらい綺麗に仕上がっていると思う。

 流石侍女(プロ)の技。侮りがたし。


「この後はいかがお過ごしになられますか?」


 感心しながら鏡を覗き込んでいるわたしにイリアさんが質問してきた。

 うーんと考えながら、当初の予定通り高等学院から出されている各講義の課題をやろうか、それとも少しゆっくり休むか悩んでいると、イリアさんがそれでしたらと微笑む。


「よろしかったら、ロードリアを見て周るのはいかがでしょう?長期で滞在するならどこになにがあるのか知っておく方がよろしいかと」


 それは面白そうだ。

 歴史ある邸宅は少し探検しただけでも十分楽しめる、博物館であり美術館でもある。

 ただ、少し疑問が…。


「あの…この格好でですか?」


 現在のわたしの装いは侍女三人に遊ばれた結果のドレス姿だ。

 簡易的とは言っても明るい色合いのもので昼の社交用だ。決して普段着用ではない。つまり、歩きづらい。

 しかも、貴族が着用するようなドレスを身に纏って邸宅内を歩き回れば、誰かに色々と誤解されそうな気もする。


「もちろんですとも、折角着替えたのですから。それに、ドレスは着慣れていた方がよろしいですよ?確かわたくしの記憶では、皇都ロザリア高等学院は教養の講義に社交ダンスもあったと思います。冬の社交シーズン前には、それを模した舞踏会も開かれたはずです」

「そうでした…」


 皇都ロザリア高等学院は、冬の長期休暇が入る前に全生徒参加可能な舞踏会が開催される。高位貴族や上級階級の人間が多いので、社交シーズン前に子供たちはここで一度マナーを確認している者が多い。

 別に参加は自由なので出なくても構わないんだけど、どちらにしてもその前の社交ダンスの講義は全員必須科目だ。


「習うより慣れろ、と言います。せっかくなのですから、このロードリアにいる間はドレスでお過ごしになられた方が、今後のためだと思いますよ」


 ドレスは簡易的なモノであっても一人で脱ぎ着するのは難しい。

 講義の時には、高いヒールは持参だけどドレスを着用している時間はないので、生徒は制服の上から長い布を巻いて、ロングドレスを装う。

 ただし、ドレスに模しているので少し重く、慣れない人間はそもそも歩くの大変だと聞いた。そして、それを慣れている人間が笑いものにする、というところまでセットだ。

 そんな話を思い出し絡まれる面倒くささを考えれば、ここで誰かに何を思われようとましな気がした。

 よしと心の中で気合を入れて立ち上がる。

 いつも身軽なモノばかり着ているので、重たく感じるが歩けないほどじゃない。


「クロエ様は姿勢が正しいので、そこまで苦労する事もないと思いますよ」


 イリアさんから、綺麗な歩き方のレクチャーを受け少し部屋の中を歩いてみる。

 慣れないと動きが制限されて、上手く歩くことが出来ない。しかも、早く動こうとすればドレスに足を取られて裾を踏みそうになる。高いヒールも慣れないとすぐに足を痛めそうだ。

