生きる理由
全治二ヶ月だった。
学年中に群青の噂が流れていた。入学して間もないうちに他校の生徒と喧嘩して、右手と足を大怪我したという噂だった。噂が事実であると証明するように、右手には痛々しい包帯が巻かれていた。
包帯が目立つので群青は嫌でしょうがなかったが、結構な傷のためどうすることも出来なかった。
他校の生徒と喧嘩したという噂には尾ひれが付いているように群青には感じられた。あの日争った相手の香田は学生では無く、筒井は他校生ではない。
香田は、筒井の『能力』や落下による命の危険は無かった。群青と筒井の闘いについては、他言無用であると指示されたので、脳震盪と相当な打撲を受けたにも関わらず泣き寝入りするしかなかった。
それを指示したのは木田だった。
木田は、犯罪者である香田がどれだけ傷を負っても同情はしないと言い切り、再度『能力』による犯罪行為は二度としないよう警告した。
筒井に殺されかけたこともあり、香田は一層萎縮してしまっていた。木田の言葉に恐怖で泣きそうな顔で何度も頷いた。終いには、
「分かったらもう出ていってくれ。二度とここには来んな」
と弱々しい声で吐き捨てた。
木田は無事だった。椎名が保健室でAEDを見つけた時、たまたま皆内先生と廊下で出くわした。突然倒れて心臓が動いていない生徒が居ると説明すると、先生はすぐに駆け付けてAEDの処置を行ってくれた。
他校の制服を着ていた木田だったが、先生は何も聞かずに迅速な対応を行ってくれた。
「…もう大丈夫だと思って、私は群青くんの後を追ったの」
放課後、家庭科室で椎名は群青と木田に説明をしていた。
筒井と闘ったあの日から、丁度一週間が経っていた。
「香田の家に行く前に、少し迂回をすれば真壁さんが働いているコンビニがあることを思い出して、そこへ寄ったの。何かあった時に居てくれた方が助かるかもと思って」
完全な幸運だったがあの日は木曜日で、真壁は毎週水・木で働いていると言っていた。時刻も最初に出会った時とほぼ同時刻だったので、居る確率は相当高いと判断できたのだ。
「勤務中だったのに急に来た女子高生に掴まれてそのまま店を飛び出た真壁を、店の人達はどう思ったんだろうな」
木田が言うと、椎名は、
「申し訳ないことしたかな」
と言って反省半分、面白半分といった表情をした。群青は可笑しくて笑った。
「それであの時助かったんだから、良かったんじゃないかな」
「俺達としてはな。真壁さんは大変だったかもな。今度高い菓子か何かを、金を出し合って渡すか」
木田の提案に椎名が頷く。
「うん、全部終わった後も色々心配してくれてたし、割と親切だよね」
あの時、全てが終わったと全員が感じて間もなく群青と筒井は極度の緊張と疲れ、そして二階から落ちた痛みや傷で気絶しそうになった。
それを真壁が介抱し、椎名に手伝ってもらいながら病院へ連れて行ったのだ。
群青の手に穴が空いたことについては、友人の家の倉庫の整理のために棚に登っていたところ、棚が倒れて転落して、倒れた先にあったドライバーが運悪く刺さって貫いたという説明をした。
怪我をしている群青や筒井が不良では無さそうな風貌だったからか、医者は喧嘩等のトラブルだとは判断せず。警察に連絡はせずに処置をしてくれた。
「木田だったら喧嘩だと思われていたかもしれないなあ」
群青が振り返って思い出しつつ言う。風貌についてからかわれた木田は不満げだがしかし、
「そうかもな」
と素直に同意した。
木田の方は皆内先生による応急処置をされた後、先生が通報した救急車に運ばれていった。AEDの時点で心肺蘇生していたので、搬送先で大事にはならなかった。
他校の木田が何故放課後に校内をうろついていたか、ということについては、知り合いの椎名が遊びで校内に入れてしまった、という説明をした。
怪我した二人と心不全を起こした木田を紐付けさせてしまうと、ややこしい事態になりかねないと判断し、椎名は他の者の名前を出さなかった。
当然、木田が回復して騒動が収まったところで、木田と椎名は先生達に怒られた。
他の生徒達からも、他校の彼氏を校内に連れ込んだヤバい女という椎名への風評が立ってしまった。
椎名の噂について、群青は怪我した翌日の金曜を休んだので、翌週の月曜日に風の便りで耳にした。昼休みにすれ違った椎名に話しかけた際に、
「木田と付き合ってるって本当?」
