納得することについて
翌朝、群青は木田にメールを送った。今日の放課後に例の家庭科室へ来るよう伝えた。木田からはすぐに返事が来て一言、
(分かった)
とだけ返しが来た。
放課後、木田が来る時間を見越して、群青はゆっくりと教室を出た。
家庭科棟へ行く途中、廊下で皆内先生と出くわした。
「あら群青くん」
「こんにちは先生」
何気なく通り過ぎるつもりだったが、どういうわけか群青は先生のことが気になり立ち止まった。
「何をされているんです?」
先生は話しかけられるとは思っていなかったらしく、キョトンとした表情を見せたが、すぐに快活に答えた。
「廊下の窓に鍵がかかっているかチェックして回ってるんだよ。私、放課後は戸締り当番で校内中回ってるの」
「毎日ですか?」
「ルーキーだからねえ」
言いながらも窓の鍵を一つ一つ点検している。地味に大変な仕事だった。
皆内先生に尋ねたいことを、群青はふと思いついた。
「先生、一つ聞いていいですか?」
「なあに?」
その質問は深入りした質問だったため抵抗はあったが、群青にとっては興味深いことでもあった。
「先生は安住くんの死について、納得がいっていますか」
「…ずいぶん突然だね」
先生の顔が若干曇る。無理も無い反応だった。
しかし皆内先生に最も分かってもらいたいことは、自分は好奇心や悪ふざけで聞いているのではない、ということだ。
真摯な態度で聞いた成果か、先生は群青に対して不快感は抱いていないようだった。
「私に聞く、何か理由でもあるのかな」
「あの事件について今、先生はどのように受け止めているのか、それが知りたいんです」
「そうね…。自分の中ではストンと落ちるところに落ちて、もう過去の出来事になっているかというと、そんなことは決して無いと思う。教師を続けている限り、忘れることも無いと思うわ」
言いながら窓を閉めていく。
「私、安住くんが亡くなったあの夜、安住くんが倒れていたところのすぐそばを歩いていたんだよ」
「はい、亡くなった翌日の朝礼で聞きました。一時間ほど時間はズレていたと」
「どれだけ時間が経っても、どれだけ冷静になってもあの時、時間がズレていなければって思ってしまうんだ」
「…先生はもしかして、事件当初は殺人だと考えていたのではないですか」
先生は言葉に詰まっていた。窓を点検していた動きが止まる。
「…どうしてそう思うの」
「…何となくです。ただ亡くなった翌日の朝礼の先生の様子を見て、その時にそう思いました」
あの時に群青が感じた疑問、先生に対する微かな気づき。それについて聞きたかったのだ。
先生は窓越しに外を眺めていた。校庭や近くの道路を眺めていたわけではなかった。何もないどこかを見つめていた。
先生の中にある形容しがたい事件への想いを、上手く言葉に変えようとしているように群青には見えた。
「そうね。不謹慎かもしれない。でもあの時は事件だと…つまりは何かに巻き込まれたのではないかと、そう考えてしまっていたわ」
「どうしてそう思ったんですか?」
「安住くんは…わりとよく喋ったことのある生徒だったから。大体いつも気さくで明るかった。時々表情が暗いこともあって気にすることもあったけど、そういう時は大抵翌日には元通りの元気な彼になってた。あの安住くんを思い出すと、突然の体調の悪化なんて信じられなくて」
群青は、皆内先生の目尻にうっすらと光るものがあることに気づいた。
今はもう居ない生徒との思い出が蘇っているのだろうか。群青はとても悪いことをしているような気がしてきた。
「心不全で亡くなったって最初に聞いた時も、正直行ってすぐには納得出来なかったな。全然、安住くんとは結びつかないような気がした」
「今では、納得は出来ていますか」
「納得…どうだろう。多分出来ていないと思う。私の中でまだ腑に落ちてない、漠然としたものがある気がする。でもそれでも公表されている全てが事実なら受け入れないとね。納得できるよう、今はゆっくりと時間をかけてモヤモヤとしたものを溶かしているような感じかな」
