無気力でも有事は起きる
皆内先生の説明ののち、全体朝礼も行われて校長より改めて説明があった。おおむね皆内先生の説明と変わりない内容だったが、詳細に語られた部分もあった。
校長が警察から聞いた話によると、安住は当時橋の上を歩いていたが、突然心臓に異常をきたし、苦しくなって橋の欄干に手をかけるも、そのまま回復することなく意識を失って下の川に落ちていった。
二度と意識が戻ることなく、溺死するよりも早く心臓麻痺により息を引き取ったとのことだった。
全校生徒数百人は、この話を騒がず喋らず、静かに聞いていた。今やこの事件で全校生徒は心を一つにしていた。安住の死は多くの人達の心の中に長い時間、しこりのように残り続けるだろう。
(これが真相なのだろうか?)
やはり群青は納得できていなかった。あの日見た、川で浮いている安住と、そばで屈んでいる鋭い眼光の男。あの光景と今聞いている説明が、どうしても繋がらないように感じられた。
だが自分がどう思おうとも、これが真実なのだろう、という達観もあった。
警察も群青の目撃証言を聞いた上でこのように断定したのだ。自分の中に疑問があるにせよ、世の中は一つの解決を見たのだった。
それで十分だ、という気持ちだった。
何よりも決着を見たことに群青は安らぎを感じていた。その解放感は、殺人の可能性に対して自覚している以上に恐怖を覚えていたのだと実感させた。
昼休みに食堂でご飯を食べながら、筒井を探していた。筒井も自分を見かけたら話しかけに来るのではないかと考えていた。
周囲は今でも安住の死についての話題が持ち切りだったが、自分と筒井の間だけ話せる話題が多くあった。事件の真相について群青はほぼ納得しかけていたが、それでも目撃した内容について筒井と話したい想いがあった。
一方で筒井とは事件以後、一度も話をしていないし連絡を取っていなかった。携帯でいつでも連絡できたが、別に友達ではないという普段の温度のせいで、こんな事態でも連絡を取ろうという気が起きていなかった。
しかし昼休みに筒井は現れず、他の時間でも全く見かけなかった。代わりに筒井についての会話をクラスメイトから盗み聞きした。
筒井は時間の翌日、集団下校したあの日に登校をしていなかった。そして今日も来ていなかった。
それを聞いた時、死体を目撃したのだからショックなのは当然か、とどこか納得するような、腑に落ちた思いがあった。
しかし直接会えないことを知っても、連絡する気は起きなかった。お見舞いがてらメールするかと少し考えたが、試しに打ってみた言葉はただの定型文で、そこには群青の感情がまるで込められていなかった。
何かをしてあげたい、助けたいという善意や親しみがまるで無かった。行動を起こす原動力が無かった。
翌日の木曜も、翌々日の金曜も筒井は登校しなかった。
通学生活は再開されて、生活もほとんど元に戻った。
群青は休日土日とも外出した。とはいえ特に用事は無く、前に皆内先生に話したとおり、終わりのない時間つぶしのような行動を取っていた。
土曜は図書館に行き、ほとんど一日中そこで読書した。図書館で読む時は毎回棚から適当に一冊取って、それをブースで読み切る。この日は旅小説を読んだ。三人の少年が家出をして自転車で旅を続ける物語だった。
群青は本を読む時、あまり多くのことを考えない。物語を追うことに一心を注いでいる。だが感動しているとか『ハマっている』ということではない。なんなら群青は読み終わったそばから本のタイトルを忘れて、内容も忘れつつあった。
欲しいのは感動ではない。興味でも関心でもない。影響を受けたいのではない。読書は時間がかかり、読んでいくうちにいつの間にか結構な時間が経つことを知っている。だから読んでいるのだった。何もしないよりかは時間の流れを早く感じるから読んでいるのだ。
何もしないよりかはマシ、それが群青にとっての読書だ。
無感情でいたいとかクールでありたいという思春期の背伸びではない。これが自然体であり、群青は自然に無感動だった。
翌日の日曜には読書にも疲れていたので、群青は家で朝食を取った後、目的地も考えないままに外出した。
アルバイトをしていない群青は、親からもらう小遣い以外では金銭を持っていない。ゆえに極力お金を使わないようにしており、外食も最低限に留めていた。
お金を使わない外出となるとやはり図書館がメインになってくるのだが、それに飽きているとなると、もはや目的もなくブラブラ歩くしかない。
(こういう休日の過ごし方を始めたのはいつからだろうか)
群青はふと考える。小学生の頃は今よりももっと家族行事が多くあり、父や母に連れられてどこかへ行くことが多かった。
だが中学生になると自然と家族行事は少なくなった。そのあたりから、こうした休日の過ごし方を始めたのかもしれない。
(しかし、もっと前だ。こういう気持ちになり始めたのは、思い出せないほどずっと前…)
この虚無感と無気力感は、もっと子供の頃には既に内に秘められていた。行動になって顕現したのが中学生になってからというだけだ。
小学生の頃に、どこからともなく現れて心の内に残り続けたこの感覚に、大いに悩んだ記憶がある。
この感覚は楽しい時間でもふと現れて、群青の楽しい気持ちに陰を指すのだった。感覚は日増しに大きくなって今に至っている。
一過性の感覚でなく、もはや群青の精神の核にすらなっていた。それは性格となり、行動に表れた。この感覚は自分の人生における性なのだと考えた。
それぞれの人間に才能なり素養なり、性格なり先天性の症状なりといった、生まれ持っての特性がある。自分にとってはこれがそれなのだと理解し始めた。たまたま自分にとっての特性が、漠然とした虚無感や無気力感なのだ、と受け入れた。
