1 氷の獣
理解が追いつかない。
ただでさえ、何もかもが常識の範疇外だったのに。
自分自身までもが、魔法少女なんてものに変身するなんて、意味が分からない。
『新しいマスター。調子はいかがですか?』
赤い結晶が、オレの胸部から光を放ちながら言葉を発していた。
間違いなく、先ほど少女に渡された結晶のはずだが、いつのまにか衣服の一部になっていた。
それも、魔法少女の衣装の一部。
「調子も何も。急に光ったと思ったら魔法少女なんかに変身したんだぞ。意味が分からないし理解もできないし」
声も体も衣装も、そのすべてが一瞬で少女のものに変化していた。
これで異常なしと答えられる奴がいるなら見てみたい。
『少々動揺しているようですね』
「この状況で動揺しない一般人が居るなら見てみたいね」
『一般人はそもそも魔法少女には変身しません』
おちょくってるのか。
「もしかしてバカにしてる?」
『怒った表情も大変かわいらしいですね』
「もしかしなくてもバカにしてるな?」
『マスター、どうか私ではなく向こうの敵個体に集中してください』
「オマエのせいで集中できないんだよ?」
『それは失礼』
こいつ、悪びれた様子もない。
落ち着け、オレ。
こんなふざけている場合ではない。
今は巨大な獣は様子を見るように動きを止め、飛んできた氷弾の嵐も今は止み間を迎えている。
だが、アレが動き出せば、オレたちの命はない。
『――ほう。わずかとはいえ、戦士としての適性があったか』
その獣があげる咆哮が、意味を持つ言葉に聞こえた。
「アイツ、言葉を話せたのか」
『彼が話せたのではなく、マスターが理解できるようになった、というのが正しいでしょう』
「……どういうことだ?」
『敵個体が話しているのは魔界言語。魔力を操れる者にのみその言語を理解できる、特殊な言語です。今の貴方は魔法少女に変身したおかげで、その魔界言語を理解できるようになったのです』
結晶の説明が終わると、獣はにやりと笑った。
『我らが真言を理解できるほどの魔力適性。この枯れた世界には惜しいほどの戦士の力を秘めている。戦士として赤子でなければ、もう少し楽しめたろうになあ』
ほめられてもうれしくないが、会話が成立するのは喜ばしい。
戦士の適性だか何だか知らないが、現状オレは戦い方を知らない。
少女と妖精は眠っている以上、戦力にならない。
唯一の戦力はオレだけ。だが、魔法なんてものを相手にする方法がわからない。
だが、会話ができるのであれば戦わない、という選択肢もあるかもしれない。
「その戦士の適性、とやらに免じてこの場を見逃してくれないか」
あまりにも拙い交渉か、とも思ったが、獣はにやりと笑った。
『ク、クク。そうだな、小僧、いや小娘よ』
「小僧でいい」
むしろ、小僧がいい。
『貴様と、倒れている娘。その二人は見逃してやってもよい』
「話が通じるじゃないか」
獣からは目を離さず、倒れている少女に近づいて、傷だらけの少女を抱き上げる。
軽い。
こんな体で、今まで戦っていたのか、と心配になるほど。
こんなになるまで傷をつけたあの獣に怒りはある。
だが、勝ち目のない戦いをするわけにはいかない。
「戦わないに越したことはない。じゃあ、オレたちはこれで……」
もう一人、倒れ伏した妖精に手を伸ばそうとして、妖精との間に氷の魔弾が飛んできた。
『だが、その妖精は置いていけ』
「……なぜ?」
告げられた獣の言葉は、看過できるものではなかった。
『そいつこそが、世界の鍵。そいつの命を捧げることで、世界は闇に包まれる。そいつを生かしておけば、世界は滅ぶ』
「何を、言ってるんだ」
その言葉の理解はできない。ただ、獣がオレなど敵とも思っていないことだけは分かる。
『その羽の生えた妖精を置いて行け、と言ったのだ』
「まるで、オレたちが居なくなった後、そいつを殺すみたいな言い草じゃないか」
『それだけで貴様は一人の命を救う。我は目的を果たす。良い取引だろう?』
もしも、少女の瞳を見ていなかったのなら。
あるいは、力がなかったのなら。
あきらめていたかもしれない。
「なあ、オマエの名前はなんて言うんだ」
少女から託された結晶を握りしめる。そいつは、命を持つように暖かかった。
『アルカンシエル。シエルとお呼びください、マスター』
「ならシエル、頼みがある」
すでに、決意は固まった。
