第174話・魔王と勇者と英雄と その7
夜中です。
東京のど真ん中とあって、アウロ・ペルニカの周りにある草原と違って、人灯りが絶えることはありません。
それでも夜中ということで、人通りはない公園で、わたしはベルと二人で佇んでいました。昼に神梛吾子となんだかなー、って感じの話し合いをした、同じ場所でした。
「…ベル、満足しましたか?」
「…私はもうここに住みたい」
アホ言ってるんじゃありません。
昼間、奇妙な約束を交わした代償としてわたしは、神梛吾子にお願いをしました。
一つは、お土産が欲しい、ということと、ベルのために(あくまでもベルのためにっ!)何でも良いから美味しいものを食べさせて欲しい、と。
認めたくはありませんでしたが、わたしとベルの格好では食事の出来るお店に出入り出来るわけもなく、持ち帰りできる食事のようなものを幾つか、というか幾つもごちそうしてもらいました。
アウロ・ペルニカの屋台マスター、ベルはその一つ一つにいちいち感動しながら、わたしが呆れ、神梛吾子が財布の中身を心配するほどの量をひょいぱくひょいぱくしていました。なんかもー、ごめんなさい。
「アコはそれでよかったの?」
「え?ああ、これですか。はい、持って帰って研究すれば、きっとあの世界のためになると思うんです」
「そう。アコがそう願った通りになれば私もうれしい」
「そう思うんだったらとっとと帰れるように手配してくださいってば…」
ため息をつきつつ、わたしは増えた荷物…といってもうすい包み紙ですけど、その存在を手の中に確かめます。
わたしはお土産、という態で和紙の束を買ってもらいました。高級というわけではなく、どちらかというと素朴で簡素な、材料の感触がつよく残るものです。
テラリア・アムソニアでは、紙に似た植物の繊維を漉いたものはありましたが、それほど上等なものではありません。いつか進化してもっとキレイなものが出来るとは思いますが、それを促すために参考になるんじゃないかな、と。
「アコなら布とか糸とかを買うのかと思った」
「そうでもないですよ。型紙を作るのに紙は適してますし、文化の進歩のためには文字の普及や記録を伝える簡単な手段は必要ですからね」
羊皮紙とか今の原始的な紙はまだまだ高いんですよね…。
「そう。アコはやっぱりアコのままだった」
「そーいう言い方は無いでしょうが。わたしはいつだって自分の野心のために働いているんですからね」
口を尖らして拗ねると、ベルは楽しそうに顔をほころばせてました。
さて、帰り支度はこれで充分。あとは、ベルを説得して帰らないと。
「ベル」
「それは聞けない」
「まだ何も言ってませんけど」
「言わなくても分かる」
むー。この頑固娘。
わたしとベルは、腰掛けた公園のベンチの端と端から火花の散りそーな視線を交わします。
「ベルだって帰りたいんじゃないですか。みんなに会いたいと思わないんですか」
「父の命は絶対。わたしの勝手でしていい問題じゃ無い」
「それだけじゃないでしょーが、あなたの場合。味を占めたんじゃないですか?東京の食べ物に」
「…う」
だって、次から次へと、これまで食べたことのないものをお腹に収めて、これ以上無いくらい幸せそうな顔してましたものね。
でも、ベルって地球とあっちを自由に往き来出来るんですよね?今まで東京に来たこと無かったんでしょうか?
「異界と繋がる穴は、潜る者にとって縁のある場所に繋がる。だからアコは、こっちのアコの近くに現れた。私は…そういうものが無かったから、何も無い場所にしか行けなかった」
「なるほど。それで偶然に綿花の実を見つけた…というか、わたしに贈り物をしたくて、綿花の実がなってる場所に出たんじゃないんですか?」
「………」
耳まで真っ赤にして顔を逸らされました。うう、ベルが可愛すぎて死ねそう…。
「…でも、それならベルにとって今の状況は、願ったりかなったり、と。そこいらにいくらでも美味しい食べ物があり、ベルが大好きなわたしもいる。嬉しいですか?」
「…そういうことは言わないで欲しい。アコのことは好きだけど、私の好きなアコは…」
「アプロと一緒にいるときのわたしが好き、なんですよね、ベルは。でも今はアプロはいない。どーしますか?」
「………」
それとですね。
ベルが執心する美味しいものだって、お金がないと手に入らないんです。
日本はこれでも、身元がしっかりしてない人間が日銭を稼ぐのは簡単なトコじゃないんですよね。美味しいものが食べたい、でもお金は無い。アウロ・ペルニカではガルベルグがお小遣いをくれてたそーですが、日本のお金まで調達出来るんですか、ガルベルグが?
