第104話・アウロ・ペルニカの攻防 その2
「こんな時にこんなことしてていーんですかね?」
「どーせ細々したことなんかフェネルたちに任せてんだから、構わないって」
「わたくし、お二人と一緒に寝るの初めてですので、とても嬉しいですわ」
女子会…なんかそんな単語が頭に浮かぶわたしです。いえ、友だちいなかったので、図らずもこれが初体験なのですけど。
もう夜も更けてきたので、わたしはお泊まり。
マリスも、マイネルが一緒なら問題は無いとしても、折角だから自分も泊まっていきたい、と強行に主張してこうなりました。
マイネルはフェネルさんに引っ張っていかれて、明日の布告と細かい実務の手伝いをさせられてます。ガンバレオトコノコ。
ちなみにお泊まりの場所はアプロの部屋なのでした。まあベッドは三人が並んで寝られるくらいの広さはあるんですが、昨晩のことを思うとなんとも微妙な気分になるわたしでした。
「さて、一杯やってから寝よーか。アコも、いる?」
「…そうですね。軽くいただきます。でも、もちろんマリスはダメですからね?」
「言われなくても分かってます。それだけは止めておくようにと、お兄さまやレナに固く止められてますから…」
そうは言っても残念そうな顔ではありました。この世界の子供の飲酒に関する倫理観って、どうにも信用出来ませんねー…。
「あ、そういえばアプロニアさま。王都への早馬って出されましたか?」
「出したよ。急ぎだから換え馬の使用も許可した」
「それなら何日か持ちこたえれば、間に合うかもしれませんわね…」
寝間着に着替えたマリスはベッドの上で枕を抱いて座ってます。
アプロとわたしはテーブルで大人の時間です。
なのに仕事の話とか、働き者ですね、二人とも。
「王都まで最速でどれくらいかかるんです?わたしたちが馬車使った時も十日くらいかかってたように思いますけど」
「んー、途中の駅で馬換えて走り詰めなら…まあ四日くらいで着くかもな」
「アプロが飛んで行った方が早いんじゃないですか?」
「それが出来ればとっくにやってるって」
グラスを目の前に掲げて揺らすアプロです。なんてーか、こんな仕草も様になる子ですね。
「事態が事態ですので、領主のアプロニアさまがこの街を離れるわけにいかないのです、アコ。真っ先に逃げ出した、などと思われては士気に関わりますから」
「なるほど…一日か二日早く済むのと、その間街がまとまりつかなくなるのと天秤にかけて…ってことですか」
「そう簡単な話でもないんだけどなー。まあそういうことは私が考えておくからさ。アコは自分の出来ることやってて」
「わたしが出来ることなんて、特に何も無いと思うんですけど…」
「あるさー。私を思いっきり甘やかしてくれること。これはアコにしか出来ない」
「そりゃそーでしょうけど、だからといってそんなことばっかりやってたら、わたしが街のひとに白い目で見られますってば」
「んなことないだろー。アコは私の元気の素なんだから、それが分かればみんな許してくれるって」
むしろこんな時に何をやってんだ、って怒られそうな気もしますけどね。
「まー、わたし今、街での立場がちょっと…なので、出番までは大人しくしてますよ。大体、アプロだってそれどころじゃないでしょーに」
「そりゃそうだけどさ…じゃあ、一日一回くらいは顔出して」
「それくらいなら一向に構いませんよ。いえむしろ、わたしがアプロの顔見ないとどーにかなりそうですから、それはちゃんとやります」
「アコー…愛してるぅ…」
「はい、わたしもですよ。アプロ」
わたしにそう言い切られて目をうるうるさせる乙女モードのアプロでした。もちろんわたしも、同じような顔をしていることは想像に難くありません。
「…あの、わたくしをほったらかしにしてお二人の世界に入り込まないで頂きたいのですけれど」
「別に無視してるわけじゃありませんよ。マリスにはこーいう世界もあるんだ、って勉強になるんじゃないですか?」
