第103話・アウロ・ペルニカの攻防 その1
予想はしていたのか、アプロの方は意外に冷静でした。とはいえ、厳しい顔で考え込んではいましたけど。
そしてこの街のもう一方の重鎮であるマリスは、態度こそ平静を保ってはいましたが、腿の上に組んだ両手の指は落ち着き無く動き、やっぱり話の内容に衝撃を受けていることは間違いないようです。
「…大丈夫、マリス。僕やアプロたちが守るから」
「お兄さま……」
そんなマリスの手を隣に座ったマイネルが握ってやると、こんな時ではありますがマリスも顔をほころばせ、微かに震えていた肩の揺れも止まったのには、わたしもホッとしたものです。
わたしはベルに送られてアウロ・ペルニカに戻って来ると、取るものも取りあえずアプロの元へ行きました。
最初のうちは勝手なことをしたと怒られもしましたが、話を伝えると早速関係する人たちを、話が漏れ聞こえることを怖れてかいつもの教会ではなく、お屋敷の、それも一番奥にある武器庫に集めたのでした。いくら他の人が来ることはないとはいえ、なんつー場所で…。
そして集合したのはアプロにわたし、マリス、マイネル。それからフェネルさんとグレンスさん。
ゴゥリンさんはどこにいるのか分からず、時間がもったいなかったので後で話をするとして、この場にはおりません。
「話は今アコの言ったとおりだ。十日後、この街を魔獣の大群が襲う。規模は…まーそこまでは分かんねーけど、最低でもミアマ・ポルテに来た程度は想定しておいた方がいーだろうな」
ガルベルグから聞いた話のうち、この場でわたしが伝えたのは魔獣がやってくることだけです。石に関する云々は後で考えればいい、と最初に伝えたアプロとは意見が一致しています。
「…それで、どのように対処すればよろしいのでしょうか?」
ミアマ・ポルテの惨状を見ていないマリスは、それでも到底楽観的にはなれそうもない様子でそう聞きます。
わたしだってその点において違いはありませんけれど、帰ってきた時のアプロの姿を見ると、それがどれだけ辛い出来事だったに想像は致せるというものです。
当事者のアプロとマイネルに至っては、顔つきこそ厳しいものの、多分二人ともこれからどうすべきかを割と冷静に考えてはいるのでしょう。それが、現場で起きたことを肌で感じたひとの感覚なのかもしれません。
「…方針としては住民の安全を最優先する。動ける者はすぐにこの街から…エススカレアとブレナ・ポルテに避難させる。それが難しい者は一カ所に集まってもらおう。マリス、教会で面倒みてくれるか?」
「それは構いませんけれど…くちゅん!」
鼻をぐずらせてたマリスのかわいいくしゃみでした。ここ武器庫ですからホコリっぽいんですよねー…実はわたしもさっきから鼻がむずむずしてまして。
ちなみにアプロの言った二つの街は、いずれもこのアウロ・ペルニカの隣の街です。隣と言ってもわたしたちの足でも三日はかかりますから、子供や老人を伴ってたら五日はかかりそうですね…。
「避難はいいけどさ、足の遅さを考えると道中の危険の心配があるんじゃないかな?それに、いくらこの界隈は治安は良い方とは言え、護衛もつけないといけないから、この街の防備も手薄になるし」
「むー…」
そしてマイネルの懸念ももっともなのでした。街道筋は比較的安全が維持されてはいますけど、それでも不意の魔獣出現はありますし、平和な国ではあっても盗賊みたいなのもいなくはないのです。
街の外を行き来する商隊には、彼らのやとった護衛がいて(だから商品の流通コストって高くつくんです…)、やっぱり街をよく出入りするわたしたちは…まあわたし以外はそーいう心配ないですから。
でも、この街の住人、およそ一万人がまとまって避難するとなると…あんまり考えたくはない事態が起こりそうで、アプロのは当然として、マイネルの心配も無視出来ないのです。
「それと援軍も望み薄ではありますな。どちらも先日のミアマ・ポルテの応援にかり出されております。この街の衛兵たちはアプロニア様の奮戦のお陰で被害は最小に抑えられましたが、それ以外の街ではそうもいきますまい。ただ、知らせることは無意味ではありませんので、避難民受け入れの可能性も含めて早馬を走らせましょう」
