これが正しいと言ってくれ
二階なので致命傷では無い。だが肺の中の空気が全部抜けて息ができず、筋肉は悲鳴を上げた。内蔵は圧迫されたまま戻ってこず、苦しい感覚が延々と続いた。
身体が壊れたという実感があった。
「てめえら…絶対に許さないからな。殺してやる。てめえらの家族全員にも復讐だ…。全部だ!全部奪って殺してやるからなあ!」
最初に立ち上がったのは香田だった。恐るべき生命力だった。かつてないほどの怒りを覚えて、痛みなど感じていないのだろうか。
だが、ここまでだった。
怒りと憎しみが究極に溜まった発言をぶちかましたあと、二回の『ハプニング』による攻撃と、ロフトからの落下により意識は強制的にシャットアウトされた。
白目になったかと思うと、そのまま受身も取らず仰向けに倒れた。
続いて肩で息をしている筒井が立ち上がった。よろけて棚に身体を預けるが、何とか立ち上がった。
「屑め…!」
吐き捨てるように、既に意識の無い香田に言い放つ。
「こいつは何も悪くない人達を食い物にして生きているような奴だ。それが普通だと思って平然と生きている屑だ!」
顔だけは起こしているが、未だにうつ伏せの群青を見る。
「こいつと戦った時に聞いただろう?今まで何度も犯罪を行ったって。その通りだ。『能力』を使って上手く動けば捕まらない!誰もこいつを裁けない!」
「…だからって…君が裁くのか。殺すというかたちで…。それが本心か…」
「本心さ。俺はもう面倒臭いのさ。平然と悪い奴が悪いことをして、それで普通に上手く回っているこの世界に」
筒井は何か掴んでいた。香田が落としたボールペンだった。『マングラー』で今もなお凶器と化しているボールペンだった。
「俺は自分が正しいと思うことだけを行いたい」
「…やめろ!」
起き上がり筒井を止めに掛かりたかったが、気力を振り絞っても群青の足は上手く動かなかった。足をくじいてしまっていたのだ。
どれだけ手を伸ばしても、もう筒井は止められない。
「やめろ!筒井ぃ!やめろ!」
だが全てがもう遅く、筒井は腕を振りあげた。
凶器は的確に、倒れる香田の喉元へ振り下ろされた。
「筒井ぃぃぃぃ!!」
割れんばかりの叫び声。
だが声の主は群青ではなかった。香田でもなかった。
真壁だった。
真壁が開いているシャッターを挟んで倉庫の外から、喉を破らんばかりの勢いで、群青と筒井の居る場所へ叫びかけていた。
真壁の隣には椎名が居た。
何故ここに真壁が、そして椎名が、と群青は呆気に取られていた。筒井に至っては面識の無い人物に名前を叫ばれたゆえに一層混乱していた。
そのため筒井が呼ばれた方へ振り向いて真壁の方を見たのは、ごく自然な成り行きだった。
そしてそれで全てが成功した。
「そうか…『ジャンパー』」
群青はぼそりと呟いた。
真壁は素早く『能力』を発動させていた。発動条件は相手と目が合っていること。そしてそれが満たされていれば、
「お互いの手の中の物を、行き来させることが出来る…!」
群青は、自身が先日体験した『能力』の体験を思い出すように呟く。そして振り上げられていた筒井の手を見る。
その手にはもう何も無かった。狂気に駆られたボールペンは、今や真壁の手の中だった。
群青の位置からでは真壁の細かい表情は見えなかったが、きっと最高に得意げな顔をしているのだろう。
「イテッ。手を切ったぞオイ」
真壁は渋い顔をしてボールペンを投げ捨てた。
「言われるがままついて来たけど、これどういう状況?あそこに倒れているのは香田だよな?」
「私も分からないけど、群青くんを助けないと…」
椎名は心から心配そうな様子で倉庫へ近づいた。だが群青の叫びが足を止めさせた。
「椎名!こっちに来ちゃ駄目だ!」
群青は手をかざして制止していた。
まだ土壇場は終わっていないのだ。
筒井にとって幸運だったのは、ロフトで騒いだ時に落としたエアガンがすぐ近くに転がっており、このタイミングでそれに気づけたことだ。
群青はにとって幸運だったのは、筒井がそれを取るには距離的にどうしても時間がかかり、その間に足を引きずりながらも、香田の前に立つことが出来たことだ。
筒井がエアガンを拾って振り向き、香田に向けた時には群青がその前を立ち塞いでいた。
「どけ、群青」
「どくものか」
そう言う群青の目は決意で光っていた。
「君の考えは分かった。君は正しいと思うことをすると言うのなら、それなら僕も正しいと思うことをする」
「その犯罪者を守ることが、お前にとっての正しいことか」
「いいや違う。君を助けることだ」
筒井の表情がまたも曇る。
「…弾はまだ鋭利化されている。当たりどころが悪ければただでは済まないぞ。どけ」
「やってみろ。頭を狙ってみろ。僕は死なない」
「俺が撃てないと、たかをくくっているのか?」
「違う。君は撃ったとしても僕は死なない。生きようと思っているからな」
「何を言っているんだ?」
「今を生きようという思いがあれば、この瞬間を切り抜けようという思いがあれば、きっと負けない」
ギリギリの状況下、命のやり取りさえ起きているこの場において、群青の思考は多くを考えることを止めていた。ただシンプルに心で感じた想いで動いていた。
これほど純粋でシンプルな考え方になっていることが、自分自身で新鮮だった。
「お前がそんな熱い奴だったとはな」
「お互いの言い分を通そう」
「俺は…」
筒井は、言葉を紡ぐのが難しいのか苦悶の表情を浮かべていた。
自分の思いを上手く言えなかった。それでも貫くべきことがあると自覚していた。苦痛と揺らぎの先にあった決断だったが、そうと決断した以上、やらねばならないとも感じていた。
これまでの辛さと虚しさを思い出す。痛みと涙を思い出す。湧き上がる怒りや憎しみは、見える範囲の世界を変革させたいという野望に変わっていた。
それが独善的であることを自ら知りつつも、意志を貫きたいと考えていた。
明らかな屑や完全な悪人は殺さねばならない。それが筒井の結論だった。怒りや憎しみが強いほど己の正義は強固になっていた。
それを諦めるわけにはいかない。今更止めるわけにはいかない。多くを失ったとしても、大事なものを切り捨ててでも。
それに、既に後には引けないのだ。
「じゃあな群青」
筒井はトリガーを引いた。
エアガンはバシュッと素っ気ない音を出したが、射出された弾の威力は今や実弾同様だった。弾は真っ直ぐ群青のもとへ飛んだ。
避ける余裕も、時間も無かった。
眉間に向かってくる弾に対して、群青は手で防ぐ構えをした。顔の全体を手で隠した。
これがエアガンの通常の弾なら、手を痛めるだけで済んだだろうが、これは『能力』で凶器と化した弾だった。
全く、防ぐことなど出来なかった。
弾は右手に当たり、そして手の平に穴を開けた。弾の威力は収まらず、群青の身体は大きく撥ねて、頭部は大きく仰け反った。血がほとばしった。
絶望的に命中し、それは決定的な攻撃となった。




