第107話・アウロ・ペルニカの攻防 その5
まあですね。
これで三回目だか四回目だか分かりませんけど、わたしくらいになるともう目が覚めた途端に今どこか分かるのです。
はい、またもや未世の間です。何度来ても慣れませんが。
…って、そういえばどういう経緯でここに入り込んだんでしたっけ?
えーと確か…。
「ん…んん……」
と、仰向けに横たわったまま人差し指を額にあてて考えるフリをし始めたわたしのすぐ隣から聞き慣れた声。言わずと知れたアプロなのですけれど…そういえばアプロと一緒に入り込んだのって初めてですね。いつもはわたしを助けに来てくれるはずなのに…って、あれ?ということは今回助けに来てくれるひと、いない?
「…ってやべーじゃないですかっ!ちょ、ちょっとアプロ寝てる場合じゃないですよっ!」
わたしは体を起こし、慌てて隣でまだ寝転けてるアプロの体を揺すって起こそうとします。
こーいう時、「うーん…もう食べられなーい…」とか言ってなかなか起きないのはお約束、というものでしょうが、幸いにしてアプロはお腹を減らして大ボケかましてくれるキャラじゃありません。
「うーん…アコのおしりかたーい……」
「だからといってわたしに失礼な方向にボケるんじゃありませんっ!ほら起きてアプロ、起きなさいってばっ!!」
誰が鋼鉄のケツですかっ!…いえ確かに一日中座って裁縫してるわたしに向かってそー言った失礼なヤローはいましたけど。でもあなたわたしのお尻を枕にして昼寝してたことがあ……いえ今はそんなことどうでもよくって!
「大体ベルもあなたもどーしてこう寝起きが悪いんですかっ!なんかいろいろピンチなの今思い出しましたよっ!はよ起きれっちゅーにっ!!」
意外にふよんとしてるアプロのほっぺを、ぺしぺし叩くわたしです。
そうです、空を飛んで偵察してる最中、地上からなんかビームみたいなので撃たれてわたしたちは撃墜されたのでした。
撃墜って表現が正確じゃなければ、なんかビームの光に包まれて気を失い、気がついたらここだった、と。
…まさかここ未世の間じゃなくて死後の世界なんじゃ……と、考えたらわたしは怖くなり、ついアプロの頬を往復する右手にも勢いが増し…あわわ、アプロのお可愛いほっぺが赤くなって…やりすぎたぁっ?!
「んー……アコぉ、なにするの……って、なんか顔がいたい」
「おおお起きましたねっ?!今どーいう状況か把握してますかっ?!」
「はあくー?…なにを?」
いや、なにを、って。
まあとりあえずアプロがわたしのたたいた頬が痛いとか言ってたので、夢とか死後の世界ではなさそうです。となるとやっぱりここは未世の間なので、となるとおでましになるのは…。
「…貴様らやる気があるのか?」
「え?」
そっちかいっ!
ベルじゃなくてそっちが来るのかっ!!