「…仕方ねーか。じゃあそっちは頼んだ、グレンス」
「承りました。急いだ方がいいでしょう。すぐに」
「準備だけにしといてくれ。こっちの方針次第では伝える内容が変わるかもしんないし」
「ですな。では」
と、慌ただしくグレンスさんが出て行きました。
「あの、それで住民の避難については…」
「どうにか逃がす方向で考えられねーかな…最悪この街を放棄することになってもやむを得ないと思うし」
「またアプロニアさまも思いきったことを仰いますわね…ですが、それほどの覚悟でしたらわたくしも反対はいたしません」
「そうだね。衛兵を全員まとめて僕らも付けば、住民たちの護衛としては十分だろうし」
「仮に空の街が蹂躙されたとして…まあ再建のことを考えると頭いてーけどなあ…どうだ?フェネル」
「不可能ではないでしょうが。ただ、長い戦いにはなることでしょう」
「だな。残念だけど、最大限安全策をとって、アウロ・ペルニカから全員で夜逃げだ。フェネル、その方向で頼む。あと王都への連絡の手配と。グレンスの方は、援軍は無しだ。批難民の受け入れだけ頼もう」
「かしこまりました。取り急ぎ」
フェネルさんも同じようにかび臭い武器庫を出て行こうとします。
きっと数時間後には今話し合ったことは街のひとたちにも知らされて、慌ただしく街を逃げ出す準備が始まるでしょう。
わたしたちは逃げるひとたちを守って隣街へ行き、灰燼に帰したアウロ・ペルニカを再建するのか、それともその街で新しい生活を始めるのか。どちらにしても、今までのようにはいられないでしょう。
でもいーんです。わたしはアプロの側に居られれば。わたしの好きなひとたちが傷つくようなことさえなければ、それでいいんです。そうして穏やかに生きてくことだけが、わたしの望みなんです。
「……アコ?どーかしたか?」
…って、昨日までは思っていたんですけどねー…なんでわたしこんな面倒くさいことに、気がついてしまうんでしょう。
わたしが何か思いついたことに気付いて足を止めたフェネルさんをチラと見てから、わたしは話し始めます。
「アプロ、それ多分マズいです。この街からみんな逃げ出したら、魔獣はどこまでも追ってきます」
「…なんでだよ?」
アプロは怪訝な、というよりは少しイラッとした声になってました。もちろんわたしに苛立ったのでなく、言った内容が到底愉快とはいえないものだったから、でしょうけど。
「細かいことは端折りますけど、魔王の目的はこの街をどうにかすることじゃないからです」
「ずいぶん自信たっぷりだね、アコ。そう言い切る根拠は?」
「根拠…ってほどでもないですけど、魔王の目的はきっと、世界を滅ぼすとかそういうことじゃなくて、ええとその本当の真意とかははまだわたしにも分かりませんが、とにかく当面はアプロとわたしにその災厄を防がせるため、なんだと思います」
「…意味が分かりませんわ。そのようなことをして魔王にどんな得があるっていうんですの?アコ」
「そこまでは分かんないですよ。それこそが魔王の目的なんでしょうし」
今更ですけど、ベルを気にせずちゃんと目的聞いておけばよかったなぁ、って思います。いえ代わりに尋ねた問いの答えも大概ロックだったんですけど。
「アコ、その話は確かだと思うか?」
それは、魔王がアプロとわたしにやらせようとしているのが、まさに今直面して避けようとあれこれ話し合っていた困難についてか、なのでしょう。それくらい、アプロの顔は真剣でした。丸一日前、わたしの前で後悔と懺悔をしていた時以上の、です。
ここで判断を間違えたら、どうなるか。恐らくたくさんの、それもわたしが見知ったひとの命が、失われる。そうでなくたって、家とか財産とか、そんなひとたちが大事にしてたものも無事では済まないのかも。
…なんてーかですね。違う世界からほいほいやってきたこんな小娘にそんな重っ苦しい判断させんじゃねーってんです。この世界じゃどうかは知りませんけどね、わたし日本にいたらきっとまだ半人前のニート候補みてーなものですよ?