「………困った」
「でしょう?だから大人しく帰りましょ?そして魔王なんかもうやめてしまって、またわたしたちと一緒に…」
「でも、それは出来ない。父の願いは私の願いにも通じる」
「…どういうことです」
いえ、それよりガルベルグの本当の狙いって、一体何なんですか。
「とてもつまらないこと。当たり前のこと。だからこそ、私は捨ててしまいたくはない」
「それは、テラリア・アムソニア…いえ、あの世界のひとびとを不幸にしてでもかなえたい願いなんですか?ベル、わたしは…あなたには悪いとは思いますけど、わたしの大切なひとたちよりガルベルグを優先したいとは思えませんよ。それでもあなたがガルベルグのために働くというのであれば、わたしはあなたを裏切らないといけなくなります」
「アコ!」
「…そんな顔をしたって覆りませんよ。わたしはもう決めてるんです。アウロ・ペルニカで出会ったひとたち、アレニア・ポルトマで知り合ったひとたち、彼らに繋がるひとたち。皆が生きてく世界が今ままでとは姿を変えてでも、生き延びていくために出来ることをしよう、って。わたしが消えてしまったあともずっと、続いていくために、です」
「………」
ベルを悩ませてしまいました。
言うなればわたしを人質にして言うことを聞かせようとしてるんですから、わたしもズルい真似をしてるものです。
でも、そんな狡い真似をしてでもかなえたいものが、わたしにはあるんです。
アプロと違って、わたし自身には大した力はありません。未世の間に根ざすわたしの根源の力があればこそ、他のひとには出来ないこともいくつかは可能にしますけれど、それだってわたしの力、ってわけじゃありませんから。
だから、利用出来るものは何だって利用する。ベルがわたしに、わたしとアプロに寄せてくれる気持ちだって利用しないといけないのです。
恨むなら恨んでください。でもわたしを恨むのはベルだけじゃありません。アウロ・ペルニカにそれはいくつも残してきました。あの街に住むひとたちのうち、わたしが親しくしてきたひとたちは、わたしに騙された、っていつか恨みに思うでしょう。
「だから、ベルがわたしのことを恨んだって、それは今さらなんです。わたしは世界に呪いを残して、消えます。英雄だなんて言われて、わたしを祀り上げたひとたちは後悔すればいいんです。あんな女だとは思わなかった、どうして勝手な真似をしやがったんだ、って。でもそれでいいんです。わたしの残すものなんかそれくらいで。それで世界が変わりつつ、やっぱり生きていけるのなら、それでわたしは報われるんです」
ベル、だから、わたしをあの世界に帰してください。
わたしをガルベルグと対決させ、決着をつけ、わたしをあの世界の存在でいさせてください。
「アコっ!」
はい。聞いてくれますね、ベル?………って、あれ?ベルはベンチの上にひざを抱えて黙ったまま…ってことは、この声は…?
「アコ…っ」
「むぎゅ」
突然後ろから抱きしめられました。何なんですかこの…わたしの大好きな匂いと声で、いつもいっつも、わたしを助けに来てくれる、わたしの大好きな…。
「…アプロ?」
きつい抱擁をかいくぐって、どうにか顔を後ろに向けると。
「…なんであなたがここにいるんです?」
「……遅いから、迎えに来た」
わたしの大好きなアプロが、笑顔で、事も無げに、そう言ったのでした。
………いや、待って待って。
あの、迎えに来てくれたのは嬉しいんですけど、一体どーやって…?
