第169話・魔王と勇者と英雄と その2
根回しした甲斐があって、いえそりゃもちろん直接話をしてなかった、中興の貴族の大物とかミネタ派と目される教会の一部のひとたちからはブーイングみたいなことされましたけど。
それでも、教会の教義というものがいかに危うい成り立ちであるのか、聖精石を巡るガルベルグ…真の魔王の企みというものの存在を、この場にいる様々なひとたちに周知させることには成功したと思います。
異界から顕れた(ということにしときました、この場では)わたしの発言は、それだけで重いと見るひともいましたし、むしろ信じられない、と首を振るひとも少なくありません。
ですけれど、わたしだけではなくマクロットさんやマリス、終いにはヴルルスカ殿下にまで援護して頂いて場が紛糾、喧々諤々《けんけんがくがく》の議論沸騰に至った際に、マウリッツァ陛下の登壇で全ては収まりました。
いわく。
「諸卿にも思うところはあるだろう。それらは尊重もするしいずれ個々の会談にも応じよう。だが今は、大陸全土を覆う危機を退け、永く世界が安寧に過ごすために諸卿の力を借りたい。どうかこの針の英雄を信じる、予の言葉を胸に納めてはもらえまいか」
だそーです。
それだけで会場がシンとして、それに続いて豪雷みたいに拍手が響いたんですから、やっぱり陛下はスゴイなあ、と素直に思ったものでした。
ところで、この場でわたしが開示し、そして共有の理解事項として明確にされたのは。
教義の成り立ちは無謬ではなく、意図と真意を隠し持つ、神とこれまで称されてきた存在が示してきたものであること。
教会の権威とこれまで果たしてきた民の暮らしを守る働きを否定するものではなく、世界にある限り続いていく魔獣との戦いにおいて、果たすべき役割は多いこと。
異界の力がこの世界を襲う可能性があり、今はそれがどういう形で顕れるのか、止める手立てがあるのかは分からないが、兆しが示された時は油断をしないこと。
それから。
「魔王」と称される存在が実在するのは事実であるが、ベルニーザと自称する少女の態を持つものを短絡的に「魔王」などと認めるものではないッ………ってのはわたしが強硬に主張したことなんですけどね。
でも、古い神託に魔王の姿形を描写したものがあったことと、ベルの存在が示すものとの矛盾は誰もが認めざるをえず、付け加えればそれがために教義は揺るぎない人類の指針なんかじゃない、ってことを納得してもらう切っ掛けにはなったんですから。
…それでもう一つ思ったんですけど、ヴィヴットルーシア家にわたしを娶るようにアレした神託って、ガルベルグじゃなくてベルの仕業だったんじゃないですかね。
だって、それでわたしたちは魔王の存在性がベルに固定化されたわけじゃないんだ、って思えたんですから。
もしかして、ですけどあれはベルからの救いを求める声だったのではないでしょうか。わたしは魔王じゃない、魔王の存在を自分に求めないで、っていう。
…でも、結局はベルに直接当たってみるしかないんですよね。わたしとアプロはベルのことを信じてはいますけど、他の誰にとってもそうなのかは…幸い、魔王に扮して王都周辺で活動するベルは、今のところ王都の衛兵隊や国軍の兵士のひとに直接に酷い被害を与えた、とは聞いていません。
だから、ベルを救う手立てはまだあるのだと思います。
そのためにも、今からこれをやらないと。そして、やるのであればてってーてきに利用しないといけません。
やれることはなんでもやる、って誓った通り。
「…では針の英雄どのに問う。聖精石にまつわる英知の結集であり、この国を…英雄どのの言葉を借りれば大陸全土の安寧に重大な力を示すはずの剣をどうされるおつもりか」
陛下はまだ後ろの方で見守ってくださっています。どちらかとゆーと睨みを利かしてる、って感じですけど。
わたしは演台に居並ぶお歴々を差し置き、足下に鞘に納まったアプロの剣を置いて一人で一番前に立っています。なんかもー、いい感じで度胸が付いてきた感じがしますね、我ながら。
「剣は折れた。それはあなたが主張する、聖精石が奪った世界を回す力を再び世に導くために、石に還すということになるのではないか。なればもう、真の魔王に抗し得る力を失った、ということになるのではないか。長い戦いになるとあなたは言った。それは認めよう。聖精石を、ひとの世に押し込めてきた我らの所業を改めることも、いずれは成されよう。だが、今、大陸中に蔓延する危機に対してはどう抗するのだ。未来を守る前に今が失われたのでは未来も何も無いではないか。今を守るために異界の軍隊の力を受け入れよ、という判断が必要な時、それを捨てて今を諦めることなど、世界中のどの国の指導者も選ぶはずがないだろう!」
んなこた分かってますよ。だからこうして今から、剣の力を取り戻そうとしてるんじゃないですか。
それと、どこのどなかた知りませんが、あなたは人間てものを舐めてます。長く続く戦いを選んでこそ未来があると知った時、ひとはそれを選んで耐えることが出来るんです。
