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腕時計  作者: 望月陽介
9/13

強さ

 私は橋の端まで走り、180度回転させて、河川敷を川に向かって下っていく。

 私は許せなかった。あんなやつに、あの腕時計が葬られるのが。私が拾い、自分で使うさ。

 この川は流れが遅い。もしかしたら、探せば見つかるかもしれない。

 話しながら、私はあれを買った日を思い出していた。

 私にはお金がない。小さいころに両親をなくし、私は貧しい生活を送ってきた。奨学金に掛け持ちバイトに寮暮らし。これらのお陰でなんとか大学に行けている。

 なぜ、あの腕時計を買ったか、思い出していた。私はあきらに期待していたんだ。あいつは、私の家庭状況を親身に聞いてくれた。そもそも話そうとなんて、思ったこともなかった。

 あいつは変わったやつだった。

…私も変わったやつだった。

私は、この話し方がおかしいと分かっていた。しかし、そうせざるを得なかった。早くに親を亡くした私は強く生きることだけを考えていた。小さい弟を守っていくためにはそれしかなかった。まだ、小学生だった私は、力を求める戦士として第2の産声をあげたのだ。

 おばさんに聞いたことがある。

「どうすれば、強くなれるの?」

「健康が一番だよ。」

そう言われてから、好き嫌いをすることはなくなった。運動をした方が良いとテレビで見た時から、運動は毎日欠かさなかった。

 川の近くまでたどり着く。足元では水が流れている。最近は雨が降っていないため、流れはかなりゆっくりであった。しかし、もうすでに暗く、川の中は闇夜に溶け込み、墨のようになっていた。この中から、腕時計を探すなんて厳しい。それに流れていってしまっていたらどうしようもない。

 落ちたであろう方向を目を凝らしてみる。もしかしたら光っているかもしれない。

 しかし、目に映ったのは、薄く光る人の影である。どうやら、動いているようで、じゃぶじゃぶという音も聞こえ、誰かがいるという確信を得た。こんな寒い中川に入るなんて、なんて危険なやつなんだ。

「おい、何してる!」

歩み寄る。川の水はやはり冷たく、体力をすり減らす。近づくと女が一人大きい岩に手を突き、顔色を悪くしていた。

「はぁ…はぁ…。」

「大丈夫か?」

彼女は顔を横にわずかに振る。岩に手を付いているのがやっとのようだ。

「乗れ。」

私はしゃがむ。膝まで濡れてしまったが致し方ない。

 彼女はほとんど動かない為、無理やり手で掴み、おぶった。

 お、重い。

 足場が滑る。靴を脱いでおけばよかったと後悔する。

 なんとか、陸にたどり着く。彼女を下ろすと、私は膝に手を付いて休んだ。

 すぐに温めないと!

 傍らに置いたバッグからウインドブレーカーを取り出し、彼女に掛ける。

 彼女を見た時、どこかで見たことがあるように思った。

私は周りを確認した後、下をジャージに着替える。

「あ、ありがとう。」

女は立ち上がる。

「さ、寒い。」

「まだじっとしてろ。」

「は、はい~。」

座り込む。

「どうして川なんかに入っていたんだ?」

まあ、私も入ろうとしていたわけだが。

 腕時計のことは、もう諦めていた。着替えもないし、体温がもたないだろう。

 と、思っていたその時だった。

「こ、これを取ろうとして。」

ま、まじか。

 話は続く。

「上からこれが落ちてくるのが見えたから。」

この女、まさか、

「こんな暗いのに見えたのか?」

前にすれ違った。

「よくわかんないんだけど、この時計、ボタン押すと光るんだよ。」

ほら、と見せる。その輝きは美しい。そしてその時計が美しいことなんて、私が一番知っている。

「その時計、お前のなのか?」

一体、何がどうなっている。腕時計は知らない間に有名になっている。

「違う。友達のなんだけど。」

友達…。まさかな。

 彼女は急に顔を上げ、真っすぐな目でこちらを見た。

「その友達、あきら君くんっていうんだけど。」

…。

「もしかして知り合い?」

なぜ、そんなことを聞く。あいつが余計なことを言ったのか。

「随分見てるけど…。」

 今日はさんざんだ。しかし、腕時計が無事だっただけ、ましか。こいつが拾ってくれなかったら、ダメだったかもしれない。それは確かだ。

「拾ってくれて、助かった。」

「そっか。あなたが。」

あ、

「お礼を言うってことは、最初の持ち主さん…だよね?ごめんなさい。あきらくんから聞いちゃった。」

まずった。ばれた。これはめんどうくさい。

「助けてくれてありがとね。」

「目の前で死なれたら困るからな。」

私は不愛想だな。と自分でも思った。

「…強いんだね。」

彼女はうつむいて、そう言った。

「私だったら、助けられたか分からないよ。」

私は、強くなれたのか?