『なんなりと』
この結晶、シエルを託してくれた少女。
彼女の太陽のような瞳にあてられていなければ、こんなこと考えることすらしなかっただろう。
「戦うための力ってやつがあるはずだ。そいつの使い方を教えてくれ」
この狭い路地裏に獣の高笑いが響く。
『ク、クク、クハハハハ! 小娘、実力差を理解したうえで我と戦うつもりか!』
この獣は一息でこの路地裏を血の海にできるかもしれない。
力の前に何もできずに、ただ死ぬかもしれない。
『忠告です』
「なんだ」
『戦わずに逃げるのであれば、確実にマスターの命は助かりますよ』
シエルの言うとおり、逃げれば死ぬことはない。
――でも、何もせずに逃げるなんて、耐えられない。
少女の言葉が、顔が、脳裏をよぎった。
この子の決意と想いに応えたい。
「それでも。目の前の理不尽は見過ごせない」
世界の冷気が強まっていくのを肌で感じる。
『蛮勇だな。実に、愚かな選択だ』
あの獣が一息するだけで、この体は凍り付くだろう。
『ならば、心から欲してください。それでマスターは戦う力を手にすることができます』
シエルの言葉のままに、欲する。
戦うための力を。
紅く、燃えるような力を。
『ならば、その選択を後悔しながら、花咲かせぬまま死ぬがいい』
視界に広がる氷弾のうち、一つが音を越えて飛んできた。
何もしなければ、一秒とたたずに死ぬ。
避けたところで、体勢を崩せば次の一撃で躱すことなく死ぬ。
活路はただ一つ。
『ク、クク――――』
獣は笑う。
「――いけるじゃないか、案外」
立ち向かう少女もまた、不敵に笑っていた。
放たれた氷の弾丸は、少女がいつの間にか手にしていた剣によって真っ二つだった。
『――――剣?』
その光景を見て、結晶は困惑したように声を漏らす。
剣は紅く、周囲の氷を溶かすほどに燃え上がっていた。
『魔術師の装いでありながら杖ではなく剣とはな。外殻の縛りを打ち破るほど、魂の方に適性があったらしい』
「――なんだっていいんだけどさ。アンタの魔術を打ち破ったのは確かだろう。オレの健闘を認めて立ち去る、とかない?」
少女は剣を向けながら、獣へと提案をする。その口調はあまりに軽く、雑談の延長線上の様な言い方だった。
『クク、そうだな、初めての魔装による戦闘でありながら、その出力。貴様の健闘を認めてもいいだろう』
「へぇ、それはありが……」
言葉を言い切る前に、少女の表情が凍り付く。
『故に、貴様を魔術の理によって葬ってやろう』
戦いなど一度も超えたことのないその体でも、獣の殺気を理解できてしまったからだ。
獣が一度吠えると、獣を取り囲むように、無数の白く光る、文様の描かれた円――魔法陣が浮かんでいた。
その無数の魔法陣に気圧されたか、少女の足は一歩後ろに下がった。
『まだ、降伏は可能だ。その妖精の身を置いていけば、それでいい』
しかし、獣の降伏を促す言葉を聞いてもなお、少女の目に宿る闘志は潰えていない。
「シエル。一回きりでいいから、何とかアレをしのげないか」
語る言葉は獣への命乞いにあらず。活路を求めて仲間へと問う。
『制限解除をすれば、あるいは渡り合えるかもしれません。マスターへの負担は計り知れませんが』
「方法があるならそれでいい。頼む」
『――では、一度だけ。あなたの無謀に付き合いましょう』
周囲に満ちていた魔力を吸収し、少女の剣がさらに紅く、炎によって彩られる。
戦闘の意思。迎撃こそが少女の答え。
それを見て、獣の笑みは深まった。
『その意気やよし。我が試練によって滅びるがいい』
獣の無数の魔法陣が青く輝くと、その内部から視界を覆いつくす氷の魔弾が発射された。
そのすべては、少女を射抜くように。
「シエル!」
『制限解除。炎天開放』
それに立ち向かうためだといわんばかりに、少女の剣はその背丈の三倍ほどの火柱を纏う。
「吹き飛べ!」
掛け声とともにその熱の塊は輝きを増し、その剣は上段から下段に振り下ろされ、一帯を熱で包み込む。
氷弾の雨と熱の塊が衝突し、その両方が一瞬にして消え去った。
獣の視界は、巨大な熱と大量の氷が衝突したことで発生した霧に包まれていた。
視界は白一色で何も見えない。
ならば、この霧に乗じて不意を狙うのが弱者の常道となる。
獣は自分の周囲に検知用の結界を展開する。この結界に敵が触れれば一瞬でその体を破壊できる自信がある。
