5 決意
「フェンリルを倒す鍵、っていうのはどういうことかしら」
リアの質問に、シエルは再度瞬いた。
『ソレイユの力ではわずかとはいえ、魔力の質そのものがフェンリルに劣ります。これはソレイユが一番実感していることと思われます』
「……そうね。元の世界ならともかく、こっちに来てからは私に有利な陣も作りにくい。それに、あのフェンリルは私以上の力を持ちながら、私と同じように魔弾を打ち出す攻撃を得意にする。だから、私のやろうとすることをそれ以上の力で押しつぶされていったわ」
ソレイユはフェンリルとの差を悔しそうに語った。
さきほど口が滑って言った、星の王女がフェンリルの下位互換というのは的を射ていたらしい。
『しかし、現在のマスターはこの世界の住人ですから、世界の加護を受けられます。そして、今まで二回の交戦記録から得た情報により、接近さえできればフェンリルの出力を上回った状態で戦闘が行えるでしょう』
そうなると、課題は一つ。
「フェンリルにどうやって接近するか、だな」
『ええ。どうあがいてもわずかに性能差で負けているソレイユよりは、近接戦闘におけるマスターのほうが勝利の可能性はありますから、接近の方法が重要になります』
僅差で負ける可能性しかないよりは、条件さえ整えれば勝てるほうが戦う意味がある、ということか。
「でも、あの氷弾の雨を潜り抜けて接近するのは無理そうじゃないか」
数えてなんて居ないが、あの氷弾を乗り越えて接近できるとは考えられない。
『マスターの体力が続くのであれば、あの弾を全て打ち落としながら進む、という提案もありますが』
シエルが言っているのは剣から炎を出す奴だろうか。確かにアレが連発できるなら何とかなるかもしれない。
「でも無理だろう。一回消し飛ばすだけでへとへとだったし」
『そうでしょうね。炎天開放は属性魔法を強引に魔力放出で再現する手法。火事場の馬鹿力のようなものですから、マスターへの負担も大きい。イメージと魔力のコントロール次第では強力な一手になりますが、一度の戦闘で一度きりが限度でしょう』
あの氷狼は息をするようにあの氷の雨を降らせていた。それに対してオレは剣の一振りで根を上げる。体力勝負は無謀と仮定して構わないだろう。
「なら、正面から倒すのは難しいんじゃないか」
『ええ。難しいどころか不可能でしょう。二人の星の王女が存在すれば可能性もありますが、そもそも現状のソレイユに残っている戦闘能力はほとんどありません』
うーん、と三人の唸り声が聞こえた。
「……結局、勝ちの目があってもそこまでたどり着けないんじゃどうしようもないんじゃないか」
そんなことはわかっている、とばかりにシエルが瞬いた。
『正面からの戦闘が難しいのであれば、搦め手でいきましょう』
「搦め手?」
人間相手ならわかるが、あの大型車みたいな獣に小細工なんか通用するのだろうか。
『フェンリルは魔獣、と呼ばれる人間とも獣とも異なる生物の一角です』
「魔獣?」
『魔力を内包した精霊の一種、とでも思ってください。リアの親戚のようなものです』
リアの方をちらりと見るが、フェンリルと同類、と言われて不機嫌そうに見える。
「あんなバケモノの親戚とか言わないでほしいんですけどー」
ぶーたれた様子のリアの言葉を無視してシエルは話を進める。
『ともあれ、生物の強度としては人間を大きく上回ります。しかし、同時に異なる神の加護による干渉も大きく受けますから、この世界の魔力が大きな地点で迎え撃てば大きな弱体化が期待できます』
「二人の傷の治療に使っていたその魔力はフェンリルにとっては毒になる、ってことか」
『世界の方が拒絶する、という表現が近いのですが、マスターの理解でも間違いはありません』
その弱体化でどこまで食い下がれるのかわからないが、可能性はあるのかもしれない。
「でも、そんなの向こうもわかってるんじゃないのか」
