異能
…地響きのような床の揺れから、エレベーターが確かに落ちたことを感じ取った男は、踵を返してそこから立ち去り始めた。
何処からか店員が現れて何が起きたのか見回していたが、意に介さず少し離れた場所にあった階段で一階まで降りた。
一階に着くと、その場は騒然としていた。エレベーターが七階から地下一階まで急降下したと人々は騒いでおり、事態を把握しようとする店員達が右往左往と駆け巡っていた。
客の何人かは興味本位でエレベーターまで見物に来ていて、それを店員や警備員が危険だと叫んで必死に追い返していた。慌ただしいこの場面を撮影する者もいた。地下に落ちたエレベーターを目撃したいのか、興奮気味に会話しながら階段で降りて行く小学生達も見えた。
男は全てを意に介さず百貨店から出て、駐車場を突っ切って離れ始めた。
駐車場にも好奇心を覚えて向かってくる野次馬達が何人も居た。駐車場のそこかしこで熱気を帯びた会話が聞こえてきた。しかしもっと離れればこの喧騒も消えるだろう。
「君は…」
ふと聴こえてきた、とある声が男の気に障った。周囲を見回すが人が多く、声の主は分からなかった。
別に男を呼び止めているわけではないので、構わず歩き続けた。
「…君は…」
だが再びその声が聴こえてきたので、流石に男は訝しんだ。
この声質に聴き覚えは無かった。聴き覚えは無かったが、同世代くらいの男の声であることは間違いなかった。
不意にある想像が働いた。それは想像に過ぎないはずで、実際には起こり得ないことだった。だがこの声が、その想像は現実であると訴えかけているようにも感じられた。
百貨店の七階から歩いてここまでの間、一度として振り返ることが無かった男が、そこで初めて振り向いた。自分の想像が単なる杞憂であることを確かめるためだった。
だが杞憂ではなかった。そこに居るはずの無い人間は、男のすぐ近くに居た。
群青が生還して振り返った男の前に立っていた。
前に立つだけでなく、何かを投げようとする動作を取っていた。腕を振りかぶっていた。
その姿勢の意味を男が理解した時にはもう、群青の行動は終わっていた。
力強く弧を描くように腕を振った。手で持っていた物は群青の頭上をやや過ぎたあたりで放たれた。
何かが真っ直ぐ男の方へと向かった。
男は考えなかった。動体視力と反射神経を活かして、上半身を瞬時に反らしすんでのところで回避した。
群青と男の距離は五メートルほどしかなく、突如投げられたにも関わらずギリギリのところで避けれたのは、男の運動神経の為せる技だった。
避けた直後はボールでも投げてきたのかと男は考えたが、自分の背後に落ちた時の着地音が重たく、かつ金属音がしたため気になって後ろを向いた。
金属音を出したそれは紛れもなく鉄の塊だった。正確に言えば何かの部品のようだった。
エレベーターのどこかの部品か、と男は推測した。
振り直り相手を見ると、群青は投げ切った姿勢のままで固まっていた。奇襲を狙って投げつけた鉄塊が避けられたことによるショックだろうか。
だがその表情は呆然というより、どこか落ち着いている雰囲気があった。
しかし何にせよ男にとって今の群青の行為は紛れも無く攻撃だった。反撃だった。
二人の周囲には既に他者は居なかった。何人かは今も騒がしい百貨店に入っていき、それ以外は機械の事故と聞いて爆発などに警戒したのか、遠くに離れて行った。
今、駐車場には二人しか居なかった。
「殺されるなら殺す気でいく、というわけか」
男は群青に問うも、群青は投擲の姿勢から元に戻しただけで何も言わなかった。
「どうやってあそこから抜け出たんだ」
男は再び問いかけた。それについて群青は言葉を返すが、それは回答ではなかった。
「君が、あのエレベーターに何かをやったのか」
「そうだとして、だからどうだというんだ」
「僕を殺そうとしたのか」
自分への殺意を問う群青の心には、エレベーターが落ちる瞬間の時の、恐怖や絶望が不思議と薄まっていた。全く無いわけでは無かったが、それよりも心の底から湧き上がってくるのは死にたくないという本能に近い想いだった。
特別、生きたいというわけではない。だがこんな所で死ぬのは断じて嫌だった。
「俺はお前を殺すために、ああした」
男は群青への殺意を明らかにした。自分がエレベーターを落としたことも明らかにした。
「そうしていいような奴だと判断したからだ」
「僕は自分が殺されていい人間だと思われてしまうような、そんな心当たりは無い」
「お前自身はそう言うかもしれないがな」
男は言い放った。どこまでも攻撃的だった。
「お前が安住を殺したって推測できる根拠がある」
「僕が殺しただって?」