『―――――』
3秒待って、敵の反応は無い。
検知の結界を自らの体の回りから、この裏路地全体にまで拡大する。
しかし、あの敵の反応は無い。いや、それどころか倒れていた少女も、妖精も姿を消している。
まさか、と思い獣は検知用の結界を展開したまま風を起こし、霧を飛ばす。
『――なるほどな』
晴れた視界には敵も、標的も居ない。
どうやら、さっきの一瞬で逃げだす算段を整え、撤退の決断をしたらしい。
『ククク、力の差は弁えているか』
その判断と理解の早さは戦士にとって重要な能力だ。
だが、所詮は人間。移動速度では獣に遠く及ばない。その上、逃げたと分かればその補足も難しくない。どこまで知恵が回ろうとも、彼我の戦力差を覆すには至らない。
結界を解除し、下級の使い魔を呼び寄せるための陣を引く。この世界でとらえた獣を操るのみであるから、戦闘能力はない。しかし数で街を探索し尽くせば、一瞬で見つけ出せるだろう。
『――――聞こえるな?』
術の発動の一歩手前。獣の脳内にノイズが走った。定期連絡の合図だが、獣はこの感覚に慣れる事は無いだろう、と感じている。
『聞こえている、ディアルク』
ディアルク、と呼ばれた男は思わず漏れ出してしまった、というような笑いをこぼした。
『見ていたぞ、フェンリル。こちらも星の王女の魔力喪失を確認した』
獣の脳内には軽薄そうな男の声がする。獣がともに戦う、という契りを交わした契約者の一員のものだ。
『彼女の打倒は褒め称えよう。奴こそが我らの宿敵であったからな』
男の声は喜びに満ちているが、相手の戦果を祝福するための喜びではないように見える。
『ならばこのまま息の根まで止めるべきではないか?』
『おや、異なことを言うではないか』
獣の提案に、さぞ驚いた、という口調で男は返事をする。
『君の「手番」は終了したはずだ。もしこのまま彼女たちを追う、というなら我々の協定も解除だ。そうなると私も戦闘に参加するわけだが、君も私を相手取りたくはあるまい?』
男にとって、今の獣の戦果は自らの障害が突破されたということになるらしい。
獣たちが結んだ『協定』は『次元の鍵』を持つものとの交戦は必ず一騎で向かうこと。そして、「手番」と呼ばれる交代制で行うこと。この二つだった。そして、次の「手番」はディアルクだ。
『くだらんな、実に気に食わん。手負いの獣を追うようなその行為。死肉漁りにも劣る矜持だな』
『その返答も予想はしていた。では剣を交えようか』
獣としてもこのような「茶番」に長く付き合うつもりもない。そして、通信先の男がいかに狡猾であるか、ということも理解している。背中を刺すことに容赦がなく、手段を選ぶこともしない。戦士である、という誇りなど形だけであろう。
ゆえに、争う価値もない。そして、無用な相手を敵に回すつもりもない。
『――――実に気に食わんが、赤子相手に武器を振るう、というのも気が引けていたところだ。手を引いておく』
『天界の楔がなくなると『魔獣フェンリル』も静かになるものだ』
その言葉に、獣としては思うところはあるが、あえて何かを口にしようとは思わないし、その必要もない。
『だが一つ忠告だ』
獣の言葉に、男は不思議そうに声を上げる。
『君が忠告とは珍しい。聞いておこう』
『戦闘記録を見ればわかるが、もう一人の星の王女が誕生した。あの人間も中々手ごわいであろうよ』
向こう側から、男の抑えきれない笑い声が聞こえてきた。
『あの剣を持った少女だろう。だが未熟も未熟。次の「手番」である私の敵ではないよ』
慢心しきってはいるが、事実この男はあの剣士などよりははるかに強い。
そして、この男は用意周到に敵を追い詰める。その力は正確無比だ。
『私はこれから下準備をしておく。見学は構わないがくれぐれも邪魔してくれるなよ』
『お前こそ我から敵を奪うのだ、手ぬかるなよディアルク』
『肝に銘じておこう』
通信のノイズはそこで途切れた。
新たな『星の王女』の行く末は獣にも気になるところだが、これ以上追えば『協定』を破ることになる。
獣にとって、戦いとは戦士としての誇りをかけた一対一であり、争いとはそれに準ぜぬもの。獣が手を出せば、これから先は争いにしかならぬ。獣は戦いを好むが、無用な争いを求めはしない。
一度高らかに吼えると、次の瞬間にはその裏路地から獣の姿もまた消えていた。