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腕時計  作者: 望月陽介
13/13

「お前に心はないのか?」

またこれか、という気持ちがした。

「どうして、そんな風にひどいことができる。どうして、人の悪い所しか見えない。」

そんなことはない。と言いたい、でも口が動かない。

「返事も無しか。いや。謝罪も無しか。」

違う。違う!

 …すいません。

「私にではない。腕時計の持ち主にさ。」

 誰なんだよ。それは!

「じゃあな。お前には失望したぞ。」

彼女は背を向けて走り出す。俺も小走りをして追いかける。彼女の後姿は皮肉にも美しく、もう触れることがないと思うと、胸が握りつぶされる思いだ。

 彼女は5m程度走り、立ち止まる。振り向く。

「お前は、どうして私を食事に誘ったんだ?私のことが好きだったのか?」

その質問は、しおりが言ったものと似ている。まだ、答えは出ていない。

「しおりとよく話すそうだな。仲良く何の話をしていたんだ?私と同じように、何度も誘ったのか?」

それは違う…違うはずだ。しおりへの気持ちと、あきへの気持ち…。

しかし、あまり変わらないことに気づき、自分を呪い殺したい気持ちになった。俺は期待していた。可愛い二人。男子にも人気の高い二人。彼氏がいない二人。俺に優しくしてくれる二人に、求めていた。自分の癒し、快感、優越感、愛情。

俺は人を利用しているのか?俺は結婚し、温かい家庭を作るために、恋愛を頑張るんじゃなかったのか?

俺は一体何なんだ。長所なんてどこにある。生きている意味は何だ?

 気が付くと、あきはだいぶ遠い場所にいた。走っている。俺とは逆方向に。

「じゃあな。」

待ってくれ。せめて謝らせてくれ、でないと俺は俺を許せない。

 手を伸ばす。走りながら。思い切り。



「はっ!」

俺はベッドの上で、手を天井に伸ばしていた。顔には水滴がついている。それが汗なのか、涙なのかは分からなかった。

 また夢を見た。随分、はっきりした辛い夢。俺はもう、自分にさえ怒られている気がした。夢は自分から自分へのメッセージだとか、記憶の整理には像が目に映るとか言うけど、完全に前者を肯定する。俺は、あきという存在を使って、俺に説教している。

 悪夢を見たのは今だけじゃない、一昨日の夜も見た。その中では、先々週のゼミで同じグループだった女の子が出てきた。

 その子は泣いていた。

「私のこと苦手?なんでしょ?私、コミュニケーションうまくできなくて…。ごめんね。私、生きるのが下手くそで。ごめんね、うざい人間で。」

悪夢の時は決まって、こちらの言葉は届かない。というか、夢の中の自分は話せない。だから、反論も言い訳も謝罪もできない。

 ただただ、無力感と罪悪感を感じる。

 俺は今週、一度も学校に行っていない。悪夢のせいか、と言われればそうかもしれない。いや、学校に行っていない自分に対して、悪夢を見させているのかもしれない。

 俺は、明日のテストが憂鬱で怖い。だから学校に行っていない。名目は勉強するから。しかし、勉強など、全くしていない。

 明日は、テスト。その教科の先生は、単位がくれないことで有名。授業、全く理解できない。過去問、全く解けない。もう、無理。と、ツイートしてしまえば、簡単だ。周りに、難しくて無理ですとアピールし、勉強するため、休んでいることも伝わる。しかし、いいねをしたのは、違う学部の人だけだった。そう、同じ学部の、同じテストを受ける人は、俺のつぶやきを「いいね」とは思っていない。そう、「悪いね」と思っているのだ。

 それが、俺にはこう聞こえる。「卒業の為には、単位取らなければいけないんだからやるしかないだろ。」「全力を出してないのに無理とか言うな。」「できる人に質問とかしたら?」って。

 俺は他人の頼り方を忘れた。この教科以外のテストでは、俺は頼られることしかない。正直、それらは簡単で。恐らく受講生なら誰でも理解できる。だが、さぼっている人や授業を聞いていない人は、俺を頼る。しかし、このように単純に難しい教科はどうにもならないのだ。誰かに頼らなければ。しかし、頼る人が居ないことに気づいた。

 もちろん、話したこともないがり勉君にでも頼ればいいかもしれない。仲の良い先輩に俺と同じ学部の先輩の連絡先をもらえばいいかもしれない。いつも俺に頼る奴らが今頼っている奴を頼ればいいかもしれない。