「どうやって、って…ガルベルグは止めようとしたけど、一発デカいのカマして黙らせてから、穴切り開いて、来た」
「………」
あ、アホがいる…わたしなんかのために、魔王を退けて、世界を根本から弄り変えてしまう存在をどうにかしてしまって、無茶をするアホが……。
「あ…あな、あなた一体何なんですかっ!わたしのために世界を越えてしまって、帰れないかもしれないのに…っ!あなた自分の立場と考えたらどうなんですかっ!い、一国のお姫さまで、世界を救う力を振るう……」
「私が何なのか、って。決まってるだろ?勇者だよ。大好きなひとを守って、助けて、その願うところをかなえる勇者、だよ」
そのついでに世界を救ったりもするけどなー、って、アプロは流石に照れくさそうに、わたしの体の前に回した腕に力を込めました。
「あ、ぷろ…っ……アプロ、アプロ……あぷろぉ……」
「はは、泣くなよアコぉ…私が泣けなくなるだろー…」
そんなこと言って、アプロだって泣いてるじゃないですか。
ここに来るまでにどんな想いしたんですか。
わたしが毎回毎回、危ない目に遭ってる時にいつもいつも駆けつけてくれて、今度なんか本当は来たらいけない場所なのに、どうしてもう、この子はぁ……。
「…二人の世界に浸ってるところ悪いけど」
ぎく。
そ、そういえばそうでした。ベルを説得して帰らないといけないことに変わりはないのです。ていうかそーいう言い方は無いんじゃないでしょうか、と目を逸らすわたしでした。
「…よ。久しぶり」
「…そんなことで誤魔化される関係じゃないと思う」
そして、わたしにのしかかったままのアプロと、こちらをやぶにらみしてるベルが奇妙な挨拶を交わします。
世界の運命を賭けて戦う、魔王と勇者の間で交わされるものとしては、とてもとても、けったいなものです。
「大分楽しんだみてーじゃねーか。いい加減気が済んだだろ?帰るぞ。帰って一緒に、魔王を倒すぞ」
「魔王は私。アプロと一緒に倒すことは出来ない」
「うるせー。もう四の五の言わせねえぞ。おめーは、私とアコと一緒にガルベルグを倒して、世界を変えるんだ。これまでのやり方じゃやってけねー、って分かったんだから、変えていく。一緒にやるぞ」
「倒させはしない。どうしても、というなら私が止める。アプロも、アコも」
「そうかよ」
わたしを背中から抱いていたアプロが、体を離してベルに向き合います。
ここは日本の首都、東京。
そこで、異世界の魔王と勇者が、世界の行く末を決するために向き合っているのです。
…って。
「いやいやいや、待て待てこのぽんこつ娘ども」
「…アコ、誰がポンコツなの?」
「おいアコ。わざわざ迎えに来たってのにあんまりな言い草じゃねーの?それは」
魔王と勇者、結託してかよわいお針子に色をなします。
「かよわい?アコが?」
「あのなー、アコ。言ったらなんだけど、第三魔獣相手にすんなら私よりアコの方がよっぽどつえーんだぞ。それが『かよわい』って、マイネル辺りが聞いたら鼻で笑われるぞ?」
「揃いも揃ってひでーことを言いますねっ!そーいうこと言ってんじゃねーんです。あなた方こんなとこでやらかすつもりなのか、って言ってんですよ。あのですね、ここ、ニッポン。トーキョー。アウロ・ペルニカ周辺の、誰もいない原野じゃないんです。あっちの灯りのしたでも、こっちの灯りのしたでも他人様がまだお仕事してる、たいへんお疲れさまです、なトコなんです。そこで魔王と勇者が対決したら、えらいことになるでしょーが。それも分からんポンコツ娘、つってんです。分かりなさい」
「………」
「………」
なんかもう、保育士にでもなった気分です。
アプロもベルも、別にわがまま言ってるわけじゃなくて単にすれ違いとか行き違い、ってやつでこーなってるってことくらい理解してるでしょうに、どうしてこうなるんだか。
「とにかくですね、アプロ。わたしたちの最初の目的を忘れないで下さい。ベルと話をする、って決めたんでしょーが」
「うー…」
「そしてベル。わたしたちはあなたが何を考えて魔王なんて名乗っているのかを理解したいんです。あなたがもうわたしたちを、友だちとしても認められないっていうなら、それはそれで仕方ありませんけれど、話の一つでもしよーってつもりがあるのなら、せめて訊かれたことにくらい答えて下さい」
「……」
なんですかね。いつぞや、アレニア・ポルトマのお風呂に三人で入った時のことを思い出すわたしです。
あの時も、なんだか子供みたいな二人に説教かましてたような覚えがありますけど、ほんっとこの二人は成長しませんね…いえ、あの時と変わっていないことを、わたしは喜ぶべきなんじゃないでしょうか。
でも。
「…分かった。アコの言いたいことは理解した。でも私にも簡単に応じられない理由はある。だから、アプロ」
「なんだよ」
す、と指をアプロに突き付け、ベルは言います。とんでもねーことを。
「…この国の言い習わしに、雨降って地固まる、というのがある。アプロ、全力で相手する。私を負かしたら、なんでも答えるから」
「いーだろ。いっぺんおめーとは本気でやらねーとなんねえ、って思ってたんだ。良い機会だ」
ちょ、あのその、二人とも?
仲が良いほどアレってのは分からないでもないですけど……そっ、それを今からここでやるっていうんですかっ?!
「…結構。じゃあ、征くよ」
「かかってきやがれこのクソ猫ッ!!」
わたしが止める隙も無く、アプロが剣を振るいました。
いえあの、ここ地球ですよ?聖精石が力を発揮するわけが…。
「顕現しやがれこのヤローッ!!」
「きゃーっ?!」
いつもより大分下品なアプロの呪言の締め。
それを終えて、わたしの目の前にあったのは、爆砕音と共に吹き飛び瓦礫の山となった、元・噴水。
つまり、何かが始まったようです。
何か、って?そんなもん、わたしにだって分かりますかってーの!!




