2 眼下に広がる街並み
夜の街。
雲の隙間の月明りに照らされ、眼下には人々の生活の明かりが灯る中。
魔法少女はただひたすらに屋根の上を跳んでいた。
どれくらい距離を取っただろうか。
変身してからあふれる身体能力で少女と妖精を抱きながら、全力で跳んで逃げてきた。
まだ、あの獣は追ってきているのか。
『奇妙なことに、敵個体の反応が消失しました。向こうも撤退した、と捉えて構わないでしょう』
それを聞いて、ようやく少し心が休まった。同時に、疲れが全身にどっときた。
「なんか、とても体がしんどいしめまいもする」
ずいぶんと、自分の声が甲高く感じた。間違いなく少女の声が自分の喉から発せられている。
その事実を改めて認識して、さらに頭がクラリとする。
『おそらく、先ほどの炎熱の剣による魔力の過度放出が原因です。眠っている二人もただちの治療は不要ですし、一度休憩しましょう。いくらかはその倦怠感も解消されるはずです』
それなら、少しばかり休憩させてもらおう。ひときわ高いビルの屋上の一つに着地すると、そこに腰を下ろした。
夜風が肌をなでる感覚が心地いい。
眼下にはビルの、住宅の、あるいは電灯の明かりが広がっていた。夜にこんなところから見下ろす機会なんてそう無かったが、きれいな夜景だった。
体が落ち着いて来たせいか、現状についての疑問が改めて頭の中に湧き上がってきた。
しかし、話を聞けそうな少女と妖精は今もオレのひざの上で眠っている。
そうなると、話し相手は一人しか居ない。人間と言ってもいいのかは怪しいところだけど。
「なあ、シエル。休憩ついでに聞きたいことがいくつかあるんだけど、構わないか」
『私に答えられることなら構いませんよ』
まずは一番気になっていたことだ。
「このヒラヒラした服、なんなの」
自分が着てしまっているこのピンクのドレスのことだ。どうしてこんなの着てるんだ、オレは。
『魔法少女の服です。マスターは魔法少女をご存知ありませんか?』
「無いって事は無いけど」
アニメなんかでもよく見る。普通の女の子が悪を裁くヒーローになるやつだ。
「聞きたい事はそういうことじゃあなくて、なんでオレが魔法少女なんかやってるのか聞きたい」
『……どう答えたものでしょうか』
オレの当然の疑問に、シエルは答えを濁す。
「なんだよ、答えたくない質問なのか?」
『答えがわからない、というのが正しいところです』
「どういうこと?」
答えられることなら答えるといったくせに、最初から分からないと来た。
『私は、認めた人間に願望のままの力を与えます』
「そりゃすごい」
『…………』
オレの生返事に、一瞬シエルが黙り込んでしまった。
『嘘だと思っていませんか?』
「ちゃんとあの狼に抵抗する力が出せたんだから真実だとは思ってるよ」
ちょっと現実感が薄いだけだ。なんなら全部夢なんじゃないか、というほうが納得はできるかもしれない。
ただ、地べたから伝わる冷気と風が肌を撫でる感覚が、この世界は限りなく現実だと主張している。
『では続けます。変身には三つの条件があります』
「三つ?」
『一つは願望の根源となる魔力。
二つは元となる肉体の存在。
最後の三つは、変身した後の理想となる姿を想起すること』
……どうだろう。
魔力、という不思議な力の存在は感じる。
元となる肉体ならここにある。
しかし、変身した後の理想となる姿、というのはなんというか、納得いかない。
『その条件を用意したうえで変身を行うことで、多くの人間は身体能力を大きく向上させ、また変身前の傷を癒します』
傷の方はわからないが、身体能力の向上は明らかだ。少なくとも普通の人間はビルとビルの間を飛び回る、なんてマネはできないが、この体なら難しくもない。
『変身した姿はその人間が最も欲する力を備えています。あなたで言えば先ほどの燃える剣です』
「戦うといったら武器だし、武器といったら剣だし」
当然の帰結である。
『ずいぶんと短絡的な思考ですね』
「ほっとけ」
『同様に武器でなく武装、体格なども願望をかなえるはずです。しかし、こちらの鏡を見てください』
空中に現れた鏡の奥には、移るはずのオレの顔は無く、先ほどの少女がきょとんとした目でこちらを見ていた。
「……さっきも見たけど。鏡に自分以外の顔が映る、っていうのは不思議な気分だ」
眠っている少女と鏡に写っている少女の顔を見比べるが、全く同じと言っていい。ただ一点、髪色が異なっていた。眠っている少女は鮮やかなオレンジで、鏡の少女は銀色に輝いていた。