 タイムラインを、スライドして眺める。

「今日はこのメンバーで徹夜。師匠の説明がまじ分かりやすくて助かる。」「一周回って楽しくなってきた。テスト行けるかも。ということでちゃんと寝ます。」「やっとこの問題理解できた。明日までに全問間に合うだろうか。」

 俺の入る隙間なんてない。俺に説明している時間なんてない。

 もう、俺はテストから逃げていた。学校を休んでいるのに、ツイッターとインスタとユーチューブを行ったり来たり。最近は眠れてないし、まともに飯を食ってないから、体が少し熱い気がするし、頭も痛いし、体がだるい。

 俺は、ツイッターにうんざりして、インスタを開く。俺は目を丸くせざるを得ない投稿を見てしまった。

 舞の投稿に、男が映っている。顔は見えていないが、服も、ネックレスも見たことがある。これは翔太のだ。

 6month。

 舞は翔太と付き合ってたなんてな。何回も遊びに誘っているのに、遊んでくれないわけだよ。勝手に付き合っちゃってさ、教えてくれたっていいじゃねえか。あんなに翔太と一緒にいたんだぞ。言うタイミングなんていくらでもあったじゃねえか。

 俺は壁にパンチする。正直、かなり痛い。しかし、痛い、とは言わない。一人でも、素直になれない自分に狂気を感じた。俺はいつの間にこんな人間になっちまったんだ。

 やっぱり俺はひとりぼっちだった。相談する人もいない。誰とも気持ちを共有できない。結婚なんて程遠い話だと恐怖する。そもそも、働ける気もしない。卒業できる気もしない。

 俺はスマホを付ける。通知は無し。アプリを開いたら来てるかも、と、LINE、Twitter、Instagramを全部起動しても、何も来ていなかった。

 寂しさが俺を覆う。俺は、この寂しさしか友達がいない。机の上の、去年の問題を見る。全く分からない。テストが不安だ。いや、全て不安だ。上から、あらゆる人生の行事が降ってきた。結婚式、卒業式、入社式、出産楽しみだったそれらは硬くて重いものなって振ってくる。俺の体にダメージを与えた後、重く、跳ねもせず地面に落ちる。これを持ち上げ、階段にして、俺は上に行かなきゃいけない。でも、無理だ、怖い。

 俺は自然と、『大学、辞め方』と検索していた。そして、この過去問の問題文よりもすらすらと呼んでいた自分に驚嘆する。

 大学辞めるのは、そこまで簡単じゃないらしい。経済的な問題と言えば、奨学金や優遇などを提案され、面倒になる。個人的な都合とすれば、面接で詳しく聞かれることになる。

 そもそも、叔母さん叔父さんになんて言うんだ。心が弱いから?一人ぼっちだから?そう言ったらそれを解決する方法を提案してくるだろう。でも違う、俺には無理なんだ。全てが。

 またスマホを見る。通知が来ていて、LINEを開くと公式スタンプショップからだった。さらに孤独感が募る。

 テストは、明日。

 大学は、辞めるのも続けるのも難しい城だ。難攻不落である上に、出られないだと?

 いや、大学じゃない、世界が一つの城さ。結局、生きていくには城を攻略しないといけない。でも、俺には無理だ。レベル上げも、仲間も足りない。なのに、明日は強制イベントだぞ?

 俺は城の攻略を一回諦めるよ。このゲームを破壊するか、続けるかは分からない。でも、今はもう、疲れちまった。いったん、セーブしたいんだ。この魔物だらけの世界に。

 分かってるよ!あんとき、腕時計を捨てた時、川に投げた時、全部投げちまったんだ。投げないで、目の前のことに向き合っていれば、仲間は失わなかったかもしれない。いや、新しい仲間を作れる人間でいれたかもしれない。でも、あの時、卑怯で、弱くて、悪で、臆病な道を選んじまった。あきに説得されるのが怖かったんだ。俺が間違った人間であることが証明されるのが怖かったんだ。

 誰も俺を分かってなんてくれねえ。俺の居場所なんてどこにもねえんだ。

 俺はカバンに下着と財布と、スマホの充電器、歯ブラシ、歯磨き、Tシャツ、タオル、コンタクトセットを突っ込む。俺はそれを背負い、家を出る、鍵を閉める。

 俺は、なんとなく駅に向かって歩き出す。どこに行くかなんて、自分でも知らねえ。

 もう、戻らない。俺はあんな地獄には、炎に包まれた、棘まみれの城にはもう戻らない。

 なのにスマホを起動する。いまから、話さない?大丈夫?どうかした?そんな言葉が届いてたら戻るかもな。ま、来てないけど。

 俺は、歩く。どんどん、離れていく。俺がいた世界から。俺が輝こうと思っていた世界から。全てが始まると思った世界から。

 腕時計をぶん投げた川を通る。俺は、あることを思いつく。腕時計さん、どんな気持ちでこの川にぶちこまれたんだ?

