異常が僕の手の中に
三人は前を歩く男の背中を注視しながら追いかけた。
椎名は何も文句言わず付いて来た。こういう状況変化に慣れてるのだろうか、と群青は気になった。あるいは自分が気にしすぎなのだろうか、とも思い始める。
目的は尾行だが、今のところやっていることは同じ道を歩いているだけだ。
(大丈夫、道を歩いているだけだ…)
自分をなだめつつ歩いた。
だが尾行を始めて数分すると信号についた。赤信号だったので男は止まる。木田達も男のやや後方で一緒に待った。
信号待ちにしては妙に横断歩道から距離を取った待ち方なので、違和感がややある。
こんなことを二回やった後、我慢しきれず群青が切り出した。小声で木田に話しかける。
「妙に距離を開けるのはやめようよ」
「万一だ。あいつが犯人だったらと考えるとな。安住は原因が分からない何かの力で殺されたんだからな」
危険は確かに分かるが、しかしこの尾行は素人だなと群青は我ながら思った。
男も群青達も、大通りの歩道をただ真っ直ぐ歩いている状況がしばらく続いた。
「人通りもあるし不審には思われていないだろう」
「どうかな…」
小声でやり取りをしていると、不意に男が立ち止まった。立ち止まったと思うと顔を横に向ける。群青達はギクリとして一瞬身体を硬直させた。
だが男は通りがかった店のショーウインドウの商品が気になっただけだった。立ち止まって覗いている。
「どうするんだ木田」
「しょうがないから一度追い抜いてどこかで待とう」
三人は男の後ろを通った。ただ通行しているだけなので気をつけることは何も無いはず だが、緊張ゆえに通り過ぎる際は三人ともぎこちないものがあった。
「そこの路地を曲がって様子を見よう」
木田が小声で言う。細い路地を曲がる際に、どうにも気になって群青は振り返って男の方を見た。
男はまだ歩き出しておらず、ショーウインドウの前に居た。当然、ショーウインドウを眺めているはずである。
だが群青は男と目が合った。
男は群青達が曲がる様子を見ていた。少なくとも群青にはそう感じた。
「どうした?群青」
路地を曲がり終えて木田が言う。
「…いや、多分大丈夫だ」
路地を曲がる高校生達をたまたま見ていただけ、そう判断した。そう判断しないと怖かったからだ。
路地の曲がり角から少し離れた所で、三人は様子を伺っていた。
「おい、通ったぞ」
木田が喋る。確かに男が路地の前を通り過ぎた。
「あと十秒くらいしたらここを出て尾行を再開する」
木田が言ってからおおよそ十秒後、三人は路地を出て尾行を再開した。
男は若干離れた距離で何も意識せずに歩いているように見えた。ちょうど信号を越えたところで、信号は既に赤になっていた。
「信号のところまで行くぞ。待っているうちに見失わなければいいが」
三人は信号の前に立った。何をすることもないので、男の姿が消えないか観察する以外やることはない。
「何か探していない?」
最初に異変に気づいたのは椎名だった。
「何かキョロキョロしてるよね」
「たしかに。何か探しているみたいだ。待ち合わせか?木田、どうする」
「まだ何も分からない。それにあんな何もない道端で待ち合わせするとは思えないな」
男は何かを探しているような素振りをした後、目当てのものを見つけたのか、急に車道を渡った。車通りが少ないので楽々渡れたが、群青達には予想外の行動だった。
「まずいぞ木田。見失う」
群青は先程目が合った瞬間を思い出していた。それを今からでも二人に伝えるべきか迷っていた。
「クソ、まだ赤だがもう渡っちまうか」
木田と群青は信号を渡っても問題ないか車の通りを見た。そうしている二人を椎名が呼びかけた。
「見て、あれ」
言われて群青は向かいの歩道を見ると、男は車道を渡った所で立ち止まっていた。
誰かと話している。子供だった。
小学低学年くらいの男子児童と話している。遠い距離だったが男は何か渡して、何かを受け取っているように見えた。
「道を聞いてる…わけじゃないよな」
群青が確かめるように聞くと、木田は頷く。
「このあたりでバイトしてんだから道が分からないはずもない。子供から何かを受け取ったようだぞ。知り合いか?親戚か?」
群青と木田が推測で話しているのに対して、椎名が話し始めた言葉は確信的な口調だった。
「ちょっとまずい」
木田が椎名を見る。
「なぜ?」
「…言うのが遅れたのは、この匂いがどこから来ているものなのか判別できなかったから…。今ようやく分かったの」
「何の話をしているんだ?」