「自分が納得出来るかどうかが大事、先生は前にそう言ってました」
「そう、私はいつもそう思っている。そして納得に向けて行動することも、同じくらい大事」
皆内先生は言いながら頷いた。群青は小さくお辞儀した。
「すみません。いきなり変なことを聞いて」
「ううん、いいんだよ。生徒は皆、多かれ少なかれ気にしている事柄だろうし…。群青くんは安住くんと仲が良かったの?」
「いいえ、正直言って全く知り合いでは無かったです。親しくはありませんでした。だけど…」
「だけど?」
「…彼の死について、僕も納得がいっていないんです。…そして納得を付けたいと、そう考えてもいるような…気がするんです」
自分にとってはもう終わったこと、そう思っていた。
しかし心の深奥まで潜り、正面から向き合うと、そこにあったのは欲求だった。事件の真相を知りたいという欲求があった。
どんな形であれ、決着をつけたかった。自分の心を再び動かしたこの騒動が、有耶無耶のままに終わってしまったら、再び自分の心は殻にこもるかもしれない。
正義のため、友のため、それもあるかもしれない。
だが何より、自分の心のあり方のためだった。
…皆内先生と別れて家庭科室に行くと、木田は既に教室に入っていた。窓が開いているので、いつも通り侵入したらしい。
「よぉ」
「やぁ」
「お前から呼ぶなんて初めてじゃないか。ましてや捜査から離れた後に」
木田は別に嫌味などではなく、純粋に率直な意見を述べた。
「…木田」
自分から呼び出した群青だったが、実際会った木田に何と言いたいのか、言葉が上手く見つからなかった。
だから浮かんだ言葉を少しずつ、飾らずに言うことにした。
「木田、君がこの事件の捜査をすることに、どんな意味を見出しているのか、僕は完全には分かっていない」
「…」
「ただ最近思うことなんだが、何かを選んで行動する時に重要なのは、納得ができるかどうかってことだと思うんだ。君が安住殺しの犯人を探すことに何らかの意味を見出していて、その選択をすることに自分で納得しているのなら、それで良いと思う。…そして僕も自分が納得できる道を選んでいきたい」
「…お前さんの納得できる道ってのは」
「…もう少し手伝うことにするよ」
木田は意外そうな表情をしたが、すぐに微笑んだ。群青に近づいて肩を軽く小突く。
「どういう風の吹き回しだ」
「少しだけ、考えた。きっかけをくれたのは椎名だ」
「椎名が…」
「まぁ、命を賭けるようなことは二度とごめんだが、それ程にならないんだったら手伝うよ」
「ありがとう。結構頼りにしているからな」
木田の表情には明らかに感謝の念が表れていた。
単純だなと群青は思い、同時に照れくさい気持ちがあった。
…しかし木田の顔に、すぐに影が差した。
「…お前が戻って来たのは嬉しいが、実は相談したいと思っていたことがある。今日は椎名を呼んでいないが、今から呼び出してもいいか」
群青が承諾すると木田は携帯で連絡を取り始めた。
程なくして椎名が来た。
教室に入ってきた椎名は、群青の姿を捉えると微笑んだ。屈託の無い笑顔だった。教室は薄暗かったが、不思議と群青にはその表情がとても鮮明に明るく見えた。
「椎名、群青はまだ協力してくれると言うから、やはり群青にもこれからやろうとしていることを説明しようと思う」
しかし木田が事情を話し始めると、椎名の顔が曇った。
「…やっぱりその線で調べるの?」
「今はそれしか手がかりが無いじゃないか」
椎名と木田のやり取りに群青は訝しがる。
「その線?もう次を調べる方針でも決めていたのか」
「群青…そうだ。今朝、俺が椎名に次の捜査の方針を連絡したんだ。香田と闘ったあの日、一つ分かったことがあって、それについて俺は昨日ずっと考えていた」
木田は群青を見る。その表情は深刻な悩みを抱えているようにも見えたが、一方で固い意思を秘めているように見えた。
「手がかりを無くしたと思ったあの日、新たな手かがりを見つけたんだ。だがそれは深刻な話だ。それでも今一度手伝って欲しい、群青」




