そして3人に
翌朝、登校して自席に着いた群青は、入学した際に配られた各クラスの振り分け表を引き出しから引っ張り出して見ていた。
全員の名前を確認したが木田という苗字は居なかった。
(『中学の同級生』という言い方をしていたから、逆に言えば高校は違うということなのだろう)
昨日のやり取りからすると木田は同学年のはずだが、やはり他校の生徒なのだと確信しつつあった。
(とすると今後会うとしたら、携帯で連絡を取り交わして外で会うという流れか…)
それが果たして現実になるのか、我ながら半信半疑だった。連絡が来たとしても、それに返事をするかどうかをまだ決めかねていた。
殺人未遂の男である。殺害されそうになったのは自分だ。拒絶するのには十分な理由だと思えた。
しかし一方で『能力』のこと、そして安住の事件のことをもう少し聞きたいという思いもあった。
恐らく自分は事件について興味を覚えつつある、と群青は自覚していた。
(案外、もう僕の方への興味を失っているかもしれないが…)
物思いにふける群青だったが、傍から見ればいつも通り自席で大人しく座っているだけの、普段の群青だった。俯いたり外を眺めたりしているだけの、無害で誰の興味も引かない群青の姿があった。
筒井が学校に来ている時は、他クラスにも関わらず群青の席に訪ねることがあったが、今日も筒井は登校していないことを群青は人から聞いていた。
故に今日は特別な理由でもない限り、群青に話しかけてくる者は居ないはずだった。
だが群青に近づいてくる者がいた。
「あの」
その者は群青の席の前に立って声をかけてきた。話しかけられた時、群青はややうつむいていたので顔を上げた。
声からして女性であることは顔を上げる前から分かっていた。
「なにか」
相手の顔を見て返事をした。髪の長い小柄な女子だった。雰囲気からして年上や年下には見えない。同学年に見えた。
校内で知人と言えるような生徒は極めて限られるのだが、目の前の女子はその中に含まれていないと思った。まるで知らない生徒だった。
(だがどこかで見たような気もする)
「家庭科棟って分かる?」
女子は自己紹介も無く、シンプルに質問をぶつけてきた。
名乗らないということは既に自己紹介をしたことがあるのだろうか?そして話しかけてきたのは家庭科棟の場所を知りたいというだけなのだろうか?
(場所を知りたいのならイエスかノーで答えるのは筋違いだろうか)
と思いつつも、女子はそれ以上は話してこないので群青は単純に質問を返すことにした。
「分かるよ、渡り廊下を歩いた先だろ」
答えのついでに場所を示しておけば問題あるまい、と判断した。
「そう。そこの一階は普段誰も来ない教室になるんだけど」
しかし女子は家庭科棟の場所は知っていたらしい。群青は依然として会話の行き先を分かりかねていた。
「そこに放課後来て欲しいの」
一体どういう意味なんだろう、と群青を眉をひそめた。
自分の背後に座っているクラスメイトに話しかけているのか、とここまでのやり取りがあったにも関わらず考えついて後ろを振り向いた。
当然後ろにそんな相手は居ない。
「それじゃあまた」
不審な動きをしている間に、女子は淡々とした口調で挨拶をしてさっさと離れてしまった。
女子が去った後も、群青は相手の意図を図りかねて悩むばかりだった。
家庭科棟は三階建ての建物だ。普段使用している教室が入っている棟は本棟と呼ばれているので、家庭科棟は別棟とも呼ばれていた。
二階は調理実習室になっており、三階は裁縫室になっている。二階と三階は大きな部屋一つのみとなっているが、一階は殆どが倉庫で、あとは教室が一つあった。
この教室はかつて授業に、そして今は無い『文芸部』の部室として使われていた。
しかし今は使用されておらず完全に空き部屋だった。
調理実習室のように調理器具が設置されているわけでもなく、今では机や椅子が数個残されているだけの部屋だった。
文芸部の頃の名残は何一つ無い。
貴重品も無いため戸の鍵はかかっていなかったが、生徒達の誰もこの教室に立ち入ることは無かった。
