88.休憩中の街道での話
スレイプニルに乗るわたしたちを先頭に走り出した一団は、街道を勢いよく駆け抜けていく。
さすがのスレイプニルはわたしと閣下が二人乗っているにもかかわらず、全くものともせずに走っている。素晴らしい安定感だ。
それでもまだまだ余裕がありそうな感じで、好きに走らせれば後ろの面々を置いていく事になるようで、閣下がその勢いを抑えている。
普段は人や馬車が行き交う街道だけど、今は非常事態のせいかかなりまばらだ。
だからこそ、速度を上げて走る事が出来るのだけど。
そのせいか、やはり現役軍人よりも体力劣るわたしは乗っているだけでも相当疲れてきた。
それなのに、閣下が平然とスレイプニルを操っているのを見ると、流石だなと思ってしまう。
――それにすごい技量
制御しなければ勝手に走り出しそうなスレイプニルを巧みに操る閣下の技量は飛びぬけている。
本当になんでもできる人なんだと感心を通り越して呆れてきた。
しかも、まだまだ余裕がありそうで、わたしを気遣う事も忘れない。わたしが落ちないようにしっかり支えてくれているのだ。
おかげで、鞍を必死に掴んでいなくてもいいので助かっている。
「しばらくしたら、休憩だ」
風の切る音の中で、閣下の声が上から聞こえてきた。
身体が密着しているから聞こえたけど、少しでも離れていたら聞こえなかったと思う。
おそらくわたしの声は聞こえないので、了承の意味を込めて軽く頷く。
スレイプニルには休憩は必要なくても、他の馬には必要で、更に言えば馬を操っている人にも必要だ。
どのあたりで休憩するかなどは事前に決められているようで、閣下は迷いもなく所定の場所に着くと、速度を落としていく。
スレイプニルの速度に合わせるように、後ろの馬も徐々に速度を落としていき、見晴らしのいい場所で休憩となった。
さっとスレイプニルの背から下りた閣下は全く疲れを見せていない。
それに比べて、わたしは少し足が震えていた。
ただ乗っているだけでも結構な運動量で、馬から下りるときに少し身体が強張っていたのもあって、スレイプニルの背から下ろしてもらう。
「ありがとうございます…」
軽々とわたしを抱えて下ろしてくれる閣下にお礼を言う。
各々休憩を取っている人たちの視線がちらちらこちらを向いているのは気のせいだ。たぶん。
降りるときに掴まっていた閣下の腕からそっと手を離す。
「大丈夫か?」
「い、一応…」
大丈夫だと言い張っても、強張った身体では信用度が全くないので、曖昧に笑って誤魔化した。
「クロエ嬢は馬に不慣れか?」
後ろからイザナ中将の声が聞こえてきて、振り向く。
すでに五十を超えているとは思えないくらい頑強な身体は、しっかりとした足取りで、これしきの事では堪えないようだ。
「馬には乗れるんですけど、ここまで早いのは初めてで……」
「まあ、皇都に住んでいれば馬に乗る機会も少ないからな」
皇都には循環馬車が発達している。そのため皇都民のほとんどが馬車移動だ。
馬を飼っている人もいるけど、皇都内での駆け足は緊急時の軍人以外許可されていないし、乗馬場もあるにはあるが流石にここまで速度を上げて走らせることはない。
「夕方には着くはずだ。今日はゆっくり休むといい」
「はい、ありがとうございます」
いつも使わないような筋肉を使っているのでしっかりほぐさないと、明日は筋肉痛で泣きそうだと思っていると、ふいに閣下が顔を上げ、周囲を気にしだす。
若干の緊張を滲ませながら、周囲をぐるりと見て、一点に視点を定めた。
その視線の先、遅れてわたしも遠くに見える影を発見した。
「あれは?」
「珍しいな、この時間にこんな開けた場所で」
「魔獣フォレストウルフか。確かに珍しい。奴らは、名前の通り森に生息しているからな。しかも群れから追い出されたハグレならともかく、群れだ」
視界に入るのはまだ遠いが、それでもはっきりと三十体ぐらいいるのが分かる。
中には、まだ一回り小さい子供だと思われる姿もあった。
「もしかしたら、住処を追われたんですかね?」
「住処を追われた?」
「はい。これはわたしの想像ですけど、強い迷宮の魔獣が外の魔獣の生活圏を脅かすのではないかと思いまして」
「あまり生態系の事まで考えてはいなかったが、可能性はあるな。あそこのフォレストウルフも迷宮の魔獣ならもう襲ってきている事を考えると既存の生活圏を追われたのかも知れない」
生態系の変化はゆるやかに進むものだと思っていたけど、すでに影響が出始めている様だった。
普段は森の奥から出てこないような魔獣が外に出てきている。
迷宮の魔獣ならともかく、そうではない魔獣までも。
「どうする?」
「どうすると言われましても、一応指揮官はあなたですが?」
側で聞いていたイザナ中将が閣下に聞く。
すると閣下が、面倒事を押し付けるなと言わんばかりに、イザナ中将に言い返す。
しかし、イザナ中将は引く気はないようだ。
「今はお前さんに一任しているからな」
サクッと責任を閣下に押し付けた。
この移動中はどうやらイザナ中将よりも閣下の指示が優先されるそうだ。
というのも、スレイプニルで一番前を走っていて、後続者に指示を出しやすいかららしい。
「このまま放置して無駄にケガ人を増やすのも問題ですから、やるしかないでしょう」
気が乗らなそうに、閣下が言った。
