13.客室での話
閣下はこの後仕事をすると言っていた。
夕方から夜間の軍務仕事なのに、それまでバルシュミーデの仕事をするとはなかなかな仕事中毒ぶりだ。
わたしには真似できない。もちろん、好きな事なら何時間でも没頭できるけど。
そう考えると、閣下は仕事=趣味なのかも知れない。自分で言ってなんだけど、絶対理解できない、そんな趣味。
「頑張ってください」
とりあえず、応援だけはしておく。
決して手伝いましょうか?なんて優しい言葉はかけない。まさか部外者のわたしがバルシュミーデの仕事の手伝いを任せるほど身内扱いになっているとは思わないが、万が一そんな風に思われていて、あれこれ任されても困る。
長期休暇は楽しむためにあるのだ。決して労働で費やすためにあるのではない。
「クロエはどうするんだ?」
「決めてませんけど…、とりあえず課題でもやりますよ。どっさりありますので」
長期休暇は楽しむためにある。だけど、課題から逃れることが出来ないのは学生の悲しい性。
「課題とは懐かしい響きだ」
閣下にとっては十年前近く前の話だ。
懐かしい学生の頃の思い出がさぞやたくさんある事だろうと思っていると、途端に苦い顔になる。
「本当に、懐かしい…。ヴァルファーレに振り回され、カーティス殿下には付き合わされ…」
カーティス殿下とは現皇帝陛下の第三子にして第三皇子殿下だ。
黄金時代と言われている彼らの時代、実は暗黒時代と揶揄する教師陣もいる事から、きっとかなり灰汁の強い生徒が揃っていたのだろうことは想像できる。その一端が、閣下と店長とカーティス殿下なのは言うまでもなさそうだ。
なんだかんだで、類友とはこういう関係を言うのかも知れない。
閣下自身は自分の事を常識人だと思っているようだけど、わたしからしてみれば常識人の皮を被った非常識人だ。
微笑ましい御三方の関係にほっこりしていると、閣下がじろりと睨む。
「なんだ?」
「いえ、仲がよろしくて微笑ましいなと…」
閣下はため息を吐いて、そのまま言い返してこなかった。
さっさと背を向けて歩き出した姿を見ていると、なんだか不貞腐れた子供のようでちょっとかわいい。
「クロエ様、よろしかったらお部屋にご案内いたします」
閣下を見送ったあと、イリアさんがそう声をかけてきた。敢えて言うなら、あのマントルピースについて調べたいと思ったけど、焦る事でもないし資料も全くないので、イリアさんの提案に頷いて部屋に案内してもらう。
これからしばらく滞在する予定の部屋だ。
広い邸宅の中は、公と私がきっちり分けられている。表側が公の部分で、奥が私の部分。
最初に案内された場所もさっきの食堂も私の方の部屋だ。格式張ったギラついているような部屋ではなく、家族と過ごす事を想定した温かみがあった。
普通客を泊めるとなるとその身分や用件によって泊まる場所も変わる。
イリアさんが案内している場所はいわゆる私用で使うような場所なので、わたしは身内枠のようだ。
「こちらでございます」
数ある部屋の中でも、二階の南側に位置している部屋だ。
イリアさんがドアを開けてくれて、中に入る。
「わぁ!」
思わず声が漏れた。
広い部屋なのは想像していたけど、想像以上に広く、そしてかわいらしい部屋だった。お姫様気分が味わえるような天蓋付きのベッドにアンティークに近い若い女性向けの家具。
丁寧に手入れされているその家具は、今でも現役だ。
「お気に召されて良かったです」
「このアンティーク家具とかすごく好みです。可愛いけど、それだけじゃない落ち着きが凄く好きです!」
どれだけ気に入ったかイリアさんに熱心に伝えると、イリアさんが嬉しそうに微笑んだ。
「実はお部屋を整えるにあたり、倉庫にあったこちらの家具を運びました。クロエ様がお好みかと思いまして」
「えっ!すみません、なんか大変な事させてしまって…」
確かにすごく好みの部屋だ。
もともと古い年代物は好きだし、アンティーク調の家具も小物も目をつい奪われるくらいには好きだ。
ただ、そんな話をイリアさんにする時間は無かったはず。
「ちっとも大変な事ではございません。むしろ、このような昔ながらの家具を喜んでもらえて大変うれしく思います。どれもご当主様や先代の奥様がずっと受け継いできたものですので」
それを聞いてそんな歴史のある物をわたしが使っていいのか気後れがした。
「今、こちらの邸宅には若いお嬢様がいらっしゃいません。家もそうですが、家具なども使ってお手入れしていかなければ悪くなる一方ですので、ぜひお使いください」
なんとなく丸めこまれた感じだけど、イリアさんの言っている事は一理あるので、わたしが使って問題ないならこのまま使おうと決める。
そっと机をなぞり、その作りの良さを実感した。ずっと受け継がれてきたというわりに、状態がいいのは、それだけ大事に使われてきたという事だ。
ただ、かわいらしいデザインなので成人過ぎたら流石に使うのは躊躇われる。そのため女の子が生まれたらその子のために使ったり、息子の嫁に受け継いでいったのだろう。
「それから、クロエ様のお世話は基本的にわたくしが受け持ちますが、一人ではご不便をおかけすると思いますので、他に二人侍女をご紹介したいと思います」
「え、そこまでは大丈夫ですけど…、基本的に何でも自分で出来ますし…」
「クロエ様、僭越ながら老婆心で言わせていただきますが、こういう機会はなかなか訪れないと思います」
どういう事だろうと聞いていると、イリアさんは少し厳しめに言った。
「人の世話にならないで自分で行うというのは大変よろしい心構えだとは思います。しかし、時と場合にもよります。こういう場で世話人を断るのは、旦那様の顔に泥を塗る行為でもあるのです」
親切に対して、暗にお前の所の使用人は使えない、信用できない、そう言っているのと同義らしい。
「そういう訳では!」
「分かっております。しかし、そういうものなのです、クロエ様。もちろん、クロエ様が慣れていないと言うのも分かっておりますので、少しずつ慣れていっていただけたらと思います。このロードリアに滞在中は、勉強も兼ねて貴族との付き合いを学んでみたらいかがでしょうか?」
優しく諭すようなイリアさんに少し項垂れた。
でも、言われてみれば確かにこういう機会は望むときには来ないものだ。
イリアさんがそっとわたしの手を取る。
「少しずつでいいんですよ」
姉がいたらこんな感じなのかも知れない。
兄しかいないけど、そんな優しさを感じ、わたしはこくんと頷いた。
「では早速、これからはわたくしをイリアとお呼びください」
「えっ…」
――変わり身早すぎませんか、イリアさん!?
