第80話・アプロの気持ち、わたしの気持ち
「アコ殿、聞いておられますかな?」
「………あ、すみません。ちょっとぼーっとしてました」
「ちょっとどころでは済まないようですが。大分身が入ってないようですな。王都より戻って以来お疲れと見受けますが、どうかされましたかな」
「あー、いえ、ちょっと。なんかいろいろ考えることが増えまして、はい」
対面に座っていたグレンスさんが割と心配そうにわたしの顔をじっと見てました。
わたしは日課の字の勉強をみてもらうために教会に来ていたのですが、折角時間を割いてくれてたグレンスさんに迷惑かけてたみたいです。
「大丈夫です。疲れてるわけじゃないので、続きお願いします」
「アコ殿に知識をつけてもらうのはこの街の利にもなりますから、私としては構いませんがね、さて心に懸かるものがあるのでは身につかないでしょうな。少し休みましょう」
「いえ、大丈夫ですから。ええと、ここの為替の発行の依頼に関してですよね。ここの言い回しがちょっと難しかったんですけど…」
「ああ、これは為替の仕組みを理解していれば平文の応用で問題ないので…」
グレンスさん、商売向けや偉い人向けの書き方なんかもよくご存じなので、本当に助かります。
特に商売向けの文章は、経済の仕組みなんかも絡んで併せて教えてもらえますから、わたしとしても二重に勉強になるんですよね。ほんと、なんでも出来るひとだと思います。
わたしはアプロの墓参りに付き合ってからいろいろ頭をかき回してることをひとまず置いて、また勉強に集中するため小さく唇を舐めて教本に視線を落とすのでした。
「アコ、お疲れさまです。どうですか?」
「思ったよりも進みましたね。グレンスさんお忙しいのに、助かります」
時々、もーちょっと手加減してほしーなー、って思う時もありますけどね。
「ふふ、アコは覚えるのが早いから教える方としても楽しい、とグレンスも言ってましたから」
「あはは…その分長続きしないのがわたしの悪いとこなので…がんばります」
「…あまり無理しないでください。お兄さまも最近のアコはちょっと思い詰めてるから、と心配してましたし」
「えー…マイネルに言われるとはわたしも相当重症ですね」
「まあ、そんな…」
マリスは呆れたような口振りながらも、表情はころころと笑っているのですから、割と巻き込まれ体質のマイネルという見方は、わたしと共通してるのでしょうね。
勉強が終わったので、ちょうど仕事が一段落したマリスと執務室でお茶してます。
マリスと二人、というのがなんだか久しぶり、な感じです。
「王都であったことについては、お兄さまから聞いたことだけなのですが…他に何か懸念でもありましたか?」
「茶飲み話にするよーなことは…あ、そうそう、クィンリスさんと会いました。マリスとアプロの小さい頃のお話しとか聞かせてもらいましたよ?」
わたしの含むところがありそーな視線を受けてマリスはちょっとはにかみます。やっぱかーいいですねえ、この子。
「…もう、クィンリスもあることないことアコに吹き込んだんじゃないでしょうね」
「大丈夫です。ヴルルスカ殿下お墨付きのお話しばかりでしたから。面白かったですよ?まさかマリスが陛下の寝所に潜り込んであんな…」
「そ、それだけは勘弁してもらえますか、アコ…」
机に突っ伏して赤くなった顔を隠してしまうマリスでした。ほんと、見た目に似合わずやんちゃする子です。まあアプロにそそのかされて、という意味なら被害者みたいなものでしょうけど。ふふ。
と、和やかな時間を過ごしていると、控え目なノックの音。このドアの叩き方は…。
『失礼します、フェネルです。こちらにカナギ様がいらっしゃるとうかがって参りましたが、よろしいでしょうか?』
「あ、はい。構いませんよ、どうぞ」
『ありがとうございます』
案の定のフェネルさんでした。ドアを開けてマリスに挨拶すると、わたしをチラと見ます。ってことは、アプロがわたしを呼びだしてるんでしょうかね?