 というか、立ってるだけで変な筋肉を使う。

 世の大人の女性がヒールをカッコよく履きこなしているのは、相応の努力の結果なのだと理解した。


「そうです、そのまま前を見て、足元は見てはいけませんよ。どうしても急ぐ場合は、裾を少し持ち上げる位だったら問題ありません…、足首は見えない程度で――」


 これはしばらく練習が必要だ。

 教養と言うのは一朝一夕では身に付かない。イリアさんの言う通り、習うより慣れろだ。


「では、少し練習も兼ねて邸宅内(ロードリア)を歩いてみましょう。部屋と外ではまた違いますよ」


――あれ、なんかスパルタな気が……


 貴族の教育を施されている気がするのは気のせいなのか。


――講義でも必要な知識ではあるけど……


 ここまで必要な事なのか考えるけど、親切にも予習に付き合ってくれているだけだと信じて、歩き出す。

 綺麗に見栄えよく歩くと言うのは基本が出来ているからだ。背を伸ばし、顔を上げ慎重にぎこちなく歩くわたしはまだ足元に視線が時々行ってしまう。

 階段を降りるときは流石にイリアさんが手を貸してくれた。裾を少し持ってイリアさんに支えられて降りたけど、一人だったら裾を踏んだら真っ逆さまになる未来が見えた。


「難しいです…」

「最初は誰でも苦労するものですよ」


 高飛車で高圧的な貴族の令嬢は高等学院内にもいるし苦手だけど、今ちょっと尊敬した。


「結構疲れますね」

「ドレスと言うものは慣れないと扱いづらいものですからね」


 イリアさんの言う通り、なんでも経験しておくに限る。

 これでいきなり社交ダンスを踊れと言われても、足がもつれて相手の足を踏みそうだ。


「よろしかったら、社交ダンスの基本の型をお教えしましょうか?」


 イリアさんはどうやら何でもできる有能侍女のご様子だ。

 なんだろう、この完璧さ。出来ないことは何もなさそうだ。こういう人こそ閣下の隣にふさわしいのではないかとさえ思ってしまう。

 まあ、もう結婚しているけど。

 

「いかがしますか?」


 もうこの際一から十まで世話になったほうが賢い気がした。もう、こうなったら割り切って色々学ぶ方が効率的だ。


「よろしくお願いします」

「せっかくですからダンスホールへご案内します。曲を再生する魔道具がありますので、簡単なものからお教えしますね」


 ダンスホールに案内されて、その広さに驚く。

 社交シーズンは、ロードリアでも社交は行う。そして大貴族ともなると、夜の社交も義務の様な感覚で一度は開催しなければならない。

 もちろん、そこに来る顔ぶれは錚々たるもので。そんな人たちを出迎えるのだから、こういう会場(ホール)も立派じゃないといけないのは分かってる。

 分かっているけど、そんな場所を現在独り占めしているのは、ものすごい贅沢だ。

 社交ダンスの社の字も知らないような初心者にはもったいない。

 でも確かに音響設備は最高なのは分かった。

 曲に合わせて、イリアさんが軽くステップを教えてくれる。なんと、男性パートまで踊れる完璧(パーフェクト)侍女だった。

 何度も繰り返して、足を踏まないように気を付けて…。

 簡単だけど、やはり足の運びとリズム感が難しい。ドレスの裾も踏みそうになるし、ただ慌ただしくバタバタ足を動かしているだけみたいに見える。

 実際そうだけど。


「少し休憩しましょう、クロエ様」


 イリアさんの指導の元、少しだけど動きを覚えてきたけど、集中しているとその分疲れもする。

 段々と集中力が落ちてきているのがイリアさんにも分かるのか、いったん動きを止めた。


「運動神経がよろしいんですね。あとは何度も反復練習だけですよ」

「動くのは好きですけど、リズム感が難しいです」


 褒めてくれるけど、まだまだだ。

 流れるようにとはいかない。

 ホールの端の方で、リーナさんとサラがお茶の準備をしていた。イリアさんがそちらにわたしを促して歩き出そうとした。

 しかしその時、ホールの出入り口から足音が近づいてきて、わたしはふいっと何気なく顔を上げそちらを見る。

 そして、入って来た人物を目にし、言葉なく固まった。


「――っ!」

 

 いや、分かっていた。前から分かってはいた。

 その人物が、誰もが認める美形で美丈夫で、とにかく素晴らしい造形を持つ人物だって事は。

 ただ、目の前のその姿は、本当にびっくりしすぎて開いた口が塞がらない。


「どうかしたか?」


 入って来たのは閣下だった。

 固まるわたしに何かあったかと尋ねてくるけど、わたしは答えられずに閣下を見るだけだ。

 閣下が身に纏う黒を基調とした上下の服装。上着を腰のベルトで止め、剣帯を付け自分の得物を固定し、白い手袋をはめ、軍帽を手に持って立っているその姿は、軍神のようだとさえ思うくらいキマッていた。


――これは、本気ですごい…


 言葉なく心の中でそうつぶやく。

 いかにもな貴族服を着こんでいる閣下も半端ないけど、これはこれで色気がやばい。変な方向にやばい。

 鞭とか持って立っていたら、確実におかしな扉を開ける人間が出そうだ。


――軍服姿、十割増しでやばい!!


