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18 満月に佇む氷獣

 少女は剣を構えつつ、獣との距離をはかる。


 獣の位置は丘の頂点。少女が接近するには十歩以上かかる。


『そうおびえるな。あるいは猛っているのか? どちらでも構わないが、以前のような無作法な真似はしない。せめて、よく月に照らされる位置まで来るがいい』


 獣の口ぶりは実に上機嫌で、路地裏で獣と戦闘した時の印象とはまるで違う。


 少女は踏みしめるように、一切の隙を見せないように、ゆっくりと丘の頂点へと近づいていく。


 五歩、六歩と歩いたところで少女は歩みを止める。少女にとって、ここが氷狼の不意打ちをしのげるぎりぎりのラインだ。


 獣は少女が一切警戒心を解かずとも、気をよくしたように鼻を鳴らす。


『よい目をしている。月の光が一層、貴様の情熱を赤く、美しく見せている』


 獣から発されたのは嘲るような否定の言葉ではなく、賞賛の言葉。


 聞きようによっては、その言葉は。


「獣にも、男にも、興味ないけどな」


『なんだ、愛の告白にでも聞こえたか? ならば許せ、貴様のような勇者への最高の賛辞を送りたかっただけだ』


 少女には理解できない。ここで決死の戦いをしなければならないと知っているはずの敵が、どうしてこんなにも歓談を求めているのか。


 見逃してくれる、とは少女は感じていない。


 目線が、口元からあふれる冷気が、立ち振る舞いが、少女へ殺意を向けている。


「……何が言いたいんだ」


『祝福し、賛辞し、敬愛したい。ただそれだけだとも。今この瞬間にしかそれはできんからな』


 なぜなら、殺しあうのだから。


 言いたいことはわかっても、少女にとって獣の論理は理解できない。


 この戦いに、そんな敵を賛美する、などという余裕はないからだ。


「変わったやつだな、アンタ」


『貴様と違い、人間ではない。そして、貴様と違い生まれついての戦士である。ならば、その思想にいくらでも違いはあろう』


「そういうものか」


 少女の理解できない、という表情を見て、獣は笑うように喉を鳴らした。


『何よりも、百年ぶりだったのだ』


「百年?」


『世界を背負い、世界の敵へと立ち向かう。そんな勇者の姿を見るのは実に、百年ぶりだ。ましてそいつが覚悟を決めた眼をしているのなら、興味を惹かれないはずがない』


 言葉を尽くすほどに賛美を重ねられているのに、少女が感じるのは敵の強大さのみ。言葉の一つを紡ぐたびに、獣からは闘志があふれてくるようにさえ見える。


『しかし、しかしだ。この姿で戦ってはただ蹂躙にしかなるまい。そう、剣を持つ者には剣士として戦うのが、戦士としては流儀であろう』


 氷狼の元に周囲の魔力が集う。


 だが、その力は外に発散されるものではない。


『まさかフェンリル、あなたは』


 少女の胸元の結晶は戸惑うように声をあげる。


『理解しているらしいな、アルカンシエル』


 獣の姿が、揺らめいていく。


『マスター、今しかチャンスはありません。今のうちにフェンリルを!』


『無粋だな。それに、もとよりそんな隙はない』


 獣の姿は揺らめきながら光の中へ消えていく。


 その輝きをみて、ようやく少女は獣の目的にたどり着いた。


「まさか!」


 獣はその言葉には答えず、ただ呪文を口にした。


『【変身(トランス)】!』


 世界が、強大な光に包まれた。






「強大な魔力さえあれば姿かたちを思いのままに変革するなどたやすい。それに乗じて己が望む力を手にすることは、造作もない」


 光の中に、一人の人間が現れた。


 黒いスーツと、対照的な透き通る氷の様な長髪が印象的な、青い瞳の巨躯の男。


 その手には、氷の彫刻のような大剣が握られていた。


「おまえは……」


 姿かたちは種族に至るまで違う。


 そもそも、そいつは剣なんて握っていなかった。


 声が直接聞こえるような、反響するような感覚はない。


 けれど、氷の様な長髪はそいつの体毛によく似ている。


 青い瞳は同じであるとさえ感じた。


 氷の剣は、氷弾の雨を凝縮したような、おぞましい寒気を感じる。


 何よりも、その殺気は、わずかにすら衰えていない。


「ここに立っているのだから、正体は一つ。そうだろう?」


 少女は確信する。


 にやりと笑うその男は、間違いなく、氷狼の変身した姿だ。


 だが、その確信に至っても、少女は剣をふるえない。言葉も、口を出ない。


 恐怖したのではない。単に、その悠然とした立ち姿にさえ、どこから切りかかればいいのかわからない。それほどに、その男に隙が見えない。


『――撤退です。逃げるしかない、マスター』


「何言ってるんだ、シエル。逃げるなんて選択肢はない」


『マスターこそ何を言っているのか。今のフェンリルに、あなたでは勝ち目がない!』


 わずかな勝機は、フェンリルが近接戦闘において三鷹月光に劣る、と仮定した話。


 だが、彼らの前に佇む白銀の髪の男の魔力は彼の肉体と剣へとつぎ込まれ、剣を振るうことに特化している。


 現在の彼らの戦力差は単純に魔力に因る物のみだ。ゆえに、少女に勝る点は一つもない。


 それを理解してなお、少女は首を横に振る。


「シエル。あいつが背中を向けることを許すように見えるのか」


 少女の言葉に、男が笑う。