「いらっしゃい。アコ、わたしは仕事に戻りますから、どうぞフェネルについていってください」
「はい。お土産話はもー少しありますから、また今度お茶しましょう」
「そ、それは程々にお願いします…」
内心はともかく、思っていることを表情に出さないフェネルさんを伴い、わたしはマリスの執務室を辞去しました。
「勉学の方は励まれているようですね」
「まあ、頑張ればその分皆の役に立てるよーになりますからね。アプロがわたしを?」
「はい、カナギ様からのお手紙の用意が出来たので、見に来て欲しいとのことです」
ぴた。
マリスの部屋を出てすぐ、そんなことを聞かされてわたしの足は止まります。
いえ、確かに見せて欲しいと言ったのはわたしの方ですけどー…何ですかね、このちょっとした胸騒ぎは。
「…どうかされましたか?」
「いえ、ちょっと王都でアプロとー…まあもやっとするやりとりがあったので、少し気後れしただけです」
「気が進まないようでしたらまた後日になさいますか?」
「大丈夫ですよ。それに王都から帰ってきて以来アプロの顔見てませんから、ちょうどいい機会です」
「左様ですか」
はい、左様です。
といっても三日くらいですけどね。
・・・・・
「…いきなり抱きついてきて何なんですか」
「んー、アコ分が足りなかったので補充中」
部屋に入るなりハグされて戸惑うわたしに、ベルみたいなことを言うアプロです。
「フェネルー、しばらく誰も入れないよーになー」
「かしこまりました。お仕事をお済ませでいらっしゃるなら、何も言うことはございません。カナギ様、ごゆっくり」
お茶もいーからなー、とわたしのお腹具合を一切鑑みずに困ったことを言ってくれます。まあお茶ならマリスのところでいただいてきたので構いませんけど。
「…さてそれじゃ、早速見てもらおーか」
「わたしからの手紙のこと、ですよね?」
「うん。いや見返してたらさ、ちょっと妙なことに気付いたもんだからさ、アコにも早く見てもらった方がいいと思って」
「妙なこと?」
わたしの問いには答えず、アプロは執務室の応接セットに場所を移し、テーブルの上に置かれた手紙の束をわたしに差し出しました。
わたしもアプロの向かいに腰掛け、それを手に取ります。
…なるほど、確かに妙といえば妙です。わたしは普通に日本の便箋にボールペンで書いてたはずなのに、なんでアプロには羊皮紙で届いているんですかね?
「そもそも羊皮紙を手紙に使うって時点で、そこそこ裕福な身だという証拠になるんだけどさ。それよりも、中見て」
「はあ」
紐でくくられた手紙の一枚を取りだし、わたしは開きました。
…確かにこの世界の文字で書かれています。そして内容は間違いなく、わたしも書いた覚えのあることばかりです。
考えてみればもう一年も前のことになるんですよね、ってそんなこと言ってる場合じゃ無くて。
真剣にわたしを見てるアプロの視線に促されるように、わたしは手紙を読み進めます。
アプロが書いて寄越した、旅の内容についてわたしが思ったことをあーだこーだとえっらそうに論評していたり、おばーちゃんの手伝いをしてたことを書いてあったり、まあ内容におかしなことは無いと思うんですけど…。
「…でもこの世界の文字で書かれてるのはヘンですよね。もしかしてわたしの手紙を誰かが翻訳してアプロに届けたのだとか?」
「だったらまだ納得出来るんだけどなー。アコ、ちょっとこっちに手紙と同じ内容で何か書いて。こっちの字で」
「え?」
と、アプロはわたしの手から手紙を取り上げて横に置くと、代わりに羊皮紙を一枚とペンを差し出します。
まあペンと言ってももちろん日本のボールペンだとかそーいうものじゃなくて、いわゆる羽根ペンのような簡単なものですけど。
「同じ内容といったって、流石に一字一句同じには書けませんよ?」
それに、ちょっと書いてみるにしたって羊皮紙使うのもったいなくないですか?安いものじゃないのに。
「別にいーから。ほら」
「はあ」
ちょっと焦ってる…というか苛立ってる様子のアプロに気圧されて、わたしはペンを手に取ります。
ええと、こっちの字で、ということでしたから、と考えつつ…いえ、思ったよりもスラスラと書き始められました。
一応は今読んだ手紙の内容を思い出しつつ、何行か書いたところでアプロに止められ、インクが乾くのを待つ間も無く取り上げたそれを、アプロは閉じてあった届いた方の手紙を開いて見比べます。
「…やっぱり」
「何が、です?」
二枚の羊皮紙の間で視線を往復させつつ呟いた言葉に、わたしは何とも表現のしようのない不安を堪えて、尋ねます。
「同じなんだよ。筆跡が。アコから前届いた手紙と、今書いてもらった文字がさ」
ええ?そんなわけないでしょうに、と思いつつアプロがこちらに見せてきたものを、わたしも見比べます。
「………確かに似て…はいますけど、同じってほどかとゆーと…」
「同じだよ。間違い無い。ほら、ここんとことか、こことか…」
アプロは指で両者の同じ字をわたしに指し示します。いくつか見てみると、わたしでも否定しきれないような、気はします。
「…どういうことです?」
アプロに聞いて答えが出るはずもないのに、わたしは微かに震える声で聞きます。
