第83話・言なき盾に守られて その2
「これはいつかアコにも話したことがあるのですが」
そう前置きしてマリスは、軽い調子で話を始めます。
「およそ千二百年前に、ひとに害を成す魔獣の出現が確認された、という話は覚えておりますか?」
覚えてますよー。印象はだいぶ変わりましたけど、ロクデナシに一緒に会いに行きましたよね、そのあと。
「…あの、思い出したくないことを思い出させられるのはちょっと……ええと、とにかくそのモトレ・モルトのような執言者も含めて、魔獣の穴というものはひとの歴史において長く寄り添ってきたものなのです。迷惑なことに。第三の魔獣の穴の存在についてはわたくしどもよりもアコの方がよくご存じだとは思いますが」
不本意ながら。ええ。
「教会…いえ、その教えの核となる教義は、第一魔獣、第二魔獣と呼ばれる、これまでひとの世と深い関わりを見せてきた魔獣との関わりを、ひとに説くものです。とは申しましても、それがあるのが当然となってもう千年を超えているのですから、教義などと申しましても、既にひとの暮らしの安全を守るための常識のようなものに過ぎませんね」
防災マニュアル…なんかそんな単語が頭に浮かぶわたしです。
ただし地球のそーいうものと比べて異なるのは、実際に活用される場面が常在化してる、ってところなのでしょう。
地震や台風がやってきたときにああしろこうしろ、ってマニュアルはあっても、んなしょっちゅう地震台風が来るわけでないですし。
「…アコ?」
「ああ、はい。先をどうぞ」
「気になることがあるのでしたら仰ってくださいね。ええとそれで、教会という組織は、その教義をひとの世に知らしめるため、言い方を変えれば徹底させるために存在しているのです。実際に現れる魔獣の性質に合わせて教義の内容を更新していく役目もありますね」
ざっくり言って、ですので他にも役割はありますけれど。
わたしの拍子抜けしたよーな顔を見て、マリスは苦笑しながらそう付け加えました。
けど、なるほど。魔獣の穴について教会があれやこれやと口出ししてくるのは、そーいう理由からでしたか。逆にアプロやヴルルスカさんのような、国とかが穴塞ぎに関係するのは現世的な安全保障とか治安とか、そーいう理由によるんですかね。
「まーな。教会は魔獣の存在について、民の暮らしや安全への助言を行う。私たちは実際に魔獣の討伐を行う。教会が武力を持つことは禁じられてるんだよ。昔、それでえらいことになったらしくて」
「えらいこと?」
「ただでさえ民の生活にあーだこーだと口出しする上に、武力まで持ったらどーなると思う?」
んー、まあ七面倒くさいことになるだろーとは思いますけどね。日本史的に言えば、お寺が坊さまに武器持たせるよーなものでしょーし。
「アコの例えはよくわかんねーけど、ま、多分そゆこと。うちの国については王権が強い時代が長く続いてたおかげでそういうことは無かったんだけどさ」
「此度の話の発端となったフィルスリエナなどは、教会が覇権を握っていた時期があった弊害が色濃く残っておりますな。権奥の指示をもよしとしない気風がいまだに強いものでして」
グレンスさんは特に困った様子でもなく、そう言います。
このひとの性格的に、さして気にもとめてないのでしょうけど。
「…あ、でもマリスの、その…教義を生まれながらにして会得していた…って資質?才能…?っていうのは、どういうことなんです?あと、執言者に降される予言ってのは、どこの誰が教えてくれるんでしょうか?」
「お、アコもちょーし出てきたな」
「アプロ、茶化さない。マリスには結構深刻な話なんだから…。ええと、アコ。教義というのは魔獣についての広い知識の積み重ねでもあるんだ。だから、どの国のどの地方にどんな魔獣がいるのか、これまでどんな対処をしてきたのか。そんな膨大な情報を網羅して、的確な指示を出せるかどうか、ってのはそれだけで得難い才能なんだ。マリスには、それがある。だから重宝されるんだ」
重宝っていうより、割といいように使われてるだけに思えますけどね、そーいうのって、とは口にしませんでしたが、わたしの感想は実態とそうかけ離れたものでもないようで、マリスは大分困った顔をしています。
「それと、執言者の予言ですけれど…実は詳しいことはわかっていません。教義においては、魔獣に対処する人類の救い…などという解釈もありますけれど、わたくしには信じがたい話ですわね…」
まー、人類の救済があの怪しげなひとを通じてもたらされる、ってのもナンですが、って話ですしね、っていうと全員苦笑してました。同意を得られてわたしも満足です。
「…冗談はともかくとしてだね、教会の役割についてはそんなところだよ。何か聞きたいことはあるかい?」
「そーですねー…」
マイネルが適当に締めましたので、わたしは黙って整理してみます。
まず魔獣の存在が前提として。
それに対処するマニュアルを人類規模で整備した。
そのマニュアルを広めてみんなの安全を守ります。
