仏の御石の鉢
火山から帰ってきてからしばらくたったある日、俺とマイはかぐやに呼び出された。
「仏の御石の鉢を探しにまいりましょう」
「仏?」
俺は思わず聞き返していた。
「この国にも仏教があるのか?」
「ええ」
マイが答える。
「私も仏門の者です。なんでも、かつて日本の僧侶がこちらへ来て、冒険者になったそうです。彼は武器を持たず、素手で戦ったとされています。それはもう修羅のような戦いぶりだったとか。彼は旅の中で仏の教えを広めていきました。冒険者を引退後はこの国の西の果てに寺を建て、そこで修行を再開しました。仏の御石の鉢もそこにあるのでは?」
「その通りです。エンセイジに仏の御石の鉢は眠っています。ただ、今ではそこを守るものがいなくなり、モンスターの住処になっているようですが」
「で、その鉢は何の役に立つんだ?」
「その鉢は見た目以上に底が深く、モンスターの出す炎や雷、毒などの攻撃を飲み込んでしまうという話です。それは巨竜との戦いに欠かせないものになるでしょう」
「なるほど、わかった。しかし、その鉢は俺たちに扱えるんだろうな」
俺は蓬莱の玉の枝を池の底から引き揚げられなかった経験から尋ねた。
「恐らく、私たちのうちの誰も装備できないでしょう。僧侶なら使えるはずですが」
「僧侶を連れていかないといけないってわけね」
「彼らのとって仏の御石の鉢はこの上なく尊いもの、必ず協力してくれるでしょう」
俺たちは街の寺を尋ねた。えらいもので日本の寺と何ら変わりなかった。そこで務めているのは異国の人間だったので違和感はあったが。
和尚に会い、仏の御石の鉢の話をすると、すぐさますべての僧侶を集めた。俺たちは改めて説明する。
「仏の御石の鉢を持つということは、巨竜との戦いに身を投じるということになると思う。それでも良いなら俺たちについてきてくれ」
さすがに迷いがあるのか皆目を伏せて考え込んでしまった。
他の街の寺をあたったほうがいいかと考えたその時、名乗り出る者がいた。
「私が」
見ると手を挙げていたのは尼だった。
「私が参ります」
「カレン、しかし」
和尚は戸惑ったふうだった。
「危険だぞ、まだ若いお主が行くこともない」
「いえ、行かせてください。仏の御石の鉢の奪還、果たして見せます」
凛とした声で宣言する。それだけで十分な説得力があったらしい。
「そうか、では頼むぞ」
あっさりと和尚は引き下がる。
カレンと呼ばれた尼は俺たちに歩み寄ってきた。背筋がまっすぐに伸びた、背の高い美しい女人だった。剃髪の文化までは継承されなかったのか、髪は肩まで伸ばしている。その切れ長の目で見られて俺は少々緊張した。
「タケト殿、拙僧はカレンと申します。微力ながら巨竜打倒、お手伝いいたします」
真面目そうな固い口調である。
「ああ、よろしく」
俺たちは準備を整え、この国の西にある、エンセイジに向かって旅だった。
エンセイジへの道案内はカレンが務めた。
「カレンたち僧侶はエンセイジに詳しいのか?」
「ええ、あそこはこの世界で初めて建てられた寺です。私たちの仏教はそこから始まりました。ただ、邪悪なモンスターに襲われ、抵抗の甲斐なく明け渡してしまいました。エンセイジの奪還は私共の悲願です。そこに収められている、仏の御石の鉢も。私たちはエンセイジを攻める準備を進めてまいりました」
「そうか、大変なんだな」
「最近調査に言った者の報告ですが、仏像が襲い掛かってきたと」
「はあ? マジかよ」
「マジです」
「仏の弟子が仏に殺されそうになったのか」
「かつて僧侶たちを追い出したのは形のない化け物だったと聞いています。それらが年月を経て鎮座している仏像の姿を真似たと考えています」
「しかし、ニセもんとはいえ偶像破壊は気が進まねえな」
「……私もです」
仏教とかかわりの深い俺とマイは仏像を破壊する罰当たりな己の姿を想像していた。
「仏の姿をしていても奴らは邪悪な化け物。迷ってはいけません」
「そうだよな、迷わず倒す。もう決めた。ところで、カレンはどうやって戦うんだ? 武器は持っていないみたいだが」
「我々は生あるものを容易に傷つける武器の類を持ちません。ただ、どうしても戦う必要があるとき、拳でもって戦います」
見ると、修行の跡かカレンの手の甲はタコでぼこぼこになっていた。
二週間ほどの旅路を経て、エンセイジにたどり着いた。
何百段もの石段を登ってやっと門が見えた。金剛力士像がその門を守っていた。
「マジか。国宝級だ」
俺は高校の時の修学旅行を思い出す。
「これは本物だよな」
近づいても動かないのでそう判断した。
「ここから入れるのか?」