それがなんだってんですか、この変わり様は。あーもー、日本に居た頃のわたしに教えたらどんな顔するんでしょうかね。異世界にほとんど事故みたいに引きずり込まれて、なんだかわけの分からない道具使ってモンスター退治の日々を送り、そのお陰で王様や王子様と知り合いになり、貴族のひとからは何か求婚され。住んでる街のひとたちからは一目置かれるようにもなり…とってもかわいくて勇敢で、わたしのことを愛してくれる女の子と恋に落ち。
…そして、何千人かのひとの運命を左右しかねない判断を、任されてしまう。
「アコ?どした?」
「何でもないです。ただ、わたし頑張ってきたんだなあ、って思いました」
「なんだそりゃ。アコもわざわざ言わなくったってさ、そんなこと私が知ってるよ」
「ですねー」
二人顔を見合わせて、くすくす笑います。
こんなわたしたちを、この場にいるひとたちはどんな目で見てるんでしょうかね。
きっとマイネルは呆れて、マリスは何事かとおろおろし、フェネルさんはアプロに忠実ですからなーんにも心配とかしてないでしょうし。この場に居ないゴゥリンさんだったらきっと、あのおっきな体を揺するような、いつもの笑い方をすることでしょう。
…だからね、アプロ。
わたしは決して過たず、後悔しない選択をします。あなたがそれを支持してくれると信じて、こう言います。
「…避難は無しにしましょう。住民の人たちだけ逃がしてわたしたちだけで戦うっていのもありかもしれませんけど、多分魔王はわたしとアプロが多くのひとの前でそれをするよう仕向けてるんだと思います。だから、誰も居ない場所で魔獣の大群を迎え撃とうとしても無駄だと思います。みんなにも手伝ってもらって街を守りましょう。きっとそれが一番上手くいくと思います」
言い終えて、わたしは目を閉じました。反対意見を待つためです。
わたしはこれが最善と信じて意見を伝えました。ですけど他のみんなには違う見方があるでしょうし、大事にしたいものが違ってもおかしくはないと思います。
でも…。
「んじゃ、それで決まり。フェネルは街に布告する用意してくれ」
「かしこまりました。ただその前に具体的な指示をまとめましょう」
「ですわね。グレンスには救援の要請だけを手配してもらいましょう」
「無茶言うとは思うけどね…ただ、忙しくなることだけは間違いなさそうだ」
…自分で言っておいてなんですけど、みなさん素直過ぎません?
「ん、だってさー。アコが言うんならそーだろ、ってだけだし」
「主がそう決めたのであれば従うのみです」
「わたくしはアコを信じると誓いましたので」
「アコが言い出したんなら僕が何を言っても引っ込めないだろうからね」
これはまた理解の篤いことでわたし幸せものですね。けどマイネルの言い草だけは面白くないので後で覚えてなさい。
そして方針は決まりました。
あとはそれぞれにやるべきことをやるのみ、です。
わたしは…あー、うん。こういう時ってほんと自分が役立たずだと自覚します。やることねーんですもの。
「…あー、じゃあアコは泊まっていけば?」
「ヤですよ…今朝のアレがまだ癒えてないんですから」
「今朝?何があったんですか?」
「ナニがあったんです」
「?」
わたしの返事に首を傾げたマリスの耳を、マイネルが塞いでました。
まあ結局夜も遅かったので、アプロのお屋敷に泊まることにはしたんですけどね。




