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第203話・そしてわたしの旅路の果てに その22

 【アコ!】


 「だまって!今からわたしを使い切ります!だから足りない分は…手伝ってください!!」


 本来であれば長く連れ添った、聖精石の針を掲げてカッコ良く宣うところなのでしょうけど、今はきっとどこか他のところで誰かに大事にされているだろうって無理矢理自分を言いくるめ、針の代わりに自分の腕を掲げ、祈りました。


 「この穴を全て塞ぎ、世界が独り立ちすることがわたしの願い、そして誓いなんです!だからわたしの体よ、そのために糸となって、わたしたちが立ち上がるための力になって、くださいっっ!!」


 わたしの右手の人差し指から、編み出された糸が猛烈な勢いで繰り出されていきます。

 その量は、アウロ・ペルニカを守るために生んだ長さなんか問題にならないくらいの、膨大なもの。

 だから指先から糸が送られるにつれ、両足のつま先から、左腕の指先から、これは痺れだと言い聞かせるのも出来ないほどの激痛が響いてきます。

 でも止めることは出来ません。最初に繰り出した糸がようやく柱の天辺に届き、わたしが落下するよりも速い速度で穴を縫い塞いでいくことを感じて、わたしは更に糸を、この体を削って生み出されるものが高速で役目を果たしていくことを止めません。


 「あ…ぐ、ぐ…ン……いた、い……いたい、痛い……いたいいたい、イタイっ……!」


 もぎ取られたとすら思えた、あの時の苦しみが再び襲ってきました。

 あれはきっと一瞬のことだった。腕をもがれたと思って転げ回って、その激痛に気を失ったのです。

 でも今は、同等以上の痛みと苦しみが襲ってきて、それでいて気を失うことは許されない。気を緩めたら、全部が終わる。わたしと、アプロとベルと、一緒に旅をしてきた仲間とこの世界のひとたちで見つけた答えが、きっと正しいものだっていう思いを確かめる術が、失われてしまう。


 その一念で、壊れそうになるこころを必死で繋ぎ止めます。

 無駄にしてなんかたまるかっ。わたしたちの旅の最後を、何も出来ませんでした、なんて形で終えてたまるかぁっ!!


 【アコ、しっかり!】


 「……あ、あり…がとー、ござ……いま……す、ね………」


 落下の風圧に煽られてろくに開けない口でしたが、掻き消えそうになる意識を蹴り飛ばしてくれた彼の叱咤には、朦朧とした頭に浮かんだ単語を自動的に話すくらいの役には立ってくれました。きっと聞こえてはいないでしょうけれど……。


 あおられるといえば、かすむ目にはわたしを削って生まれる糸が、やっぱり風にゆれて、ゆらゆらって、たよりなく伸びていくよーに見えてます。

 とっくに力を失った右手は、ただ体におくれて落ちていくだけですけれど、びゅうおう、びゅうおう、ってみみざわりなおとにさらされて、ふるふるとふるえていまス。

 でもわたしはがむばって、いとおだして、がんばて、がんばて…がんばで、わたし………がんば、る?わあし、がむばて、なにほしゅるのれ………あ、あしいたひ……あひ、あし、わはしの、あひ……。


 【アコっ!!】


 「ぁっ?!」


 耳元で怒鳴られたような気がして、わたしは思い出しました。今やるべきこと、わたしの頑張ること。

 それから……わたしの身体が、失われてゆくこと。


 気を持ち直した時に体勢を崩し、わたしは自分の下半身の状況と対面してしまいます。

 目に入ったのは、とうに崩れ消えていた脚。ちょうど膝から下が乾いた泥のようにボロボロに崩れ、けれど不思議とそこにもう、痛みは感じません。


 「…そっか、痛くもないってことは、もう……」


 …この国の大地を踏みしめ、わたしをいろんなところに連れてってくれたわたしの、脚。

 ありがとう、ございますね。


 【アコ、まだ…】


 「いけます!」


 痛みが残っているのは、針を繰り出していない方の左腕です。けれど頭の下から先までを焼くように貫く痛みは、まだこの左腕が糸を生み出すことが出来ているという、証し。

 再び頭から下に落ちる姿勢になり、虹の柱に向かってつきだした右腕の指先から伸びている糸は、柱の上の先からずうっと続いていて、そしてもうすぐ、縫っているところがわたしに届きます。