「最早悪びれるつもりも無いんですのね…わたくしも早くお兄さまと…」
しかし、どーしてこっちの二人は、マリスがこうも積極的なのに全然進展しないんでしょうかね。まさかマイネルの方に欠陥があったりして…。
「そういうわけじゃないだろうけどさ。まーでも、マリスもそう急ぐこたないだろ。マイネルがマリスに男女関係で不義理働くわけねーだろーし」
「そうは仰いましてもね、お兄さまは素敵な男性ですし、とにかくわたくしも不安で仕方がないのです…わたくしのような子供は、いつか捨てられてしまうのではないかと…」
「大丈夫ですって。マリスはすこぶる付きで可愛らしいんですから、マイネルがそんな真似するはずありません。わたしが保証します」
なんだかいつぞやもこんな助言したことがあるよなー、と思いつつ、しょげ返ったマリスを慰めるわたしたちなのでした。
「話変わるけどさ。アコ、あの話はマリスにしておくか?」
「あの話…とは何です?」
「あー、聖精石の話ですか」
一転して真面目な話です。いえむしろ脱線してたのが軌道修正した、ってところなんですけど。
で、その話ですが、アプロにだけはちょっと伝えてはあったんですが、急いで対応を決めないといけない話を優先したので、他の皆にはまだ教えてなかったんです。
「別に今じゃなくてもいいとは思うけど、触りだけでも話しておいた方がいーんじゃない?」
「そうですね…」
「あの、なんだかとても不安の沸く面持ちなのですけど、お二人とも」
「まあ不安というか…不穏な話ではあるんです。こんな時に話すとまたマリスの心労が増えそうなんですが」
「怖いことを仰らないでください…」
そーですね…ある意味、この街の命運よりもおっきな問題ですからね。
ただ、気がかりを残しておくのも心楽しまないですし、一応は話しておきましょうか。
ということで、聖精石にまつわる、ガルベルグから聞いた話をわたしはマリスにするのでした。
「………」
そして当然のことではありますが、全てを聞き終えたマリスは、年上の婚約者との関係に思い煩う恋する少女の顔ではなく、教会組織の責任ある地位にある者の顔に変じていました。
「…マリス、今はそう難しく考える必要はないと思いますよ。十日後に来るという魔獣の方が、この街にとって重要な問題ですし」
「だな。そっちが終わってから考えても遅くねーし。まあおめーの立場からすれば心配になるのも分かる…」
「いえ、そうではなく…何やら魔王の本当の目的とも繋がりがあるように思えたので…」
え?どゆことです?
「あのその…そう前のめりになられても困るのですけれど…ええと、アコは魔王の印象として、人間を滅ぼそうとしているようには見えない…というお話でしたわね」
「まーあの場にマリスがいて同じように感じるかどうかは分かりませんけど。でも、本当にそのつもりならもっといくらでも効率の良いやり方はあると思いますし、わたしの健闘?を望むよーなことは言わないんじゃないでしょうかね」
「どのような言葉を交わしたのかが分かりませんので、なんとも言えませんけれど…ですが、その、世界を回す力という話が確かであれば、魔王はそのことに危機感を覚えているのではないかと…」
まあ確かに、ガルベルグが世界に対してどういうスタンスでいるのか…滅びる世界を救うために動いているのであれば、そーいう見方も成立するんでしょうけど。
「…でもさ」
と、ここでアプロの発言。
グラスをテーブルの上に置き、なんだかもうお酒はいらない、みたいな姿勢です。
「それだったらやっぱり、人間を滅ぼした方が手っ取り早いんじゃないのか?人間が、本来世界が維持されるために必要な励精石を横取り?しているために世界が滅びようとしてるってんならさ、やっぱり人間を滅ぼすのが近道だろー、って思うんだけどな」
「えらく物騒な推論ですね…」
「でもアプロニアさまのその見方は間違ってはいないと思いますわ」
「けどアコの見立てでは、魔王はそうしようとはしていない……どういうことなんだ?」