「多分、フェンリルなら挑まれれば必ず出向いてくる」
ソレイユは半ば確信をもっているらしい。
「戦士の矜持、とかそういうものだろうか」
「あるいは、単に強い奴と戦いだけかもしれないけど。挑発には必ず乗ったうえで、それを真正面から叩き潰す、というのがフェンリルなの」
フェンリルに関しては、オレよりも戦闘を重ねてきたであろう彼女たちの方が詳しい。戦闘狂、とでも言うべきその性質はおそらく真実なのだろう。
「……そんな戦闘狂なんて無視すればいいんじゃないか。ここが安全地帯らしいし、引きこもってればいいじゃないか。次元の鍵ってやつも奪われずに済むし」
オレの楽観的な予想はリアが首を横に振ることで否定された。
「どこまでシエルから話を聞いたか分からないけど、向こうは時間さえあればこの世界の征服が可能なの。次元の鍵がなくても長い手間がかかるようになるだけ。篭城なんてしてもいずれ世界は滅びるわ」
「その手間、っていうのは?」
リアは少しためらいがちに口を開いた。
「……人間の魂の収集、かな。その魂を使うことで次元の鍵と同等の成果を出せる。あんまりにも効率悪いけどね」
「魂の収集?」
「人間を殺しつくすの。数は二十万ほどかな。今は次元の鍵の方が目標だろうけど、それができなくなったら虐殺に切り替えるはず」
ソレイユが少しうつむいた。
彼女は自分の故郷をDDに侵略されている。この街に重ね合わせるものがあったのかもしれない。
どうあがいても、彼らから目を背けるわけにはいかない。
「戦うしかないわけだ」
「そうよ。DDの総帥たる魔王と、フェンリルを含めた直属の部下である四人の幹部。彼らを倒せばこの世界の侵略の足掛かりはなくなるし、求心力のある人物がいなくなりDDは瓦解すると思う」
あの強大なフェンリルと同格がさらに三人。そして、その上に魔王が一人。
けれど、二十万人の犠牲と、その後のDDの侵略を考えるなら、唯一戦えるオレが逃げるわけにもいかない。
『あとは、人気のない戦闘場所とそこにおびき出す方法です』
シエルにそう言われても、戦いの場なんて思いつかない。
「それに関してはいい案あるのか?」
『戦闘場所に関しては、このあたりであまり人気のない場所があれば都合がいいのですが』
「夜なら中心街はどこも人気がない、と思う。学校なんかは特に誰もいないと思う。あとは郊外に森と丘がある。少し遠いけどそっちも人気は少ないかな」
『できれば、神聖な力に満ちている場所であれば魔法陣のバックアップなども強力になります』
神聖なるモノを祀る、というとこのあたりでは仏閣、神社、あとは教会とか。ただ、どこも住職さんや神父さんは居るはずで、人気の無い、というところはあっただろうか。
いや、一箇所だけ誰も近寄らない、けれど今でも神聖な場所として扱われている場所がある。
「水地の森、ってところが昔から神の住まう場所だ、なんてよく聞かされてた。あそこなら魔力がどうとかは分からないけど、人気は無いかな」
なんせ基本的には立ち入り禁止のための柵もあるし、一般人はよほどのことが無ければ立ち入らないだろう。
国道沿いが開拓されるときもあの森だけはなぜか切り開かれなかったらしい。たたりがあるとか、のろいがあるとか、そんな噂話だけが残った。
『ミズチ、ですか。名前からしても神の住まう場所、というのはありえるかもしれませんね』
ミズチ、つまりは蛟。古来より多くの伝承があり、様々な姿での言い伝えがある神の一柱。竜であるとか、角の生えた鬼であるとか、あるいは大蛇であるとか。話一つで姿かたちを大きく変状させるが、このあたりでは水の神としての言い伝えが残っていた気がする。
『マスター、地図を見せますからどのあたりか指示してもらえませんか?』
オレの目の前にこの辺り一帯の航空写真が浮かび上がってきた。魔法というのは今の科学を取り込んでさらに発展したりするのかもしれない。あるいは、科学の方が魔法を取り込むのかもしれないけど。
