第158話・魔王、出来 その1
「ひどいお顔をしておりますわね、アコ…」
そうですか。わたしから見ればマリスも大概な顔をしてますよ。
アレニア・ポルトマで出迎えてくれたマリスを前に、そう毒づくしか出来ないわたしです。
アレニア・ポルトマに到着したのはもう夜も更けてのことでした。
アプロのケガを気遣い、本来よりはゆっくりめに飛んできたとはいえ、それでもアウロ・ペルニカから王都までは、五日かかりませんでした。
道中、わたしは未世の間で見たものをアプロに説明しました。けどそれは正しく伝わったかどうか分からない、曖昧な相鎚を招くだけの行為で、アプロがシャキュヤをどう思っていたのか、当然の報いと思ったのか、存在なりの悼みを抱いていたのかは、よく分かりません。
だって、全部を話し終えたわたしの前でアプロは、表情が変わることを必死でこらえた様子のまま、「ばかやろう」と呟いただけだったんですから。それがわたしのことを指してのことか、自分自身に悔いるところがあってのことか、それともシャキュヤを惜しんでのことか、尋ねも出来なかったわたしに知るよしはないのです。
この都市でのマリスとマイネルの滞在場所は聖王堂教会という、かつてテラリア・アムソニアで教義の流布に貢献した昔の王さまを記念して建てられた建物ということで、真っ先にこちらにやってきたわたしたちを、マリスは滞在中の居室としてあてがわれている部屋に迎え入れて話をしています。
「…それで、何があったんだい?」
「おめーの調査不足で大変なことになってただけだよ。それよりばばぁに会わせてくれ」
「僕の調査不足?」
「シャキュヤのことです。あの子、第三魔獣だったんです」
「え…?」
唖然とするマイネルを、いい気味だ、と昏く笑うわたしに戸惑ったように、二人は顔を見合わせています。
アプロも、ふん、と鼻で笑って勧められるよりも先に、マリスの部屋の応接用のソファに腰を下ろしました。
「…シャキュヤのやつ、三派の抗争に巻き込まれた時にはもう命を落としていたらしい。アウロ・ペルニカに来たのは未世の間に置かれた遺骸を核にした魔獣だった、ってことさ。街を出る時に前後不覚になって襲われてこの有様だ」
アプロは着装したままの鎧の肩のところに目を落として言いました。シャキュヤの一撃で砕かれたままです。
「…それで、彼女は?」
「第三魔獣としてわたしが討滅しました。もう、あの子のいた痕跡すらないです」
「……そう、ですか」
かける言葉もないように力なく、マリスも腰を下ろしました。おにいさま、何か飲み物をお願いします、と告げられて、マイネルは肩を落として部屋を出て行きました。
「…ちょっと言い過ぎました」
「悪役を貫けないのであれば悪ぶるのは程々にしてください、アコ。似合いませんよ、あなたには。そんな顔」
「疲れてんだよ、私もアコも。言わずもがななことを言った自覚はあるから大目に見てくれ」
「八つ当たりされる方はたまったものじゃありませんけれどね…」
そうですね。考えてみればわたしたち二人とも、歳に似合わない苦労を背負わされてる年下の女の子に当たり散らしたようなものです。
アプロはマリスのため息交じりの独言に恥じ入るように押し黙ってしまい、わたしも「ごめんなさい」と小さく呟いて同じように口を閉ざしました。
「お待たせしました。アプロニア様が到着されたと聞きまして……どうされました?」
それで気まずくなった空気を改めてくれるのは、事情を知らないひとの存在です。
マイネルではなく、お茶を持ってきてくれたグレンスさんの声に、わたしもアプロも我知らず安堵したのでした。
「……事情は理解しました。バルバネラ師はずっと王城におられますのですぐに目通りは叶いませんが、使いは出しましたので、明日の朝にはお見えになられるかと」
絵に描いたよーに有能。
そんな感じでやるべき根回しを先に済ませてからやってきたグレンスさんも交えて、わたしたちは一通りの事情を説明しました。
マイネルには簡単に謝罪をしたのでもうわだかまりもないようで(その代わり、アコに謝られるなんて…と真剣に驚かれてしまったのは心外でしたが)、真剣な顔で話に聴き入っていました。