「…マイネルがさ、アコに字を教えてた時のことを不思議がってた。いくら言葉が分かってるからって、あの速さで字を書き付け出来るようになるのはヘンだって。もしかしてアコさ、最初っから字は書けたんじゃないか?」
「………そ…、そんな馬鹿なことあるわけないじゃないですか。だって確かに最初は全然字は読めませんでしたし、ましてや書けるわけが…」
「もう一つ言ってたんだよ。全く最初から字を覚えてたんじゃなくって、忘れてたものを思い出すようにアコは字が書けるようになっていった、って」
「………」
わたしにスパルタってた時のマイネルの様子を思い出します。
そりゃまあ、覚える速度に驚いてはいましたけど、そんなこと一言も言ってませんでしたし…。
「…だ、だからって何か悪いことがあるわけじゃないでしょう?わたし、天才的な力を発揮して誰もが驚く速さで字が書けるようになりましたっ!…ってことで、よくないですか?」
「いやまあ、アコがそれでいーんならいいけどさ。でもそれならアコがニホンの文字で手紙を書いてた、ってことはどうなるんだ?」
「それは…その、やっぱり誰かがこちらの文字で代筆してたってことで…」
「誰かって、誰が?」
「それはまた別の問題といいますか…」
「どっちにしたって」
アプロはソファの背もたれに体を預け、天井を仰ぎ見て嘆息し言います。
「アコがこの世界に来た、ってことに私とアコ以外の誰かの思惑が、あるのかもしれない」
「誰かって、誰が、です?」
「それはまた別の問題」
アプロだってわたしと同じこと言ってるじゃないですか、とわたしはくすっと笑いがこぼれます。
けど、それは正体の分からない不安を抱いているだろうわたしへの、ちょっとした気遣い。それが分かるくらいにはアプロのことは理解してるつもりです。
…そしてそう気付くと、あの日お姉さんの墓前で話をして以来抱いてたもやもやが霧散するようです。
「機嫌直ったか?アコー」
「おかげさまで。ありがとうございますね、アプロ」
「何のことかなー?」
おとぼけを決め込むアプロがひどく可愛くも愛しく思える今日この頃です。
だからまあ、やっぱりわたしとしては、気になることは聞いておきたいかな、と。
「…アプロ。ちょっと聞きたいんですけど」
「ん、なに?」
二人の間の空気はいつも通り。なので、わたしと話が出来ることが楽しくてしかたがないみたいに(わたしも同感ですけどね!)、そそくさとわたしの隣にやってくるのです。
「ええと、あのお話しって結局…どーなんです?」
「あのお話し…っつーと、なにが?」
「何が、って…あなた分かってて言ってるでしょーが」
「いや、さっぱり。アコの口から聞きたいなー」
ええい、この子はもう。そんなにこーっとしながら言ってたらどんなつもりなのか、丸わかりですってば。
「だから、そのー…で、殿下とその、将来を…って話です……けど…」
くっ、こんな口ごもってもにょもにょ聞いてたらわたしの気持ちなんか全部知られてしまうじゃないですかっ!わたしはこれでもれーせーちんちゃくであることにかけても定評があるんですからねっ!
「……やっぱアコはかわいーなー。もしかして妬いてる?」
「…仲の良いお友だちが、いつの間にかかっこいい男のひととそーゆー仲になってたら気にならないわけないじゃないですかー…ええもうっ!そうですよ妬いてますよっ!妬いちゃ悪いですかっ?!ですけどねっ、これはあくまでも仲の良いお友だちに対してですからねっ!それ以上じゃないんですからヘンな誤解しないでくださいねっ!いいですねっ?!」
あー、アプロの笑い方がにこーっ、からにやにやに変わっていきます…これ絶対わたし的にヤバいやつですって。ほんとどうしたらいいんですか、もー…。
ソファの上で悶えまくるわたしをしばし生温かく見つめてくれやがってたアプロですが、じゅーぶん堪能したのか、少しほっとした表情に変わって、穏やかな声でこう言いました。
「あれは確かに姉ちゃんの遺言だったけどさ。私と兄上しか聞いてないし、他の誰も覚えてもいない。だから私と兄上がどっちもその気にならなけりゃ、そんなことにはならないよ。アコ、安心していーから」
「べべべ別に安心とかそんなことないですしっ?!ええ、ヴルルスカさんいー男ですしねっ!アプロがその気になってもおかしくはないですよっ?!……あの、でもいいんですか?お姉さんの心残りとかだったんじゃ、ないんですか?」
「さーなあ…もう亡くなったひとに、どーいうつもりだったんですか?って聞くわけにもいかないし。生きてる人間に出来ることは、それがどーいうつもりだったのか推し量るだけだしなー」
「……あの、じゃあもしかして、わたしを連れてあそこに行った理由って…」
「…姉ちゃんの遺言をなかったことにしても、いいのかな、って自問するため…ってのはあるよな、きっと」
アプロ…。
ほんのちょっと話を聞かせてもらっただけですけど、アプロがお姉さんのことをどれだけ大事に思って、その死に衝撃を受けたか、っていうのはわたしでも想像がつきます。
だから最後に言い残したことを無下にも出来なくて、それでもその、わたしのことを…って。
そういうことで、いいんですか。
わたし、アプロのその気持ちに応えてしまっても、いいんですか。
アプロ。わたし、あなたを好きになっても、いいんですか?