と聞いたが、その時の椎名の目付きがあまりにも辛辣すぎて、二度と聞くまいと群青は固く心に決めた。
「筒井はまだ復帰してないのか?」
回想している群青に木田が聞いた。
「ん?ああ…まだ登校してないよ」
筒井は戦闘の直後から茫然自失しており、医者に治療を受けている間も何も語らず、視線はうつむくか空を見つめるかだった。
病院を出て群青達と別れた時に初めて口を開いた。
「すまなかった…ごめん」
とだけ謝った。そこに居る全員に言っているように聞こえたが、椎名も真壁も言葉が見つからなかった。群青だけが、
「いいんだ」
とだけ答えた。筒井はそれ以上何も言わず去って行った。
「きっといずれは来てくれるよ」
群青は答えた。そうとしか言えなかった。
筒井は安住を殺した。『能力』による殺人は社会的には裁かれない。そして群青は、筒井に対して何の制裁も下さなかった。
安住の死に悲しんでいる人が居る。安住にも家族は居る。それを分かっていてもなお、これ以上ことを起こす気は無かった。それが殺人の理由を知ったうえでの群青の結論だった。
木田と椎名は群青の意思を尊重した。木田の捜査への原動力であった正義感や、自分自身の存在意義を確かめるため、といった動機は、安住の人間性と筒井との関係を知ったことでおぼろげになっていた。
安住の側に立って筒井を制裁するのは、心から正しいとは思えない気がして、最終的に木田は群青の希望に合意した。
「筒井が学校に戻ってくるのか、そうでないのか。まるで分からないけど…分からないことを考えても仕方はないよな」
良い方向へ期待したところで、現実はどうなるか誰にも分からないのだ。
それでも強く生きていかないといけない。今回の一連の事件で群青が学んだことはそれだった。
生きるという意志があるのなら、生きると決めたのなら、強く生きなくてはいけない。
群青は筒井に対して敵意も嫌悪も無く、心に宿るのは友情だった。それは今回得たことの一つだった。
「なんだか群青くん、逞しくなったね」
思案げな表情の群青の顔を見て、椎名が言う。
「そうかな」
「最初に廊下で見た時は、もっとずっと暗かったよ」
椎名とぶつかりそうになった廊下の場面を群青は思い出す。ずっと昔のように感じた。
「そうかもね。でも変な言い方だけど、椎名も僕を家庭科室へ呼びつけた時は、今よりも内向的に見えたよ」
「少しだけ元気になれたかも。今回を通して。学校も前より少しだけ好きになったかも。自分を信頼してくれる人が居ると、学校もちょっと楽しいから」
そして群青の顔を覗く。
「信頼してくれてるんだよね」
「?…うん」
その時、家庭科室の戸が開いて一同は大いに驚いた。向こうも無人だと思っていた家庭科室に、生徒がたむろしていたので大いに驚いていた。
皆内先生だった。
「あなた達、何してるの?放課後は用事が無かったら早く帰りなさい」
室内は薄暗かったので当初は気づかなかったようだが、すぐに生徒のうち一人が他校の生徒であることに気づいた。
「あれ?えーと確か木田くんだよね。もう怪我の方は大丈夫なの?」
かなり自然な感じで聞いてくるので木田は逆に動揺した。
「あーはい、あの大丈夫です。その説は本当に、ありがとうございました」
「うん、大丈夫なら良かったよ。でもまたウチの高校に来ちゃダメじゃない。また他の先生達に怒られちゃうよ。というか、この前もそうだけど何しに来てるの?」
「いや、えーとその」
「話すだけなら、こんな何も無い薄暗い部屋に居るより、外かお店で話した方がイイでしょ」
木田はモニャモニャと口ごもっていたが、そうしているうちに椎名が答えた。
「部活動を、していました」
「え?」
と群青と木田が椎名を見る。
「あの、部活を私と群青くんで作ろうと思っていて、どんな感じでやろうかなって考えて、アドバイザーで木田くんに打ち合わせに入ってもらってたんです」
「部活って何部?何部を作るの?」
先生がさらに質問を被せる。だが疑っているというより興味本位であるようだった。
「はい。えーと、文芸部です」
かつてこの部屋で行われていたという部活名を口に出していた。木田は呆然として口を開けていた。群青も似たようなものだった。
「文芸部がこの高校から無くなって随分経ってて寂しいので、私達で復活させられないかなって。それで他校なんですけど、彼も自分の高校では文芸部員なので参考に。私達は幼なじみで」
