納得
真壁の行動において正解だったことは、決断が早かったことだ。真壁はすぐに転居の準備を進めた。
香田という人物と関わるのを一切やめようと思った。だが家に招待したことがあるので住所はバレている。万が一の大事を取って真壁は家を出ることにした。
その日のうちに、もともと少なかった荷物を大きなダンボール一箱にどうにか収めて、隣家の大家に連絡して翌日の退去を懇願した。
どうにか退去の約束を取り付けると、インターネットで調べてここから少し離れた地区のアパートの一室を仮決めした。即入居が可能であることを確認して不動産への来所日を決めると、その日はネットカフェに赴いて宿泊した。
たとえ一晩でもここに居るのは危険だと、極めて慎重になっていた。
今の家を決める際に礼金を払っていたので惜しい気持ちはあったが、ここは大事を取るべきだと判断した。
この判断が正しかったと自覚したのは、翌日に退去の立会と、荷物回収のために自宅へ戻った時だった。角を曲がり自宅のアパートが視界に入ると、アパートの廊下、自宅の前に誰かが立っていた。
香田だった。背中しか見えなかったが、背格好や普段見ていた服装の類似で判断できた。
真壁は反射的に後ずさって角を曲がり、逃げた。
香田がどんな意図で訪問してきたのかは分からない。ただいつも通り遊びに来ただけかもしれない。だがおそらくは昨日の返事が気になってやって来たのだろう。
もし自分がまだ家に居たとして、香田と相対して昨日の提案を断ったとしたら、どうなっていただろう。香田は残念がって帰るのだろうか。しかし昨日言われた言葉を思い出した。
(俺は侮辱されるのが一番嫌いだ。そして自分の思い通りにいかない時、その原因になった奴は俺を侮辱していると、そう受け取ってしまう。そういう時たまらなくカッとなるんだ)
真壁の脳裏に昨日ファミレスで絡んできた巨漢の姿が蘇った。見たことは無いのに、傷つき血を流してうつ伏せに倒れる巨漢の姿が脳裏に浮かんだ。顔は真正面から地面にぶつかって朱色に染まっている。肌のあちこちに痛ましい傷がついている。その全てから赤黒い血が流れている…。
香田には見られていないはずだ、と頭では理解していたが恐怖心が勝って真壁は全速力で駆けて行った。大家との立会の約束は破るしかなかった。荷物も諦めた。
香田は違う世界の人間だ、ということを痛感していた。そして真壁はその違う世界に引き込まれようとしていた。断った際には何が起きるのか真壁には想像もつかなかった。だが恐らく決して良いことではない。何も無いかもしれない。だが何かあるかもしれないし、あった時にはもう取り返しがつかないかもしれない。
新居で暮らし始めた真壁だったが一抹の不安を覚えていた。いずれバッタリ香田に出会うのではないかという恐怖があった。一緒に行動した地域にはしばらく行かないように心がけた。
実際に香田に出会うことは、幸いなことにその後は無かった。
「今働いているコンビニは、香田と遊んでいた場所とは少し離れているから問題ないと判断していたんだが、代わりにあんたらと出会うことになるとはね」
香田についての話を終えた真壁が苦笑まじりに言う。
「しかし香田という男の『能力』がどういうものか、今の話ではあまり分からないな」
一連の話を聞いた木田が感想を言う。
「そうだな。香田が自分に絡んできた男に『能力』で攻撃したって推測が立つくらいだ」
もしそうだとすると香田の『能力』には殺傷能力がある、と群青は分析した。しかし安住の死因は心臓麻痺だ。
香田という男が『能力者』であり犯罪者でもあったとしても、現時点では安住殺しにかかる有力な証拠にはならない。
「だがそいつが『能力者』だというなら、調べる価値は十分ある」
香田という男に関心を抱きつつある木田は、次の捜査対象の矛先を香田に向けつつあった。群青は感じている疑問点を木田に伝える。
「だけど木田、『能力』の性質が安住くんの死因と少し異なるんじゃないか」
「確かにな。香田は直接は関係無いのかもしれない。しかしこの事件は、『能力』を持っている奴に接触していかないと真実には到達できない。そいつが犯人じゃなくても情報を持っているかもしれない」
「しかしただ『能力者』というだけならまだしも、明らかに危ない人のところへ尋ねて行くというのは…」