『今のマスターの姿はソレイユと瓜二つなのです』
「それは見ればわかるけど、なんで?」
『今のところは不明です。細かい分析などを交えれば変わってくるでしょうが、そのあたりはリアの領分です』
眠っている二人のうち、妖精の方がリア、だったか。
まあ魔法少女になった理由自体はまあ興味があった程度だし、眠っている二人を起こしてまで聞かねばならないことではない。
本題は別だ。
「じゃあ元の姿に戻れない?」
理由はどうでもよい。
とにかくこのフリフリした魔法少女をやめたい、というのが本音だ。
『一応、変身を解除することは今からでも可能です』
「すぐやろう」
『今ここで変身を解くのはやめておいたほうがいいかと』
「なにゆえ」
『このビルの屋上から飛び降りるには、変身状態でなければ不可能でしょう』
見下ろせば地面まで50メートルはある。
人間技ではない方法で上ってきたのだから、降りるときも当然その必要があるに決まっている。
「…………」
『それに、変身を解除すると肉体へのフィードバックが……』
「フィードバック?」
『いえ、これは後で変身を解く前に説明しましょう』
後で説明してくれる、というなら後で聞こう。今聞かなくていい、と言うなら聞かないでおきたい。怖いし。
「じゃあせめて服装だけでも別のものにしたい」
スースーして気分が落ち着かない。とにかくズボンに着替えたい。
『以前まで登録してあったものはありますが、あなたがマスターになってから別の服装は全て使えなくなっています』
「……なんで?」
『アクセス権限がない、とでも言うのでしょうか。ソレイユ個人の持ち物でしたから、仕方ないといえば無いのですが』
「なら元の服は?」
窮屈な学校の制服だったけど、それでもいい。今のふわふわした感覚よりは何倍もましだと思う。
『今のあなたはソレイユと同じ体格になっているのですよ。背丈から何まで全てがあいません』
改めて自分の体を見ると完全に少女のものだ。小さな手も、細い足も、自分のものとは思えない。
「……待てよ」
体格が少女という事は、体の機能もまた少女のものになっている、ということではないだろうか。
つまり、男にはあって女には無いもの、またその反対もある。
純粋な好奇心でしかないが、興味がある。
しかし、勝手に変身して、その体を探る、というのは道徳的にどうなのだろうか。
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でも、気になる。
「よし」
『マスター、それ以上邪な真似をしようとすればこのビルから叩き落します』
体がいつの間にか、ビルの外に体を乗り出していた。まるで内側から体を操られているみたいに、自分の体を動かせない。言葉から察するに、シエルに操られているに違いない。
眼下には、数十メートル下の道路が見えている。落ちればこの体でもどうなるか、なんて見当もつかない。
「すみませんでした!」
誠意ある謝罪が効いたのか、身体の制御権が戻ってきた。
ビルの外側に行っていた重心を、片足で強引に建物へと引き戻す。およそ人間にできるような挙動ではなかったと思うが、この変身状態はバランス感覚も人間以上に強化するらしい。
「死ぬかと思った」
『これくらいで十分でしょうか』
こいつ、本気で落とそうとしてなかったか。
悪態の一つでもつきたくなったが、それを飲み込んでフェンスに背中を預ける。
それに、ふざけている場合なんかではない。
オレには、聞かなくてはならないことがある。
「シエル、真面目な話がある」
『真面目ではない自覚がおありでしたか』
シエルの小言は聞き流す。
「どうしてあんな路地裏で化け物に襲われていたのか。そもそもシエルたちは何者なのか。それを知りたい」
『それは私からも伝えるつもりでした。あなたがどのような選択をするのであっても、関わってしまった以上、もうあなたを部外者と呼ぶわけにはいきませんから』
どうやら、オレが催促するまでもなく話をしてくれる気はあったらしい。
「なら、話を聞かせてほしい」
『まずは、私たちの出自を明らかにしましょう。マスターは自分のいる世界とは異なる世界というものを信じますか?』
「誰かが死ななかった世界とか、技術が進みすぎたりとか、そういう世界のことか」
『平行世界論ですね。その理解でも間違いではありません』