 激しい痛みに首を巡らせるのも辛くはありますが、下に目を向けると…地面までにはまだ間があります。


 「間に合うか…間に合って、お願い……いえ、間に合わせてみせますっ!」


 縫い目の先端がわたしの高さに追いつき、目にも止まらない速さで柱に空いた穴を縫い合わせる様子と一瞬併走すると、あっという間にわたしを追い越し先へ、柱の根元に向かって縫い目が奔ってゆきました。


 「…く、っはあ、はあ……ど、こまで続く、んですか、これ……」


 【じめんにとどくまでだよ、アコ…がんばろう】


 根源の声が心なしか、小さくなっています。聞き届けるわたしの耳も遠くなっているのか…いえ、わたしの内から聞こえる彼の声が、小さくなるわけがない…。


 「っ、あなたまさか!」


 【だって、アコだけにさせるわけに、いかない】


 もいでは繋ぎ、繋いでは引きちぎられるように痛みが繰り返し襲ってきていたわたしの左腕が、少しはその苛む力を減じたと思えたのは…彼が、糸を送る度に削られてゆくわたしの身体の代わりを、少しずつ果たしているからなのです。ようやく、気付いたわたしはとんでもない大バカです!


 「あなたが先に消えちゃったらどうするんです!その時はわたしだって終わりなんですから、少しは自重しなさい!それに交わした約束だって果たせなくなるじゃないですか!」


 【…でも、アコがきえたらこのあなをふさぐこともできないから……いっしょに、がんばろう…?】


 「………」


 涙がこぼれたのは、きっと風が目に染みたからですね。今は、それを拭うための手だって自由にならないんです。残った右手が最後にそれをしてくれるって信じて、わたしは崩れつつある左腕をチラと見やります。