放課後や昼休みにたむろする者も誰一人居らず、部室等にも利用されていなかった。日差しが悪く一階特有の薄暗さのせいで雰囲気が悪いこともあったが、最大の問題は家庭科棟の出入りにあった。
本棟からの渡り廊下は二階と三階のみにあり、一階からは移動できない。元文芸部教室への移動は極めて不便だったのだ。
今では授業にも使われていないので、教員でさえ立ち入ることは極めて稀だった。
(何故このような作りになっているのかは知らないが、家庭科棟一階は窓があるのみで扉が無い)
放課後、その場所へ群青は一人向かっていた。
二階から家庭科棟へ渡り、階段で一階へ降りる。
空き教室に入ると室内は日中なのに薄暗く、閉じているカーテンから微かな漏れる光はわずかなものだった。
埃臭いように感じ、視界の端に捉えた何脚かの机や椅子には埃が山と積もっているのだろうと想像がついた。
部屋の窓際に、朝話しかけてきた女子が立ってこちらを眺めていた。入口に突っ立っている理由は無いので部屋の中を進み女子へと近づいた。
「少し時間掛かったね。来ないかと思った」
女子は言う。
「ごめん、少し遅れた」
群青は喋った後に、
(まるで友達にする返事みたいだ)
と思った。しかし実際は依然として誰だか分からない女子だった。
群青が少し遅れたのは、何となく自分が後に来たいからで、あえて若干遅れて来たのだった。
「朝も言ったけど、話したいことがあるの」
女子は切り出した。
(朝の時もそうだったが、わりと核心にすぐ入るタイプだな)
そしてある想像が頭によぎった。
(もし誰かにこの場を見られたら、きっと恋仲の男女に見えるのだろうな)
そう考えつつも群青には照れや緊張は無かった。甘い気持ちはまるで無かった。群青の想像は甘い妄想では無く、単なる客観的に分析した思考だった。
誰も使わない教室に男女がわざわざ集まっているならそう見えてもおかしくないだろう、というだけの思考だった。
自分が告白されるかもという期待はまるで無かった。立派なほど楽観的ではない男だった。
「話したいことって?」
「それは…」
女子はこちらを探っているのか、妙にタメを作る。群青の顔を正面から見て目をそらさない。
「『能力』のことなんだけど」
一瞬、群青は呆気に取られたが、しかし割と早く平静に戻れた。この可能性を一切考えていないわけではなかったからだ。
昨日木田という男に出くわして、今日は知らない女子に話しかけられる。全くの無関係では無いかもという予想はあった。
「あの、君はもしかして木田って男を…」
群青が言いかけたその時、二人が立っているすぐそばの窓が開いた。
窓の外は校舎と生垣の間となるわずかな隙間だったが、今は一人男が立っていて身を乗り出して群青達、二人の顔を覗いていた。
「よう。もう話は終わったのか」
窓の外から女子に尋ねると、女子は無表情のまま答える。
「まだ導入部分だよ」
「そうか、じゃあ俺から話すか」
言うが否や窓のサッシに足を乗せて跨いで入ってきた。土足だったが何も気にしていなさそうだった。
制服姿の木田だった。西武高校から近い工業高校の制服だった。
まさか学校に侵入されて再会するとは、群青の想像の範囲外だった。
「よう昨日ぶり」
「やあ」
なんと言えばいいか分からず、つい普通に返事をしてしまった。うろたえている群青は意に介さず、女子は平然とした態度で木田に話しかけた。
「他校の人が入ったのがバレたら相当怒られるよ」
「心配すんな、教師からの呼び出しや指導には慣れてる」
「一緒に怒られそうな私自身を心配してるんだけど」
群青はとりあえず何か聞こうと考えた。
(しかし最近は不明なことが起きすぎている)
何から聞けばいいのか定まらない。木田という人物について、女子について、安住が殺されたことについて、『能力』について。
考えても整理はつかず、その間も木田と女子が他愛の無い会話を続けていた。埒が明かないので、とりあえず話しかけた。
「あの、二人はどういう関係?」
聞き方が何となく変なような気もした。
木田は「ん」と小さく相槌を打った後、女子を見た。女子は(どうぞ)というような手振りをしただけで黙っていた。
「こいつは椎名静という名前だ。一年ほど前に知り合った。俺らと同じ『能力者』だ」