「ク、ククク。小僧、戦士としての才覚か本能か。なんであれ、理解しているか」


 抜き身の剣が、周囲の冷気が、男の視線が。見過ごす、などという真似を許しはしない。


「もう少し語らうのも悪くはないが、剣を握っては昂って仕方がない」


 男は笑みを深めながら、身の丈よりも巨大であろう大剣を片手でゆらりと持ち上げる。


「我は氷の盾。魔王が座する四天の一角を担いし吹雪の騎士也。我が真名はすでに焼け落ちた。故に、フェンリルと名乗らせてもらおう」


 その口上を聞いて、少女の口も開く。


「オレは、星の王女(スターデレミー)。涙を笑顔に変えるために、剣を取る」


「よい信念だ」


 にやり、と男の表情が変化した。


 少女は氷の大剣の半分ほどの大きさの長剣を再度握りなおし、敵の動きに構える。


「では、耐えろよ、小僧!」


 男は言葉を発した直後に、前方へ軽く乗り出した。


 それだけで五歩の距離は一瞬でつまり、大剣は少女へと到達する。


「――――!」


 だが、少女もその音速の動きに対応して、遅れながらも剣を合わせる。


 凍り付く剣と燃え盛る剣がぶつかりあう。


「ぐ――!」


 その一合の音が周囲に伝わる前に、その衝撃によって少女の体が大きく吹き飛んだ。






 少女はひざをつかない。足には致命的なダメージはない、と言い聞かせる。


 だが、右腕に力が入らない。ただの一合で、支えとなる腕がイカレた。


 もとより、この体は少女の体。どれだけ魔力を用いて、どれだけ剣を使っても、限界があったらしい。


「…………」


 少女は力を入れて、痛みの感覚からダメージを把握する。


「――――」


 痛みから察するに、筋が少し断裂し、骨にはひびが入った程度。致命的に壊れているわけではない。


 なら、問題にはならない。


 筋肉が欠けたのなら、魔力で動かせばいい。骨が欠けたのなら、魔力を骨子にすればいい。変身し続けるうちに、魔力の存在を感じる程度には、少女の感覚は強化されていた。


 力の根源。エネルギーとなりうるもの。それが魔力なのだと、少女は理解していた。


 もう一度剣を握るための力を、少女は想起する。


 筋を補強するように魔力が少女の腕に宿り、幻と現実の間の筋肉を作り上げる。


 それを、微弱な電気信号を作り出して稼働させる。


 痛みは消えないが、動きに問題ない。むしろ、魔力の筋肉にストッパーは不要な分、さらに動きはよくできるはずだ。


 だが、それでもあの敵との実力差は埋まらない。


 剣の実力は大きく劣る。何よりも、力が足りない。


 しかし、逃げながら遠距離で戦うすべなどない。


 肉体的なスペックも、剣を扱う技量も、この一合でその差は嫌というほどに理解した。


 剣士として戦う、というのは伊達ではなかった。唯一少女が勝りうる領域で、その力の差を見せつけられている。


 思えば、あの奇術師との戦いはこの反転。


 少女が勝り、奇術師が劣る。そんな状況でも少女は深手を負った。


 その理由はただ一つ。


 文字通り、命を賭ける一手があったからだ。


 ならば、少女もまた命を懸けることで、その再演をできるかもしれない。






 少女は10メートルほど吹き飛ばされて、それでも持ちこたえるように、剣を構えなおした。


 少女の目は実力差を感じたうえで、不屈の感情に満ちている。


「膝をつかず、剣を持ち、未だ戦う。そうでなくてはな、小僧!」


 男にとってそのわずかな距離は一歩にもみたない。


 その踏み込みは音と等しい。


 大剣の振り上げもまた音を裂く。


 剣として振るわれるにはあまりにも早いその一撃。


 剣として合わせたのでは、対応が遅れる。


 ゆえに少女はその一撃を剣ではなく弾丸として打ち払う。


「ハ――!」


 その接触の瞬間、炎がさらに燃え上がる。


 氷と炎の剣は交じり、そして互いの持ち主をわずかに後退させた。


 氷の剣の持ち主はその結果を見て、笑みを隠しきれなった。


「ク――! 互角、互角に至ったか! いいぞ、それでこそ、我が剣を交えるにふさわしい!」


 炎の剣の持ち主はその結果を見てもなお、苦悶の表情を隠せない。


「が――――」


『マスター、もうこれ以上は』


 結晶の悲痛な叫び。その声で男も理解する。


「ち、限界か」


 男はわずかに落胆する。見れば、少女の姿は立つのがやっと。剣を構える姿は陽炎のように消えかねない。


 剣を構える右腕はすでに力がなく、その切っ先は地に堕ちている。軸となるべき左足はすでに棒切れと化している。


 きらめきは、たったの一合。


「それでも、魔術を知らず、神の叡智をかけらも知らずによくぞここまで戦い抜いた。その蛮勇と無謀を称え、我自らその首を落とすとしよう」


 あえて、男は踏みしめるように立ち尽くす少女へと近づいていく。


 少女はただ、その近づく男をぼんやりと見やるだけ。


 なんの反抗もなく、男は少女を射程圏内に捉えた。


「ではな、愚かな勇者よ」


 首を狩るべく氷の剣が大きく振り上げられる。











 だが、氷の剣の射程圏内であるならば、炎の剣もまた、その心臓を射止められる位置にある。


 その断罪の瞬間は少年が唯一、掴みとれると考えていた活路だった。


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