筋が通っているように一瞬は聞こえるけど、よく考えたら無茶苦茶なんじゃないかと、群青は呆気に取られていた。
しかし先生の反応は不思議と良かった。
「あーそうなんだぁ。そう言えばこの高校、文芸部無いもんねー。私も高校の時は文芸部だったんだ。それなら是非作って欲しいなー」
非常に素直に喜んでいるのは明らかだった。木田は最初の焦りはどこへ行ったのか、間の抜けた表情で固まっている。
「あーでも駄目だよ。何も申請しないで他校の人が入ってくるのは、そういう理由でもダメ」
腕を交差してバツの字を作る。
「でもちゃんと部活として成立した場合は、入る度に手続きを取れば他校の生徒との合同の部活動ってかたちに出来るよ。だからまずはちゃんと創部の届を出した方がいいよー」
そこで何か思い出したのか腕時計を見る。
「あっ見回り終わらせないと。また十分くらいしたら戻ってくるから、それまでには部屋から出ててね!」
そして言うだけ言って、パタパタと足早に去って行った。
と、思ったらパタパタと戻ってきた。
「あ、もし申請通って部活ができたらさ。私顧問やるよ!文芸部ってなんか懐かしいし。頑張ってね!」
そしてまた去って行った。
少しの間、三人とも無言だった。
「えぇ…」
最初に口を開いたのは木田だった。呆れの溜息だった。
「俺、こんなガラで文芸部なのかよ…ていうかそれを信じるのかよ」
「でも良かったね。うまくすればこれからもこっちに来れるよ」
「…うんまぁ…。でももう今回の事柄は解決していると俺は思っているんだが、今後来る用事はあるのか?」
「なんなら探せば。事件を」
椎名が提案すると、群青は頷いた。
「そうだな。もし木田がこれからも『アウトレイジ』を何かに活用したいっていうのなら、それもいいんじゃないか」
木田の人生に対する姿勢は、群青も椎名も既に知っている。自分の『能力』を何かのために使うことが『能力』を持った意味であり、それが自分の人生そのものを肯定させる、という木田の考え方に。
木田が今後もそう考え続けるのなら、それを尊重しようというのが二人の意思だった。
「文芸部の活動の方は、私が適当にやっておくよ」
「うーん…まぁ考えとく」
言いながら木田は鼻をかいた。自分の考え方を看破されていることについての気恥ずかしさと、それを尊重してくれる二人の優しさに対する恥ずかしさがあった。
「…そう言えば『能力』で、少し気になることがあって」
椎名が切り出した。
「『シックス・センス』で『能力者』かどうか判断できるのはもう知ってるでしょ」
言われて群青も木田も頷く。
「ふとした時の思考パターンが普通の人達と違って独特で、そういう人は『能力者』である可能性が高いという診断の仕方については、もう知っていると思うけど」
「知ってるけど、今さら何だ?」
木田が不思議がると、椎名はうーんと思慮する。
「『能力者』としての自覚があれば、思考パターンはやはり普通の人とちょっと変わってくるの。でも無自覚だとしても、どこかで思考パターンは異質になるのね。漠然とした『自分には何かがある』という感覚が、その人の思考を独特なものにさせるのかな」
「まだ話が見えないぞ」
「つまりね…」
椎名は廊下を指差す。もうそこには誰も居ないが、つい数分前には皆内先生が歩いていた。
「今もそうだし、木田くんを病院へ連れて行く時にも匂いを嗅いで気づいたんだけど、もしかしたら無自覚で持っているのかもしれない…」
椎名の言っていることは、現時点では完全に推測だった。
「先生も、『能力』を」
…しかしこれからだいぶ後に、皆内先生は『自身のもとに能力者が集まってくる』という異質な『能力』を持っていることが分かり、その『能力』もあって群青達の身には何度も、人生の危機と試練が降りかかることになるのだが、
…それはまだまだ後のことである。
しかしそうした事態が起きても、もはや群青が忘れることは無い。
困難に直面した時に必要なのは、その瞬間を生き抜いてみせるという覚悟であるということを。
選択をするうえで必要なことは、自分が納得できるかどうかだということを。
今を生きて、これからも生きる。自分のために、友のために。友と過ごす幸福を無くさないために。未来には何かがあると前向きに思えるがゆえに。
生きたいのだ。生きる理由は出来ていた。
~おわり〜