少なくともわたしの出会ったひとたちは、そうしてくれます。長い長い、いずれ歴史として語られる時間の中では諍いも生じましょう。先が見えていても辛いことはあります。見えていないなら尚更です。
でも、です。
ひとに模して象られた魔獣に過ぎないわたしが、ひととの邂逅で得た希望を、当の人間が信じられなくてどうすんですか。
目に見えるものが要るってんなら、今からわたしが見せてやります。
その両目おっぴろげて、よーく見てなさい。
わたしはしゃがみ、鞘に入った剣を取り上げます。
柄を持ち引き抜くと、ちょうど半分くらいのところでポッキリと絶たれた剣が現れました。おお…、とか痛ましそうな声も聞こえます。
そんな声をあげたひと、ひとりずつの顔を見渡し、鞘を逆さにして残る剣先の方を取り出しました。
柄の方と、先の方。二つを並べてまた演台の上に置き、わたしはその両方に左右の手をかざして、言いました。
「…剣が失われた?冗談じゃないです。世界を回す力を生む石は、聖精石として形を変えても自分たちが世界に在る意味を変えたりはしないんです。それを強いた人間の勝手が…いえ、ガルベルグに唆されてきた人間の振る舞いが、彼らの姿を歪めてきたんです。見なさい!石が、形を変えても世界に在ろうとする意志を、ここに顕します!」
そして目をつむり、語りかけます。
アプロの剣に。聖精石の象徴に。世界を回す力を生むために在る石の存在に。
未世の間にあるわたしの根源を通して呼びかけます。今はこうあっても、再び未世の間に還り、そして再び世界に在れと。
・・・・・
毎度おなじみ、未世の間です。
本来であれば、石が力を取り戻すための場所です。なんでここにわたしの根源があるのかは、相変わらずよく分かりませんけど。
【けっしんは、ついた?】
ついたも何も、最初っからわたしはそのつもりですって。
ここでガルベルグに生み出され、その意図で勇者と出会い、んで愛しあって、こーなりました。
正直言うと、ガルベルグが何のためにわたしを生んだのか、納得出来ないとこはあります。
異界の存在を人の世に知らしめるため、ってのはあったでしょうし、実際その通りにもなりました。
でも、シャキュヤをわたしのところに使わした意味とか、なんか納得いかねーとこはあるんですよね…。
【あこはむだにかんがえる】
うるせーですね。わたしは考えが深いことにかけても定評があるんです。
【ほんとうに?】
…いえまあ、そこまで強く言えるかとゆーとあんまり自信ありませんけど。
【………】
笑われてしまいました。わたしの根源のくせに、わたしを笑うとはどーいう了簡ですか。まったく。
【それで、ぼくはなにをすればいい?】
何を、と具体的に言われましても、あーしろこーしろとか言えるだけの知識なんか、わたしにはありませんけどね。
だから、聖精石たちがまたこの未世の間に還ってくるための導きを用意しておいて欲しいんです。あと妨げになってたものを除くとか、そーいう感じで。
【さまたげはひとがのぞくべき】
…そーでした。
じゃあ、そっちはこちらで引き受けますから、そっから先、お願いしてもいいですか?
【わかった】
あら、意外と物わかりのいいことで。助かりますけど。
【あこはぼくをあなどっている】
あはは…なにせ自分のことですからね。過大評価して失敗したんじゃ目も当てられませんって。
【あこはじぶんをかしょうひょうかしすぎ】
そうなんですかね?あんまり自覚はないですけど。
でもまあ、自分にそう言われるんでしたら少しは自信持ってもいいんですかね。
【さあ。それはじぶんではんだんしてほしい】
りょーかいです。
それじゃあ、アプロやみんなが待ってますから。
あ、あとひとつ。
【なに】
今度、お礼を言える機会をくださいね。それだけです。
じゃっ。
・・・・・
剥き身の剣先を左手に、柄を右手に握ってわたしは、風圧を伴った光の奔流に見舞われます。
それはわたしの体を覆うだけでは足らず、演台の上の全員の、いえ、それどころか議場をぐるりと取り囲む座席にまでそれは及び、悲鳴やらなんやらが飛び交う中、わたしは両手の中の剣を怒鳴りつけます。語りかける、なんて悠長な真似してる場合じゃありませんでした。
「いっっっつまでそうして呆けてんですかあなたはっ!前もそうでしたけど自分に出来ることから逃げるのも大概にしなさい!」
わたしの根源でしたらきっと、【あこにはいわれたくない】くらいは言いそうだなあ、と思いながら、わたしの手の中で暴れ回る剣先を握ります。うわぁ、流石に流血もんですよこれ…何故かあんまり痛くないですけど、後がこわい。
「アコっ!」
そしてそんなところを見てじっとしてるわけもない、まいべすとぱーとなーのアプロなのです。
「無茶してっ!」
「ごめんなさい、手伝ってもらえますか?!」
「もちろんっ!!」
右手には柄のある方を握っていますので、わたしの左手、アプロの両手で剣先を押さえ込み、風に血が混じって吹きすさぶのもお構いなしに続けます。
