第60話・わたしが居たい場所 その6
元いた世界。
…って、日本のことですよね?
この世界に来て割とすぐ、帰ることは出来ないって言われた、わたしの生まれ育ったところですよね?
「うん」
我ながら意外にも、冷静にベルの問いに反応できたものです。
そんな可能性については割と早々に諦めてたので、その後考えたこともないんですけど。
でもまあ、答えなんか一つしかないですよね。
「…あのですね、ベル。そんな仮定の話なんかしても仕方ないじゃないですか。わたしはこの世界でやっていく、ってけっこー早々と決めて、それなりに馴染んでるんですから。知り合いや友だちも増えましたし、何よりもアプロやベルがいるんですから。今更帰りたいなんて思いませんよ。この世界が、わたしの居たい場所なんです。見れば分かるでしょう?」
「仮の話なんかじゃない。アコはこの未世の間を通って来た。だから、この未世の間にいる今なら、元の世界に帰れる。それは正しい理屈」
「………」
…おっとこいつはたまげた話ですね。
じゃあアプロもここを通ってわたしを迎えに来たってことですか?一体何なんですかこの真っ暗闇の場所は。
いつの間にか…というか、魔王さんが姿を見せた辺りでもとの色に戻っていたベルの目を正面から見据えながら、わたしは考えます。
そりゃあ、帰れるのであれば…帰りたいって思いま…す……けど。
…何なんでしょうか、わたしのこの辺にあるモヤっとしたものは。
アプロやベルに情が移った。街のみんなによくしてもらった。自分の腕で認められつつある。やりがいのある仕事が見つかった。もっといっぱい、お話したいひとができた。
…全部間違ってません。
間違ってないんですけど、わたしがこうも、日本に帰れる、家に帰れる、って聞かされて気持ちが重くなる理由に、それはなるんでしょうか。
「アコ」
「はい?なんですか、ベル」
黙り込んでしまったわたしを、ベルが正面から見ています。
わたしより背の高いベルを見上げる形になっています。
「アコは、いい夢をみて欲しい。どう?」
「…あのー、意味が分からないんですけど」
「この間、アコが病気だった時のこと」
あー、あの時ですか。確かになんか後ろ向きな夢見てた覚えがありますけど、ベルが楽にしてくれたじゃないですか。
わたしには、悪い夢をみても助けてくれるひとがいるんです。だから…。
「アコ。もう一度言う。いい夢を見て」
「だからベル、わたし別に夢の話なんか……え?」
暗転しました。
いえ、もともと真っ暗闇の場ではあったんですけど、それでもはっきり分かるくらいに、暗くなったのです。
まるで、わたしの周りが丸ごと、世界から切り離されてしまったみたいに。
・・・・・
朝起きて、お母さんのつくったご飯を食べます。
時々手伝ったりもしますけど、基本的にわたしは朝が弱いので、自分から起きる頃はもう味噌汁の匂いがわたしの部屋にまで届くくらいなことがほとんどです。
もうすぐ大学生です。一人暮らしが決まっているので、ちゃんと朝ごはんの準備が出来るくらいには起きられるよう、訓練しないとダメなんですけどね。
顔を洗って着替えてくると、もうお父さんは会社に行ってしまっていました。
最近はなかなか朝に顔を合わせられませんけれど、その分夜はちゃんと揃って晩ご飯食べられる時間に帰ってきますから、そんな悪い父親ではないと思います。
お母さんとおばあちゃんと、三人で朝ごはんを食べるとわたしは学校へ行きます。
マンションの玄関を出ると、お隣さんもちょうど登校のために出てきます。
「おはよう、──くん」
「おはよ、吾子」
幼馴染みというのもどこかくすぐったい時期です。わたしは推薦が決まっているんですけど、実は──くんもわたしと同じ大学に進学しようと頑張っているのを、わたしは知ってます。かわいいなあ。
学校までは歩きだけですから、一緒に歩く時間は結構あります。
