悼むということ
群青が通報して、程なくして警察は来た。
川で人が浮かんでいると伝えたためか、パトカーが二台来て、警官は七人も車から降りてきた。
瞬く間に現場確認が始まり、警官の一人が道路の脇から川に降りて、遺体に近づいて上体を起こした。警官は同僚達に亡くなっていると告げた。
この時点で群青達は事件の目撃者と扱われた。多くの質問に答えることとなりパトカーの後部座席に座らされた。
何故二人がここに居たのかについて話したが、筒井はショックのせいか上手く応対できなかったので、群青がまとめて話した。
連絡先と住所を聞かれると、やはり自分達も容疑者として見られているのだろうか、と少し不安に感じた。しかし何故ここに居たのかという質問以外は特にされなかった。
どのタイミングで話すべきか迷っていたが、これ以上自分達への質問は来ないと察すると、おずおずと不審者と思しき男の話をしだした。
死体のそばで男が屈んでいた、と説明すると警官達の様子が変わり、男の人物像を把握すべく多くの質問をされた。
似顔絵は描けるか、と聞かれたが暗闇でほとんど顔は見えていなかったので描けないと答えた。 実際は一瞬だけ顔全体を見ていたが、それを上手く他人に伝える自信が無かったので黙っていた。
群青が協力的だったのと、学生を遅くまで拘束するのは良くないという判断からか、一時間半ほどで開放された。
今後容疑者を特定した際には、君達を呼び出して目撃した男と同一人物かどうか確認してもらうかもしれない、と告げられた。
また開放される際に、今日のことは君達のご両親に伝えておきたいのだが、とも言われた。群青も筒井も拒絶する理由は無かったので承諾した。
群青が帰宅したのは午後九時前だった。警察から既に連絡されていたので両親は大いに心配していた。
群青は簡単に何が起きたかを説明した。気の毒がられ、慰められたが自分は何も問題は無い、と答えてさっさと切り上げた。
だが内心では穏やかでは無かったし、何も問題は無い、というのも虚勢だった。
この日は床に入ってもなかなか寝付けなかった。自分の見たことは現実だと頭では理解しているが、心ではまだおさまりがついていなかった。
目を閉じると川に浮かんでいる遺体が見えてきて、たまらず目を開けて、しんとした自室の壁や天井をぼんやりと眺めていた。それを何度か繰り返した。
言い知れない不安や動揺を抱えるのは、久しぶりだった。
翌日、群青は心を昨夜に残したまま起床した。
昨日の出来事が忘れられず、夢の中にも現れたような気がしていた。
思考はろくにまとまっていなかった。睡眠を挟んだことで、昨夜の出来事は夢だったのではないかという蒙昧な感覚が生まれ始めた。
今からあの川に行っても、警察官が貼った封鎖のテープなどは何一つ無く、平穏な風景が広がっているだけなのではないか、という現実逃避気味の妄想も生まれてきていた。
だが朝食を食べるためにリビングに行くと両親が同時にこちらを見た。おはようの挨拶こそいつも通りだが、表情は心配そうな不安げなもので、それを見た時に群青は夢でも妄想でもなく、紛れもなく現実に起きたことなんだと痛感した。
「よく眠れた?」
母親が聞いてきたので、黙って頷く。
「今日は休んでもいいんだぞ」
既にスーツに着替えていた父が声をかけるが、群青は、
「いや大丈夫だよ」
とだけ答えた。
二人ともいたわってくれているのを感じていたが、群青は平静から両親に対して感情的になることも、必要以上に会話することもしていなかったので、こういう事態でも対応はそっけなかった。
いつの頃からか、群青の親に対する親近感は希薄になっていた。決して仲が悪いわけではなかったが、全く感情をぶつけないその態度は、家族としては余所余所しいものがあった。
『今朝、西市西武町で男性の死体が発見され…』
聴こえてきた声に思わず反応して顔を向ける。テレビニュースでキャスターが報道内容を読み上げていた。既に最新の事件として全国区で報道されていた。
「大変なことになっちゃたね」
「…」
母親の深刻そうな声に対して群青は何も言わなかったが、内心ではまるっきり同意していた。
昨夜の事件についての報道が終わると、群青は食べ終えた朝食の皿を片付けて自室に戻り、制服に着替えて家を出た。
…ニュースキャスターは淡々とした口調で事実を述べていた。川で遺体が発見されたこと。事件・事故両方の線で調べていること。そして死体の身元についても調査中であるということ。
複雑な思いが去来していたが、何はともあれ高校に行くことにした。父の言うように休む選択肢もあったが、休まざるを得ないほど気が滅入っているわけではなかったので、普通にいつもの時刻に家を出た。
十五分程度で高校に着いた。教室に入り、席に座ると何をすることもなく朝礼を待っていた。
