第201話・そしてわたしの旅路の果てに その20
合縁奇縁、と言います。
神梛吾子の記憶をひっくり返したって仏教の細かい定義なんか分かりませんけれど、「縁」って言葉に、「運命」などのようなひとの力ではどうにも抗えない諦観のようなものとは異なる、力の在り方を匂いとってわたしは、とてもこの言葉が好きになりました。
そこにあるのは、わたしが、ひとが成してきたことの結果。繋がって、足掻いて、どうしようもなくなっていく世界を自分たちの手で変えていこうとする、意志。
だから、その結果は自分たちの手によるものだという、覚悟が生まれる。繋がりが重なり、やがて世界を動かす。動かしてやろう、って意思と意志が、考えもしなかった結末を導く。
そんな歓喜の訪れは、わたしに喜びを、ではなく頭の回転をもたらすのです。
例えば。
【あのよろいがどこからきたのか、だって?そんなことをかんがえているときじゃないとおもうけど】
「いいえ、今がそれを考える時でしょうに。考えないと、アプロは勝てない。勝てなければ、わたしたちはそこに辿り着けない」
【……】
「あなた自分で言ったじゃないですか。幻想を生み出す妄想が魔獣を象ったものだ、って。それでわたしなりに考えてみたんですけどね。幻想種は、虹の柱を通ってやってきた異世界の妄想がこの世界に姿を顕したもの。根源無きただの妄想なのだから、わたしにだって倒せてしまうくらいに弱い力しかない。おーけー?」
【……】
「だんまりしてたって続けますからね。もう、わたしに答えを教えてくれる人、誰もいなくなったんですから。…えっと、それで幻想種の成り立ちがそういうものであれば、それはこの世界に保証された存在じゃない、ってことなんです。で、あの鎧なんですけど…もしかして、未世の間を通ってきたんじゃないかなあ、って」
【つまり?】
「時々察しが悪いですね、あなた。基本的に幻想種の大元となる異世界の妄想はこの世界の保証なく形を得ただけだから、それはこの世界では確固たるものとはなり得ない。ですけど、未世の間を通ってくることで、世界を回す力が還る仕組みに組み込まれるんじゃないかと思うんです。だから、魔獣という、この世界で存在を保証されるものの特徴…といいますか、性質と、異世界から紛れ込む妄想が結びついて、それで強力な力を得ることになったんじゃないかな、って」
【……アコ?】
はい。
言いたいことは言いましたからお好きにどーぞ。
そんな気分で返事を待つわたしでしたが、言われたことは意外に…
【それはアコじしんのことでもあると、おもわない?】
思えて、実はスッと腑に落ちるものがありました。
地球世界から流れてきた妄想が、未世の間で世界を回す力を生む石と結びつき、魔獣の態を成した。
なるほど、まるっきりわたしのことじゃないですか。形を得てからガルベルグによけーなことを吹き込まれた点を別とすれば。
「けど、今更それってどーでもいいことなんじゃないですか?わたしが何者かなんて、もう誰も気にしてませんし、それでわたしのやることが変わってくるわけでもないですし」
【そうだね。アコはそのままでいればいい。でも、それなら、あのよろいのまじゅうにどうたいしょすればいいかは、わかるんじゃないかな】
…つまり、わたしがやられるとヤベーことをしてやればいい、と。なるほど確かに、分かりやすい。
じゃあそれはいいとしましょう。今のところアプロの足を引っ張ることしか出来てないわたしが、活躍する目が出てきたってことで、それは喜ばしいことですから。
「あともう一つあるんです。わたしの針、どこにいったんです?なんであの鎧の魔獣が針をどうにか出来るんです?」
【あれだってひとつのげんそうのかたち、だよ。アコ。ながれこむげんそうやいかいのぶんぶつをふうじるちからをあたえられて、あのかたちになったものだから】
「……それこそ今更って気はしますけどね」
針の由来についてはフィルクァベロさんやマリスに教えてもらってます。けどその時は、ひとの造りしもの、というよりはただそこに顕れたものだった、という話でしたから、詳しく追求してもムダだと思ってほっといたんですが。
そしたらまあ、わたしと生まれを同じくするものだったというわけで。そりゃあ、わたしにしか扱えなくたって不思議じゃないですよね。未世の間で石と結びついて、聖精石の性質を色濃く備えていたのなら、聖精石からつくった糸と親和性はいいのも、むしろ当然ってものなのでしょう。
【たぶん、はりのそんざいはきえてないとしても…このせかいからはうしなわれたのだとおもう。いかいからながれこむもうそうにとっては、きけんなものだろうしね】
「あれでも長く連れ添った相棒なんで、消えて無くなるのでしたら哀しいですけど。ただまあ、どっかに存在しているなら誰かが使ってくれるでしょうから、相方としては元気にやっててくれりゃそれでいーです」