「なんでお前、いつも同じ服着てるの?」

後ろで複数の男子たちが笑っている。

「まじで言いやがったー」

という声も聞こえる。

「弟に聞いたぜ、お前の弟のランドセル、赤なんだってな。しかもぼろぼろの。」

許さない。

「なんなの、お前、少しは話してくれないと困るんだわ。」

顔を睨みつける。よく見ると、同じ係になった男子だった。私が余りに会話をしないせいで困り果て、からかうことに決めた、という流れらしい。

 くだらないな。弟のことを馬鹿にしたら、もう許さない。

 私は握っていた拳でそいつを殴った。殴るというのは、一見やられた方の痛みに注目されがちだが、殴った方もかなり痛い。男は飛びそうになるが、体制を立て直す。

 

「いってえ、ふざけんなよ。」

すぐさま、周りの人が止めに入る。担任の教師も到着する。

「おまえ、ぶっ殺してやる。」

その男子は叫んだ。

 はぁ、めんどくさい。

別室に呼び出され、事情聴取を受ける。しかし、その男子はことを大きくしたくないのか、少し、はたかれただけです。と言った。そして、ことは大きくならなかった。

そしてその日の帰り、事件は起きた。

 部活の帰り、その男子グループは私を待ち伏せていた。あっという間に5人に囲まれた。

「よくもやってくれたなあ。」

後で聞いた話だが、そいつはこの地域でも名の知れた悪ガキで、大人が手を焼いていたらしい。校則違反の数々は未だに語り草、そんなやつだった。

「捕まえろ。」

5人が同時に近づいてくる。私は正面の一人を蹴り飛ばす。しかし、その足をその横の男に掴まれる。後ろから、羽交い締めにされる。

 どんな力で、どんなに強くもがいても離せなかった。

「ばれたら面倒だから、腹パンで。」

そのリーダー格らしき男は、私の腹を殴った。

 ひどく気分が悪い。吐き気がする。口から正体の分からない液体が出てくる。血かと思ったが、違う。

「じゃ、これからは、仲良く頼むわ。」

近くで見ると、背の高い男は笑みを浮かべる。

 殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい殴りたい。

 動けない。離せゴミ。なぜ勝てない。なぜ、私は弱い。

 殴らせろ!

「もう離してやれ、動けねえよ。」

私は雪崩のように、地面に手を付く。息が荒い。ふざけるな。

「ほら、これ報酬。」

5人の男に札束が渡される。どういう仕組みだ。

 そんなことどうでもいい。

「じゃあな。」

男たちは自転車で行く。私は腹の痛みの相手で精一杯だった。

 悔しくて、ただ地面を殴った。手から血が出る。

 自分のスカートが目に映る。

 私は女。女は弱いのか。

 明らかにあいつらとは体格差があった。力も足りなかった。

 帰ってきてからは、叔父のパソコンで筋肉について調べた。そして、毎日筋トレに明け暮れた。

 そのあたりからだ。私の話し方は男のようだと言われ始めたのは。

 ちなみにその喧嘩相手の男だが、喧嘩を見ていた生徒がいたらしく、退学になった。私は家族に心配をかけたくなかったので、公にしないで欲しいと言ったら、担任はかなり頑張ってくれたらしく、公表されなかった。

 殴りたかったが、まあいい。

 これから先、私は負けない。家族を守って見せる。そう誓ったのだった。

 私は変わっていた。




肌寒い風が走る。川の近くは、風が強いのだろうか。

もう、この女は帰った方がいい。

「早く、帰った方がいいぞ。」

「う、うん。」

女は再び立ち上がる。

「私は、ちなつ。明日の試合、見に行くね。」

明日の試合に見に来るだと?何を言っているんだ。

「なんだと?」

「なんでもない。ありがとう、助けてくれて、えっと…」

何なんだこの女は。

「あきだ。」

「あきちゃん、明日頑張ってね。」

そう言うなりそそくさと帰った。腕時計を大事そうに持ちながら。

 あいつはあきらに返すのか。明日の試合、一緒に見に来ると言うことだろうか。本当に意味が分からない。

 新しい彼女だとでもいうのか?

 馬鹿馬鹿しい。

 まあでも、この冷たい川の中に入るなんて、やるな。

 助かった。

 そう背中に、届かないように言った。

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