俺は門を押したり引いたりしてみるが、どうやっても開かなかった。尼僧のカレンがいじってみても同様だった。仕方なく、俺は光り輝く竹槍で門の一部を破壊し、人が一人通れるほどのスペースを作った。
その瞬間のことだった。金剛力士像が動き出したのは。阿形と吽形とがその筋肉で盛り上がった腕を振るい、俺たちを吹き飛ばした。まさに交通事故にあった時のような衝撃だった。
「痛ってえ」
涙を浮かべ奴らを睨むと、二体同時に俺に飛び掛かってきた。まさに阿吽の呼吸で次々に拳や蹴りを突き出してくる。俺はそれを捌くので精いっぱいで、反撃が出来なかった。
そちらを見る余裕は無かったが、先ほどの衝撃から回復したかぐやが蓬莱の玉の枝を振るったらしい。横から炎が出てきて金剛力士の身体を焦がした。奴らはひるんで攻撃の手が止まる。ちらっとかぐやのほうを見ると枝の赤い実が輝いていた。続いて阿形にマイ、吽形にカレンが飛び掛かった。マイが扇を振ると阿形の腹のあたりに横一文字に線が走り、鮮血が噴き出した。カレンが気合の入った正拳突きを繰り出す。見事なレバーブローとなり、吽形は膝から崩れ落ちた。俺は竹槍を振るい、阿形、続いて吽形を貫き、止めを刺した。
「かぐや、助かったよ。マイ、カレンも」
かぐや、マイは笑って頷いた。カレンだけは険しい表情を崩さなかったと思うと、阿形吽形に手を合わせ、黙とうした。
「じゃ、行こう」
俺たちはエンセイジの敷地に踏み込んだ。恐ろしいことに前庭では何体もの地蔵が俺たちを待ち受けていた。相手にしきれず、竹槍で通路を切り開き、建物内に飛び込んだ。そこでも敵に囲まれた。四天王だった。かぐやは持国天を炎で丸焦げにし、マイは増長天を切り刻んだ。カレンは項目店の頭を潰し、俺は多聞天を串刺しにした。
廊下では阿修羅に襲われた。まさに三面六臂の戦いぶりだった。俺とマイとカレンが注意をひきつけている間にかぐやのもつ枝の青い実が放つ高水圧の水鉄砲により倒した。
千手観音とも出くわした。様々な法具はただの飾りだったが無数の腕から繰り出される攻撃と何個もある目のせいで、俺たちは距離を詰められず、決め手に欠いた。色々と策を試し、かぐやの出せる最大の炎に火鼠委の皮衣をまとった俺が隠れて近づくという荒業で千手観音の不意を突き、致命傷を与えることが出来た。
次々と仏像風の化け物を攻略し俺たちはついに寺の最奥に到着した。ひょっとしたらあるんじゃないかと思っていたが、そこで見たのは大仏だった。その迫力は奈良でみたものと変わらなかった。
「ははっ、マジかよ」
思わず笑ってしまっていた。こんなものまで先人は作っていてしまっていたのか。
「まさか、これもバケモンなのか」
呟くと竹槍がぶるっと震えた。敵がいる合図だ。俺は覚悟を決めた。先手必勝と竹槍を伸ばし、大仏の眉間に突き刺した。その刺激で大仏は開眼した。今まで槍を一撃食らって生きていたモンスターはいないため、俺はこの化け物のヤバさを悟った。
大仏はおもむろに立ち上がった。バカでかい手で張り手を繰り出す。風圧だけで俺たちは吹き飛ばされた。いち早く体勢を立て直したマイが大仏の足に斬撃を浴びせる。大仏は物とのせずマイを蹴り飛ばす。俺はその片足だけでも止めようと思い足の甲に竹槍を突き刺し、床に縫い留めようとしたが、たやすく抜かれてしまった。先までの戦いで負担を強いてしまったかぐやは未だ地面に伏せっている。
「タケト殿! 飛びます! 槍を!」
カレンが叫び俺のほうの向かって走り出した。俺はカレンの意図を了解し、槍先をカレンのほうに向け接地させて構えた。カレンが槍に乗った。
「行け!」
俺は槍をしならせ、大仏のほうにカレンを吹っ飛ばした。ピンポン玉のようにカレンは飛び上がった。コンマ何秒の後、隕石のような衝撃が大仏の鼻っ柱に叩き込まれた。
大仏は後ろ向きに倒れていった。顔面が陥没しているのが確認できた。何秒かの沈黙があり、大仏が完全に動かなくなったのが分かった。
「カレン! やったな」
「ええ、これも皆様のおかげです」
「いえ、まだ鉢が」
枝を杖にかぐやが立ち上がっていた。マイも無事だ。
「ああ、たぶんあそこだ」
先ほどまで大仏が鎮座していた後ろに扉が隠されていた。カレンが歩み寄り御開帳した。そこには黒々と光沢を放つ鉢が安置されていた。大きさはカレンの両手に収まる位だった。
「試してみましょうか」
かぐやは残った体力を使い蓬莱の玉の枝の赤い実から炎を出した。カレンが鉢を向けると炎はそこに吸い込まれていった。さらにカレンが倒れた大仏に鉢を向けた。鉢からは炎が吐き出された。
カレンは鉢をしげしげと眺めた。やがてうんと頷いて俺たちのほうを向いた。
「さて、僧侶たちを呼び寄せませんと行けません。まずは掃除からですね」