マニュアルの整備と流布は教会の仕事。安全を守るのは、それぞれの国の仕事。
そんな感じでしょうか。
…あ、でもそーすると。
「…結局、魔獣って何なんです?そもそも魔獣ってのがいなければ、教義も教会も必要ないですよね?あと、マリスとアプロには申し訳ないんですけど…それだけの才能があるのなら、もっと重要な場所で力を発揮すべきだと思うんですが」
「まあそれは聞かれると思ってましたが…魔獣については、やはりこれも分からないことが多いのです。いえ、生態ですとか性質については教義に蓄積されておりますが、起源についての解釈などは教義に置いても千差万別といいますか多種多様の解釈があるといいますか…その解釈を巡って、権奥内部で対立している、なんてことも教会組織の悩みの種ではありますね…」
まー、千二百年も人類の隣人やってりゃ、割とどーでもよくなりますよね。なんでいるのか、なんて。
「それと、後者の問いですけど…それがアコの立場にも無関係ではないのです」
………一番めんどくさいところに関わってしまった。
わたし、そんな気分です。
「お恥ずかしい話ですが、長く在って関わる人々も多いために、教会の内部においても様々な対立事項があるのです。先のような、魔獣の発生した事由の探求などもそうですし、もっと俗な理由もありますし」
まあ人間群れれば派閥が自然発生するといーますしね。
「そして最も深刻な対立は、魔獣の存在をいかに人類の益にすべきか、という命題に依るのです」
…えーと。
なんだか話がおっきくなってきて正直わたしの手に余りそうな予感がしますけど。
でも話してください、って言ったのがこっちの手前、もーいいです、とも言えませんしねー…。
「あの、ちょっとわたし喉が渇いたので、一息いれません?」
なので、話の腰を折っておきます。ポキって。
「あのね、アコ。今真面目な話してるとこなんだけど…」
「いえマイネル殿、悪くない提案でしょう。何せ私も小腹が空きまして。何か持って参りましょう」
「ええ、そうですね…わたくしも話し通しでしたので喉が渇きました。グレンス?皆の飲み物を取り寄せてください」
「承りました」
アプロとわたしはお茶。マリスは湯冷まししたお水で、マイネルは特に要らなかったようですが、お茶をください、と言ったわたしの顔をじーっと見てたのが気になりました。お茶が欲しいなら自分で頼めばいーのに。
…まあいいです。
休憩時間みたいなものなので、わたしは隣で手持ちぶさたしてるアプロに話かけます。
「アプロ、あのさっきの外国の教会のひと、どーしたんですか?」
「名前ぐらい覚えてあげなよ、アコー…流石に憐れになってくる」
「そう言われましてもね。わたし、興味ない人にはてってーてきに興味無いので」
「情が深いと言えば聞こえはいーけど、アコの場合どっちにしても極端だからなあ。で、マギナ・ラギならフェネルに接待させてる。行き先告げてないからしばらく時間は稼げるけど、そのうち嗅ぎ付けられるだろーな」
嗅ぎ付けるて。あなたの言い草も大概なんじゃないですか。
「…でも教会の関係者なら真っ先にこっちに来そうなものですけど」
「そこはなー…アコが折った話の続きに関係あるわけで。要はさ、考え方の違いでマリスとあいつは…というか、あいつの所属する派閥が対立してる、ってことだよ」
「マリスも派閥とかに所属してるんですか?パー券ばらまいてこーい、って言われてたり」
「ぱーけん?」
「…すみません、口が滑りました」
「派閥といいますか、魔獣に対する距離のとりかた、のようなものですわね。教義の解釈の違いなどよりも深刻なんですよ、アコ」
「あ、ども」
届けられた飲み物を、マリス手ずから配ってます。わたしは温めのお茶を受け取って、半分程を一息で呑んでしまいます。いえ、喉渇いていたのは事実なので。
「…まー、簡単に言えばさ。ちゃんと穴塞ぎを続けて魔獣の勢力を抑えていこー、って考え方と、魔獣が存在していた方が都合がいいって考え方が対立してるんだよ」
「………あの、意味が分かりません」
受け取ったカップを両手の中で回しながらアプロが言った言葉は、わたしに軽く混乱をもたらします。
魔獣の勢力を抑えてみんなが平穏無事に過ごせるよーに、ってことなら分かりますけど、魔獣が存在してた方が都合がいい?倒すと消えてしまうので、お肉も毛皮もとれない魔獣が?なんでまた。
「教会の存在意義が魔獣の存在に根ざすのであれば、それを殲滅してしまうと権威の減衰に繋がってしまう、という見方もあるのですよ。ま、体の良い保身のようなものですな。人の世の安全を盾にとって我が身の立身を図る、と悪し様に言えば理解しやすいでしょう」
「あー、なんかそう言われると分かりやすいですね、確かに」
グレンスさんの物言いは辛辣ではありますけど、そーいう立場があるというのは、残念ながら容易に想像がつくのです。地球でも異世界でもあんまり変わらないですね。
「…アコ、グレンスの言葉は真実の一端を示していますけれど、あまりその見方に囚われないでくださいね。あなたはあなたの知見をきちんと得て判断してください」