「どのみちこの捜査で、最後に問い詰めることになる相手は殺人犯だ。過程で危ない奴の所へ行くのも想定内だ」
言われてみればそうであるが、こうもハッキリと危険に踏み込むとなると、どうにも抵抗感が生まれる。
群青は椎名の意見を聞きたくてチラリと見た。椎名なら保守的な意見を言うかもしれない、と期待したのだが、当の椎名はまだ残っていた飲み物をマイペースに飲んでいた。
「その香田って人の家が何処にあるのかは、知ってるの?」
飲み終えた椎名が聞くと、真壁は気まずそうに首を横に振った。
「いいや。調べたいと言っているところに申し訳ないが、俺は香田がどこに住んでいるのかまるで知らないんだ。自分の個人情報は全く言わない男だったからな」
「写真とかはあるの?」
「たしかボーリングをした時に一緒に自撮りした写真が残っていたはず…」
最近撮ったもののためかすぐに見つかる。
「ほら、こいつだ」
木田に向けてスマホの画像を見せる。群青と椎名が両側からのぞき込んだ。施設の屋内で、真壁が自撮りして二人が写っていた。
「俺達より何歳か年上のようだな」
木田が感想を呟く。
群青がふと椎名を見ると、椎名は怪訝な表情をしていた。
「どうしたの?」
椎名の瞳には驚きが含まれていた。木田と真壁も椎名を見ると、たどたどしく椎名は話した。
「この人の顔は見覚えがある…。私が『シックス・センス』で街中で『能力者』だと気づいたのは二人だと、前に言ったでしょ」
「…うん」
「二人のうち一人は真壁さん。そしてもう一人…その一人というのが、この人なの」
群青は皆と別れて帰宅した。制服も脱がずにベッドにうつ伏せになった。疲れていたが不安が頭にのしかかっているような感覚で眠気は無かった。
捜査を続ける木田に対して、不安を覚え始めていた。
本当にこれで正しいのだろうか。本当に安住殺しの犯人は居るのだろうか。実は意味の無いことに、自分の掛け替えのないものを賭けているような気がしていた。
群青は身の危険に対して恐怖を覚えていた。どれだけ人生はつまらなくても命は惜しい。危険なことに手を突っ込むくらいなら、何もしない方がマシだ。
死にたくないのだ。理由は無くとも。
「群青くん」
翌日、高校の廊下で皆内先生に呼ばれて群青は振り向いた。
「群青くんって、筒井くんの家にお見舞いに行っているって聞いたんだけど、そうなの?」
「ええ、まぁ」
答えると、皆内先生は朗らかに、とても嬉しそうに笑った。
「すごい!それってすごく良いことだと思う」
屈託なく笑い群青を褒めるその姿や仕草が、群青には眩しく見えた。
「それって誰から聞いたんです」
「私、自分のクラスの生徒じゃないけど筒井くんが心配で、お家に電話したんだ。様子はいかがですかって。そしたら最近は生徒の子が一度お見舞いに来てくれて、それで筒井くん少し元気になったんだって。色々聞いたら群青くんだって分かったの」
「中学の頃からの知り合いなんで、まぁ、それで」
なんと言えばいいか分からず言いよどんでいたが、何も言わずとも、先生はただ群青に対して尊敬の念を向けているように感じられた。
教師からこのような視線を受けるのは初めてであり、新鮮な驚きだった。
「筒井くん、あの事件以降は学校に来なくなって、きっと不安になってるんだろうなと思ってたんだけど、群青くんが支えてくれたおかげできっと良くなるだろうっていう気がしてきたよ。担任の先生が行った時は直接会ってくれなかったみたいだけど…。やっぱり友達が一番だね」
「…僕は正直言って、心からの善意でやっている自覚がありません。もしかしたら善意が 全く無いのかも。ある種の自己満足で行ったのかもしれません」
「どう思っているかじゃなくて、どう行動したかが大事なんじゃないかな」
「行動…」
「時にはね。仮に善意が無かったとしても、その行動で誰かが助かったのならそれは良い行いなんだと私は思う。あとは、大事なのは行動をして良かったと自分が思えるかどうかだよ。群青くんは筒井くんが元気になってどう思う?」
「嬉しいと思います」
「きっと、そういうことが大切なんだよ。自分が納得できるかどうかだよね」
「納得…そうですね」
その時、群青が考えていたのは筒井のことともう一つ、安住の事件と木田達のことだった。
あれについて、どのように動けば自分は納得するのだろう。
群青は再び筒井の家を訪れていた。
「やあ」
筒井は快く迎えてくれた。前回と同じように部屋に案内される。