ちなみにゴゥリンさんは?と途中で気付いて尋ねたら、ずっと王都周辺の魔獣退治に駆り出されていて戻ってきてないそうです。
「…アレニア・ポルトマの事情はこんなとこだ。こっちはどうなってる?」
そして、マリスたちが離れてからのことを話し終えたアプロとわたしが気になるのは、今のことです。
すっかり空になったカップを指で弾いて、アプロは話を切り替えました。
「芳しくはありませんわね。既に第二魔獣が一日に何度も目撃されて、その度に討伐の兵が繰り出されています」
「ゴゥリンもそっちに加わってる、ってわけか。私らはどうすればいい?」
「殿下や陛下のご意向もあるからね。けど、そのために呼ばれたわけだし、アプロもアコも討伐に加わるよう要請はされるだろうね」
「お二方にゴゥリン殿とマイネル殿の一団であれば、第二魔獣に対しては一軍にも値しますからな。といって、事態に応じた対処に過ぎないのですから、根本的な原因の究明と解決の手助けにはならないかと」
「だな。明日、ばばぁと話し合ってから兄上に掛け合ってみるよ。私とアコは、この事態の奥にあるものを探る方に回らせて欲しいって」
「それがいいでしょうね…それと、アコ。気になる話がありまして」
「はい?」
それほど広くはない部屋でしたが、五人で話し合うには充分なサイズの応接セットの各席で、少し倦んだ雰囲気を生み始めていたタイミングでした。
マリスの、どう切り出したものかと考えた末に、という様子の発言にわたしは少々身構えて先を促すと、アプロもこれ以上面倒はご免なんだけどなあ、という風に眉間に皺をよせつつ、わたしと並んでマリスの顔に見入ります。
「…ベルニーザのことなのですが。近傍で姿が目撃されております」
「ベルが?」
予想もしなかった固有名詞の登場に、わたしは目を瞬かせます。
「アコが混乱するからちょっと待った、マリス。ベルのことは気にはなるけどさ、こっちのことでもう一つ気になることがあんだよ」
「はい、構いません。とにかく今は何が起こっているのかをお二人に聞かせる必要を認めますから、何でも聞いて下さい」
アプロはわたしの横顔をちらりとみて、マリスに向き直ります。
だいじょーぶですってば。ベルのことは心配ですけど、やらないといけないことの順番を間違えたりはしませんて。
わたしは右手を隣に座っているアプロの手の甲に重ね、少しホッとした様子のアプロと目を合わせて、同じようにマリスの方に顔を向けました。不思議なもので、そこにはやっぱり堅い表情を解いた顔が、あったのでした。
「…それでアプロ。気になることっていうのは?」
「第三魔獣のことだよ。ベル以外の」
「と、申されますと…この王都の近辺で第三魔獣が確認されているかどうか、という話ですか?」
「他に何があるってんだ。グレンス、王都に来て少し察しが悪くなってねーか?」
手厳しいですな、とこちらはむしろアプロの調子が戻ったことを喜ぶように、鷹揚に笑うグレンスさんです。
「冗談言ってる場合じゃないだろ、アプロ。そんなことを気にしてどうするっていうんだよ。現実には第二魔獣の絶え間ない出現で皆疲弊してる…」
「それだよ、マイネル。気になったのはそこだ」
一方のマイネル。こちらは余裕がないのでしょうか、アプロの冗談じみた揶揄を受け流すこともなく、少し食ってかかるようにも思えたのですが、アプロの言いたいことはわたしが空の上で気になったことでもあります。
「…マイネル、第二魔獣ですけど…向こうの方から街に押し寄せてきた、ってことはありましたか?例えば、アレニア・ポルトマやミアマ・ポルテが襲われたように」
「そんなこと聞くまでもないだろうっ?!魔獣がいたから僕たちは連日……連日…あれ?」
「私たちはさ、空から見て気がついたんだよ。途中立ち寄った町や村のどこも、魔獣に襲われた様子は無かった。近くで魔獣を見て皆が怯えているというようなことは言ってたよ。けど、どこで聞いても、人間の住む場所に魔獣が侵入してくることはなかったって。どういうことだと思う?」
「どうと言われても……マリス?」
身を乗り出して問うてくるアプロに気圧されて逃げ場を求めるように、マイネルはマリスに話を向けました。