木田と椎名の会話をそばで聞いている群青だったが、群青は椎名を見ずに男を見ていた。何か嫌な気配を感じる。
「強い匂いがする。警戒に匂い。重く冷たい匂い。これは私達に向けられた匂いだったんだ。今はこの距離からでもはっきりと感じる。もう私達は…」
男が児童とのやり取りを終えたのか目線を外す。外した目線の先は…、
「尾行にバレている」
目線の先はこちらだった。群青は再び男と目が合った。
心臓が凍るような恐怖に駆られた。群青は反射的に男から目をそらした。それがまた不審であることは自覚していたが、男の目つきは椎名の言う通り、明らかな警戒心と不信感があった。目を逸らさずにはいられなかった。
だが群青はさらなる異変に気づいた。手に何かの感触があった。それも閉じていた手の中だ。固い感触だった。
何かを握っていたんだっけ?と訝しがるが、何も握っていなかったことを思い出す。何も握っていなかったのだから、今もまた何も持っていないはずだ。
だが明らかな感触が手の中にあった。
恐る恐る手を開けてみる。
「どうする。こちらを見ているようだが、何を考えているか、分かるか椎名」
「まだ分からない。強く警戒している匂いがするとしか…それと何か挑戦的な…挑発的な感情もする…」
木田と椎名の会話も群青の頭には入ってこなかった。ただ目の前にある手に意識が向けられていた。びっくり箱を開けるように、そっと開く。
「おい群青、それはなんだ」
気づいた木田が声をかけるが、木田にも群青にも一瞬それが何か分からなかった。ただどこかで見たことがあった。
「それは…」
椎名が驚愕の声で言いかける。最初に正体に気づいたのは椎名だった。だがそれはすぐにどうでもいいことになった。
群青の手の中にあったのは、児童がランドセルなどに付けて携帯する、防犯アラームだった。
椎名に遅れて群青がどういう物か把握した時、手のひらに置いたアラームから小さな銀色の棒状の物がこぼれ落ちた。ピンのように見えた。
それがアラームの起動を防ぐ絶縁ピンであることに気づいたのとほぼ同時に、アラームは悲鳴を上げた。
これは鳴るな、と群青が判断して覚悟する時間は微かにはあった。しかし群青の覚悟を吹っ飛ばす程の尋常ではない音量だった。周囲数メートルの人間の関心を集めるに充分の音だった。鳥の鳴き声を拡大したようなキンキンとした高音だった。
(最近の防犯アラームはこんなにデカいのか?それとも特別大きな音が鳴るアラームなのか?)
ゼロ距離からの爆音に、耳も思考もやられた群青はそんな事をぼんやりと考えていたが、木田の叫び声で意識が戻った。
「おい!それはなんだ!早く止めろ!」
思考の回復と同時に焦りが立ち上がってくる。
「止め方が分からない…」
アラームには何一つスイッチが着いていなかった。
「群青くん、警官が居て、こっちをずっと見てる…」
群青が顔を上げると、二百メートルほど先にパトロール中と思われる警官が居た。明らかにこちらを見ていた。表情ははっきりと分からなかったがこちらの様子を伺っているのは明らかだった。
「どうすればこれは止まるんだ?」
今にもこちらに近づいて来ようとしている警察官を見て、群青はいよいよ危機感を覚えたがアラームは球状のツルッとした外見のプラスチックでしかない。しかし小さな穴が一箇所あることに気づいた。
「さっきの絶縁ピンを挿し直せば鳴り止むのか?」
しかし小さなピンは落ちた後、どこかへ消えてしまっていた。地べたに顔をこすりつけて探したとしても相当な時間が掛かる予感があった。
「群青くん、来てるよ」
椎名が短く群青に教えた。地面に顔を落としていた群青は顔を上げる。警察官がゆっくりとした足取りではあったが明らかにこちらに向かって来ていた。
「駄目だ。鳴り止まない!」
群青はいよいよ悲痛な口調になる。だが木田が毅然と言い放った。
「群青、手の平に乗せてそれを見せろ」
何故か、という疑問は焦りによって消され、ただ言われるがままに手に乗せたアラームを木田に見せた。
「動くなよ!」
木田は言うがいなや拳を軽く振り上げて、アラームを群青の手の平ごと叩いた。
「いてっ!」
木田は軽く殴ったので実際はさほど痛くなかったのだが、つい反射的に叫んでしまった。しかし叫んだ時には、一帯は静寂を取り戻していた。
「『アウトレイジ』は殴った機械を壊せる…」
殴打の衝撃が走ったと同時に、アラーム音は止まっていた。
「この程度の機械なら、軽く小突けば壊れる」
簡単な補足に、便利な能力だと群青は素直に感心した。