「───こん、のぉ……バカっ!あなたはまだそこで終わるべき存在じゃないでしょうっ?!聖精石に仕立てられてしまって、それで自分の役割が果たせなくなったっていじけて拗ねて、それでひとの世が終わって静かになって、また未世の間に還って…あなたはそれでいいかもしれませんけどねっ、あなたが認めた使い手は、どうするんですかっ!」
アプロの剣は、誰にでも扱えるものじゃありません。
呪言に研鑽を重ね、天稟とも称される剣の腕を更に鍛え、それでようやく認められて、アプロの声に応えてくれたんです。殿下にも陛下にも、マクロットさんにもそう聞きました。
だから、ただその身を剣の形に処されてしまった石が、ただの道具ではなくてこうして自分を持って駄々をこねることさえする聖精石が、唯々諾々と道具であることに甘んじているはずがないんです。
「甘えるな!思い出せ!あなたがこの世に自らを示したのは誰のためなんですかっ!何のためにアプロの声に応えたんですかっ!!…全部、全部…あなたがこう在りたいって思ったからでしょうっ?!」
暴風は更に勢いを増し、わたしの背中から腕を伸ばすアプロごと飛ばされてしまいそうになります。
光なんかもうとっくに太陽のようになり、目を開けておくことすら難しくなってます。
だから。だけど。
「…応えよ我が友よ!願い乞うて我は共にあったのではない!」
わたしの左手に添えた片手を一度離し、すぐさま右の剣の柄に重ねてアプロは、気高き咆哮で呼びかけます。
「力を振るい、世に示したは民のため、世界のためなるぞ!その願いを聞き届けたからこそ、お前は…私を認めたんじゃ…なかったのかぁ──────ッッッ!!」
轟、と一際大きく高く、風が鳴りました。
最早光は爆発の如く空間の全てを覆い、熱ッ!!とアプロが叫んで、それでも離さなかった手の中に、示された意志は。
「……………アコ?」
「………はい。やっと、やぁっと……言うこと、聞いてくれました、ね…」
わたしの血にまみれた四つの手の中に、輝きは……戻っていました。
「あー、疲れたー…」
「…アコぉ……って、疲れた、じゃないだろばか!誰か!治療の石が無いか!アコが大けがして…」
「アコ!」
「うわっ?!」
「ひゃっ!」
わたしを支えていたアプロが突き飛ばされて、代わりにマリスが血の止まらないわたしの両手をとり、泣きそうな声で名前を呼んでいました。
「アコ、アコ…なんてひどい…」
「いやあの、それよりなんかだんだん痛くなってきたので早く治療をー」
「連れてきたよ!」
「おにいさま、早くしないとアコが死んでしまいますっ!」
死にませんて、これくらいで。
それより剣はどーなったかというと…。
「…アプロ。今はわたしのことはいーですから、早く示してあげてください」
「…分かった。アコ、あとでたっぷり可愛がってやるからなっ」
「あはは…楽しみにしてますね」
うん、と力強く頷き、アプロは刀身に残っていたわたしの血を拭うと、すっかり煌めきを取り戻した彼女の忠勇なる友にして、人の姿になったらきっととんでもねーワガママ小僧だろう相棒を、高く高く掲げて宣うのです。
「…見よ、聖精石の滅びぬことはここに示された!絶えた力は人の呼びかけに応じ、光を取り戻す!世に打ち捨てられし石たちも斯く在るはこれにて証明されたのだ!」
横たえられ、手の治療を受けるわたしはアプロの背中を見上げるしかありません。
でも、それだけで充分です。
勇者アプロニア。わたしの大好きな、女の子。
「故に…我が朋輩よ、怖れることはない!我らの住まう地を守るのは、ただ我らの業に依ると私は確信する!」
初めて会った時は、わたしをひきずりまわしとんでもない目に遭わせてくれる、困った子でした。
でも、わたしを眩しそうに見上げていた瞳の中にあった陰りと強さはわたしを惹きつけ、放っておけなくなり、かけがえのない存在になりました。
「見たであろう、聞いたであろう、聖遺物を振るいし英雄の叫びを。石を繋ぎ止め、我らの隣人たらしめる声を!」
…わたしは、なんだか柄でも無い英雄なんて呼ばれるよーにもなりましたけど、それでも最初っからずっと、アプロの隣を歩いてきて、それから好きになって、これからも一緒に歩いていきたいんです。
「だが、真の英傑は…数多のひとの行動の中にある!どうか、共に力を携え、この危難を乗り越え…そして長く、幸せな時を、多くの民と共に迎え、過ごしていくことを…私はここに、誓う!!」
どおおおおお、って感じのざわめき…地鳴りがアプロを包みます。
それはとてもうるさくて、でも皆がアプロの名前を呼ぶ声を聞き、どさくさに紛れてわたしのことを英雄だの聖女だの好き勝手言ってくれてますけれど…。
「ま、いーですよ。良き時を迎えるためなら…もう、なんだって背負ってやりますから」
目をつむり、わたしも誓います。アプロの背中に。この世界に暮らす全てのひとに。
そして、いまはまだ暗がりでひざを抱えているような、この世界中の石たちに。




