裂傷
倉庫に近づいている時に群青が気づく。
「木田、二階の窓の一つがほんの僅かに開いているのが見える。椎名さんの言ったとおり、あそこから見ていたんだ」
「また覗かないかよく見ておくんだ。一階よりも二階を注目しよう」
シャッターの目の前に着いた時、上から男の声が聞こえてきた。
「そのシャッターをくぐって入って来てくれ。少し滑りが悪くて全開にはできないんだ。俺は上のロフトに居るから、入って右にあるハシゴで上がってきてくれないか」
「…分かった」
答えながら木田は、くぐらないと入れない隙間のシャッターを見ていた。群青も悩ましくそれを見ていた。
おそらく考えていることは一緒で、このシャッターをくぐる時、体勢的に無防備になることを懸念していた。
「…入らないのかい?」
筒井が二人に声をかける。筒井が考えるほど状況は平穏ではないのだ、と群青は内心思ったが、その言葉をきっかけにしたように木田が進み始めた。
「群青、周りを見ていてくれ」
「分かった」
発言自体は他愛ない感じだったが、それは最大に警戒している男の、真剣な頼みだと群青は理解した。
木田がくぐる時、群青も少しかがんで中の様子をうかがった。
暗くて分かりにくいが業務用の大型の棚が並んでおり、いかにも倉庫らしい雰囲気だった。
人の気配は無い。椎名から何の指摘も無いということは、まだ香田は大きな動きを見せていないということだ。今も上に居るのだろう。
木田は無駄の無い動きでぐぐり終えた。すぐに身体を起こして周囲を警戒するが、何も起きない。数秒経ってから群青の方を見て言った。
「よし、入ってきてくれ。一人ずつだ」
「筒井、先に入りなよ」
「ああ」
言われて筒井も木田同様にくぐり始める。その顔には先程よりも緊張感が表れていた。
見ず知らずの建物に入る行為ゆえだろうか、あるいはこれから会う人は安住を殺した人間かもしれない、という可能性の実感が徐々に湧いてきたのだろうか。
筒井も問題なくくぐれたので群青も中に入った。二人の無事を確認した後なので、それ程不安は無かった。
くぐった後に周囲を見渡すと、棚だらけだった。棚板には塗料が入っていると思われる缶の容器や、工具が入っているツールボックス、何に使うか分からない機械などが所狭しと置かれており、どれも埃が積もっていた。
他にもベニヤ板が壁によっかかっていたり、通路に段ボールが無造作に置かれていたりした。段ボールを覗くと大量の釘が入っていた。
「普通に業務用の倉庫という感じだな」
木田が感想を述べると、突如倉庫内に灯りが点いた。天井に大きな照明がいくつか着いており、それが点灯していた。同時に上から声が聞こえてきた。
「やぁ。こっちにハシゴがある。それで登ってきてくれ。そこは物置みたいになってるが、ロフトは居住空間なんだ」
声のする斜め上方には確かにロフトのような空間があり、そこに続くハシゴも見えた。
ロフトの床面積がどれほどなのかは分からなかったが、香田の声はしても姿は見えない。群青達の居る場所からは、ロフト内の状況は確認出来なかった。
「木田、どうする」
群青か小声で木田に囁いた。木田は声のする方を注視しながら答える。
「ここに居てもしょうがない。俺から登る」
木田は一歩ハシゴに近づいたが、ふと筒井を見た時に声を上げた。
「おい筒井、大丈夫か」
つられて群青も筒井を見ると、筒井の右手から血が滴り落ちていた。言われて筒井は気づいたのか、
「なんだろう。そこらへんの何かに触ったかな。大したことないと思う」
と単純に驚きつつ血を拭い始めた。人差し指の腹から出ているようだが大した出血量ではなかった。床に落ちたのも二、三滴だった。筒井はポケットからハンカチを出し人差し指を包む。
「気をつけろ。棚には工具やら何やらが積んであるからな。尖ったものがあったのかもしれない」
「何か、あったのかい?」
注意喚起する木田に対して上から声が投げかけられる。
「連れが何かに触れて怪我をした」
「そうか。気をつけた方がいい。全く整理していないからな。もう使われていない資材置き場を俺が借りて住んでいるんだが、全く片付けていないからそこらじゅう物だらけだろ。何があるかもよく分かっていないんだ。ハハ…」
香田の妙な陽気さが群青の気に障った。木田も同様だろうと推察したが、木田は早く香田と相対したいらしく、ハシゴへ行き手をかけた。
「…木田、上で待ち伏せしていたらどうするんだ」
「こっちは三人だ。一人が不意打ちをくらってもまだ二人いる」
「そんな無謀な」
群青はどうにも上へ登ることが不安だった。相手の手中に自ら飛び込んでしまうのでは、という不穏な予感があった。だが今の木田を止めるのも相当困難に感じた。
木田がいよいよ足をかけて身体を完全にハシゴに乗せようとした時、叫び声が響いた。
「木田くん!」