「うーん…」
考えても仕方のないことなのでしょうけど、それでも事態の深刻さに、考えずにはいられない三人なのです。
まあこんな今考えても意味の無いことを考えるのも、やっぱり目の前の危機から目を逸らしてしまいたい、という隠れた意図があるのかもしれませんけど、それでも気にはなりますからね……と、思ったところでわたしはふと違う可能性に思い至りました。
「あの、ここで全く別の、もう一つの可能性ってないですかね」
「別の可能性?なんだそりゃ」
「だから、今ここで考慮に入れてなかった要素のことですよ。魔王がわたしにこだわる理由っていうのがもしあるのだとしたら、この世界でわたしにしか持ち得ないもの、ってあるじゃないですか」
「…異世界、の存在ですわね。この世界から見て、ですが」
「なるほど。でもそれが今の話にどー関わるんだ?」
「さあ、そこまでは…ただ、今の話をするのであれば、頭の隅にでも入れておいた方がいい気はするんです。根拠なんか無いですけど」
「いえ、その点はアコの言う通りだとわたしも思います。確かにアコはその力だけでなく、どんなことにも一生懸命に取り組む姿勢や風変わりですけれどとても優しいところでこの街の、いえ王都の人々にも愛されてはおりますが、それが魔王の気に入るところのものか、と言われましても妙ではありますもの」
「さり気なく褒めないでください。わたし調子にのりますよ?」
「ふふん、私の自慢だもの、アコは。もっと褒めろ褒めろ」
「アプロまで…もー」
ふふ、っと嫋やかに微笑むマリスの様子に、陰謀の姿を探るよーな重苦しい空気は霧散します。
そうですね、どうあっても明日からは目の回るよーな日がしばらく続くんです。今日だけはこうして穏やかで静かな雰囲気の中、ゆっくり眠るくらいのこと、許されてもいいんでしょう。
わたしたち三人は、どこか雰囲気が緩くなったのを折として寝ることにしました。
多分お屋敷の仕事場では、まだ何人ものひとが忙しく動き回っていることでしょう。きっとわたしたちも明日からはその波の中で翻弄されるように立ち回るのです。
いつものわたしなら、そのことにウンザリもしたのでしょうけれど、何故か今はそんな忙しさを心待ちにするような気分で、わたしはアプロとの間にマリスを置いて、眠りについたのでした。
・・・・・
翌朝。
前の晩のうちに大広場に置いた、大規模な魔獣の襲来を予告し、領主のアプロニアからそれについて布告があるという内容の立て札どおり、アプロはその大広場に据えられた演台に立っていました。
広場はとにかく、ひと、ひと、ひと。この街ってこんなにひとがいたんだなあ、と妙な感心をするわたしの隣には、話を聞いてやってきたゴゥリンさんがいます。
その、群衆から頭一つ半飛び抜けた姿を見つけて声をかけた時には流石におっかない顔で一睨みされましたけれど、わたしが「ごめんなさい」と首をすくめるとそれだけで気が済んだのか、あとはいつも通り、穏やかな笑い顔でわたしの頭をぽんぽんしてお終いでした。
「………」
ゴゥリンさんと並んで見つめる演台の上に立つアプロは、賑わいというか喧噪が収まるのを待つように、立てた剣の柄に両手を乗せてじっとしています。身姿は鎧に覆われ、それはつい一昨日死闘から帰ってきたことなどおくびにも出さないほどに、磨き上げられています。
朝の陽光を反射して煌めく光はわたしの目にも届き…いえ、この場に集まった人たち全てに降り注ぐようで、そのためか事態の大なることを怖れて止まらなかったざわめきも次第に静まってゆき、ついにはしわぶき一つでさえも響き渡るような静寂に落ち着いたのでした。
「………」
アプロはそれを待っていたかのように、剣を僅かに持ち上げ、それから演台にそれを叩き付け、鳴り響いた音で彼女の覚悟をひとびとに知らしめたのです。
「……アウロ・ペルニカに住み暮らす我が民よ!」
そして、この一声からわたしと、アプロと、それからみんなの戦いが始まりました。