【だね。それとアコ】
「はい。なんです?」
【にじのはしらをふうじるに、はりはつかえない。だから、アコじしんをつかうしかないけれど…】
根源はどこか痛ましそうな口調で言います。
だってそれは、わたしが消えてしまうことを覚悟の上でそれを為せ、と言ってるも同然なのですから。
ですけどね。
わたしはもう、我が身に代えることを畏れて為すべきことを為さない、ってことは出来ないんです。
変えようと決めて、わたしの決断を共に背負ってくれる愛しいひとがいるんですから。
【そうじゃない。ぼくのこともすきにつかっていいとはいったから、ぼくがきえることになってもうらみはしないけれど、ひとつだけおぼえておいてほしい】
「珍しいですね、あなたがそこまで言うなんて」
割と真面目にそう答えると、根源はそれを上回るような真剣な調子で続けます。
【ほんのかけらでいいから、ぼくのいたしるしをのこしてほしい。アコがぼくをつかえば、ぼくはまめつする。ちいさくなればなるほど、ぼくはぼくでいられなくなる。でも、アコのこえをきけなくなるくらいになってもいいから、ぼくのこんせきをのこしてほしい】
「………ま、またえらくさみしーことを言うじゃないですか。別にあなたを犠牲にしてわたしだけ生き残る、なんてこたー考えてませんて。滅びるも残るも一緒。ていうか、あなたが消えたらわたしだって形を残せないじゃ…」
【そうじゃない。アコはじぶんがきえてしまってもいいとかんがえているだろうけど、それでもぼくのことはのこしてほしい。そういうこと】
「じゃあなんですか。あなたはわたしが消えても自分だけは生き延びたいと。そーゆーことを言いたいんですか」
【どうとってもかまわない。だけど、それがぼくののぞみだから】
「理由くらい聞かせてもらえるんでしょうね」
【………】
…無言でした。
えらくワガママなことを言うものだ、と思ったものです。
わたしはそこそこ覚悟してるっていうのに、自分だけは助けて欲しい?
そんな話聞けるわけねーでしょーが。あなたはわたしと一蓮托生。あなたを犠牲にして生き残ろう、なんてこたー考えてませんし、そもそもそれは無理な話です。
でも、わたしが消えても自分は残りたい。石として元の循環に還りたい。そんな話聞けるわけが……。
【アコは、ぼくたちのきぼうだから】
……そうでしたね。
わたしは、世界を回す力を生む石たちに誓ったんです。
ずぅっと世界を続けていける世の中にしてみせる、って。
だったら、まあ。
「分かりました。わたしの誓いを守るため、あなたの言葉に従いましょう。他にして欲しいことは?」
【…そうだね】
泣いているんですか?と、思わず声をかけてしまいたくなるくらいに、「彼」の声はわたしの胸に切なく響きます。
【ぼくがここにいる、ってベルニーザにつたえてほしい】
「ベルに?アプロじゃなくて?」
【アプロはしっているよね?でも、ベルがきいたらぼくののぞみをかなえてくれるとおもう】
よく分からない話ではあります。
でも、一度誓ったのならもう疑うまい。貫くだけ。
「じゃあ、戻りましょうか」
【だね。アプロが、まってる】
わたしの見るところ、こーいう場合アプロは待ってたりしないで迎えにくる方だと思うんですが、それは言いますまい。わたしは空気を読むことにかけても定評があるのです。
「…なんです?」
【うん?そのじょうとうくもアコのみりょくだね、っておもった】
賢しらげな口を利くんじゃありません、って叱りつけてから、わたしはもう一つ思います。
待っているのはアプロじゃなくて、きっと。
・・・・・
鬨の声が、響いていました。
それは近くと言えるほど大きくはなく、けれど遠いとは決して思えないくらいに心強いものでした。
「アプロニア様ぁっ!」
「…!ブラッガ?!」
幻想種の壁の向こうに隠れたアプロの声が、聞こえます。
届いた声の主の名を呼び、そしてわたしと同様に励まされた身体はきっと、とてつもない力を取り戻していることでしょう。
そのことを証すように、一際眩い光と共に轟音が響きます。
直接の効果は無いとはいえ、爆風やそれに煽られた石礫は幻想種を薙ぎ倒し、わたしの視界に再びアプロの背中が戻ってきました。
「アプロ!みんなが!!」
消え失せてゆく幻想種の体を避けつつアプロのもとに駆けつけそう言うと、鎧と辛うじて対峙していた、という姿だったアプロは、喜びと不敵っぷりとふてぶてしさを取り戻した顔で振り返り、こう嘯きます。
「アイツら…あぶねーから来るんじゃねーぞって言っておいたのに何やってんだかなぁ…」
「アウロ・ペルニカには言ってないでしょ。ミウ・ミレナには確かに来るなって言ってましたけ……ど……」
わたしの語尾が小さくなってしまったのには、理由があります。
だって、そりゃあ、ねえ?