迷宮の魔獣ならともかく、本来なら自分たちの縄張りに入ってこない限り人を襲う事もないような魔獣を討伐するのは気が引ける。
ただ、こうして外に出てきてしまったのなら、やるしかない。
放置すれば、被害が拡大する。
「こちらから向かう前に逃げそうですけど?」
「いや、やつらは来る。こっちには旨そうな動物が多数いるからな。森を追われたのなら、食料の確保が難しくなっている筈だ。それに、普段は十体ほどの群れなのに、今は三十近い。もしかしたら、他の群れが集まってあの数かも知れない。数がいれば、こちらの数が多くても来る」
そう言うと閣下が、隊の面々に指示を出した。
「人に危害を加える可能性が高い。逃げるのなら深追いはしないが、討ち漏らすなよ」
すでにそれぞれが自分の得物を構えている。
馬を後方に、陣形を組む。
前衛と後衛に別れて、各自自分の役割を心得ている。
最前線には閣下が立ち、イザナ中将は後衛のさらに後ろでわたしを守る位置についた。
「クロエ嬢を守る騎士の役割とは役得だな」
ニッと笑うイザナ中将に、わたしは曖昧に笑った。
「あれしきの数、どうって事は無い。むしろ、少将一人で事足りる」
「え?」
「本当に恐ろしい男だ。背中に目がついているのではないかと思うくらい、全方位からの攻撃だって避けられるんだからな」
それは、またなんとも。
「フォレストウルフに後れを取る者は一人もおらん。安心して見ているがいい」
「はい」
魔獣は人類の敵だ。
だけど、そっとして縄張りを荒らすような事をしなければ、そこまで脅威ではない。しかし、一度人に牙を向けば、簡単に人を傷つけ殺すことが出来る。
それは迷宮の魔獣であろうと、外の魔獣であろうと同じだ。
そして、人を襲う前に対処するのも軍人の仕事で、フォレストウルフよりも危険な魔獣を相手にする事もある。
ここのメンバーは全員実戦経験は十分で、多数のフォレストウルフに負ける事はないそうだ。
「来るぞ!」
閣下の険しい声と共に、一気にその距離が縮まってくる。
「はあああ!」
気合と共に、閣下が一撃横なぎに剣を振るうと、数体のフォレストウルフが吹き飛ぶ。
しかし、それにも構わず後列のフォレストウルフが突っ込んできた。
それを捌きながら、閣下は身体に魔力を纏わせて、一気に駆け出す。
こっちに襲い掛かかっているのとは別の、子供を守るように唸っているフォレストウルフの集団だ。
閣下は対峙するフォレストウルフの集団を一撃で散らす。
確実に仕留めていく。
一匹たりとも逃がさないとでも言うように。
一匹でも逃がせば、それがいずれ脅威になると分かっているから、子供でも容赦はない。
こちらを襲っているのはおそらく雄の集団だ。
身体が一回り大きいが、それでも軍人たちの相手にはならない。
確実な戦力差が分かっていて、本能的に負けると分かっていても向かってきたのは、おそらく逃げられないと悟ったからだ。
「相変わらず、容赦ないな…」
「いつも、ああなんですか?」
「そうだな。でも、あれが正しい姿だ。中には子供を見逃そうとする馬鹿者もいるが、親を殺された子供が復讐する事なんてざらだ。余計な不安は刈り取らねばならん」
わたしも魔獣を相手にしたことはある。
親子連れで、子供を殺したことも。
それが必要だったので、これも残酷だと言うつもりはない。
自然界に生きているのだから、弱肉強食は当たり前だ。それは人も魔獣も変わらないと思う。
「クロエ嬢は、色々と分かっているみたいだな」
意外そうにイザナ中将が言った。
「可愛い見た目から想像も出来ないくらい肝が据わっていると見える」
「可愛いかどうかはともかく、そういう教育は受けていますので。学院で」
実家でもだけど。
「皇都ロザリア高等学院は、そういう授業があるのはご存じですよね?昔の貴族学校の名残みたいですけど、こういう時ちゃんと教育を受けていて良かったなとは思います。割り切りができますので」
一部の女子なんかは信じられないとか言うけど、現場でそんな事は言っていられない。
今だけでなく未来まで考えて動くことを要求されるのが上に立つ者の役割なのはどんな時代でも変わらない。
「そうか、ロザリアの学生さんだったか。あそこは、将来上に立つ人間が集まっているからな」
懐かしそうにイザナ中将が言う。
ここの領主様とイザナ中将が学友だと聞いていたので、ロザリアの学生だったのではと思っていたけど、合っていたようだ。
「もう終わるな。こっちまで出番は回っては来ないようだ」
襲い掛かる群れを手際よく確実に仕留めていく。
連携も取れ、流石に強い。
逃げ出そうとしているフォレストウルフは弓使いの人が仕留め、閣下の言った通り一匹も逃がす事はしないようだ。
少し遠くでは十体以上を一人で相手にしている閣下の姿。
すごいなと見ていると、イザナ中将が面白そうにわたしに言う。
「多少は遠慮しているようだ」
「遠慮…ですか?」
「少将が本気を出したら、一撃でこの辺りの地形が変わる」
「えっ……」
その事実は冗談なのかと思えば、イザナ中将は全くそんな口調ではなく、それが本当に真実なのだと知った。
人間離れしているとは常々思ってはいたけど、本当に人間辞めてる人なのではと思ってしまった。
小話含めると百話達成したよと言う話。
あと二話で本文+閑話百話だわ~という話。
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