「来週には学校に行こうとは思っているんだ。今日はなかなか踏ん切りがつかなくてね…」
「いや、それはいいんだ。自分のペースでいいと思う」
群青が訪問したのは単純なお見舞いでもあったが、それとは別に自分が置かれる状況の変化に戸惑っていて、そこそこ近しい人と話したい気分になったからだった。
近しい人といえば筒井しかいなかった。
「なにか悩みでもあるのかい」
思慮深い表情でもしていたのか、速攻で看破される。
「いや…」
ただ筒井に、安住の事件について調査していることを言うのには躊躇いがあった。
事件でなく事故であり、犯人はいなかったという結末が筒井を安心させているのだとしたら、それを少しでも揺るがす発言は控えるべきなのでは、と思えたからだ。
「何かあるなら話してみてくれよ。聞き手くらいにはなれるぞ」
「…」
しかし群青も我が身に起きている事柄に戸惑っており、また不安も感じていた。どんどん予想だにしていなかった事態に巻き込まれている感覚があった。
「友達じゃないか」
筒井の言葉に、俯きがちだった群青は顔を上げた。
友達という言葉がとても新鮮で、心が揺れた。
「…」
「…」
「…それなら一つ相談していいかい」
「どうぞ」
群青は今まで隠していたことを詫びつつ、これまでの経緯を語った。
『能力』のことを何も知らない筒井に、『能力』について触れずに説明するのは相当に難しかった。
事故ではなく事件だと考えている理由としては、木田の推測に過ぎないとしか説明出来なかった。
真壁、香田という人物についても、事件について疑わしい人物がいると人づてに聞いたという程度の話にとどめた。
筒井は群青が想像していたよりも、ずっと驚いているように見えた。驚き、訝しがり、動揺もしていた。
「じゃあその木田はという奴は安住の敵討ちのために、そこまで無茶しているのか。突然お前に絡んだりして」
エレベーターを落とされたくだりは一切話すのを止めて、代わりに誤解した木田に喧嘩をふっかけられたと言う話にすり変えた。
「説明したらすぐに誤解は解けたけどね。木田っていう名前なんだが、知ってる?」
「…いや知らないな」
「ウチの高校のすぐ近くにある工業高校の生徒だけど、まぁ知らないだろうな」
「安住の友達…友達ね…」
筒井にとって安住は殆ど赤の他人だったので、その友人の木田のことなど当然知るわけがない。
「友達だったとしてもそこまで躍起になれるものなのかな」
「中学の頃の同級生らしいから、どれだけ仲良かったかはよく知らないが、彼にとって今やっていることは大事なことなんだろう」
「そして犯人、あるいは重要な人物として香田という人物にたどり着いたというのか」
「犯人が香田なのかはまるで分からないけど、明日調べに行くことになっている」
「…」
筒井の深刻な表情が、少し群青には意外だった。
「…俺も行くよ」
「え?」
「俺もついて行っていいかな。気になるんだ。自分の見たことの真相が」
筒井の提案は意外というほか無かった。群青から見た筒井は、不幸にも事件を見てしまった偶然の目撃者だ。それ以外の点でこの事件に関わる必要は無い。
「…真相なんて無いのかもしれない。僕は手伝っているけど、正直言ってやっぱりただの事故だったのかもしれない」
「それならそれでもいいさ。でも俺はもっと知りたいんだ。そうじゃないと満足できないし安心できない気がする」
「完全に巻き込まれた身なのに、納得をしたいのか」
「それは君も、少しそういう気持ちがあるんじゃないのか。だから木田に協力しているんだろう」
筒井の言うことは当たっていた。
あの夜何が起きたのか、何故あれが起きたのか。真相を知って納得したいという気持ちが、群青自身の中にあった。そのため筒井の気持ちも分かる。
だが、危険な事態に首を突っ込んででも知りたいのだろうか、という自問が昨夜から内心に淀んでいた。
「うん…そうだな…」
群青はしばし悩んだ末に、筒井の希望を尊重することにした。
自身の中で複雑な煩悶はあったが、それはそれとして、筒井の納得したいという思いに答えてあげたいという感情が芽生えていた。
「分かった。でも僕は明日の件で事件の真相が分からなかったらもう、この捜査からは降りるつもりなんだ。だから筒井もこの件で付き合うの明日だけにしてくれ」
「分かった。それでいい」