「………おっさん、誰だ?」
アプロがうさんくさいものを見る目付きで見上げてたのは、魔王ガルベルグそのひとなのでした。
なんかいろいろ、終わった…。
「ええととまりですね、アプロとわたしが空を飛んでいたら、なんか地上から攻撃されて気がついたらこの未世の間にいた、というわけです。理解しました?」
ガルベルグが一言も発さず、出来の悪い学生を見るよーな大学の先生みたいな目付きでしたので、仕方なく経緯を説明しました、といっても大した内容じゃないですが。
「…大体分かった。けどなんでそれでここに二人揃って紛れ込んだんだ?というかさ、このおっさん何者?なーんか私のムカつく顔してるんだけど」
そりゃ勇者と魔王という組み合わせじゃあそーなっても不思議じゃ無いですけどね、それにしても勘が良すぎるでしょうが。
「…アプロ、落ち着いて聞いて下さい。このヒトは……えー、その……」
「何か不都合でもあるのか、娘。まあいい、石の剣の勇者よ。我はガルベルグ。貴様らが魔王と呼ぶ、遍く人の世に名を知らしめるべく在る存在だ」
「………ふっ」
…予備動作ゼロでした。
一切、そんな気配を感じさせない動きで、アプロは腰の剣を抜き、目の前に立っていたガルベルグに斬りかかっていました。
わたしなんかでは、全部終わってから何かあったっぽいと気がついてさて何が起きたのやら、と呑気に考えるくらいのスピードでした。
そして、わたしの背筋を凍て付かせたのは、そのアプロが殺気だとか闘争心だとか、そういうものを一切見せることなくそうしたことです。
「アプロっ?!」
「名乗りも無しにいきなり斬りかかるとは、なんとも地上の勇者は物騒なことだ」
「………」
そしてそれは、事も無げにそれを避けたガルベルグが呆れたように言うのも構わず続けられます。
「………」
無言。
人間の気配すら消してしまったように、ただ剣を振るい続けるアプロの背中に、わたしはゾッとして思わずへたり込んでしまいます。ですが、震える手で手を伸ばしているわたしに気付きもせず、アプロは何度も何度も、肩をすくめる余裕すら見せながら剣撃を躱し続けるガルベルグに追いすがるのです。
「…!待ってアプロ!待ってってば、そっち行ったらダメですっ!!」
このままでいたらアプロが手の届かないところへ行ってしまう…そんな予感におそわれて、わたしは力の入らない足腰を叱咤して、静かな暴風のごとく暴れ回るアプロの背中に駆けつけ、必死の思いで振り回される剣を避けて、その腰に両腕を回し取りすがりました。
「アプロ!」
「…っ!!」
わたしの呼びかけは彼女の耳に届いたのか、一瞬動きを止めます。
ですが、それもほんの僅かな時間のことで再びその両手に剣を握り、ですが今度は自棄っぱちのようにブンブンそれを振り回し始めました。
「アプロ、アプロっ!落ち着いて!ほら、わたしまで巻き込んじゃいますからっ!」
もうこうなったら身を挺して止めないと、と思いつつ懸命に声をかけ続けるうちに、今まで黙したままだったアプロが呻きに似たうなり声を上げていることに気がつきました。
「うー!うーっ!この、この…うーっ!!」
「アプロ…アプロ?……泣いているんですか…?」
「泣いてないっ!コイツに…魔王に剣が届かないからって、泣けるわけがないだろぉっ!!」
不思議な話ですが、ようやく感情らしいものを見せてくれたアプロに、わたしはホッとします。けれど暴れ回ることをやめないアプロは、わたしを振り払うように一際大きく剣を振り上げ、そして力任せのような大振りをガルベルグに見舞ったのです……が。
「…みっともないことだな。魔王を倒して世界を救う勇者が、駄々っ子のように泣きわめきながら剣を振るう姿というのは」
ガルベルグは、平坦な声で呟きながらアプロの撃ち込みを片手で受け止め、そしてようやくアプロは崩れ落ちるようにその暴風のような動きを止めたのでした。
「アコー…なんで、なんで当たらないんだよ…っ!私は魔王を倒すためにいるんじゃなかったのかよ!目の前に魔王がいるのに、何も出来ないんじゃ私のいる意味無いじゃんかぁ……」
「気持ちは分かりますけど、まず落ち着いてください。今のところわたしたちの敵に今すぐどーのこーのする気無さそうですし」
「だから余計に悔しいんじゃないか!倒さないといけない敵に全然相手にされてないだけだろ!アコは、アコは…腹が立たないのかっ?!」
「わたしが我慢ならないのはですね、アプロ」
と、四つん這いのまま泣きながら、わたしを見上げるアプロの頭に手を乗せて、わたしは言います。