道すがらする話はいつも同じよーな内容ばっかりなんですが、会話するっていうのはそういうことじゃないんですよね。言葉を告げて、相手が考えて言葉を返して。その繰り返しは低血圧のわたしののーみそにキックをいれてくれます。
もうすぐ学校に着く、ってところでクラスメイトの──ちゃんに声をかけられました。いつも仲が良いね、って冷やかされましたけど、そんなことないですよぅ。もう。
【違います】
いくら推薦が決まってるからって、学校の授業をおろそかには出来ません。
わたしは午前中の眠たい頭で、いっしょうけんめいに授業をうけます。知らないことを覚えて、出来なかったことが出来るようになるのは、学校に通える最大の喜びなんです。
お昼休みは、クラスの仲の良い子と一緒に過ごします。
誰それがくっついたとか、誰が誰を好きみたいだー、なんて話をしているうちに、矛先がこっちに向いてきました。
そりゃあわたしは今のところ、付き合ってる男の子とかいませんけど、いつも一緒に登下校してるくらいでそんなことを言われるのも不本意です。
頬をふくらませて怒るわたしを、みんなはきゃあきゃあ言いながらからかってくるんです。困ったものですね。ほら、──くんが教室の隅で困ってるじゃないですかー。
午後は体育の授業がありました。基本、わたしはどんくさい方に入るのですけど、どんくさいはどんくさいなりにやりようはあるので、運動部の子にひと泡ふかせてやりました。
みんな、わたしをスゴいね、って言ってくれました。ふふん、これでもずる賢いことには定評があるんです。
【違うんです】
放課後。もう三年生ですから部活は引退してますけど、手芸部の部室に顔を出してみました。
後輩の──ちゃんは、いつもわたしにあれを教えてこれを教えて、ってせがんでくるんです。引退した三年生に聞いてばかりじゃダメでしょ、って小言を言いますけど、教えてあげたことはいつの間にか出来るようになるこの子は、先輩としてもなかなか鼻高々なんです。
そんなことをしていたら、──くんから電話です。一緒に帰ろう、ってお誘いです。
わたしは手芸部の子たちに冷やかされながら部室を出て玄関に向かいました。
【そうじゃないんです】
「吾子、一緒に帰ろう?」
言われなくても分かってますよ。ちゃんとわたしも、「うん、いいよ」って言ったじゃないですか。
登校してきた時と同じように、──くんと並んで帰ります。
周りを見ると、わたしたちと同じように男の子と女の子が並んで帰る姿がいくつもあります。そんな中には、手を繋いで肩が触れるような距離でいる子たちもいます。
一年生なのによくやるものですね、ってわたしは呆れながらも、ふと同じことをしてみたくなって
【だから違うって言ってるじゃないですか】
「吾子?」
「っ?!…う、ううん、なんでもない」
…気付かれてしまいました。
わたしは──くんの右手に伸ばしかけた手をひっこめて、赤くなった顔で誤魔化します。
──くんも、ちょっと顔が赤くなってるのは夕焼けのせいだと思います。
でも、帰り道。
マンションが見えた頃に言った──くんの一言は、わたしをとても素敵な気持ちにしてくれるのでした。
【こんなのわたしじゃないです!】
「吾子。俺さ、吾子と同じ大学を受験するよ。だから、合格したらさ…」
【わたしにこんな普通のしあわせなこと、あり得ないんです!】
・・・・・
「アコ」
うずくまって泣きじゃくるわたしに、ベルがひざまずいて声をかけます。
「アコは、いい夢が見たいんじゃないの?」
「夢なんか見ません…わたしは、夢見る女の子なんかじゃないんです…本当のわたしと違う自分を思って、そこに安心してなんかいたくないんです」
本当のわたしは、性格も口も悪くて、誰もがわたしから離れていって、思ったことも口に出来なくて、それでずぅっと独りでいる、いじけた子供なんです。
ベルやアプロが好きでいてくれるような、そんな女の子じゃないんです。