非現実的な現象がまかり通る世界。創作の中にしか存在しない幻想。そんなイメージがある。
『無限に連なる世界が織りなす平行世界。私たちは、その中でも魔法の使える平行世界から来ました』
「そっか」
そういわれて、別に驚きはしなかった。妖精とあの巨大な獣が魔法を打ち合ってるのを見てしまった。自分自身が、魔法の当事者にだってなった。
『ずいぶん、受け入れるのがお早いですね』
手のひらから炎を出す妖精と、氷の弾丸を射出する狼。そして魔法少女なんかに変身したオレ自身。
存在も現象も、現実に存在しているようなものなんかじゃない。
それこそ、魔法というものでもなければ説明がつかないものだった。
「常識とはかけ離れた出来事だったけど、実際に魔法なんか体験すると理解せざるを得ないよ」
『理解が早いのは助かります』
理解しているかは怪しいけど、頭ごなしに否定しないくらいには受け入れているかもしれない。
『その異世界ではソレイユは一国の王女として、リアと共に平和な日常を送っていました。王家の一員として忙しい毎日を送りながらも、すべてが輝くような日々だった、と言うのが本人の談です』
王女の生活、なんてものはオレに想像できるものではないけれど。自分でそのように言えるのなら、平和な日常というやつは、彼女にとって替えがたい日々だったのだろう。
『ただ、あるとき状況が一変しました。突如現れたDDと呼ばれる組織が私たちの世界で暴れまわったのです。ある国は彼らの力を恐れ支配下に降りました。ある国では彼らによって導かれた暴動によって内部から崩壊しました』
シエルの口調は淡々と。シエルにとっては、この話は伝聞でしかないから、実感を持って話せないのだろうか。
『ソレイユの王家はDDの野望を食い止めるためにアルカンシエル、と呼ばれる魔導兵器を国の古い宝物庫から取り出しました。それが私です』
「……それで、結果は?」
シエルのただ事実を述べる話し方で、何となく結末はわかっているが、それでも話の先を聞かずに入られなかった。
『百聞は一見に、とこちらの世界でも言うのでしょう。こちらを見てください』
オレの前に、数枚の画像が浮かび上がってきた。これも、魔法なのか、と聞こうとして。
「――――なんだよ、これ」
そんな質問がどうでもよくなるくらいの、地獄を見た。
人々が住む家は焼け落ちていた。
生活が営まれてきたであろう街並みは崩壊していた。
身を寄せ合ってようやく生きているような人間を、怪物が足蹴にしていた。
逃げ惑う民を、ゲラゲラと笑いながら襲う悪鬼がいた。
涙すら枯れている、地獄がそこにあった。
記憶に焼け付いたころには、その画像は消えていた。
『これでもましな方、と言えますが。命があるだけ、魔王の選択としては有情な方です』
「……これで、有情?」
『そして、彼らは自分たちの世界では飽き足らず、異世界をも支配しつくし、全ての世界に連なる王になろうと企んでいるのです』
シエルの言うことが正しければ、彼らがここに居る理由はただ一つ。
「次はオレたちのこの世界を滅ぼそうってわけだ」
『ええ。そのためにはリアの持つ次元の鍵というものが必要だと彼らは考えているようです』
「次元の鍵ってそんなに危険なものなのか」
『本来、異なる世界間の移動というのは強大な魔力を持つ者、例えばソレイユや魔王のような強者のみが使える次元転移魔法を使わなければなりません。しかし、次元の鍵の力があればどんな生物も、兵器も、兵糧さえも持ち込むことができます』
魔王は一つの世界を滅ぼすほどの戦力を所持している、というなら。
『つまり、次元の鍵さえあれば彼らは私たちの世界で蓄えた戦力を全て持ってくることができます』
だからフェンリルは執拗に妖精を置いていけ、と迫ってきていたのか。
「そうなれば、ソレイユの国と同じようにこの世界も制圧されていくわけか」
『この世界にいる魔力を操る力を持つ人間はほとんどみかけません。私たちの世界の生命体の中には、物理的なダメージが効かない個体も多い。もちろん、DDの幹部はみな、魔力のない攻撃では傷つかない。下手をすると、私たちの世界以上の速度でこの世界は滅ぶかもしれません』
もしもそんなことになれば、今見ている街の夜の景色は消えてしまうのだろうか。
何もかも無くなる、なんてことが想像すらできない。