そして、目的の水地の森はわかりやすい。
「街の端の方に不自然に切り残されてる土地があるだろう。ここが水地の森。人の出入りはないから戦場っていうなら悪くない。問題は神聖の力、というのがどれくらいあるかわかんないけど」
『神の加護がなくとも、森であれば自然の力を受けやすい。木々や土で即興の陣を作るのにも適していますし、戦場には悪くないでしょう』
オレとしてはシエルの言っていることは間違っていないと思うのだが、リアが渋面を作っていた。
「……ま、いいけどね」
「何か気になることでもあるのか?」
「いいえ。ここまでしても、埋められない実力の差はある。結局、分が悪いのは変わらない、ってだけ」
それはわかっていたことだ。それでも、勝機があるなら賭けてみてもいいのではないか、と思う。
というか、自分で言い出しておいてなんだが、神さまの御許っぽいところでドンパチやるのって相当バチ辺りではないだろうか。
「……なあ、こういうところを荒らすと末代まで祟られたりしないかな」
リアはオレの心配に、少し顔を綻ばせた。
「大丈夫よ、神様って寛大だから、世界がかかってるなら多少は見逃してくれるわ。自分のことよりは人間の営みを大事にするくらいの甲斐性はあるし。土着の神でしょうから、なおさらね」
見知った風な口を聞くが、向こうでは神様というのは身近な存在なのか。なんにせよ、リアのお墨付きももらった。専門家が言うのであれば心配することも無いだろう。
「あとはリアの持ってる次元の鍵ってやつを見せびらかせばいいんじゃないのか。あいつら、それが欲しいんだろう?」
「うーん、それがうまく行けばいいけど」
どうも、リアには不評らしい。
「もしかして、次元の鍵ってやつをさらすのも危険なのか?」
「次元の鍵どうこうじゃなくて、そもそもどうやって陣を引くのか、って話。私は陣なんて引けないし、ミタカは何の知識もないから余計無理でしょう」
「聞いたとおりにやる、って程度じゃダメなのか」
こっちにはシエルがいるんだし、魔法の知識も豊富そうだ。魔法陣の適切な知識は十分あるだろう。
『あのフェンリルに対抗するのであれば、精密な魔法陣が必要です。実際に知識がない人間には1ウェンドの円の陣も半日かかるでしょう』
「ウェンド?」
『一般的な魔法陣を示す円の大きさの単位です。こちらですと直径150センチほどでしょうか』
正確なところはわからないけど、今の体と同じくらいか。それだけの大きさの円の中に情報を詰めるだけで果たして半日もかかるものなのか。
「同じ図形を書けばいいんだろう? たかだか150センチくらいの円に半日もかかるとは思えないんだけど」
『マスターが0.5ミリ単位の曲率の違いをフリーハンドで表現できるような器用さがあれば、いともたやすく出来上がることでしょう』
そもそも、コンパスもなしに正確に円を引けるかどうか怪しい。
「……表現できないとしたら?」
『数千の補助線を引く必要があるでしょう』
……集中力が持つかどうか。休息も入れて半日、ということなのかもしれない。
「実際に必要な円の大きさは?」
『戦闘領域として扱いますから、最低でも20ウェンドはほしい。面積にして400倍ですから、手間もそれだけ増えるとお考え下さい』
単純計算で200日。慣れもあるだろうから少しは短くなってもおかしくないと思うが、それにしても長すぎる。
「そんだけかかるとそもそも向こうが次元の鍵なんて興味をなくすでしょうね」
オレもそう思う。というか、200日もねちねち引いてられる気力もない。
「それなら」
そこまで会話に参加せず、考えこんでいたソレイユが口を開いた。
「私が、魔法陣を引きます」
立ち上がることすら難しく、その体はまだ癒えていない。
それでも、ソレイユの顔は決意に満ちていた。