 【…アコ、みえてる?】


 「風が強くてちょっとどうにも…あなた、わたしの代わりに見て下さいよ」


 【アコがみえないなら、ぼくにもみえないよ】


 そうでした。まったく、わたしとしたことが。

 一瞬、左腕の激痛が戻って、呻くわたしです。けど、痛いのはまだがんばってくれてるから。まけるな、わたしの左腕。


 【ぼくも…】


 ええ。がんばりましょう、ね。



 耳元でごぅんごぅん鳴っていた風鳴りの音が、どこか遠くになったみたいです。

 まだ聞こえはしますけど、ごうごうが、ぐわぁんぐわぁん、みたく聞こえます。


 【でも、ぼくのこえ、きこえて、る?】


 聞いてますよ。最後までそのままでいてくださいね。



 唐突に、左腕の痛みが消えました。

 つまりは、そういうことです。

 布を押さえたり、鍋やフライパンを振るったり、わたしのやりたいことをいっぱい支えてくれた、わたしの左腕。

 ありがと。さよなら。



 【もうすぐ、だよ】


 だといいですね。

 もうどの辺まで縫い目が行ったか、わかんないんですもの。

 糸はどんどん遠慮なく繰り出されていくっていうのに、今どこで何を縫っているのか分からないって、結構不便です。

 あ、風から匂いが、消えました。



 「アコ!」


 突然下方から聞こえてくる、わたしを呼ぶ声。アプロか、ベルか…もう見えなくて、よくわかりません。


 「アコ!聞こえてるっ?!」


 聞こえてますってば。ベル、お願いだから今はわたしを止めないでください。今止まったら、わたしだけじゃなくてこの世界が、子供をやめられなくなって、しまうんですから。



 【アコ、じめんが…みえる】


 おーけー。とっくに目なんか見えなくなってますけど、それだけ分かれば充分です。

 そういえば、風もなんだか温くなってきました。確かに懐かしき大地は、もうすぐのようです。



 【アコ、もうす、ぐ…】


 わかってます。あなたもそろそろ止めてください。あとはわたしがやります。

 風の鳴る音は…まだ聞こえます。



 【あ、こ……あり、が……】


 「だから、もう黙れって言ったじゃないですか!!」


 叫んだら喉のあたりが崩れしまい、もう大声を出すことなど出来なくなりました。



 「アコ!」

 「アコぉっ!!」


 あ、声が増えた。

 よかった、アプロも無事だったんですね。

 でも、もう少し。

 あと、少し。

 目は見えなくても、最後に残った右腕から伸びた糸は、もうすぐ地面に届くと分かります。

 どうか二人とも、わたしの代わりにそれを見届けて、それが済んだら……わたしを、抱きとめてください。

 伝えたいことが、伝えないといけないことが、あるんですから。




 ぷつりと途切れた糸の感触だけで、わたしの成すべきことが終わったことに、気がつきました。

 もう糸を生み出す必要のなくなった右腕は、ようやく痛みから解放されて、わたしは指を一本、二本と動かしてみます。

 よかった、アプロとベルの顔に触れるくらいのことは、出来そうです。


 「アコぅ……っ!」

 「……アコ…」


 わたしを抱きかかえてくれたのは…どちらなんでしょうね。見えませんし、もう匂いもわからないですし。

 あ、でもこの、背中とか右の肩の辺りのごつごつした感じ、アプロの鎧ですね。

 そしてわたしの腰を抱いたアプロは、落下の速度に急制動をかけて、そしてゆっくりと降りてゆく、という速度になり、それが止まったかのように思えると、わたしたちは長い長い空での戦いを終えて、地上の住人に戻ったのです。


 「アコぉ……」


 ベルは、アプロの前でグズグズ鼻をならしてるんですか。あはは、すみません。泣かせてしまいました。


 「言ってる場合じゃないだろっ!なんで…こんなひどいことになっちゃってるんだよぅ……」


 アプロ…。


 「…その、ふたりとも。虹の柱は、穴はどうなりました?わたし、もう見えないからどうなったのか分かんなくて…」

 「え……ア、コ……?目が見えない、の…?」

 「ちょ…っと、アコ、私とベルの顔も見えない…のか?」


 右手、動きますね。

 わたしはもぞもぞとそれを動かし、わたしを抱いているアプロの顔に、触れます。

 あーあ、なんだか泣き顔になってるみたいで、くちゃくちゃに濡れてますよ、もう。きれいな顔が台無しですってば。


 「…アコ。私たちがアコの目になる。きいて?穴は、塞がった。虹の柱は…今、ゆっくりと薄くなっていくところ」

 「ああ…、ああ……消えてくよ、アコ。私たち、勝ったんだぞ……アコ…あ、はは……すげーことやったぞ、アコ……」


 違いますよ、アプロ。

 勝ったり負けたりとか、そういうのはまだです。

 ようやく、自分たちの力で勝負を決められるように、なっただけなんです。


 分かるでしょう?

 わたしたちは、この世界のひとたちは、そんなこともこれまで出来なかった。

 ガルベルグという、庇護といえば聞こえはいいですけど、わたしたちを一人前に扱ってこなかった存在のもとで、ただ彼の願った通りに生かされてきた。


 そのガルベルグは、もういない。

 彼が残した、この世界を救ってくれるという異世界とも、もう往き来する術もない。

 わたしたちは、わたしたちの裁量と器量で、この世界を続けていかないといけない。


 けど、わたしは、もう…。


 「…ベル、いますか?」

 「……いる…いるよ、アコ……ぐじゅっ…」

 「もう、あなたまで泣いてどーすんですか。ええとですね、ちょっと、伝えたいことがあります」

 「……ん、なに…?」


 アプロの頬の感触を楽しんでいた…いえ、もう触ってる感覚もあやしくなってましたけど、その右手を、今度はベルの声がする方に伸ばしました。

 アプロが体ごとベルに寄せてくれ、ベルもわたしの手を迎えてくれたから、わたしの手はベルの両手に握られることになりました。


 「…ベル、わたしの根源から、ベルに伝えてくれって。わたしのなかにいるから、って。ベルにそう伝えれば、ベルなら分かってくれるって、そう言ってました」


 もう声も聞こえなくなってますから、本当に今もいるかは分かりませんけどね、と重ねて言うと、それでもベルは少し考える風にして、それから何度も何度も、大きく頷いていたみたいです。

 よかった。これで、彼との最後の約束は守れた。


 「…アコ、私には?私にはアコが伝えたいこと、ないのか……?」

 「なにをわがままな子供みたいなことゆーてるですか、あなたもー…あ」


 あなたに伝えたいことなんか…と続けようとしたわたしの耳に、アプロやわたしのことを呼ぶ、いくつもの声。

 きっと遠くから、こちらに駆け寄ってくるのでしょう。あー、目が見えない分、音とかでそういうの感じやすくなってるかも。


 「…アコ、みんな、きた」

 「だな。アコ、いっぱい、自慢してやろーぜー…?アコの言ってた『どやがお』、ってのでさ…」

 「あー、なんかそんなことも言ったかもですね…」


 そんなことをしてるうちに。

 わたしやアプロ、それにベルの名前をそれぞれに呼びながら、いっぱいのひとたちがやってくる気配がしたのでした。 

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