 俺は、橋の上にたどり着く。橋の上から、川を見下ろす。

 高い。

 ここから川に入ったら、痛えかな。冷たいかな。

 楽になれるかな。

 俺は今なら、自ら死を選ぶ人の気持ちが分かる気がした。死しか道がないんだよな。生きていくには辛すぎる世界で、できることがないんだ。そして、助けてくれ、世界を変えてくれなどというメッセージを送ることもできない。そのメッセージを最も重く、冷たく、悲しい方法で伝える。

 俺は、3分は川を見下ろしていた。

 ほんの少し、俺は川の水を増やした。

 すると、川の反対側から歩いてくる人の足音が聞こえて、俺は顔を袖で拭いた後、なにごともなかったかのように歩き出す。早く、通り過ぎてくれ。

 もう、日は、傾ききっている。もう暗い。俺に日がのぼる日はきっともう来ない。

 その男はこちらを見ていた。俺は目をそらしたが。

 もっとも、近くなり、すれ違う。

 男は話しかけてきた。

「ゆうやくんだよね?大丈夫?顔色が悪いけど。」

俺は、人と話すことになるのがだいぶ後だと思っていた。今の俺には人と話す能力さえないと思っていた。

「な、なんでもない。」

切り抜けたい。俺はお前に、今の状況を話せる余裕なんてないんだよ。

「そっか。」

そうだ、早く行くんだ。

「あのさ、サッカー下手くそでごめんな。」

俺は、目を見てしまった。

 その目は、心から謝罪していた。

 どうして、今、そういうことを言うんだ。

 今日は朝から目が痛かった。コンタクトが上手く付けられなかった。でも、今、痛くなくなっていく。

 コンタクトは、レンズだ。水で柔らかくなる不思議なレンズだ。俺の心もコンタクトみたいだったら良かったのによ。お前からもらった水で、柔らかくなれたら良かったよ。

 でも、もう戻れないんだ。

「…じゃあな。」

しばらく間を置いた返事に驚いたのか、あきらは立ち尽くしたままだった。

 じゃあな。

 今だから言うけど、本当は全部聞いてたぜ。サークル中に言ってたこと。

「サッカーは11人全員で相手のゴールを目指し、11人全員で相手のゴールを防ぐのが好きなんだ。1人じゃ、攻めるのも守るのもほとんど無理なようになっている素晴らしいスポーツだよな。」

「サッカーは俺みたいな下手でも楽しいし、パスがつながるだけでも胸が熱くなるから最高だよな。」

 って、でかい声で言ってたよな。周りの奴らは白々しい顔して、「お、おう」とか「そんなに好きでうらやましい」とか、ズレたこと言ってたよな。俺は少し離れたところで、

「あー、うっせえ。きも。」

って言いながら耳を塞いでた。でもな、全部聞いてたし、全部覚えてる。サッカーするたび、部屋のボールを見る度、ウイイレを起動する度、お前を見る度、頭の中のお前が同じこと言ってた。何度も。何度も。

 俺はお前が憎たらしかったんじゃない、羨ましかったんだ。純粋にサッカーが好きなことが。

心がきれいなことが。

食堂でも、お前の話聞いてたぜ。教師になりたいんだってな。正直、お前は向いてるよ。理不尽に人を怒ったりしなそうだもんな。生徒たちが元気よく手を上げて、好き放題発言して、そのどんな発言もお前は否定することなく、ちゃんと向き合っている姿が目に浮かぶよ。頑張れよ。向いてるぜ。

 その時計、お前のだったんだな。別れたって聞いたけど、なんで持ってるんだ。まあいい。あきが怒った理由も分かったよ。あきがお前を好きになった理由も分かったよ。

 俺は歩き出していた。立っているあいつを背中に。

 俺は振り向いた。

「お前と、同じチームになった時、最悪って言ってごめんな。」

もう、10メートルは離れているから、大きな声を出した。車や、川の流れる音が俺達の間で、俺の声にタックルしてきやがる。でも、俺は負けないように声を出した。

 もう、はっきり見えねえや。お前は、こっち向いてんの?

 コンタクト付けてるのに、意味ねえな。

 




『お前と本気でサッカーしたかったよ』


書き終わりました。間のストーリーや隠されたエピソードなどがある中、公開する場面を選んで書きました。ダメ出しでもいいので、感想が聞きたいです。読んでいただきありがとうございました。

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