「分かりやすいからといってそれが完全な事実とも限らないからね。アコはなんとなく、そういう危うさがあるし」
「そこまで言わなくてもいーじゃないですか」
マイネルのお説教じみた言い方は、なんとなくわたしの痛いところを突いてきます。いえ、だからこそお説教なんでしょうけど。
「とは言ってもさ、実際陛下のお側の貴族たちにもそーいう教会の立場に同調する動きはあるんだよ。言い分としては、魔獣の存在が人の世界を固く結束させうる、って理屈なんだけど」
「また教会のひとたちに妙な鼻薬でも嗅がされてるんじゃないでしょーね、その人たち」
「さーな。ただ、人の世の情勢が不穏になると魔獣の活動が活発になって、それどころじゃなくなる…なんてことが頻発すると、そーいう意見だって力を得るわけでさ。特に国を動かす立場からすると、魔獣の存在によって回避された危機もある、って信じたくもなるわけだよ」
「逆に、教会の方で魔獣と繋がってたりして…」
「流石にそれは無いと思いたいのですけれど…」
マリスはそこは苦笑して否定してはいますが、まー映画なんかじゃ割と定番の発想ですしね。
「ですが、アコの立場というものも、そういった動きの中ではまた微妙に教会の動向に左右される、というのは理解してください。魔獣をいとも容易く退滅出来る力の持ち主、というだけで教会にとっては無視出来ないのですからね」
「あー、つまりさっきの何とかラギさんがやけにわたしに拘ってた様子だったってのも…」
「東方三派、って言ってただろ?フィルスリエナの教会組織は、権奥から少し距離を置いていて、その中でまた、大まかに三つに分かれていろいろ争ってる。けど基本的には、フィルスリエナの教会組織の威勢を大事にしてて、権奥から見て東方三派と呼称しているわけさ。連中も自覚があるのか、そー名乗っているのはおかしな話だけど。で、場所も近いことだし、何だかんだ言ってアコの力を取り込みたい、ってとこなんだろーな」
………うーわっ、めんどくせー。
なんてゆーか、わたしはもーちょっとこお、穏やかに生きていければそれで良いって思うんですけど、人生ままならねーもんですね。
「ひとは思うがままに生きられるものではない…成文化した教義の冒頭にはそう書かれておりますわ。わたくしもいろいろと思うところはありますけれど、その点に関しては本当にそう思いますから」
アプロも、マリスのその言葉には深く頷いています。
マイネルもグレンスさんも、態度にこそ示してはいませんでしたが、思うところはあるかのように目をつむって何かを考えているようでした。
「…ま、なし崩し的に話をしてしまいましたが。アコ殿のお立場としてはそのようになっております。何か聞いておきたいことがあればうかがいますが?」
「えと、そーですねー…」
グレンスさんが話をまとめるように言いました。
わたしとしてはとっとと帰って、最近手を付けてる新作の肌着(王都でこないだ買ってきたいい布があるんです)の製作を続けたいとこでしたけど…。
「…あ、ひとつだけ。マリスやアプロの立場って、どうなんです?その、教会の内部だとか外からの関わり的に」
「わたくしの?」
わたしの問いに、意表を突かれたよーな顔でマリスは少し考えて、それからアプロの方をちらと見るとこう言いました。
「わたくしの信じるところ、ということであるならばやはり魔獣によってひとが害されることは無くしたい、と思っています。第三魔獣…という言い方は確定されてませんが、魔王という新しい存在によって、これまでのわたくしたちの在り方が掻き乱されているのだとしたら…言い方は悪いのですけど、これを好機として魔獣の勢力を減じたいところではありますね」
その結果、教会と教義の衰退を招くことがあっても一向に構いません、と少し語気強く付け加えるマリスです。
「…私はまー、陛下や兄上がこの国を良くする手伝いをしたい、ってだけだな。魔王討伐のために働くのもその為だし。だから、マリスとは力を合わせてる」
そしてアプロも、自分のやることはこれだ、とはっきり分かっているのでしょう、同じように力強く言うのでした。
まあアプロやマリスがそう思っているのでしたら…二人の力になりたい、っていうわたしの願いは揺るぎません。
厄介ごとに自分から首を挟む気にはなれませんけど、やれることがあるならやってみようかと。それくらいには、思うのです。
…と、いー感じに話がまとまった時でした。
『あのっ、こ、困りますっ!この先はただいま…』
『構うことはあるまい。教義を同じくする同志の集う場に入って悪い法などなかろうに』
部屋の外から何やら止めようとする声と、それを無視して押し入ろうとする気配。
「……あー」
疲れた顔をするアプロに、意外と早かったですね、とわたしも呆れた顔を向けると同時に。
「お歴々はお揃いか。フィルスリエナのマギナ・ラギがお邪魔する」
荒々しく扉を開けて、自信たっぷりの空気読めないひとが、入ってきてしまいました。