「もちろん、このロードリアで働く人全員呼び捨てですよ?」
「い、いきなりは無理ですよ!」
善は急げとは言うけど、イリアさんは今少しずつでいいと言ったはずだ。
突然呼び名を変えるなんて無理過ぎる。例えば、同じ年頃の人だったらともかく、イリアさんは閣下より年上で、閣下でさえも頭が上がらない人物の一人なんだから。
「まあ、申し訳ありません。でも、毎日一つ学んで身に付け、それを明日に生かせば、いつかはそれが当然の日常になります」
「……名前の呼び方以外でお願いします…」
とりあえず、わたしの中で敬称なしで呼ぶのはハードルが高すぎた。
「分かりました。では、今日はお世話されることに慣れましょう!」
イリアさんの推しの強さに、わたしは諦めと同時に頷いた。
やっぱりイリアさんには敵わない。
「一人はクロエ様と同年代ですからお話が合うとよろしいのですが」
イリアさんが鈴をチリンと鳴らすと、しばらくしてドアがノックされた。
入室を許可すると、イリアさんと同じお仕着せをきた女性が二人入って来る。さっきイリアさんが言っていた侍女だということはすぐに分かった。
「向かって右がリーナ、左がサラでございます。サラはこちらで働きながら、高等学院に通っております」
「リーナと申します。よろしくお願いします、お嬢様」
「サラと申します。こちらでは行儀見習いでお世話になっております。よろしくお願いいたします」
右のリーナは落ち着いた感じの女性だ。濃い金髪で、背が高い。
左のサラは、亜麻色の髪を複雑に編み込んでまとめた、今時の若い女性だ。高等学院に通う年齢だからか、ロードリアのような大貴族の邸宅で働くにはまだ早い、そんな若さを感じた。
「サラは、本人も言ったように行儀見習いのためにこちらで働いております。将来は皇宮侍女になる目標もあるので、気になる所作ががありましたらすぐにおっしゃっていただけたら幸いです」
気になる所作と言われても、そもそもわたしの方が礼儀などの教養部分が足りていないので難しいと思う。
「クロエと呼んでください。こちらこそ短い間ですがよろしくお願いします。リーナさん、サラさん」
「あら、わたしの事はぜひサラとお呼びください。年も近いのですから!」
「え…えーと…、じゃあサラと…」
物怖じしない明るい性格のサラは、確かに年齢も近いので呼び捨てで呼びやすい。なんとなく友人のような気軽さがある。
イリアさんは、年が近い人もいた方がわたしが馴染みやすいと思ったようだけど、その通りだ。
やはり同年代は、ちょっと違う。たとえ、今が使う側と使われる側であっても。
「さあクロエ様。まずは最初の一歩です」
「一体何をするんですか?」
さっき言っていたお世話されることに慣れると言うあれだ。
一体、どうすると言うのか。
「服をお脱ぎください」
「えっ?」
さらりとすごい事を言われた。
何を言われたのか理解できても、服を脱ぐのと世話されるのに慣れるのと、一体どういう関係性があるのか全く理解できなかった。
「この暑い中、ロードリアにいらして下さったのですから汗を掻いていらっしゃいますね?」
「それは、まあ…」
「お風呂に入りましょう、クロエ様」
ますます良く分からない。
「古来より、裸の付き合いというものがございます。意味はご存じですよね?」
それは知っている。非常に親しい友人関係の事を示す言葉だ。
「そもそもの由来は諸説ありますが、身に纏うものを全て取り除いて対話する事によって交流を深めるという意味合いがございます。つまり、それを今からクロエ様に体験していただこうかと」
「えーと、つまりみんなでお風呂に入るという事ですか?」
確かに交流を深めると言う意味ではありなのかも知れない。
しかし、イリアさんがいいえと否定してくる。
「もちろん、わたくしたちはクロエ様の介助ですので、湯につかるのはクロエ様お一人です」
「えっ!裸の付き合いのくだり、全然関係ないんじゃ…」
「大丈夫ですよクロエ様!一番初めに最もハードルの高いお風呂のお世話に慣れれば、他のことなんてどうってことないですよ!」
サラが力強く言ってきた。
その通りだけど、わたしだって言いたいことがある。ただ、侍女三人対わたし一人では圧倒的不利だった。
そのまま、部屋付きの浴室まで引っ張っていかれ、早業でわたしの服を剥ぎ取ると、三人がかりでお風呂に入れられた。
手慣れた彼女たちは流石プロ。
すごく気持ちよかったけど、なにかがゴリゴリ削られ流され、最後は心が諦めの涙を流した。
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