筒井だった。木田も群青も大いに驚いた。
「おい、どうしたんだ…」
「指を見てくれ…いや手だ!」
筒井はそう言って木田を指さした。それを見た群青は最初、筒井が自分の傷ついた指を見てくれと言っているのかと思った。
だがそうでは無いようだった。
群青は次に木田の方を見る。木田も意味を理解しかねている様子でキョトンと筒井を見ていた。
だがひょっとして、という感じでゆっくりと視線をずらしてハシゴにかけている自分の手を見る。
筒井はブツブツと呟いていた。
「どうなってるんだ…。俺の手といい、これは絶対におかしい…」
木田の靴に液体が一滴垂れる。血だった。血はハシゴにも付いており、伝って床へと流れている。
「木田!そこから離れろ!」
筒井の次に事態に気づいた群青が叫んだ。
同じタイミングでどこかから声が聞こえてきたような気がした。椎名の叫びだったかもしれない。だが確認する余裕は無い。
木田の手とハシゴが接している部分から、相当な量の血が流れ始めていた。
「これは…」
木田は後ずさる。両手は真っ赤に染まって痛々しく血が滴り落ちていた。かなり深い傷口が、手を横一文字に走っているように見えた。
「木田!気をつけろ!ハシゴに刃物が仕込んである!」
群青は叫んだ。上に居る香田に会話が筒抜けだったが、気にしている余裕は無かった。だがすぐに木田が首を横に振る。
「いや、刃物の冷たい感触はなかった…。俺はお前らに言われるまで手が切れたことに気づかなかったんだ…。今は痛みを感じているが最初は何も感じなかった」
話す間も両手からは血が滴り落ちている。
「鋭利なんだ。あまりに鋭い…。だが金属のような感触は無かった」
「鋭い観察ではある」
先程から聞こえてくる姿無き声、だが今度は遥かに近くから聞こえてきた。それはもはや頭上から聞こえた。
群青は見上げた。男がハシゴの上からこちらを見下ろしていた。
「攻撃されてから気づく早さという意味では、まぁ鋭い方だ。本当に賢い奴は、ここに入った時点でもっと警戒しただろうし、そもそもここに入ろうとはしないだろうがな」
その男こそ香田だった。筋肉質なガタイと細い目付きを確認できた。真壁の提供した情報通りだった。
突然の対面だったが木田は怯まずに話しかけた。
「これはお前の『能力』なのか」
血だらけの両手を香田に見せつけるが、香田はスプラッターなものを見ても、一切気にとめていない様子だった。
「お前らみたいな『能力』を分かっている手合いには説明が簡単でいい。こういう事態が何によるものかって推理を、自ずとしてくれるのだからな」
香田は両手を握ったまま上げた。降参のような動作だったが、そうした意図では無いことは三人とも理解していた。むしろそれは好戦的な宣戦布告の態度だった。
「『マングラー』と俺は呼んでいる。どういう『能力』かまでは言えないが、お前達にとって非常に厄介で、致命的なものだとは言っておく」
そう言って凄む香田の目は、一切冗談を言っていない真剣な目つきであると群青は感じた。
「何故俺が『能力者』だと気づいたのか。何故俺の家の住所を知っていたのか。何故訪れたのか。色々知りたいが、そんなことより重要なのは俺は侮辱されているのかどうか、ということだ」
香田は下に居る三人の顔を順々に見ていく。
「俺は侮辱されることが何よりも嫌いだ。人生でそれが一番不愉快で癇に障る。そして自分が思うようにならない時、その原因となる奴は俺を侮辱しているんじゃないかって思ってしまう。お前らは別に頼んでもいないのに俺の所へ来て、図々しくも『能力』について聞きたいなどと言う。不愉快だ。俺を侮辱していやがる」
無茶苦茶な理屈であり思考だったが、香田はどこまでも本気で喋っていた。
言うがいなや香田は何かを放り投げた。両手に掴んでいた細かい何かを、一斉に下に落としたのだ。
見上げていた群青の目には、天井の照明に照らされて光る大量のソレが見えた。
「釘だっ!」
群青が気づいて叫ぶが。他の二人は教えられる前に腕で頭や顔を防いでいた。何かが落ちてくる時の自然な条件反射だった。
だがこの場においては、その動作だけでは不充分すぎた。
「うおぉ!」
木田が呻く。群青が思わず木田を見た時、既に木田の首の付け根あたりから痛々しい朱色の線が走っていた。血が流れ出している。
唐突に群青の肩に、つねられたような局部的な痛みが襲った。首をひねって見てみると釘が肩に刺さっていた。
(馬鹿な!いくら尖ってるからといっても、落ちてきただけでこんな…!)
釘の雨は三人を容赦なく襲い、掠ったものは切り傷のような痕を作り、直撃したものは浅手だが確実に刺さった。
明らかに、尋常ではない威力だった。
「一旦ここから離れろ!」
木田が言う時にはもう、他の二人とも逃げる体勢を取っていた。とても対抗できる状態ではなかった。