『彼らは執拗に私たちを狙い、そして私たちはこれ以上不幸な世界を生まないためにも、次元の鍵を持って逃げ回っていたわけです』
「そして逃げ回った先のこの世界で、フェンリルに負けてあんなところで満身創痍だったわけだ」
『ええ。偶然が折り重なった結果かもしれませんが、あなたのおかげでこの世界の文明は一度命を延ばしたかもしれません』
そんな大層な事はきっとしていない。
無謀にも身一つで助けに行って、偶然シエルの力を借りれたから、何とかうまくいっただけだった。
でも、彼女たちの助けになったのであれば、この行動は間違いなんかじゃなかった。
「シエルたちがここに居たわけも、命を狙われていた訳もよくわかったよ」
『なら、理解していただけたはずです。私たちは過酷な戦いに足を踏み入れています。ですから――』
「だから、手伝わせて欲しい」
シエルの言いたいことなんて分かっている。きっと、手を引けというのだろう。
でも、今の話はまるで子供のころからあこがれていた、ヒーローの仕事みたいだった。
「この子の腕は擦り傷だらけじゃないか。妖精の方だって打ち身の傷がひどい」
目に見える傷だけでも見るに堪えない。
きっと、見えないところの傷はこれ以上かもしれない。
『あくまで外傷に過ぎませんから、魔法で治癒は可能です』
「でも、痛そうだった。今だってそうだ。彼女たちが戦えるようには見えない」
安らかなんて言い難い少女の苦しそうな寝顔。傷が寝ている間も苦しめているのかもしれない。自分の国が制圧されたときのことを思い出しているのかもしれない。
「それに、今はチャンスのはずだ」
『どうしてそう思いましたか』
「自分で言ってたじゃないか。次元の鍵を使わないとこちらに本軍を持ち込めないって。なら、今こっちに居るのは少数の精鋭部隊であるべきだ。そいつらを叩ければ、向こうの戦力はガタ落ちだ」
半分くらいはあてずっぽうだ。けれど、何となくその勘は当たっている気がした。
『精鋭部隊、どころではありませんよ。王が一人、その直属の部下が四人。たった五名でこの世界に足がかりを作ろうとしているのです』
悪の組織の頂点が一人と、その配下が四人。
「魔王と四天王みたいじゃないか」
『そういえば、DDの長の異名は魔王でしたか。ですが、あのフェンリルのような敵があと四体もいるのですよ』
「そうか」
今みたいに誰かの命を助ける、ヒーローみたいな出来事の、当事者になってみたい。そんな気持ちもある。
『命を賭けた戦いになります』
「それでも、ここまで話を聞いたら引くに引けない」
シエルはオレを関わらせたくないようだけど、それでも決して言わない言葉がある。
「それに、オレが力になれないならそういってほしい」
『……』
「きっと、ここまでの戦いはこの二人がやってきたんだろう。でも、さっき倒れた二人は限界に見えた」
『そうですね。現状の戦闘能力でいえば、その二人は使い物にならないといってもいいでしょう』
「なら、代わりに戦うやつが必要だ。それはオレじゃあ不足だろうか」
はあ、と胸中の結晶からため息をつく声が聞こえた。
「へぇ、シエルもため息なんかつけるんだな」
『その顔でその言葉を言われたのは二度目です。あなたもまた強情なのですね』
同じ顔、というとここで眠っている少女のことか。
「この子は知らないけど、オレはそうでもないと思う」
ただ力になれないか、と思っただけだった。
『私としても、マスターの力を借りられるのはありがたい』
「それなら――」
『ただし』
シエルは語気を強めて、オレの言葉を遮った。
『この二人の説得はお任せしますよ。もし、二人がダメというなら』
「わかってる。その時はあきらめる」
当事者の意思を無視してまで、邪魔はできない。
『しかし、あなたのような勇者が力を貸してくれるというなら、きっと二人もうなずくでしょう』
勇者、なんて呼び方はこそばゆい。
「そんな呼び方しないでくれ。背中がもぞもぞする」
『呼び方と言えば、私はあなたの正式名称をいただいてません。教えていただけませんか』
思えばここまで名乗らずにいたのか。確かに名乗るタイミングは無かったかもしれない。
「オレの名前は三鷹月光」
『私も改めて自己紹介を。私の正式名称はアルカンシエルです。今までどおり、シエルとおよび下さい、マスター』
結局マスター呼びじゃないか、とは思ったけど、マスターと呼ばれるのにも慣れてしまった。
「よろしく、シエル」
『よろしくおねがいします、マスター』