「………」
けれどマリスの方も、持てる知識の隅から隅までを思い返すように沈思黙考の末、首を振ってこう言います。
「分かりません。人里近くに第二魔獣の、魔獣の穴が現れることは即ち大規模な魔獣の出現に繋がります。この度のような事態は…記録にあったものや先日の魔獣の大規模な出没とは数において並ぶものですけれど、明らかに街や都市の近くではありませんもの。そういった意味では今まで通りとも言えますし、ですが数が尋常でないのは間違い無いのです。放置しておくわけにはいかない、としか、今は言えませんわね…」
「そうか……放置しておいたら、どうなると思う?」
「またそんな仮定の話をされましても…ただ、アレニア・ポルトマに限って言えば、こちらに直接進撃してくることはなくても早晩立ちゆかなくなるだろうことは間違いありませんわ」
「街道筋には出没してんだ。物資が入って来なくなって二進も三進もいかなくなるのは当たり前だろ。それ以外での話だよ」
「アプロ、そんな言い方しなくてもいいだろう?!」
マイネルがマリスを庇うようにアプロの口にしたことに噛み付きます…気持ちは分かりますが流石にそれは勇み足ってもんじゃないですか。アプロもマリスも冷静ですよ?ってところで、わたしは並んで座る、マリスとマイネルの距離に気がつきます。なるほど、そーいうことでしたか。
「ん?アコ?」
「いえ、なんでもないです。それよりマリス、どうです?」
「…そうですわね。これはわたくしの、あくまでも推測になりますけれど…」
「いいよ。それで構わないから聞かせて」
「はい。この度の事態、どこか好転するも悪化するもどこか、何某かの意図や意志を感じます。歴史に記された大規模な魔獣の出現と違って、人々が必死になって被害の拡大を抑えた災害というよりは……人災、いえ……悪意のようなものでしょうか」
「そりゃ魔王の意図でやってるんだろうから、そう感じるのは当然だと思うけどな」
「今回に限れば、ですわね。これまでの魔獣の大規模出現…先日のアウロ・ペルニカの時もそうですが、それらはあくまでも自然に発生したもの、例えば竜巻や火山などといった天災に準じるもののようにわたくしには思えるのですけれど」
「それとは違う、ってことかい?マリス」
「おにいさまに向かって断言出来るほど強い根拠がないのが残念ですけれども…」
そう言ってマリスは、頬を染めた可憐な微笑をマイネルに向けてはにかむのでした。
つーかあなた方。そーやってラブ時空作ってる場合じゃないってのは分かってんでしょうね、全く。後でキッチリ問い詰めてやりますから、覚えておきなさいっ。
「…ん、まあ話は分かったよ。とにかく、マリスの印象としては…魔王の存在が匂わされる、ってとこだよな。私たちの出がけの事件もそうだけど、そのつもりでいた方がいいんだろうとは私も思うよ」
「あとは明日の話、ということですかな、アプロニア様」
「だな。ベルの話も明日にしよう。気にはなるけどこっちも疲れたからそろそろ休ませてもらうよ。あ、グレンス。鎧の修理頼めるとこ手配してもらえるか?」
「承りました。アプロニア様の業物の修理なら、我こそはと名乗り出る職人も多そうですな」
それほど高価なモンでもねーよ、と苦笑しながらアプロは立ち上がります。というか、もう鎧を脱ぎ始めてました。このまま預けるつもりなんでしょうか。
「そうなんですか?」
「え?ああ、鎧が高くないって話か。色だけはもう少し目立つものを、ってんでアウロ・ペルニカに行く前に塗りを頼んだけど、もともとはこっちに来たとき陛下から頂いた支度金であつらえたものだし、そんなすげーもんでもないよ」
「わたしの目にはいいものに見えますけどね…あ、使ってるひとが一廉の剣士だからですねっ」
言われて照れるアプロ共々、惚気るなら二人きりの時になさってください、とグレンスさんに追い出されるように、部屋を出たわたしたちでした。
ちなみに今晩は、もうお城には入れないので昔アプロが住んでいたという別荘?みたいな部屋に泊まります。二人きりなので、気兼ねもせずに済みそうなのでした。