沈着冷静となりつつあった群青にも、この思わぬ冤罪には声を上げずにはいられなかった。
「それは君じゃないのか」
ストレートに群青は聞いた。これに対して男は憎々しげに群青を睨んだ。ただでさえ攻撃的な男の態度は、さらに悪化して、牙を剥く獅子の如き表情となった。
「俺は自分が正しいと思うことをするだけだ。仮にこの場を逃げることが出来たとしても、必ずお前を追い詰める。俺にはそれが出来る」
「君は…特殊な『何か』を持っているんじゃないのか」
かけられている冤罪は大いに気になっていたが、もう一つの興味についても聞かずにはいられなかった。
「君は『何か』持っているんだろう」
畳み掛けるように聞くと、男は拳を前にかざした。群青は拳に注目した。
「『アウトレイジ』…だがお前には関係の無いことだ」
「…名前なのか?君がエレベーターに何かやった行為には、そういう名前がついているのか?」
「お前には、関係の無いことだ」
そう言うと男は群青に一歩詰め寄った。距離はさらに縮まり、仮に男が地面を蹴って飛びかかれば、群青が逃亡する前に捕縛できるだろう距離感だった。実際に男は再び身構えて戦闘態勢に移り始めていた。
その様子を見た群青は、
「本当に僕を殺す気なのか」
と小さな声でこぼした。男には聞こえていて、
「そうだ。殺す気で行く。それが正しいと思っているからだ。それが俺にとって重要だからだ」
と間髪入れずに答えた。
「分かった」
群青のその言い方は、もう会話は終わりだと伝えているかのような、どこか言い切った口ぶりだった。
「君は誤解している。僕にはそうとしか感じられない。だけど今、この場ではもう誤解は解けなそうになくて、そして解けない以上、僕は殺されるというのだったら…」
一瞬の間があった。その後に宣言するように言った。
「抵抗するよ。死なないために」
死にたくないのだ。理由は無くとも。
男は群青の覚悟を認識した。つい先程まで虫も殺せなさそうな陰気な態度だった群青が、今や自身を脅かすほどの強い意志を放っているの感じた。
何かがまずい。直感で判断した男はすぐさま群青に飛びかかろうとした。
だがその選択は結果から言えば遅過ぎた。群青が決断して覚悟を決めたその時には、もう結果は決まっていた。
「『アウトレイジ』…そんな呼び方を僕はしない」
群青の呟きを聞くゆとりは、男には無かった。背後に何らかの気配を感じたからだ。しかもその気配は、恐るべき速さで男へと近づいてきていた。
男は咄嗟に背後へ振り向く。しかし何も無かった。何故ならそれは、既に男の数センチ先という距離まで近づいていて、懐にもぐっていたからだ。
それを理解したのは衝撃と同時だった。
金属片だった。群青が投げつけたエレベーターの部品が、何の動力源も無く動き出し、動き出すどころか高速で飛んで来て男の脇腹に食い込んだ。
成人男性の握り拳より二回り程は大きい鉄塊は、男の脇腹にめり込み、めり込んでもなお、何らかの力によって速度を維持し続けて、男の内臓をギリギリと押し潰しにかかっていた。
「ウアァッ!」
男はたまらず呻く。突如痛めつけたられた内臓は悲鳴を上げ、耐えられず男は吐瀉した。
鳩尾を的確に抉られていた。視界が暗くなり脚の感覚は無くなって、頭がまともに働かない。そんな症状に一瞬で陥り、抵抗の余地もなく男は崩れ落ちた。
崩れ落ちる男の脇腹あたりから、衝突していた部品が男の身体を擦るように上へと駆け登り、やがては身体から離れて男の顔のすぐそばを通過すると、そのまま斜め上へと引っ張られるように昇っていった。
相当な重量である部品がこのような動きをすることは、物理的に考えて有り得ない。だが部品はまるで鳥かロケットのように単体で飛び上がり、男の身体から離れてもなお高速で斜め上に上昇した。
斜めに飛び上がった部品は群青の真上に来たあたりで、突然移動を止めた。
車の急ブレーキ以上の突然の静止で、一切の慣性無く群青の頭上の空中で静止した。それは先程群青が部品を投擲するために振りかぶった際の、部品が頭上に来ていた位置だった。
群青はこともなげに一歩ずれた。まるで今から重たい物が降ってくるから避けなくては、と言わんばかりの、当然のことを当然のようにしている自然な動きだった。
そして実際に静止していた部品は、重力に素直に従って真下へと落ちて行った。先程群青が立っていた場所に落ちて、コンクリートと重い金属が打つかる鈍い音を出し、少し転がったところで動きを止めた。
部品が動くことは、二度と無かった。
「僕は『これ』をただ普通に『能力』としか名付けていなかったよ」
群青は男に話しかけたが、倒れこんで反吐を撒き散らしている男には、ろくに耳に入っていなかった。
群青の死なないための抵抗は、完了した。