「ベル?!…おめーまで何しに来やがったんだ!!」
「アプロに任せておいたらアコが危ない。だから、来た。えいっ」
何が起こったのか分からずにか、今までの落ち着きっぷりがウソみたいに狼狽えている(ようにわたしには見えました)鎧の魔獣の頭上に浮いていた、元魔王にしてわたしとアプロを愛しんでくれる、愛しいひと。
そして、携えた大鎌を振りかざすと、まるで糸が切れたみたいにあっさりと、さっくりと落ちてきて、ようやくその存在に気付いて上を見上げた鎧の胸に、鎌の先を突き立てたのでした。
「ぬぁぁぁぁっっ?!」
「うるさいやつ…ふたりとも、手伝う。何をすればいい?」
「よっしゃ、褒めてやる!なぁに、二人がかりでやりゃあ…」
「待って二人とも!」
悶絶してる鎧を冷たい目で一瞥し、優雅に着地したベルはすぐにもアプロと並んで戦闘開始、といきそうでしたが、わたしは二人を制止して細かいことも説明しないで指示だけ出します。
「アプロはそいつを抑えておいてください!ベルはわたしの護衛を!幻想種や魔獣が襲ってこないようにして!」
「がってん!」
「任せて!」
わたしが何をしようとしているのかを尋ねもせず、それぞれにやって欲しいことを頼もしく請け負ってくれる二人。
そして今からわたしたちに蹂躙されようとしているラスボスのおかわりくんは、といいますと。
「我を招いた貴様らが何を勝手なことを!これから何をしようとしてるかなど興味も無いが、ようやくこの世界で得た自由と解放を手放してなど……堪るかァァァァァッッッ!!」
まこと、勝手なことを言うのでした。
そして、道を拓く者を勇者と言うのならば。
「うるせー馬鹿野郎こっちは招いた覚えなんざねぇんだよ!私たちの邪魔をすんな!私たちの目指す道に立ち塞がるんじゃ…ねえッッッ!!」
紛う方無き勇者たる、アプロニア・メイルン・グァバンティンは、一国のお姫さまにしてはすこーし品の無い雄叫びと共に、わたしたちの先頭に立つのです。
「アコ!なにをするのかは分からないけど気をつけて!」
「あなた一体今まで何やってたんですか、もう…」
王都で意見を違え、歩む道を異にしたわたしたちでしたが、もっと大きく道を変えたこともあったベルとは、それでもまた会えると信じていました。
ですが、それも生きていればこそ。ほんの少し前まで、アプロと一緒にこの地で斃れる覚悟すら決めないといけなかったかもしれないことを思うと、そんな楽観的な願いもギリギリのところだったことに気がつき、ゾッとするのです。
「…それでもアコとアプロを放っておけないって話になって、アレニア・ポルトマから急いでこっちに向かってきてた。そしたら、幻想種の脅威は見た目程じゃないってことに気付いて、アウロ・ペルニカに私だけ先に向かって、応援を呼んできた」
「………ほんとに、よく…来てくれました……って、ところで屋台料理のつまみ食いとかしてなかったでしょーね?」
アウロ・ペルニカの名を聞いて思い出したことを、冗談めかして言うと、ベルは音のしそうな速度で首を九十度捻りました。
「……ベールーぅ?」
「……だって、その…ベクテの新しいお店が開店してて…お祝いもしたかったし…」
ベクテくんの?お店…?
「…奥さんもできてた。だからお祝いしないと…で、でも、顔出して、おめでとう、って言っただけだから…何も買い食いしてない…」
わたしがシーンとしてしまったのを、怒ったのだと勘違いしたのでしょう。わたしから顔を背けたまま、幾分青くなってるベルでした。
…あは、そそっかしいですねー、ベルも。
だって、ベクテくんがあの街で結婚しました、なんて話を聞かされて、わたしにやる気が出ないわけ、ないじゃないですか。
胸と腹の下から沸き上がる力を感じて、その熱さに戸惑っていただけですよ、わたしは。
「……ベル」
「……はい」
わたしより上背のあるベルの頭に、ポンと手を乗せてやったら、ベルは顔を白黒させてました。
「全部終わったら、アプロも一緒にお祝いしに行きましょう?ベクテくんの幸せには、わたしたちだってたくさん力を貸したんですから、いっぱい利子つけて返してもらいましょう?お店に出てる料理、端から端までごちそうしてもらったっていいくらいなんですから」
「…アコ……うんっ!!」
「くぉらてめーら!いちゃついてないでさっさとやること始めろっつーのっ!!」
アプロの叱る声が聞こえます。
ですけど、先刻のように余裕も無く、焦りがその剣跡を曇らせることもなさそうです。すっかり元の元通りの調子のようでした。
「アコ、わかった。一緒にお祝いに行こう。でも今はここを突破することが大事。やれる?」
「やってやりますよ。わたしが今この場にいる意味は、そういうことなんですから」
安心させるように笑いかける必要などありませんでした。
だってベルもアプロも、わたしが、わたしたちがすることは完璧に、完全に理解して、わたしたちはそれをやり遂げることが出来るのだって、知っているんですから。
さあて、きっとこれが、わたしの最後の機会。
…生まれた場所に、戻ることの。