近くに居る複数のグループの会話が聞こえてきたが、内容はいずれも報道している事件についてだった。
どうやらクラス中か、あるいは学校中が近所で発生したばかりの事件について話しているらしかった。人が死んだという話題だったが、話題が持つ非日常さゆえか、皆どこかはしゃいでいるような、興奮しているような熱気を群青は感じ取った。
皆内先生が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まった。いつも通り朝礼が始まるかと思いきや皆内先生は、
「今日は朝礼はいいわ。取り急ぎ皆に伝えなきゃいけないことがあるの」
と述べた。雰囲気から例の事件についての話であることはクラス中の誰もが想像ついていた。
だが事件があったことを周知するだけにしては、皆内先生の様子が変だった。
群青には、皆内先生の顔色がすこぶる悪いように見えた。クラスの何人かもすぐに気づいて、それまで興奮でざわついていた教室はゆっくりと静かになっていった。
皆内先生は怒っているのか泣きそうなのか判別しがたい表情だった。瞳に涙が溜まっていることに群青は気づいた。このまま先生が何も言わずとも、生徒達は自ずと何が起きたかの真相に行き着いていたかもしれない。そういう悲壮な空気感が広がりつつあった。
「今朝、この近所の川で遺体が発見されたことは、ニュースを見たか誰かから聞いたかで知っている人も多いと思います。その事件について先ほど警察から当校に連絡がありました」
一呼吸、間を置いたのちに皆内先生は意を決したように言った。
「発見された遺体は当校の生徒であり、この学年の生徒、B組の安住彰くんであることが分かりました」
一瞬の沈黙。それは先生の放った言葉の意味を生徒達が理解するのに必要な時間だった。先生の言っていることは全て真実であることは雰囲気からして疑いないことだった。
先生は事実を述べた後は、生徒達の気持ちが追いつくのを待っているように沈黙を貫いていた。
「うそ…」
どこかから女子の呟きが聞こえてきた。もともと震えていたその声はすぐにすすり泣きに変わった。B組の安住彰、その親しい友人だったのだろう。泣き声はクラスの全員に事態の重さを十分知らしめた。
先生は話を再開した。
「安住くんだということは、つい先程警察から当校に連絡が来て分かったことなので、ニュースを見た人も知らなかったはずです。非常事態とはいえ突然伝えて驚かせて申し訳ないと思うわ。いきなりでどう考えたらいいのか分からないと思うけど…」
話している先生自身がどう受け止めていいか分からない様子だった。
「まだ警察は捜査を始めたばかりなので、安住くんの亡くなった原因が事故なのか…事件なのか、まだ分かっていません。ですが先生達は事態を重く考えて、今日の授業を取り止めにして全員集団下校させるかどうか、会議をしています。私もすぐに職員室に戻らないといけません。先生達が今後の方針を決めるまで、皆は教室に待機…自習していて。決して教室から外に出ては駄目よ。怖がらせたくないけど、今は非常事態と思って決してふざけることはしないでね」
担任はそう述べた後、教卓の前に立ったまま少し黙っていた。臨時の連絡事項としては今のが全てだったのだろう。
そこから先の言葉は、皆内先生自身が感じる率直な想いからの言葉だった。
「私、昨日の夜、あの橋の近くを歩いていたの。少しここを残業した後、帰っていて…。私の歩いていた時間と安住くんが倒れたと思われる時間は、おおよそ一時間ほど差があるみたい。でも…もしあの時、同じ時間を通っていれば、安住くんに会えたかもしれない。何か私に出来ることがあったかもしれない…」
その声は先程よりもさらにか細く、震えていて、泣き声に近かった。
「…私はこの学年の英語教科の担任でもあるから…他クラスの安住くんともたまに喋っていたけど、安住くんは本当に優しくて楽しい生徒だった。一ヶ月とちょっとの間だけど、ゴールデンウィークは家族と山に登る予定だっていう話を心底楽しそうに話してくれたわ。生徒だけでなく私達先生にも気さくに喋りかけてくれる子だった。亡くなったなんてとても悲しいし、もしこれが事件なら、とても悔しい」
押し殺していた気持ちが漏れ出るように、言葉一つ一つに重い感情を乗せるように話していた。言い終えて教室から出て行き、あとに残った生徒達は先生の言葉を噛み締めた。さらに泣く者が増えた。
群青は他クラスの安住という男を知らなかった。名前を聞いても顔が分からない。それゆえか自分が今何を感じているか、心に問うても判然としなかった。
あの浮かんでいた死体が同学年の生徒だったことに衝撃は感じていたが、安住の死そのものに対して、悲しみは無かった。