 うん、分かった!世の女性が騒ぐのが!!

 男も女も関係なく魅了するようなこの閣下の姿。軍務局の象徴的な意味を持つと言ったけど、本当にその通り。

 閣下が何か言えば、みんな従ってしまいそうだ。


――うぅ…眼福です。


 かっこいいも美しいも超越してる、本気で。

 こんな人の隣に並び立つ女性は鋼の心臓を持ってないと無理過ぎる。結婚なんてめっちゃ覚悟が必要だと思う。


「大丈夫か?」


 うぅと身もだえて唸っているわたしに、閣下が残念な子を見る様な目で見てきた。


「大丈夫じゃないです……こういう事を尊いと言うのかと実感してます…」


 何もしてないのに目が潤む。

 神を拝むように手を組んで閣下を見上げていると、閣下が口元を押さえてふいっと視線を逸らし、ごほんと咳ばらいを一つした。


「…まあ似合っていると褒められているという事にしておく……」


 なんとも微妙な言い方だ。

 ただ、なんとなく閣下が照れているような感じだった。


「似合い過ぎて、怖いくらいです…」


 素直にそんな言葉が出る。

 むしろ、そんな言葉しか浮かんでこない。

 わたしは素晴らしく整った閣下をじっくり見てその姿を鑑賞し拝んでいると、閣下もこちらをじっと見ていた。


「イリアたちに遊ばれたようだな」


 閣下のその言葉にはたと思い至る。


――そうだった…、今ドレス姿だった。


 閣下の格好が衝撃的過ぎて、ちょっと思考が飛んでいた。


「なかなか似合っているな」


 褒められて何となく恥ずかしくなる。目の前の美の集大成みたいな人物に言われると、なぜこんなに恥ずかしくなるのだろうか。

 少し視線を逸らして俯く。すると、俯いた瞬間に髪がさらりと肩口からうなじへと滑り落ちた。

 閣下は結い上げられて、少し遊びで残されていたその髪を掬い上げ指に巻き付ける。

 わたしの事をじっくり見ながら、するするとほどけるように落ちる髪の感触を楽しんでいるようだった。


――なんだろう、すごく居た堪れないんだけど…


 なんか甘い。

 空気が甘すぎて、辛い。

 閣下が何を考えているのか分からなくて辛い。

 なんとなく動くのを戸惑わせる閣下の雰囲気に、わたしは動かないように耐えるだけだ。


「旦那様、そろそろお時間です」


 そんな空気の中、後ろからウィズリーさんが声をかけてきた。

 閣下は一瞬眉を寄せたが、今行くと声をかけ微かにため息を吐いたのを感じた。


「少し早いが急用で行く事になった。ゆっくりしていろ」


 そう言うと閣下は髪から手を離し、ポンとわたしの頭を撫でた。そのまま手を頬に滑らせわたしの顔を上に軽く上げさせる。

 薄い色彩の瞳の中にわたしが映っていた。

 ふざけているわけでもなく、揶揄っているわけでもなく、とにかく感情が何も見えない。

 なんだろうと閣下を見ていると、ゆっくり閣下の顔が下りてきて――。


 それは一瞬の出来事。

 

 わたしは身じろぎする事もなく、閣下のする事をただ見ているだけだった。

暖かいその柔らかい感触とすっと離れていく手を見ていると、閣下は無言で足早にホールを出て行った。

 その後姿を呆然と見送って、しばらく固まって、ようやく理性が戻って来る。

 そして――…


――あれ…、今キスされた?


 そっと額に触れるだけの、親が子供にするような親愛のキス。

 だけど、わたしと閣下は親族でも何でもないし、そんな事をされる程親密でも子供でもない。

 何が起こってそうなったのか、閣下の事が全く良く分からない。


「今の…何だったんですかね……?」


 わたしは側で一部始終全てを見ていたイリアさんに問いかける。


「……さあ?……………」

 

 イリアさんもどこか驚いた感じで、おそらく全くの素でわたしに答えた。すぐにハッとして取り繕うようにわたしに謝る。


「すみません、ちょっと驚きまして…」


 いつも理性的で理知的なイリアさんなだけにそれがなんとも印象的だった。




男性から女性への額へのキスの意味は諸説あります。


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