受け入れたその瞬間が、前向きに生きることに背を向けた瞬間でもあった。
群青は当て所もないままに歩いて、気づけば隣町まで足を運んでいた。今日はやや風が強く、外にいるよりも屋内の方が良さそうだったので、隣町の駅前にある百貨店に入ることにした。
百貨店の中には洋服屋なり文房具屋なり本屋なりが入っていたが、群青は買い物をする気は全く無く、ただ風避けのために入っただけだった。
各階を下から順に回って時間を潰そうと考えていた。当然そこに楽しさは無かった。
休日の正午という時間帯のためか、階全体がスーパーになっている地下一階は大勢の客で賑わっていた。群青は全ての商品を素通りして階段を使って上に昇り続けた。
上階にある文房具や雑貨の階はスーパーに比べるとあまり人が居らず、最上階の七階は洋服売り場だったが、完全にガラガラで無人状態だった。
今日に限らず年中この百貨店は、食品と玩具以外の階が賑わっていないことを群青は把握していた。休日にここに行き着くことは過去に何度もあったからだ。
売られている洋服を見ることもなく、うつむきがちに歩いていた。頭はろくに働かせておらず、精々考えていることといったら次はどこへ行こうかということだった。散歩は夕方まで続ける予定だった。
…人が殆ど居ないことをいいことに、ろくに前も見ずに歩いていた。そのせいで通路を曲がる際に人にぶつかってしまった。
軽く触れた程度だったが反射的に会釈をした。特に 相手の顔を見ずにそのまま歩き続けた。
数歩歩いたあたりで突如、肩に感触があった。肩に手を置かれただけだったが、あまりに突如ですっかり油断しきっており、大いに驚いた。
先程軽くぶつかった相手が短気な人間で、文句を言いに来たのだろうか、と最初に考えた。それならちゃんと謝罪すればいい話か、という思いで振り向いた。
振り向いた先に居たのは自分と同年代に見える男だった。同じ西武高校の生徒だろうか、どこかで知り合ったのを自分だけ忘れてしまったのだろうか、それとも面識などなくやはりぶつかったことを腹立だしく思ったのだろうか。様々な考えが頭の中を巡った。
だが相手からは全く親しげな雰囲気を感じられなかった。むしろ警戒しているような、こちらを確かめているような、敵意を感じる目つきだった。
その目つきは鋭く、刺々しいもので群青は既視感を覚えた。この目はどこかで見たことがある。
どこかで確実に見たことがある…。
「ようやく見つけたぞ、おまえ」
肩を叩いた男が喋った。肩に置いていた手は発言と同時に力強く掴み始めた。群青は肩に若干の痛みを感じた。
相手の表情はみるみるうちに敵対心に歪み、瞳は鋭くなった。
気づいたその瞬間、群青は血の気が引くのを実感した。目の前に立っているのが、あの男だということに気づいたからだ。
あの夜、安住の遺体のそばで屈んでいた、あの男だ。
群青が相手の正体に気づいた刹那、自身の身体の重心が大きく動いた。足から地面の感触が無くなり、代わりに胸や背中から降下している感覚が生まれた。
転ばされたと気づいた時にはもう無様に着地しており、受け身も取らずに背中から床へ落ちた。
肺の中の酸素が全て口から放出された。それには苦痛が伴った。群青はあっという間に百貨店の床に仰向けになってしまい、見慣れない天井を仰ぎ見ていた。視界の端には見下ろしている男の姿があった。
柔術のような動きで足払いをした男は、そのまま流れるように身体を動かして、仰向けの群青の両脇に足を置き跨るかたちになった。腰は降ろさず腕を伸ばして群青の服の襟を掴んだ。
群青は次々と変わっていく状況に全く対応できないでいた。胸ぐらを掴まれても抵抗する思考が無かった。生物としての生存本能はろくに動いていなかった。
だが流石に、相手が左手で胸ぐらを掴んだまま、右手を振り上げて殴る仕草をした際には、どんなやり方でもいいから逃げ出さなくてはと本能が動いた。
群青は手足全てを激しく動かしてもがき始めた。無様な動きだったが、意図せずに激しく動かした脚の先が立っている相手の脇腹を突いた。
「ぐっ」
なりふり構わない動きに思いのほか勢いが付いていたのか、男は呻いた。掴んだ手は放していなかったが力が緩まった。群青は全力で掴んでいる手を振り払って、立ち上がった。
「待て…」
男は手を伸ばして再度掴もうとしたが、群青は立ち上がりつつ、よろけながらも男から離れた。
間一髪で男の手につかまらず距離を取ることができた。群青の顔のすぐ近くに伸ばした男の手があったので、群青は恐怖で膝が笑いそうになった。だが立ち上がったばかりの不安定な体勢のまま走り出した。
この場所は都内の百貨店のはずで、いくら閑散としていても近くに人が居て当然のはずだった。だが走りながら周囲を見回しても群青の視界に人影は入らなかった。つまり誰も今の場面を見ていなかったということだ。
流石に探せば店員なら居るはずだったが、不幸としか言い表せないがこの時、誰も近くに居なかった。
声を出して助けを求めるべきだと群青は気付いていたが、突然の事態に混乱して口を開けても声が出なかった。何も言えなかった。叫ぶべきだ、助けを呼ぶべきだと頭ではわかっていても、心も身体も付いてきていなかった。
あらゆる方法、あらゆる手段を行使しても自分の身を守るべきだとは考えていた。
何故なら自分はあの夜目撃した、殺人犯に襲われているのだから。
その事実を頭の中で言語化すると、たちまちのうちに恐怖が全身を巡り力が抜けそうになった。