マイネルやゴゥリンさんが仲間として認めてくれるような、そんな強い子じゃないんです。
マリスにフェネルさん、街のひとたちがよくしてくれるような、そんなしっかりした人間じゃないんです。
「…アコは、逃げたかったの?」
「…違います。逃げたって意味のないことくらい、わたしには分かってます。だからあの時アプロの手をとったのは、ただの事故です。本当のわたしは、アプロやベルに好きになってもらう資格なんか無いんです」
「でも、私はアコのことが好き」
「分かんないですよそんなこと言われたって!ベルがわたしのことを好き、なんて言われたって、信じられるほどのもの、わたしには無いんですからぁっ……」
…わたし、はげしく泣いてしまいました。ひとりの時に、ガマンしてたものが溢れるように泣いてしまったことは何度かありましたけど、誰かの前で泣いたのなんて…誰かの前ではわたしでいられない、って決めた日以来のことです。
「信じられなくても、わたしはアコが好き。そして、アプロもそう」
「…そんなこと、どうやって信じればいいんですか」
「信じるか信じないかは、アコ次第だから。けど、それを示してくれるひともいる。わたしも…それから、アプロも」
アプロ…。
わたしなんかよりもずぅっと、辛い思いをしてきた女の子。
アプロがわたしのために居てくれたことに、だけどわたしはまだ応えていない。
「アプロの顔を見て、もう一度アコ自身の想いを考えてみればいい。わたしはアコが好き。アプロも、アコが好き。そのことの意味を、考えて。ほら、迎えに来るよ?」
「え?」
ベルがそう告げたのと、目の前の何も無い空間に光が差したのが、同時でした。
「アコぉぉぉぉぉっ、無事か───────っ?!」
また、です。
この、何も無い場所に、わたしを助けに来てくれたのです。
他でもない、アプロが。泣いているだけで何も出来ない、わたしを。
一筋の光だったものが広がり、やがて人ひとり通れるくらいの幅となり、そこから姿を現したアプロを、わたしとベルはそれぞれの顔で迎えました。
「アプロ。こっち」
「あん?なんだクソ猫。もしかしてアコを泣かせたのか?だったらしょーちしねーぞ?!」
「アプロが遅いのが悪い。遅いからアコが不安がって、泣いてた」
「うっ…そ、それは悪かったけど…でもこっちも大変だったんだからなっ!アコが落っこちたと思って地上に降りたらあのうねうねしたのがドドドって襲ってきて…アコ?」
「アプロぉっ!」
「わきゃっ!」
感極まってアプロに抱きついてしまいます。いえ、どちらかというと、泣いてるわたしの顔を覗き込もうとしていたアプロに、泣き顔を見られたくなかったからでしょう。
だって、鎧のゴツゴツした胸元に顔を押し当てても、何故かホッとしてしまったんですから。
「あー、アコ?なんか嬉しいけど、でも私今、魔獣ぶった斬ってきて汗だくだし…」
いーですよ、別にそんなこと。
アプロが、確かな姿形で今わたしの前にいるんですから。その事実以外のことなんか、今はどーでもいいんです。
「アコ。迎えも来たから、今日は帰るといい。また私の方から、会いに行く」
「…なんか何があったかよく分かんねーんだけど。ベルニーザ、どういうこと?」
「アコに聞いて。私も今日は疲れた」
そーですね…魔王に会ったなんて話したら、アプロもマイネルもゴゥリンさんもおったまげることでしょうね。
そんな三人の顔を想像してくすくす笑うわたしをアプロは、心配させといてそれはないんじゃないかー?、とぼやいていました。
ごめんなさい、アプロ。
でも、わたしは今、とても嬉しいんです。
それが良いことなのか悪いことなのか、よく分かりませんけれど、自分の鎧に、私に額をぐりぐりと押し当てられて、それで戸惑っているアプロの姿は、わたしにとっての喜びなんです。
涙は、乾きました。街に帰りましょう?アプロ。