「今、そうしてヤケになってるあなたを落ち着かせることもできない自分に対して、です。力が無いことなんてそれに比べたら大したことじゃないです。アプロが悔しいのは、魔王を倒せないことなんですか?」
「そう…かもしれないけど、それだけじゃないよ!魔王は…何も出来ない私を相手にもしてないじゃないかぁ…」
「そうですね。けど、今はそれでいいじゃないですか。幸い、と言ったらなんですけど、向こうには何か話があるみたいです。それを聞いて、また落ち着いたらわたしたちに何が出来るか考えましょう?わたしはアプロと一緒に考えることが出来るのはとても嬉しいですよ?」
「うー…あこ、あこぉ……」
「よしよし。まあ泣いてるアプロにこーして胸を貸せるのはわたしだけにしか出来ませんからね。とりあえず気の済むまでこうしていましょう?」
状況も顧みずわたしに取りすがって嗚咽を漏らすアプロの肩をぽんぽん叩いて、わたしはこちらを呆れ顔(に見えます)のガルベルグを見上げました。
「こちらは構わんが。ただ、いつまでもそうしているわけにはいくまい。勇者、貴様の領地が危ういのではなかったか」
ぴた。
アプロの肩の震えが止まります。いや言いたいことはわたしにも分かりますけど。それをさせてる本人の言うことですか、って。
「その最中に愛人と空を遊びまわり、挙げ句撃ち落とされるとはなんとも無様なことだ。我を斃すべく在る存在とも思えぬ」
「…そうか。つまり、あの時私たちを撃ち落としたのは、てめーってことだな」
「他に何がある。ま、我が直々に手を下したのではなく、手の者がぬぐっ?!」
「え?」
わたしに抱えられるようにしていたアプロが、腕の中から消えたように一瞬錯覚しました。それくらい、アプロの動きは唐突で、そして速かったのです。
その身に突き立てられた剣を見て呆然とするくらいには。ついさっきまで、アプロの剣撃を事も無げに避け続けていたガルベルグが、です。
「…てめえ、私のことはどうでもいいけどアコまで巻き込みやがって…!」
「…驚いたな。今の今まで泣きべそをかいていた子供が、こうもあっさりと我に一撃を食らわしてくれるとは」
「やかましい!こうなったら話とかそんなんどうでもいい!この場でてめえを潰してお終いにしてやるっ!!」
片手で突き刺した剣を抜き、アプロは敢然と仇敵の前に立ちはだかります。
「あのちょっとアプロ!」
「アコはそこでじっとしてて!今こいつを斃して、そしたら二人で帰ろう、アウロ・ペルニカに!」
「よいのか?我をここで斃して、帰るべき場所を失っても」
「戯れ言を…ほざくんじゃね────ッ…えっ?」
わたしの目にも分かるくらいに違う動きになったアプロが、わたしが制止する間もあればこそ…と襲いかかった勢いは、しかしガルベルグが手をかざしたその先に現れた人影によって止められてしまいます。
すなわち。
「ベルっ?!なんでこんなとこに…いや、いるのは不思議じゃねーけど…おい、魔王。てめえベルに何をする気だ!」
そう、意識のない…いえ、ありそうではあるんですが、何度か見た瞳が真っ赤に染まったベルが、ガルベルグを庇うようにアプロの前に立ちはだかっています。
「何を?それはこちらが聞きたいものだがな。貴様、勇者としてベルニーザを遇するのではないのか?これはな、貴様たちが言うように我の娘なるぞ」
「娘を盾にするような親が何を言いやがる!おい、ベル、そこをどけ。どかねーと…」
「どかないと、どうする?」
「ベル!言うことを聞けっ!」
わたしは、ベルが口を利いたことに驚きを見せます。
そして、アプロがベルの身を案じていることに安堵もするのです。よかった、アプロは自分が捨てても構わないものだとベルを見てはいないのです。わたしの大事な二人が、そんなことにならないのであれば…。
「…アプロ。剣を降ろしてください。ひとまず話を聞きましょう」
「けどこんなこと許せるわけがないだろっ!」
「なんとなく分かってきました。今のベルはきっと、ガルベルグに何か強い影響を受けているんですよ。あの赤い目をあなたも見覚えあるでしょう?」
「…でも」
それでも一応は、剣を鞘に収めてはくれました。
考えてみたら、わたしたち二人が気を失っている間に剣を取り上げてしまえば、こんなことにもなっていなかったでしょうに、そう思うとやっぱり魔王の意図を探っておく必要はあると思うんですよ。
ね、アプロ?
「………………わかった」
長い長い苦悶のあと、ようやくアプロは引き下がってくれたのでした。




